第1話 深夜のコンビニは出会いの場 2
「私、御子柴綾乃と言います」
「九条那須香です」
お互い名乗り合い、簡単な自己紹介を添える。
御子柴さんは今年新卒で入社した新入社員で、俺の家からそう遠くないところのアパートで独り暮らしをしながらIT関係の会社に通っていると語った。日々デスクワークと雑務に追われていて、今日も終電ぎりぎりまで仕事をしていたらしい。
「仕事でストレスが溜まっても、吐き出す相手がいないんです」
御子柴さんはそう言って、話を再開する前にコンビニで買った炭酸水を飲んだ。引っ越してきたばかりで周りに知人はおらず、会社では同期も先輩も仕事のみの付き合いで良好な関係が作れていないのだとか。周りに頼る人間がいないというのは寂しいだろうなと思う。なにより、同期と先輩との関係については驚きだった。同期からは7年たった今でも飲み会をやろうと誘いが来るし、先輩とはプライベートでも遊びに行ったりするほど仲が良い俺とは環境が正反対だ。
「自分から話しかけたり、皆でどこか行こうみたいにはならないの?」
御小柴さんと同じ銘柄の炭酸水を弄びながら聞く。つい数十分前に買い物をしておいてまた同じコンビニに入るのは気まずく店外で待機していた俺に、付き合ってくれるお礼だと御小柴さんが渡してくれたものだ。気の利くいい子で感心する。
「同期はプライベートに口出しされたくない子ばかりなので、誘いには絶対来ないし、皆話しかけるなオーラが凄いんで、私は誘おうにも誘えないんです。先輩方はどうにも女性社員には態度が冷たくて。私と同期の男性社員とはよく飲み会を開いているみたいですけど」
「女の御子柴さんは呼ばれないんだ?」
「はい。まあ、呼ばれたところで話す相手がいないからちっとも楽しくないでしょうけどね」
みんなが談笑する中、一人隅っこでお酒を飲む御子柴さんを想像する。かわいそすぎて胸が苦しくなった。呼ばれないほうがいくらかましである。
「……大変だね、俺そんな環境で働いてたら息つまりそうだよ」
「九条さんは男性だから待遇いいですよ。仕事も丁寧に教えてもらえるはずです。私みたいな女は、冷ややかーな目で見られて、あれやっといて、これやっといて、って雑に指示されるばかりですから」
御子柴さんがうんざりしたように言う。御小柴さんの勤める会社は、圧倒的に女性社員が多いそうだ。それ故に男性社員というのは女性社員の間で重宝され、職場の女性は虎視眈々と男性社員を狙い合っているらしい。新人の御子柴さんもその人たちからすればライバルの一人であるから、優遇はされないんだろう。仕事に私情を挟むなよと言いたい。婚活目当てで仕事に来ているのだろうか。
男としては女性の多い職場は女子高や女子大と同じような甘い空想を持ちがちだが、御子柴さんの話を聞いたあとではがらりとイメージが変わり、バーゲン品を前に主婦たちが権勢し合っている図が浮かぶ。男社員はさしずめ目玉商品と言ったところだろうか。たとえ待遇のいい男側だとしてもそんなところに放り込まれるのは遠慮したい。
男職場万歳。
御小柴さんは、「絶対いつか転職してやるんです」と息巻いて、炭酸水を煽った。酔っぱらいのようだと思いながら、俺も一口飲む。弄んでいたからか、少し炭酸が抜けてしまって、おまけにぬるくなっていた。
御小柴さんは、よく喋る子だった。会話を振らなくても自分からあれやこれやと表情豊かに披露していくので、もっぱら俺は聞き役だった。大半は仕事上の不満や一人暮らしの苦労話。話し相手がいないせいでよほど鬱憤が溜まっていたようで、勢いはとどまるところをしらず右肩上がりで上昇するばかりだった。しまいには話はどんどん過去を遡って、一人暮らしを始めるに至るまでを赤裸々に語ってくれた。
「この辺、家賃が凄い安いですよね。だから住もうって決めたんですよ。会社の近くはどこも私には手が届かない家賃だったので。4駅離れることになるけど、そのくらいならいいかなって」
「都会に近いけどここらは住宅街中心だからね。めぼしい商業施設もないから駅周辺でも比較的安いんだろうね」
「不動産屋さんからも似たようなこと言われました。でも遊ぶところは少なくてもホームセンターとスーパーがあるんで、生きていくには十分ですよ」
「大体のものはそろっちゃうもんなあ」
「特にスーパーのお惣菜には日々助けられてます。半額のシールが貼られていたら、とっても幸せな気持ちになれますよ」
御子柴さんの笑顔はまぶしかった。まぶしいのだけれど、痛々しかった。半額シールに幸せを見出すほど生活が困窮してるのだろうか。せっかく気持ちよく喋ってるのに水を差すのも悪いから、あえて深くはツッコまないようにするけど。
その後もマシンガントークは続いた。会話の終着点はまるでみえず、俺は一筋の光も見えないトンネルを突き進んでいるかのような気分だった。時折目を盗んで時間を確認していたが、4時を迎えたあたりからいい加減時間を気にするのも諦めた。こうなったらいけるところまでいこうとやけっぱちになり、御小柴さんについて誰よりも詳しくなるつもりで耳を傾ける。もしかしたら延々に続くのではないかと恐怖を感じながら、相槌を打ち、たまに口を挟む。
夏場は日が昇るのが早く、次第に空は明るくなっていった。車の往来が増えてきて、一時まるで見なくなった人の姿もちらほらと目につくようになってくる。俺たちの前を通る人は、皆一様に奇異な目を一瞬向けて去って行き、コンビニの利用者の中には、ごみ箱横に座り込んでいる俺たちを見て仰け反ったりする人もいた。明るくなってきたとはいえ、俺たちの存在はまだまだ異様なんだなあと、落ちかけた瞼を強引にこじ開けながら思う。
「大学の頃はですね……アルバイトをしていたんですけど……えーと、名前なんだったかな……何とかって店で、働いてたんですよ」
「……うん」
「その、何とかって店で、頑張って働いて……結構貯金してたんですよ」
「……うん」
「その貯金がですね。一人暮らしするってなったら、一気になくなっちゃって……」
「……へぇー」
「今はもうほとんど残ってないんですよ……」
「あー、そりゃあ大変だ」
朝日が昇り始めると、セミの鳴く音がどこからともなく聞こえ始めた。一匹鳴いたかと思うと、2匹目が鳴きだし、3匹4匹とその数は徐々に増えていった。それに押されるようにして、延々に続くかと思われた御子柴さんが放つマシンガントークの勢いは急速に衰えていった。御小柴さんの目は虚ろで、時折身体が左右どちらかに倒れそうになるのを立て直しながら口だけを懸命に動かしていた。かくいう俺も、ほぼ無意識で何の考えもなく相槌を打っているだけで、会話が成立しているかどうかもわからない状態だった。とにかく、眠い。
いい加減にお開きにした方がいいだろう。俺は目をこすりながらかすれた声で
出す。
「御小柴さん……そろそろ帰ろうか」
「……、え、なんですか?」
俺を見る虚ろな瞳には、同じような目をする自分の姿が映っていた。
「もっと話していたいのはやまやまなんだけど、もう朝だからさ。ここらでお開きにしよう。会社に行く準備しなくちゃいけないし」
朝日を指さすと、御小柴さんがそれを追って、細い目を一層細くしながら、「あ、ほんとだ、朝だ」と弱弱しく呟いた。
「すみません。全然気づきませんでした……。どうりで眠い……はずです」
ふらふらと立ち上がる姿は、ゾンビが墓から出てくるかのようだった。俺も立ち上がると、危うく立ちくらみを起こして倒れそうになる。軽い吐き気とめまいで世界が揺れて、意識がどこかへ飛んでいってしまいそうになる。なんとか持ち堪え、不快感が収まるのを待ってから御小柴さんを見る。
「家帰れる?というか、仕事大丈夫?」
俺もではあるがとても出勤できる状態にないことを心配すると、御子柴さんは眠気のせいもあってか、悪びれるでもなく、
「あ、私……今日有休なので」
ふわふわとした口調でそう告げた。
ああ、そうなのね。安心したような、うらやましいような、妬ましいような。通りで焦りの一つも感じさせないであれだけ喋れるわけだ。いっそのこと俺も病欠ということにして、有休を使おうか。
まあ自己責任である以上そんなずる休みまがいなことしないけどさ。それはともかく、御小柴さんは到底大丈夫そうには見えないが、今はその言葉を信じるほかないようだった。時計は6時を指そうとしており、これは俺が普段起床する時間であった。早く家に帰って準備をしないと、会社の送迎バスに乗り遅れて遅刻してしまう。
「ごめん。家まで送っていければよかったんだけど、俺はこの後仕事があるから。先帰らせてもらうね」
「いえ、一人で帰れますから。お仕事頑張ってくらさい」
微妙にろれつが回っていなかった。
「ごめんね、じゃあ気を付けて!」
最後にそれだけ言って、俺はその場を離れた。
家までの道にはすでに出勤途中であろう人々が見受けられ、駅方面、つまり俺とは逆方向に向けて歩いていた。一人、また一人と、俺はその人たちとすれ違っていく。マラソンで逆走をしている気分だった。俺はふらつく身体を押しながら、今持てる力を振り絞って家路を急いだ。
「ゼロ災でいこう、ヨシ……」
「「「「「「……ゼロ災でいこう!ヨシ!」」」」」」
俺の声に続いて作業者の声が工場内の一角で一瞬の間をあけて大きくこだまする。朝の通例、ゼロ災唱和。一日の始まりは朝礼とゼロ災唱和から始まり、その掛け声をするのが班長である俺の最初の仕事だった。
俺が勤めているのは大手自動車メーカーの下請けにあたる自動車部品工場だ。工場の規模はそこまで大きくないが、ここでしか作られていない特殊な部品を製造しているため他社とのやり取りは多く、車が世の中から無くならなければ安定して定年まで働くことができると地元では隠れた優良会社だ。大手の下請けなのもあって給料も悪くないし、福利厚生がしっかりしているのも優良たる所以だろう。
工場は昼勤、夜勤のニ直交代制で二十四時間稼働しており、白直と黒直の二つに分かれるグループが一週間交代で昼夜を回している。そのうちの一つを任されているのが班長である俺で、今週は俺の受け持つ白直が昼勤だった。
「どうしたの、九条君。元気ないね」
作業者がそれぞれの持ち場に散る中、重い足を引きずって詰所に戻ろうとする俺に、上司の遠山職長が丸い顔に汗をにじませながら声をかけていた。
工場のそれぞれの部署には、作業者の上に、班長、職長、GMと責任者が存在している。班長は白直、黒直に一人ずつ配置されている直のリーダー。位は一番低い。職長はその上にあたり、二つの直を管理する者で、部署によって一、ニ人が配置されている。うちの部署は一人しかおらず、それが遠山職長だ。仕事が早く、どこの部署の職長より頭が切れる、我が部署の主砲である。
GMはさらにその上に位置する部署内での最終決定権を持つ言わば最高責任者。だが、現場には滅多なことでは顔を見せず、仕事場も離れたところにある事務所のため、普段何をしているのかはほとんど謎。そのため基本的に現場は職長の指示のもと動いている。
「ちょっと寝不足なもので。すみません」
引きつった笑みで簡潔に答える。寝不足じゃなくて寝ていないんだけどね。
「大丈夫?なんかあった?」
まさかコンビニで知り合った女性と朝まで話してました。なんて言えるわけもなく。
「いやー、単にベッドに入ってもなかなか寝られなかっただけですよ」
空元気でそう答えて、その場を切り抜けることにする。これに関しては本当だ。だからコンビニに出かけた。まあ、ぶっちゃけ寝られなかったそもそもの原因は遠山職長が定時後に3時間を費やして俺に語ってきた愚痴なのだけど。一応班長という立場上、話題に上がった職場の人物がこれ以上悪く言われないよう解決策を講じなければといろいろ考えているうちに、睡魔がどこかへ行ってしまったのだ。
これもコンビニでの件同様遠山職長には言えない。愚痴ごときで上司に苦言を呈すなんて、次の標的が俺になりかねない。
幸い遠山職長は深く詮索してこず、「無理はしないように。やばくなったら、早めに言いなよ」と気遣いの言葉を残して、メタボリックな体を揺らしながら一足先に詰所に戻って行ってくれた。安堵するも、現在52歳で甘いものが大好きという遠山職長の後ろ姿は、同じく甘い物好きな俺の胸に妙な不安を残していった。班長になって2年目。作業者としてあくせく働いていた頃とは違い、管理者となった今はデスクワークが主になって動く機会がめっきり減っている。いくら食べようと重労働でむしろ鍛えられてきた身体は、筋肉が落ちた代わりに脂肪が付きはじめていた。標準体形は維持しているものの、いつ崩れるかはわからない。やはり運動を始めようかと、駅前にあるスポーツジムを思い浮かべる。
それはさておき俺も詰所に入ろうとすると、今度はベテランの古川さんが近くを通り、俺の顔を覗き込んで、「すげー死にそうな顔じゃん」と、笑った。遠山職長に説明したことと同じ内容を話すと、「今日は早く帰りなよ」とこちらも気遣ってくれる。
古川さんは勤続年数15年の大ベテランだが、作業者のほうが自分に合っているということで班長昇格試験を受けず、作業者の立ち位置に重鎮している。とても温厚な性格で、作業者の中では一番の古株で働き者である。今では年下の俺が上司という形にはなっているが、それでも言うことはしっかり聞いてくれるし、気をきかせて手伝いをしに来てくれたりと白直にはなくてはならない存在だ。
特に今日は古川さんに助けてもらうことが多くなりそうなので、その旨を伝えると、古川さんは「おお、いつでも声かけて」と頼もしい言葉をくれた。
古川さんと別れ、詰所に入り班長兼用のパソコンを立ち上げると、眠い目をこすりながら昨日の仕事の続きに取り掛かった。時間になったら自動的に帰れるほど甘くはなく、早く帰るにはまず帰れるだけの仕事をこなさなければならない。油断すると飛びそうになる意識を強引に繋ぎ止めながら、キーボードを叩いていく。
ふと、霞がかった頭の片隅で数時間前まで一緒にいた御小柴さんの顔が浮かぶ。
彼女は無事家にたどり着いただろうか。駅に向かう途中や、コンビニの前を通った時も周囲に視線を巡らせてそれらしい人はいなかったから自宅に戻ったのは確かだろうけど、なんとなく気になる。路地裏なんかで力尽きていなければいいが。そういえば、連絡先も聞いてないんだよな。それさえ聞いていれば安否の確認をすることもできたものを。仕事のためとはいえ、急いで立ち去ってしまったことが悔やまれる。それに、夜を明かして語り合ったというのに一晩でさようならとなってしまったのも、なんだかもったいない。彼女とはもっと話をしてみたかった。
ずいぶんと悔いの残るひと夏の思い出を胸に、いつの間にか止まっていた手を動かす。家が近ければそのうちばったり出会うこともあるだろうから、その時御子柴さんが俺のことを覚えていたら、心残りを解消することにしよう。時間があったらお茶に誘ってもいいかもしれない。
俺は、また出会う日が来ることをひそかに願いながらパソコンに向き直った。
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