第3話 異なる世界

「うっ……」


 目覚めると同時に暖かい光が襲いかかってきた。


(なんだ? どうしてこんなに眩しいんだ?)


 目頭を押さえながら気怠い上半身を起こす。

 すると次の瞬間、あまりにも思いがけない出来事が起こった。


「おや、目が覚めたかい?」

「……え?」


 声が聞こえたのだ。それは成人した男性の声だ。

 首を横に傾けるとブロンズの短髪の男性が椅子に座ってこちらを見ている。


「嘘……だろ? なんで人がここに」


 驚愕とはこういうことを言うのだろう。

 彼女以外にこの異世界に人がまだ迷い込んでいたとは思ってもみなかったからだ。


「んー? 覚えてないのかな? キミは内の生徒によって召喚されたんだよ」

「しょう……かん?」


(しょうかんとは召喚のことだろうか?)


 しかも彼は今、内の生徒と言った。それはつまり彼以外にも人がいて学校という存在がある可能も出てきたということだ。


 掛けられていた布団に視線を落とし、今更ながらベッドで寝ていたことに気が付く。さらに辺りを見渡すと、その驚きが途切れることはなかった。


 小奇麗な白い部屋に太陽と思わしき日の光りが窓から射している。横には仕切りとして閉められたカーテン、正面には液体や丸薬のようなものがビン詰めにされた棚。

 それはまるで学校の保健室のような部屋だった。


「あの、ここはいったいどこですか? 日本ですか?」

「ニホン? なんだいそれは……どうやらまだ寝ぼけているみたいだね。ここはアリアストラ。キミたち精霊が住んでいた世界とは別の世界だ」


 目の前の男性はそう言った後、「おかしいな? 精霊は私たちのことを知識として知っているはずなのに……」と独りごとを呟いた。

 アリアストラという聞きなれない地名。別の世界という普段は口にもしない言葉。 

 まさか――


「2回目の、転移・・……?」


 逃げることも日本に戻ることも諦めていた。

 それなのに、


「……」


 こんなにも唐突に、あっさりと訪れた救いに、男は困惑を隠せない。


「おいおい、本当に大丈夫かい? 儀式で怪我を負った精霊なんて初めてだから外傷以外に気になることがあるなら報告してくれ。これでも私は治癒魔法には長けていてね。精霊であるキミたちにも対応してみせるよ」


 自分の身体を見下ろすと確かに傷だらけだった腕や腹の傷がなくなっていた。魔装を扱えるようになってから、ある程度の傷ならすぐに治っていたが今回は危なかった。これが彼の言う魔法の力なら納得がいく。


(……というか魔法か)


 そういう異世界なのか、と男は自然に受け入れていた。

 自分に魔装の力がなかったら素直に信じられなかったかもしれない――が、窓越しからローブを纏った少女が箒に跨り空を飛んでいるのが見えてしまい、そうでもないなと思い直す。


「……ありがとうございます」

「ん?」

「あのままだと、たぶん死ぬところだったので助かりました」

「礼には及ばないよ。生徒の大事な召喚獣も私にとって保護対象さ。ま、キミの場合は珍しい人型精霊だから観察対象にもしたいところだけどね」

「……」


 我慢の限界だった。どうしても“ある単語”が気になってしまい集中できない。


「あの、“精霊”とか“召喚獣”とか何のことですか?」

「はい? なにって言われても……え? どういうこと?」


 逆に質問で返されてしまった。

 おかしい、と不安になる。そんなに変なことを言った覚えなどないのに、自分が常識外れな存在になってしまった気分だ。


「いえ、さっきから精霊がどうとか召喚獣がどうとかよくわからなくて。この部屋に精霊がいるんですか?」

「はあ?」


 キョロキョロと辺りを見渡すと怪訝な顔をされてしまった。


「精霊はキミのことじゃないか。しかも世にも珍しい人型精霊」


 意味がわからなかった。


「いやいや、違いますって。俺は人間です」

「……」


 とりあえず否定すると今度は途轍とてつもなく面倒臭そうな顔をされた。どうやらこの保健室の主は感情が顔に出るタイプらしい。


「なんだいキミは。召喚された時に頭も打ったのかい? それとも記憶喪失? 精霊が記憶を失うなんて聞いたことないぞ。それとも人型精霊は自分を人間だって思い込むのかな?」


 根本的に話が噛み合わない。

 この世界のことを知るためにもまずは立場を明かし、情報収集に移った方が賢明なのではないだろうか。

 最初の異世界に堕ちた時と比べれば2回目の転移トリップなんてまだゆとりを持てる。しかも理由はわからないが日本語で会話が成り立つという薄気味悪さを除けば、普通の人間がいる時点で何億倍もまともな異世界だ。


「俺の頭は正常ですよ。記憶喪失でもありません。俺はこの世界とは別の世界から来ました」

「ああ、知っているとも。それは精霊界のことだろ?」

「違います。俺がいた世界は人や動物などの生物がいて精霊なんていません。そして魔法がない世界です」

「……ほう」


 目を細め興味深そうにしている。

 このままなら誤解を解けるかもしれない、と期待できる反応だった。


「説明してもいいですか?」

「構わないよ。試しに話してみなさい」

「よかった。じゃあ、まずは――」


 名前や歳、地球という星のこと、日本という国、学校や私生活の話を簡潔に説明した。時々、質問が飛んできてその都度説明を余儀なくされたがある程度信じてくれている証のように感じ、安心して語り続けることができた。


 一番関心を示されたのは異世界に堕ちてから魔装を得た話と獣たちと遭遇した時の話だ。魔装は軽く実演し、獣たちについては外見的特徴や攻撃手段に性質など、果てには味も聞かれた。

 あまり思い出したくないので適当に区切り、光の玉が目の前に現れた所で説明を終える。


「そして目が覚めたらここに寝かされていた……って感じです」

「……」

「あの、クレイゼル先生?」


 クレイゼルとはさっきまで話を聞いてくれていた男性の名前だ。

 正確には治癒術師クレイゼル・ブライト。

 男性専任の保健医である。


「……おもしろい」

「……え?」


 俯き、顎に手を添えて思案していたクレイゼルがぽつりと呟いた。


「それが本当だとしたら実に面白い事案だ。君という存在だけであらゆる仮説が立てられる。研究を突き詰めて魔法科協会で発表すれば私は一躍有名人だ。富を栄誉も全てが私のものに……くっくっくっ、これは運がいい。最高だ! この巡り合わせに私は今、初めて神に感謝している!!」

「……」


 性格が変わってないか? あれ? こんな人だったっけ? と圧倒される。

 挙句の果てに舞台役者のように立ちあがって語りだしているので、妙に胡散臭い。


「ふっふっふ、笑いが止まらん。あぁ~仕事とかどうでもよくなってきた。さっさと家に帰りたい。研究に没頭したい……おっと」

「……あ」


 目が合ってしまった。


「そうだ、キミにお願いがある」

「……なんですか?」


 なんとなく内容はわかってしまう。


「私に話した内容――つまりキミの秘密を誰にも話さないでほしい。人間にも精霊にも、キミを召喚した生徒にすら教えないんだ」

「……富と栄誉のためですか?」

「ははは、アレは冗談だ」


 嘘付け。


「信じてないな? まあいいがこれは忠告でもある。キミが元人間だということを隠すのはキミ自身のためにもなるのさ」

「どういうことですか?」

「まず人間が召喚されたということが異例だからだ。今は人型の精霊が召喚されたと話題になってはいるが元人間だとばれたらとても面倒なことになる」

「例えば?」

「研究対象として軟禁生活かな? もしくは解剖とかされるかもしれない」

「随分と曖昧なんですね」

「まあ、ね。そこはこの国がどう対応するかわからないから何とも言えないよ。でも、わからないからこそ怖いのさ。危ない橋は渡らない方がいいだろ?」

「……」


 一理ある。

 人間だと触れ回るより相手に精霊だと勘違いさせていた方が楽かもしれない。


「でも人型精霊という位置付けも珍しいんですよね? そこは大丈夫なんですか?」

「問題ない。人型精霊が珍しいといっても精霊であることには変わりないからね。多少奇異な目で見られるとは思うがそれだけだ」

 

 なるほど。じゃあ、


「隠していても俺が人間だとばれる可能性は?」

「あーそれは……」


 クレイゼルはどうしたものかと思案するように宙に視線を送った。

 そして――


「そうだ! キミ、変身できるかい?」

「へ?」


 妙案でも思い浮かんだような満面の笑みでそう問いかけてきた。


「精霊はね、姿形が千差万別なんだ。そしてその大きさは手乗りサイズの者からドラゴンのような巨大な精霊までいる。でもそれじゃあ召喚士と常に行動できないだろ? そのための解決案としてあるのが霊核れいかく化という能力だ。これは精霊の本質を具現化する現象とも言われていて精霊が剣や盾、指輪やアクセサリーなどの装飾品に変身することができるんだ」


「……えっと、それは俺に変身して剣になれと?」

「無理かい?」

「できません」

「まあ、そうだろう。人間が剣に変身するなんて普通の魔法でも無理な話だ」


 なら何故聞いたのか。

 問い詰めたくなったが、あえて口は開かなかった。


「私が望んでいるのは霊獣れいじゅう化――つまり精霊本来の姿に戻る変身のことだ。キミの場合は人間の姿を霊核ということにしておいて、本来の精霊の姿は別にあると見せつけることができればばれることはないだろう。ま、どちらにしろなにかに変身することに変わりないが……どうだい?」

「……」


 魔装を使えば姿を変えることはできる。ある意味、魔装を用いた“あの能力”は変身みたいなものだ。だけどまた“アレ”に頼っていいのかわからない。彼女を護ることができなかった力に意味なんてあるのか、また同じ失敗を繰り返すだけなんじゃないのかと、不安ばかりが過ぎてしまう。


「ふむ、どうやらできるみたいだね。では時間も無くなってきたし話を戻そうか」


 沈黙を肯定と受け取ったのかクレイゼルはそういって話を切り上げた。


「キミが人間だと隠した方がいい理由だが――」


 と、言葉を続けようとしたクレイゼルだが、ふと何かを感じ取ったかのように扉に目を向けた。


「どうやら私の忠告はここまでのようだ」

「え?」

「キミを召喚した生徒が来ている。もう少し時間が掛かると思ってたが意外に早かったな」

「俺を、召喚した人が?」


 あの地獄から救い出してくれた命の恩人がすぐそこにいる。そう考えただけで胸がざわつくのを感じる。


「彼女もキミを精霊だと思っているし、そう望んでいる」

「突然なんですか?」

「最後の忠告さ。キミが人間だと隠すか否か、それを考えるのは彼女と会って話をしてからでも遅くはないよ」

「……わかりました」

「よろしい。では……セルティア・アンヴリュー! いつまで扉の前に突っ立っている気ですか。見舞いをしたいのなら早く入ってきなさい」

「は、はい!」


 急に呼びかけられて驚いたのだろう。

 戸惑ったように返事をする女の子の声が部屋の外から聞こえた。

 クレイゼルによって扉がよく見えるようにカーテンが開けられる。


「……」


 だが、誰も入ってこない。

 2人が見守る中、固く閉ざされ扉はびくともせず沈黙を続けた。


「あーもう、気持ちはわかるがまどろっこしい……召喚士アンヴリュー! キミの精霊はもう目覚めてますよ! 早く顔を見せてあげなさい」

「――!! 失礼します!」


 乱暴に開け放たれた扉から現れたのは金髪蒼眼の美しい少女だった。

 彼女がセルティア・アンヴリューなのだろうか? ほっとしたように胸を撫で下ろしていた少女に質問を投げかける。


「初めまして、でいいのかな。キミが俺を召喚した魔法使い……かな?」


 こくり、とセルティアは頷いた。

 ……なんだろう?

 凛とした容姿は魔法使いというより騎士という肩書が似合う。それが第一印象だった。クレイゼルに返事したように彼女はもっとはきはきとした受け答えをしそうだと感じた。だが、目の前のセルティアはまるで人見知りの強い幼子のようだった。


「ほら、セルティー」

「……うん」


 そんな彼女を心配するように女子生徒――魔女のような尖がり帽とローブを身に付けた少女がセルティアに寄り添う。


「……具合はどうですか?」

「……え?」


 弱々しい声だったため最初はなにを言われたのかわからなかった。


「身体の傷は、大丈夫でしたか……?」

「あ、ああ、これのことか」


 そうか、そういうことかと納得する。

 セルティアは傷だらけの人間――精霊が召喚されて心配をしていただけであり、怪我人を相手にしているため遠慮しているのだ。

 となると元気になったことを無理にでも・・・・・アピールする必要がある。なぜなら命の恩人に心配させ、迷惑をかけたままではいられないからだ。


「傷はこのとおり、おかげ様で命は助かったよ」


 包帯を巻いているだけの裸の上半身を見せつけポーズをとる。我ながら馬鹿なことをしているという自覚はあるが完治したことを伝えるには手っ取り早い。

 これでなんの憂いも無いはず。


「……」


 そう思ったのだが、


「……ぅ」


 なぜだか雲行きが怪しくなってきた。


「うっ、くっ」


 セルティアは目尻に涙を溜めると視線を逸らしてしまう。


「あ、あれ? ど、どうした?」


 男は焦った。

 裸を見せたのが駄目だったのか、それともこの異世界では男も上を隠すのが常識なのかと懸念する。


「もう……ダメ……」

「セルティー! 気をしっかり持ってください」


 今度はうずくまって完全に顔を伏せてしまった。


(そんなに俺の行動はショッキングな光景だったのだろうか……)


 年頃の女の子に対して配慮が足りないと後輩にも叱られたが、そこからまるで成長をしていないことを痛感する。

 しかし、問題はそんなことではなかった。


「嫌われてしまいました……憧れの精霊と、契約する前に……私のパートナーに嫌われて……っ、し、しかも皮肉まで言われて……うっ、ダメ……私はもう召喚士失格です!」

「大丈夫です! 大丈夫ですって! セルティーが呼んだ精霊なら絶対優しい――それはもう広大な海のような広い心で許してくれますから! 元気を出して下さい! そうですよね!! ね!?」

「え? いや、ね、って言われても――」


 セルティアはペタンと女の子座りになり、目に涙を浮かべていた。

 もうなにがなんだかわからない状況だ。

 彼女のことを嫌っているわけではないのに話が進み、しかも皮肉まで言ったらしい。だが、心当たりなんてあるはずもなく、話が見えない。


「せ、精霊さんはセルティーのこと嫌ってませんよね!? 召喚された時に負ってしまった傷ももうへっちゃらですもんね!?」

「召喚された時の傷……?」


 なにを言っているんだ? このトンガリ娘は……と思わず怪訝な顔をしてしまう。


(この傷は召喚される前の傷で君たちには関係……いや、待て。もしかしてこの娘たち……)


 セルティアたちが盛大な勘違いをしていることに気付き、思わず口を開くが、


「あー面白そうだからもうちょっと見ていたかったんだけどね。これじゃあ話が進まないから教えるけど、アンヴリューくん、キミの精霊の傷は召喚の儀によるものではない」


 見兼ねたクレイゼルがいち早く誤解を解いてしまう。


「……え?」

「あの傷は彼が精霊界で負った傷だよ。その瀕死の状態の彼をタイミング悪く召喚したのがアンヴリューくん、キミだったというだけだよ。まあ、この場合は逆によかったのかもしれないね。人型の彼を召喚できていなければ今頃死んでいたかもしれないし」

「ほ、本当なんですか?」

「ああ、この傷はあっちの世界で負ったんだ」


 安心させるように優しく頷く。


「ちなみに後遺症の所為かキミの精霊は記憶喪失になっている。自分が精霊であることもさっきまで忘れていたくらいだ。ね?」

「……はい」


 なるほど、と頷くと同時に「やられた……!」と頭を抱える。記憶喪失という設定うそがあれば異世界や精霊の常識を知らなくても済むということだ。まだ精霊として生きていくとクレイゼルに宣言していなかったが、着々と足場を固められていた。


(それにしてもよくもまあぽんぽんと嘘が出てくるものだ。でもクレイゼル先生の発言でようやく理解できた)


「私が、傷つけてしまったわけではなかったんですね……」


 セルティアは自分の不手際で精霊を傷つけてしまったと勘違いしていた。だからこんなにも辛そうにしていたのだと。

 もう少し早く気付けばよかった。恩人に対してこれでは先が思いやられる。


「セルティア・アンヴリューさん」

「まだ動いてはいけません!」


 ベッドから抜け出そうとするが止められてしまう。横になったままお礼するのは気が引ける。動くことはもう苦ではないが、それで心配をかけるなら大人しくしていよう。自分の誠意を相手に伝えることができれば、それでいい。


「キミが俺を召喚してくれたおかげで命を救われた」

「そ、そんな! 私はただ私のパートナーになってくれる精霊を探していただけで、ただの偶然なんです!」

「それでも、俺が生きているのはキミのおかげだ。ありがとう」

「あ……ぅ……」


 頭を下げるとセルティアの困ったような声が聞こえ、「どう、いたしまして?」と締め括られた。

 彼女にしてみれば精霊を召喚しただけであり、人助けをしたお礼を言われてもどう反応すればいいかわからない、といった反応なのだろう。


 そして、リンゴのように頬を赤く染め、はにかむように笑うセルティアはとても可愛かった。やはり女の子は泣いているより笑っている方がいい――と再確認させられ、不覚にもこの笑顔を守りたいと、そう思ってしまった。


「よかったですね。セルティーもこれで契約できそうですよ」

「ありがとうミリー。でも、ルダっ――ではなく、精霊さんは記憶がないんですよね? 魔法使いと精霊の契約についても……」

「ん? あーすまない。契約も俺が呼ばれた理由もなにもわからないんだ。詳しく教えてほしい」

「……わかりました。では隣、失礼しますね」

「あ、ああ、……なんだか近くないか?」

「このほうが話しやすいですよ?」


 いけませんか? と小首を傾げてくるが、これはこれで話しづらいような気がする。クレイゼルのように椅子に腰掛けてくれた方が対面になり話しやすいのだが、どことなく嬉しそうにしているので促すのも気が引ける。


「では、契約についてだけ説明します。契約とは契約魔法の略であり、魔法の集合体の総称です」

「魔法の集合体? 1つだけではないってこと?」

「はい、その通りです。様々な効果を得られる魔法を一つの魔術式に組み上げ発動させる。それが契約魔法です。例えば互いの位置を察知できたり、召喚士が精霊に魔力を供給し強化できるようになったりと、主に戦闘面で役立つ魔法で構築されています。ここまで大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」


 魔法とか魔力の話を聞いても意味がない。異世界人にはちんぷんかんぷんな話だったため深入りもしない。


「では、続けますね。契約とは精霊と魔法使いが交わす約束であり、パートナーの証でもあります。精霊は召喚されると自力では精霊界には帰れません。だから召喚した者に対して契約魔法のうちの1つ――時限帰還魔法を掛けてもらう必要があります。

 発動時期は人によって異なり数年で契約を終える人もいれば五十年以上先の人もいます。統一しているのは術者が亡くなった時に強制的に発動するようになっていることです。ほとんどこっちがメインで使われています。精霊が自分の世界に帰れないのは悲しいことですから」


「……そう、だな」

「……? どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ。それで? パートナーの証っていうのはどういうこと?」


「証というのは……その、契約魔法を掛けると術者と対象者――つまり召喚士と召喚獣である精霊に同じ紋様が現れることをいいます。この紋様は術者依存であり形が人により異なっています。だから召喚士と精霊のペアを結び付けるパートナーの証だと言われています」

「なるほど」


 雇用期間を示すペアルックならぬペアマークという解釈をすることにした。どことなくセルティアは気恥かしそうなので召喚士と精霊にとって特別な魔法なのだと推し測ることもできる。

 それなら、


「じゃあ早速契約しちゃおうか」

「えっ!?」


 発言が余程意外だったのかセルティアは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。


「あれ? なにか変だったのかな?」

「へ、変ではありません! ただ、まだ詳しく説明できていませんし、それに……」

「それに?」

「精霊さんは、なんだかずっと悲しい顔をしていて、まるで空元気で隠そうとしているような……そんな感じだったので、あの色々と無理をしていませんか?」

「……」


 思わず顔を覆い隠す。

 年下の女の子に気を使われると余計に思い出してしまう。

 枯れてしまったはずの感情が込み上げ、動きが止まる。

 数十秒、あるいは数分だったかもしれない。

 不安定な心を整理する間、誰も言葉を発することなく、次の俺の言葉を待ち続けてくれていた。

 

「……1つだけお願い・・・があるんだ、その手伝いを――」

「わかりました」


 彼女・・のことを間接的に相談しようと思った瞬間に、力強い二つ返事で頷かれた。


「まだなにも――」

「精霊さんの望みで私にできることがあればなんだって叶えます。それが私たち召喚士と召喚獣の関係。パートナーです」


 眩しい、とそう思った。

 そしてセルティアなら彼女・・をあの地獄から救ってくれるかもしれないと。


「その代り契約精霊として私のお手伝いをたくさんしてもらいます。ゆくゆくは宮廷魔法使の片腕として活躍してもらいますよ」


 この決断は早計だったかもしれない。

 召喚士のパートナーとしてなにをすればいいのか知らないし、契約精霊とか宮廷魔法使の仕事は見当もつかない。

 でも、もう決めてしまった。セルティアの精霊としてこの世界で生きていく、と。


 彼女に救われ、必要とされていると知った時から。

 精霊を想う彼女の笑顔を見たその瞬間から。

 この選択に迷いはない。


「俺はその……見てのとおり普通の精霊とは違う。だからキミが求めているパートナーとして活躍はできないかもしれない。でも、それでもキミが俺を召喚獣として必要だと思ってくれるなら、俺もキミのパートナーになりたい」


 これはたぶん最初で最後の嘘。

 自分を精霊と偽り、恩人を騙し近づく最悪の行為。


「……くす」


 だけど、どうか許してほしい。


「ふふ、ふふふ」


 彼女の笑顔を守るために嘘を吐き続けることを。


「嬉しいです。とても、嬉しいです。今日は、人生最高の日となりました!」


 いつか本当のことを告げることができるその日まで。


「そういえば自己紹介がまだでしたね」


 彼女は立ち上がり目の前で制服のスカートの端を軽く摘まみ優雅に頭を下げる。


「魔法使い改め、召喚士セルティア・アンヴリューです。セルティアと呼んでください」

「……俺は――」

「ルダージュ」


 記憶喪失という立場からすぐに名乗れなかった言葉の続きに、セルティアはその名を重ねた。


「あなたの名前はルダージュ。召喚獣ルダージュです」

「……」


 随分と日本人離れした名前になってしまった。


「精霊には名前がないと知ってからずっと私の精霊に名付けようと思っていた名前です。気に入りませんか?」


 不安そうにしているセルティアを安心させるために首を振り、答える。


「とてもいい名前だと思う。ありがとうセルティア。不束者だがこれからよろしく」

「ええ! よろしくお願いしますね! ルダージュ!」


 大切な人を失い、地獄から救い出された日。

 名無しの男は魔法使いセルティア・アンヴリューの召喚獣――精霊ルダージュになった。


 これから先、どんな苦難が待ちうけているかはわからない。だが、彼女と共に生きればルダージュはどんなことにでも立ち向かえる気がした。


「ではまずお風呂に入りましょう」

「……え?」


 それはあまりに唐突だった。セルティアの視線がルダージュの身体を見下ろし、彼もまたその視線を追う。

 クレイゼル先生のおかげで怪我綺麗に治っていた。だが、人間誰しも自分の臭いには鈍感なものだ。それは元人間の嘘つき精霊でも同じことだ。


 さっきまで血みどろで獣臭い地獄のような場所に住んでいた。

 返り血を浴び、泥にまみれ、水浴び程度しかできなかった生活。

 つまり、世界が変わっても身体汚いままだった。


「……臭う?」


 距離を置きながらルダージュが問うと、セルティアは「……ん~」と困ったように笑った。

 彼女のその笑顔は、やはり少しだけルダージュには眩しかった。

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