第2話 友達 3
「ゼロ災で行こう!ヨシ!!」
『ゼロ災で行こう!ヨシ!』
翌週の昼勤。相も変わらず朝礼後のゼロ災唱和を終え、今日も一日頑張るかと気合を入れていた時だった。
「九条さん」
後ろから名前を呼ばれ振り返る。そこには入社三年目の田辺がガンを付けるように俺を見据えて立っていた。
元ヤンの名残で金色に染められた髪にだらしない服装。仕事は早いが不真面目な性格の田辺は、いつもは眠そうな顔をしているのに、今日に限ってはほんの少し真面目な顔をしていた。入社以来に見るのではないかという表情にただならぬ空気を感じ、俺は緩んでいた表情を引き締めた。
「どうした。体調悪いか?」
「いえ、ちょっと話があるんすけど、いいっすか」
普段から素行の悪さを注意することが多い俺に、あまり良い印象は持っていないであろう田辺から話があるとは珍しいこともあるもんだと思うと同時に、もしかしてあのことなんじゃないかと思い当たる節が頭に浮かぶ。
「別にいいよ。田辺の担当は……今週は、箱の整頓だったか。じゃあ、しばらく作業止めても問題ないな。ここでもいい話?」
「別にいいっすけど、できれば目立たないところがいいっす」
「オッケー。なら外行こっか」
「……っす」
俺たちは作業場のすぐそばにある出入り口を通って外に出て、休憩用に設置されているベンチに並んで腰掛けた。すぐ目の前はトラックが走る外周路になっていて、ちょうど目の前を大型のトラックがゆっくりと通過していくところだった。道路の両端にある細い歩行帯には、夜勤終わりの作業者が数人、バス停を目指して歩いていた。
仕事始まりの朝ののんびりとした風景をずっと眺めていたかったが、ルーチンワークもあるのでそうもいかず、俺は早速話の内容を聞き出すことにした。
「どうした。なんかあった?」
田辺は、ためらうでもなく物おじするでもなく淡々と言った。
「俺、会社辞めます」
「……」
あーやっぱりかー、と大きく息を吸いながら思う。前々からあいつ辞めるらしいよと他の作業者からのタレコミがあって、いつかはこの日が来るだろうと心構えはしていたが、ついにその時がきたようだ。第一声なんと言おうか迷ったが、初耳でもなければ急な話でもなかったので「え!?マジで!?」や「は?どうした急に」といった驚愕の言葉はわざとらしくなってしまいそうだった。俺は無難に「そうか」と淡白な言葉だけを返しておいた。
「理由は?」
「夜勤がもう嫌なんす。めちゃくちゃ辛くて、これからもあると思うときついんす」
偶然にも先週御子柴さんと話題にした夜勤が原因だった。確かに田辺は昼勤も大概眠そうに仕事をしていたが、夜勤はそれに輪をかけて眠そうにしていることが多かった。あまりにもひどいときは半休を取らせて帰らせたこともある。そんなこともあって夜勤に向いていないことはわかっていたので、辞める理由としてはまともに聞こえた。
「あと、工場で働くのも、もう嫌なんす。なんか底辺の集まりって感じじゃないっすか。いる奴みんな馬鹿ばっかだし。俺までそんな目で見られたくないんすよね」
「ああ、そう」
底辺の集まりって、この工場で働いてる俺に対する侮辱でもあるんだけど。遠慮のえの字もない発言にカチンときたが、まあ最後まで聞こうじゃないかと今は聞き流すことにする。
「それと、職長が気に入らないんす。なんか陰で俺のことぼろくそ言ってるらしいじゃないですか。あいつはちゃらんぽらんだとか、前にやった失敗をいつまでも根に持って、あいつはまた同じことをやるだとか。俺、陰でこそこそそんなこと言ってる奴の下で働きたくないっす」
田辺がはき捨てる。おっしゃる通りで、遠山職長から田辺の愚痴はどの作業者よりも多く、それこそ耳にタコができるくらい聞かされている。まあ、それだけ素行が悪いからなんだけど。田辺が言う失敗の件にも心当たりがあった。おそらく一年前、大量の製品をフォークリフトで運搬中にぶっ倒したことだろう。適当な運転をしていた田辺が悪いから、起こしたことについて擁護する気はまったくないのだが、遠山職長は遠山職長で親の仇のようにしょっちゅうその話題をほじくり返してくるから、俺も少しうんざりしていた。俺だけで三十回以上は聞かされているのではないだろうか。ただでさえ愚痴好きで有名なのにそうなると部署と社内でどれだけ拡散されているかは想像できない。
どこから聞きつけたか知らないが、自分の悪評を言いふらしてるのが知れればそりゃあ怒る。ただ怒る前に、考えることもあると思うのだが。
辞める理由としてはその三点のようだった。一通り話を聞き終えて、俺は上司として自分の見解を述べておくことにした。
「そうだな。まず夜勤については、人それぞれ体質があるからね。それが理由で辞めるってのはありだと思う。仕事だっつっても結局は自分の身体が一番大事だしね。つらいの我慢して無理に続けて身体壊しても困るし」
「うっす」
田辺が身体を揺らしながら頷く。これに関しては実際に死にそうな顔を見ているだけに否定意見はなかった。
「次に、えっと、工場の人間が馬鹿ばっかで嫌になる?んー、まるっきり見当違いだとは言えないよ。話がまるで通じない人や、理解力のない人、やたら高圧的なのに自分では何にもしない人がいるのは、俺も経験してるからね」
班長になってからの苦労が蘇る。他部署に赴けば年齢差から高圧的な態度を取られ、いくら正論を述べても、そんなわけないだろ、俺はお前なんかより長く働いてんだと突っぱねられる。まるっきり見当違いの反論をしてくる奴もいた。そのくせ後になって俺が正しかったとわかっても誤りもしない。そんなのが一度や二度ではないのだ。責任者にも作業者にも等しくそういう奴は存在していて、俺の頭の中にも大勢リストアップされている。
「だけど、工場で働いている人全員がみんな頭悪いと思ってるなら、そこは考えを改めたほうがいい。田辺は面識ないかもしれないけど、社内には頭の切れる人だって大勢いる。うちの部署の遠山職長と林田さんだってそうだ。それを一緒くたに知りもしないで馬鹿だと決めつけるのはどうかと思う」
「つっても所詮工場の中でっすよね。たかが知れてるっすよ」
田辺が鼻で笑う。自分以外は皆馬鹿だと信じきっている態度だった。たまにやる知識力テストでは散々な点数を取り、資格試験は軒並み不合格なのに、どこからそんな自信が湧いているのか。それ抜きにしても仕事そっちのけで他の部署の奴と喋っていたり、平気な顔して無断欠勤するような奴に、人を見下す権利などない。
それを言ったところで反発してくるだけなのは目に見えていた。面倒になって、先に進める。
「最後に、遠山職長の件だけど……」
一旦そこで止める。本人はもちろん、遠山職長のことを知っている人物に聞かれるのはまずいので、入念に誰も通らないことを確認して小声で先の言葉を口にする。
「あの人陰口大好き人間だからね。これに関しては遠山職長が悪いところもある」
「やっぱそうっすよね。あれ人としてどうかしてますよ。昔のことをいつまでも引きずって、俺のいないところでいろんな人に言いふらしてんの、終わってる。言いたいことあるなら直接言えばいいのに、ビビッて来ねえし。俺そういうのすげー嫌いなんす」
田辺がまくしたてるので、まあまあとなだめる。遠山職長は仕事上ではこれ以上ないというくらい頼れる人なのだが、他人に対する自己評価をあたりかまわず言いふらす癖のようなものがあった。そして、若干のひいき目も持っていた。なので遠山職長に良い印象を与えておけば、自然と周囲からの評価も上がり、悪い印象を与えていればあっという間に問題児だと知れ渡る。他部署の無理難題を引き受けてあげているからか、あちこちからやたら慕われているだけあって、予想だにしないところまで個人名が広まっていることもあった。
自分の醜態をさらされている田辺からしたらたまったものではないだろう。しかし。
「直接言ってこないのは置いといて。でもさ、そもそも言われる原因を作ったのって田辺だよね。それについてはどう思ってるの?」
それを言っちゃあおしまいだと思ったが、言わずにはいられなかった。大本を追求するのは仕事においても大事なことだ。
「いや、そりゃそうっすけど、しつこすぎません?もう終わったことじゃないっすか」
田辺は不満げに声を荒げる。
「……それ、本気で言ってる?」
「だって、一年前っすよ。もういいでしょ」
「……」
呆れてものが言えないとはまさにこのことだった。頭痛をもよおしてこめかみを押さえる。こういう奴なのはわかっていたけど、まさか自分からもういいでしょなんて言ってくるまでだとは思わなかった。
どうしたらわかってくれるだろうと頭を悩ませる。
「あのね。例えば、去年入社した辻君。彼配属されて三か月後くらいに結構大きなミスやらかしたよね。覚えてる?」
「覚えてないっす」
即答だった。わかっていたからそのまま先に進める。
「彼も田辺ほどじゃないけど、製品を大量に落下させちゃったんだ。ちょっとした不注意でね。入社してすぐだったから、遠山職長もその頃は辻君のこと厄介なのが入ってきたって愚痴ってたよ。でも、今はそんなことない。むしろあいつは伸びる奴だって太鼓判押してるよ。なんでかわかる?」
「わかんないっす」
またも即答。少しは考えてくれ。
「辻君はちゃんと反省して、同じミスを繰り返さないようにした。そして別の作業でも、ミスをなくそうと注意深く丁寧にやるようにした。汚名返上するために努力したの。だから、遠山職長の評価が覆った。別に難しいことじゃないよね。田辺は反省した?ミスをしないように何かに気を付けたりした?」
「あんまりしてねえっすね」
「だよね。反省どころか、ふてくされてたよね。その後も同じミス繰り返してるよね。ただでさえ大きな失敗やらかしてるのに、そんなんじゃ忘れようにも忘れられないじゃん。悪く言われ続けるのも無理ないよ。陰口どうこう言う前に今のスタンスを変えない限りは、もういいってことには一生ならないって」
まずそのことを理解しろと強めの口調で指摘する。しかし田辺は、
「だとしても、どうせ俺辞めますから、スタンスがどうとか関係ないっすよ」
あっけらかんと言い放つ。悔しさを与えるためにあえて後輩を例えに起用したというのに、田辺は顔色一つ変えていなかった。憮然とした態度のまま、俺を見るでもなく芝の生えた地面に視線を落としていただけだった。
「いや、そうかもしれないけど……」
「てか、こういうのもあれっすけど、ぶっちゃけ九条さんの見解とかどうでもいいんすよ。職長に言いに行く前に、班長に伝えておいた方がいいかと思っただけっすから」
俺の言葉を遮って、田辺が牽制する。上司である俺に対しても好戦的な物言いだった。今に始まったことじゃないが、これも工場に勤める奴らみんな馬鹿と見下しているがゆえだったのだと今日理解する。唯一、報告する流れを守って、先に俺のところに来たことだけは評価できるなと思った。。
「そんなわけで、辞めることを言いにこの後遠山職長とこにも行きますんで」
「んー……まあ、止めはしないよ」
田辺に俺の言葉は届かない。もういいや、と匙を投げる。どのみち辞めさせないようにするよう説得をするつもりはなかった。去る者は追わずが俺のスタンス。それが問題児なら猶更だ。辞めたければ辞めればいい。それに俺の意見はどうでもいいと言われた以上、ベラベラのたまうのは無駄というものである。
報告は受けた。話も聞いた。説得の余地はなかった。班長として俺にできることはもうなく、ここから先は遠山職長に任せるほかない。
今日は一段と愚痴が激しくなりそうだった。帰りが遅くなるな。
「それで、辞めた後はどうするの?」
俺は説教の終幕を告げるように雑談を投げかけた。
「知り合いにディーラーやってる人がいて、そこで雇ってもらうことになってるっす。前からうちにこいって誘いをうけてたんで」
「ああ、もう決まってんのね」
少し以外。というかこの不真面目で自信過剰人間に誘いが来るのか。甚だ疑問だったが、よくよく考えてみれば俺は仕事上の田辺しか知らなかった。もしかしたらプライベートでは別の一面があって、そこを買われたのかもしれない。まったく想像ができないけど。
決まっているのならもう何も言うことはなかった。
俺は清々しい陽気に別れを告げて、田辺を連れて詰所の扉を開いた。パソコンに向かっている遠山職長に、田辺から話があると深刻さを装って告げると、遠山職長は長年の感かすぐに何かを察して「わかった。場所移そうか」とスケジュール帳を手に取り立ち上がった。
「ちょっと抜けるから、あと頼むね」
「はい」
詰所を出て行く二人を見送りながら、俺は返事を返した。多分、向かった先は社員食堂だろう。食堂は今の時間利用者がいないし、面倒ごとがしょっちゅう舞い込む詰所と違って、他からの干渉を気にせず話すことができるから、遠山職長がよく面談の場として利用している場所だった。
利用者が増える昼前までには帰ってくるだろう。一人班長用のPCの前に座って、ぎし、と椅子を軋ませ深く背もたれに体重を預ける。天井を見上げると、ほこりまみれのエアコンが目に入り、いい加減掃除しなきゃなあと漠然と思った。
田辺が辞めることを残念だとは、最初から最後まで微塵も思わなかった。
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