第4話エピローグ

 こうしてスカートめくり事件は無事解決を迎えた。鶴居姉妹はもう少し勉強していくといって姉の教室へ向かい、大門先生は保坂を引きずってサッカー部の練習に戻った。音楽室には白鷹先輩と僕と美晴の三人が残された。

 白鷹先輩はグランドピアノの前に座って、新しい楽譜を準備していた。

「いつまでここにいるつもり」

 白鷹先輩が鍵盤に手を添える。

 美晴は音楽室の扉を閉めた。ただし、僕らはまだ室内に残っていた。

「どうして嘘をついたんですか」

「はあ?」

「最初に私たちがここに来たとき、音楽室には誰も来なかったと言いましたよね。だけど、実際は保坂がここを出入りしていた」

「あなたたちとは初対面。保坂君とは何回も顔を合わせてる。変な疑いをかけられないように庇うのは当然でしょ」

 フフッ。

 美晴が笑った。

 僕の背筋を悪寒が走った。この見慣れた笑いの後には大抵彼女の良くない面が出てくる。

 白鷹先輩は睨みつけた。

「何がおかしいの」

「白鷹先輩は保坂のことが好きなんでしょう」

「は、はああ?」

 白鷹先輩の顔がみるみる赤く染まっていく。

「これってなんだか分かります?」

 美晴がポケットから一枚の紙切れを出した。

 僕にも見覚えのあるものだった。

「それって、生徒会に提出された経費請求書じゃ」

「経費請求書?」

 白鷹先輩が僕にも鋭い目を向けてくる。

「えっと、弦二本の購入費用だったはずです」

 美晴はピアノに歩み寄ると右端の鍵盤を一つ押した。

「ピアノはハンマーで弦を叩き、音を出す楽器です」

 左に向かって人差し指で鍵盤を一つずつ押していく。いくら押しても音が鳴らない鍵盤に出くわしたのはちょうど真ん中あたりだった。

「保坂の妹に教えるために練習してたなんて嘘でしょう。本当は保坂と一緒にいる時間を少しでも引き伸ばしたかった。だから、壊れていない鍵盤だけで弾ける曲を繰り返していた。おそらく檜山さんと保坂の会話に耳を傾けながら。檜山さんの証言とも一致します」

 ――五分ぐらい前までは、延々と繰り返されてた。ここ最近はずっと同じ曲。気がおかしくなりそう。

「保坂が檜山さんへの好意を打ち明けているときの白鷹先輩の表情は傑作でした。吹上会長を見ているときの健斗そっくりでしたもの」

「さらっと漏らすなよ」

 もう遅いと分かってはいるが、あわてて美晴の口を塞いだ。

「あら、ごめんなさい?」

 指の隙間から美晴の呑気な声が聞こえた。

 けれど、僕が吹上会長をどう思っているかなんてことはどうでもいいようで、白鷹先輩は美晴を睨み続けている。

 美晴の辛辣な攻撃を考えれば当然だった。

「事件は解決したんだからもう帰ろう」

「叶わない片思いほど無駄なことはありませんよ」

 僕の手を振り払って、美晴はそう吐き捨てる。「自分とは正反対の女が好きな男に片思いしてるなんてバカですね。万に一つも相手が振り返ってくれる望みなんてないのに」

「中本、お前、森島とかいうこの男が好きなんだろう」

 白鷹先輩の目は、涙のせいか怒りのせいか、充血していた。「この男は吹上会長に片思い。まったく私とおんなじじゃないか」

 僕は呆然となって美晴をみつめた。美晴が僕のことを?

 美晴は経費請求書にキチンと目を通していた。その再確認をしてほしいなら素直に頼めばいいのに、あんなやり方で強制したのは、僕のことが好きで素直になれないから?

 ミゾオチに衝撃を感じた。くはっ、と息が漏れた。美晴の正拳が腹に埋まっていた。

「勘違いしてんじゃないわよ」

 その言葉は僕と白鷹先輩両方に向けられたものだろう。

 美晴は無言で音楽室を出ていくと、派手な音を立てて扉を閉めた。


     ○


 早足で廊下を歩く美晴を追った。

「あのさ、明日にでも謝りに行くべきだよ」

 美晴は無言で歩くスピードを上げた。

 僕と美晴は生徒会室の前に戻った。

 取っ手に手を伸ばすと、生徒会室の扉が勝手に開いた。ちょうど吹上会長が出てくるところだったようだ。

「無事解決しましたよ」

 僕は吹上会長が詳しい話を聞いてくるのを期待した。どこへ行くかは知らないが、殺気立っている美晴と二人きりにされるのはごめんだった。

「そうですか」

 モゴモゴと口ごもると、会長は逃げるように横をすり抜けた。髪の隙間から耳栓のようなものが見えた。あれは、ワイヤレスイヤホンだろうか。

「会長?」

 呼び止めもむなしく、吹上会長は駆け足で渡り廊下に入っていく。

「どうしたんだろう」

 助けを求めて美晴の方を向く。そして、僕は凍り付いた。彼女の口元にあの笑いが浮かんでいた。サディスティックな一面が出てくる前触れの笑い‥‥。

「Mikado_Moanのことは覚えてる?」

 美晴は上機嫌な口調で言う。だが目のギラツキは変わっていない。

「ああ、檜山のゲーム仲間の一人だろ」

 頭のどこかで警戒音が鳴っていた。これ以上は聞いてはいけない。

「ミカドさんはチャットで檜山美玖さんのことを美玖と言っていた。でも、檜山さんのユーザーネームは英文字だけ。どうしてミカドさんは美玖という漢字を知っていたのかしら」

「保坂だけじゃなく、ミカドさんもこの学校にいるって言いたいのか?」

「檜山さんは人見知りだった。面と向かっては会話もできないくらいに。そんな彼女の下の名前の漢字を知っている人なんて、学校関係者でも限られると思わない? 檜山さんの担任教師か、彼女に片思いしているサッカー部員か、それとも生徒想いの生徒会長とか」

「まさか」

「ミカドさんの正体は吹上会長よ。ミカドさんの証言によって檜山さんのアリバイは成立していたけど、その逆も言えるの。吹上会長が左利きにもかかわらず、容疑者から外したのはこれが理由」

 美晴は唇に舌を這わせた。

「ねえ、知ってた? Mikado_Moanは大門真子のアナグラム。会長の名前が吹上真子であることを思い出せば、これほど簡単なクイズもないわよね」

 ――会長がサッカー部員に熱い視線を向けていたという噂。そして、大門先生はサッカー部の顧問。

 美晴は静かに会長がいつも座っている席まで歩いていくと、閉じられたノートパソコンを開いた。そして、僕に見えるようにクルリと回転させる。

 画面には檜山がやっていたファンタジーゲームが出ていた。

「こう考えてみない? 今回の事故は逆にチャンスだと」

 画面の左上にはMikado_Moanという文字列が光っている。

「いつかは会長に想いを伝えるときが来るでしょ。それにはとてつもない勇気がいる。誰にでもできることじゃない。一人で想いを抱えたままその勇気がでない人もいる。でも、会長はすでにあなたの気持ちを知っている」

 血の気がすっかり消えていく。

「告白のハードルが下がった、そうは考えられない?」

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片思い 五輪宣人 @cyokokun

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