第4話 契約の証

 傷跡だらけの男が鏡に映っていた。

 化物たちに切られ、抉られ、殴られ、蹴られ、踏まれ、潰され、噛まれ、吹き飛ばされても生き残った、しぶとい男の身体。異世界の水面だけでは鮮明に映ることのなかった古傷の数々と強靭な肉体が、目の前に曝け出されている。


「ずいぶんと別人になっちまったな」


 日本にいたころはスポーツマンというわけではなかった。

 どちらかといえばインドア派であり、ゲームや漫画が好きなオタクだった。『もやし』とまではいかなくても『きゅうり』だったあの頃の面影はなく、今では『トウモロコシ』のように腹筋も割れている。


「いや……もう人と呼べるか怪しい体だけど」


 化物を食べ続け手に入れた体はあらゆる意味で規格外だった。

 怪我をしても軽傷であればすぐに傷は癒え、死なない程度の傷であればその痕跡が残るのみ。人間離れした腕力と脚力、魔装という特別な力。

 化物という名が相応しい体だ。

 それに魔装には――


『ルダージュー湯加減はどうですか~』

「!?」


 シャワーを浴びながら久しぶりにじぶんと向き合っていたルダージュはドア越しから響いたセルティアの声で我に返る。

 ここはセルティアが学園で借りている寮の自室であり、そこのシャワールームだ。

 まともに身体を洗い、自分がいかに汚れていたか思い知らされたルダージュは、風呂にも入らずひたすら身体を洗い続けていたのだ。


「ありがとう。だいぶ綺麗になったよ」

『服はここに置いておきますねー。学園の制服を用意してもらったので今日はこれで我慢してください』

「助かる」


 かろうじて来ていたスーツもボロボロだったため、服が支給されたのはありがたい話だった。

 アリアストラという異世界は魔法による文明が発達した世界であり、衣食住は現代日本とほぼ変わらない文明水準と言っても過言ではない。むしろ魔法があることで上回っている部分も見え隠れしていた。


(最初からこの異世界にくることができれば、俺たちは……)


 今は亡き後輩を思いながらルダージュは暗い気持ちを洗い流すようにまたシャワーを頭からかぶる。


『やっぱり私も一緒に入っていいですか~?』

「勘弁してください」


 ルダージュの懇願に『残念です……』と落胆するセルティア。

 遠のいていく足音にルダージュは耳を澄まし、


「ふぅ……やっぱり俺は人間扱いされてないみたいだな」


 気配が無くなったことで息を吐いた。

 化物だ化物だ、と自分を卑下したところで、この世界アリアストラではルダージュのことを人型精霊だと認識する。

 それがルダージュが望んだ立ち位置であり、周囲の認識だ。

 だが、


「借りてきた猫、もしくは水嫌いな犬といったところか」


 よくよく考えたら当然の対応なのだ。例え人型であってもセルティアにとってルダージュは精霊であり、人間の男ではない。これからは化物ではなく嘘つき精霊という自覚を持たなければならない。


「人型精霊ルダージュ……か」


 鏡に映る自分に言い聞かせるように呟く。もう後戻りはできない。

 少しだけ精霊召喚についてルダージュはセルティアから話を聞いていた。

 ここ魔導都市学園では魔法科から精霊科と呼ばれる階級に進級するためには精霊の召喚が必須事項なのである。よってルダージュがもし「精霊じゃなくて俺は人間です」と宣言してしまった瞬間、セルティアは落第という可能性もあった。

 そう考えると嘘も方便のように思えた。それと同時に、そんなことを考えてしまう自分に嫌気も差した。

 

「頑張るよ……――」


 今はいない彼女を思い最後に顔を洗い流す。

 そしてシャワーを止め、「よし……!」と頬を叩き気合を入れ直してから、ルダージュは風呂場を後にするのだった。



 ±

 

 

「それでは私と向かい合うように立ってください。これから契約魔法を掛けます」

「わかった」


 学園の制服に身を包みセルティアの前に立つ。彼女の表情は真剣そのものでルダージュも釣られて身が引き締まり、余計なことを考える隙はなくなっていった。


「……と、忘れてました」

「ん? どうしたんだ?」

「契約の期間を決めることです。最初に決めないと魔法式を組み立てることができないんです」

「……なるほど」


 魔法のことはよくわからんが言いたいことは理解できる。そしてルダージュもその魔法について聞いておかなければならないことがあった。


「私としては生涯を共に歩んでほしいと思っていますが無理強いはしません。ルダージュの記憶が戻るまででも構いませんし、学園を卒業するまで――はちょっと困りますが、ルダージュの意見を尊重したいと思います」

「……質問いいかな?」


 セルティアにとって精霊との契約は今後の人生に大きく関わっている。こくり、と緊張した面持ちで頷くのは仕方のないことなのだが、当のルダージュは短期間の契約なんて望んでいるはずもなく、そんなに斜に構えてほしくはなかった。


「契約魔法の内、時限帰還魔法だけを取り除くことはできるか?」

「? どういう意味ですか?」

「俺は元の世界に帰りたくない」

「……っ」


 正確にはあの地獄に帰りたくない精霊界という世界に行きたくない、という意味だった。やっと抜け出すことができたのに元に戻されるなどルダージュからしてみればたまったものでは無い。

 セルティアはルダージュの言葉を受け、苦虫を噛み潰したような表情をしている。彼の怪我や記憶喪失のことで思い煩っているのだということがよく分かる、優しい少女の顔。


「……時限帰還魔法は契約魔法の核とも呼べる魔法です。取り除くことはできません」

「……そうか」

「しかし、期限を無期限にすることは可能です。その場合、精霊は守護精霊と呼ばれ、術者――つまり私やその子孫が紋様を継承していくことで契約精霊としてこの世界に留まり続けることができます。ルダージュの寿命が尽きるまで私の子孫を守り続けるという誓約も発生しますが……どうしますか?」


 一瞬諦めかけたがそんな抜け道があったのかと驚く。これで心おきなく契約できる。


「頼む」


 あの地獄に帰らないためならなんだってする腹積もりだった。条件も悪くないため悩む必要もない。


「即答ですか。精霊はエルフのように長寿なので大変ですよ?」

「大丈夫さ。それに、もしかしたら呆気なく死んでしまうかもしれないから期待には応えられないかも」


 セルティアとほとんど変わらない場合は何世代も見守るなんて不可能だ。魔装の影響で寿命まで変化している可能性はあるが、それは確かめようもない。もちろん長寿になっていれば責任を果たすつもりではあった。


「悲しいことを言わないでください。ルダージュが私より先に死んでしまったら後を追いますからね」

「こわっ! なんでそうなる!?」

「だって私のことが好き過ぎて精霊界に帰りたくないと告白してくれるルダージュをあの世で独りにさせることができますか? 私には無理ですね。ずっと一緒にいてあげますよ」


 セルティアが悪戯っ子の笑みをしている。これは彼女なりの冗談なのだろう。

 ルダージュが暗くしてしまった雰囲気。晴らすためにもここは乗っかるべきタイミングだった。


「俺の告白を受け取ってくれて嬉しいよ。でも、どうせならこの世界でずっと一緒がいいな」

「ふふ、なら私が死なないようにしっかりと護ってくださいね?」

「……ああ、もちろんだ。約束する」


 今度こそ、絶対に……。


「楽しみです。では、これから契約の儀を始めます」


 目を瞑り、セルティアはルダージュに右手を向ける。

 するとその手に、まるでリボンのような幅の広いひも状の帯が幾重にも重なり、淡い光を放ち始めた。半透明のそれにはこの世界アリアストラの文字らしき文が羅列されており、ルダージュでは読むことができない。

 ルダージュにとって初めて見る魔法だった。

 それは彼の魔装とは似ても似つかない。とても綺麗で心が落ち着くものだ。


「……」


 セルティアだからこそなせる無詠唱の魔法。

 ひも状の魔法は変化し続け、収束し、最終的に彼女の手のひらに紋様を描いた。


「完成です。ではこれをルダージュの身体に――」


 セルティアの手が何かを思い出したかのようにぴたりと止まる。


「どうしたんだ? 次は俺がなにかをする番なのかな?」

「いえ、後はこれをルダージュにペタンと押すだけなのですが……」


 判子かよ。

 突っ込まずにはいられないが、指摘はしない。


「どこに紋様を押すか考えてませんでした」

「手の甲とかじゃ駄目なのか?」

「そうしたいのは山々なのですが……ルダージュは人型“精霊”なので召喚士と同じ場所では他の方に勘違いされてしまいます」

「ん? 召喚士は全員、手の甲に紋様があるの?」

「精霊に直接触れる必要があるので必然的にそうなりますね。その変わり精霊は自分が契約精霊だと証明するためにわかりやすい場所に示すことが大切です」


 たまに魔物と間違われたりしますから。とセルティアは苦笑した。

 

「他の精霊は首の根元やおでこ、胸の中心などが人気ですが……ルダージュは服を着たら隠れてしまいますからね」


 う~ん、と唸りながら顎に指を当てセルティアがルダージュを見上げてくる。

 

「……っ」


 美少女に上目づかいで見詰められるというのは一種の拷問に近い。気恥かしくなり赤くなりそうな顔を背けぽりぽりと頬を掻き誤魔化す。


「ルダージュ?」

「な、なんだ?」

「顔が赤いですよ」


 手遅れだったが、まだ誤魔化せる。


「風呂上がりで茹ってるだけさ」

「そうですか……可愛いですね」

「……か、かわ」

 

 無駄であった。これは誤魔化せてない。

 しかもセルティアは独特の感性――精霊贔屓が強烈なようでルダージュとしてはどう反応したらいいかわからない。


「決めました! ルダージュの紋様は頬っぺたに押しましょう!」

「なぜ!?」

「目立ちますし、一目で精霊だとわかります。服を着ても問題なく隠すものといったら仮面やフードを被るぐらいしかありませんから」

「それはそうだが――」

「おでこよりは見栄えも良いと思います」

「う、う~ん?」


 そうなのか? 確かにおでこにマークが許されるのはキ○肉マンぐらいしかルダージュには思い浮かばなかった。


「どちらにしろ顔に押すのは確定ですよ? もし身体に押してしまったら毎回精霊と証明するために公衆の面前で服を脱ぐことに――」

「頬でいいです。お願いします」

「ふふ、ではじっとしていてくださいね」


 見事に言いくるめられた気がする。でも他に代案はないし甘んじて受けるしかない。

 ピトっとセルティアの手がルダージュの頬に触れる。

 その刹那、彼女の体温とは違う熱を感じた。


「はい、これで終了です」

「え? これだけ?」


 拍子抜けだった。契約魔法というぐらいだからもっとド派手な魔法陣がピカーっと光ったり謎の風が巻き起こったりするものだとルダージュは思っていた。

 好奇心が芽生え始めた身としては物足りない。セルティアの魔法をもっと見てみたいという欲求も湧いてくる。


「契約魔法とは精霊の意思にそぐわない内容だと弾かれて成立しません。ルダージュの意思が私の契約を応え受け入れたからこそ、滞りなく終わりました。ありがとうございます」

「いや、俺はなにも……というか魔法ってすごいんだな」


 魔法が対象ひとの意思をくみ取り判断する。ルダージュとしては火や氷を出したり傷を癒したりするものだと勝手に思い込んでいただけに素直に驚くことしかできない。


「ノイシス様が編み出した魔法ですから当然ですよ」


 どこか誇らしげに鼻を高くするセルティアは年相応の表情をしていて思わずルダージュも和んでしまう。

 そして唐突に登場したノイシスという人名が気になり、歴史上の人物かな? と頭を捻るも、


「――と、ルダージュ、後ろに回れ~右! ですよ!」

「え? なんで?」

「いいから、ほら! 早く向いてください!」

「お、おう。わかった、わかったから」


 セルティアに促され振り向く。そこには姿見があり、学生服の男女が映っていた。


「見てくださいルダージュ! これが私たちの契約の証ですよ!」


 異世界で鍛えられ、あちこちには獣に付けられた傷跡が残っていて見苦しい――はずの身体。だが、そんな後ろ暗くなる感情をセルティアの無邪気さが追い払い、この世界の服が覆い隠してくれる。


「ほら! お揃いですよ。カッコいいですね!」

「ああ、そうだな」


 お揃いなのは服だけではない。ルダージュの左頬とセルティアの右手の甲には幾何学的でいてシンプルな紋様が描かれていた。これが契約の証なのだろう。彼が日本にいた頃、頬などにマークを描くことなどなかった。だが、スポーツ観戦時のサポーターや文化祭やお祭りでの化粧みたいなものだと思えば恥ずかしくはない。なによりここは異世界だから気にする必要もなく、段々とカッコよくも見えてきた。


 ちなみに背後からぴょこっと顔を出すセルティアは穴倉に隠れる小動物を連想させ、本人はカッコよさとは程遠い。ルダージュの腕を抱き寄せ、しがみつく仕草もますます愛らしい。

 精霊特権だと喜ぶべきか悲しむべきか――そんなことを考えながらルダージュが目を細めていると、セルティアの左手にも紋様が描かれていることに気が付いた。

 これも契約の証で彼女には他にも精霊がいるのだろうか?


「ああ、これですか? これはノイシスの加護といって契約の証とは別物の“紋章”です」

「そ、そうなのか」


 聞く前に答えられてしまった。視線が露骨だったのだろう。


「私の精霊はルダージュだけですよ」


 いやいや、そんなこと聞いてませんから。だからそのにんまり顔を止めていただきたい。


「そういえばノイシスってさっきも言ってたな。有名人なのか?」

「む、ノイシス様は召喚魔法と契約魔法を編み出した最初の召喚士ですよ」

「へぇ~セルティアはそんな人から加護を受けてるのか。すごいな」


 小声で誤魔化しましたね、と呟かれたが無視する。


「ではルダージュの髪を切りながらノイシス様の話でもしましょうか」

「髪?」

「ええ、ぼさぼさなので私が整えてあげます。これでも両親の髪をよく切っていたので経験は豊富ですよ」

「ぁ――」


 異世界では視界が悪くならないように適当に自分で切ったり彼女に頼んだりしていた。不器用な彼女はあまりうまく切ることはできなかった。そしてルダージュもまた、彼女の髪を切ろうとした時は拒まれたりと、お互いに不器用な関係だった。


「……じゃあ、お願いしようかな」

「任せてください! では、この椅子に座ってください」

「ああ」

「お風呂上りなので髪にはまだ水気がありますね。このままやってしまいましょうか」

「了解」

「今度は一緒にお風呂に入りましょうね」

「それは断る」

「では私の髪を――」

「それも断る」

「まだ何も言ってませんよ!」


 それから髪が切り終わるまでの間、ルダージュはノイシスの話を延々と聞かされ続けた。彼女が大召喚士様の熱狂的なファンだと気付き後悔した時にはもう手遅れであり、大召喚士ノイシス様の知識を植え付けられるのだった。

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