第2話「このコーヒーを飲んでみてください」

 職員室を出たとき、悲鳴が響き渡った。しぼりだすような女子の叫び声だった。突然の出来事にどうしていいか分からず、頼るように美晴を見た。そのときにはもう美晴は走り出していた。あわてて彼女のあとを追った。曲がり角の向こうに出る。廊下の真ん中に二人の女子生徒がいた。どちらもゆるやかにウェーブがかかったショートボブ。右側は膝を抱えるようにうずくまり、顔を手の中に埋めている。左側は困惑した様子で座り込んでいる。その向こうに走り去る紺色のジャージを着た生徒が見えた。その生徒は実習棟へとつながる渡り廊下に消えた。

「どうしましたか」

 美晴が二人のもとに駆け寄った。うずくまっている方の女子生徒の顔をのぞきこむが、反応はない。

「スカートめくりです」

 比較的ショックが軽い女子生徒が代わりに答える。うずくまる女子生徒の隣にしゃがみこみ、背中を優しくさすりはじめた。

「だとしたら、あのジャージ姿の生徒を追ったほうがいいんじゃないか」

 実習棟へと走り去った生徒を指で示した。

 美晴は頷いた。

「すぐに戻ってくるので、ここで待っていてください」

 職員室と通常教室がある本館と、実験室をはじめとする特別教室がある実習棟は、各階の渡り廊下でつながっている。渡り廊下は簡単な造りではあった。ただ、人が出入りできるような隙間はなく、窓を開けなければ外に出ることはできない。

 実習棟に飛び込んだところ、大柄な男にあやうくぶつかりそうになった。体育担当の大門先生だった。真っ赤なジャージがトレードマークで、身長二メートル超の筋肉の塊である。

「なっ、なんだ、お前ら」

 美晴が息せき切って尋ねる。

「ジャージ姿の生徒が走ってきませんでしたか」

「だれともすれ違ったりはしなかったぞ」

「先生はどこから来ましたか」

「普通にそこの階段を降りてきたんだが」

 うしろの階段を指で示した。実習棟にある唯一の階段だ。あの生徒が階段を上がったなら、途中でこの教員と出くわしているはずだった。階段を上がっていないなら、あの生徒は実習棟一階に残っているということになる。

「女子生徒たちを呼びにいくわよ。いつまでも廊下の真ん中で待たせ続けるわけにもいかないし、とりあえず生徒会室に来てもらう」

 僕は黙って頷いた。大門先生に美晴は顔を向けた。

「先生、ここで実習棟の階段と渡り廊下を見張っていてもらえませんか」

「どうしてだ」

「スカートめくりの犯人を追っているんです。犯人は一階の教室のどれかに逃げ込んだはずなんです」

「スカートめくり?」

「被害者の女子生徒は大きなショックを受けてます」

 美晴が廊下にうずくまる女子生徒を指で示した。渡り廊下と本校舎の廊下は一直線でつながっているため、ここからでも女子生徒たちの姿が確認できた。一瞬笑いかけた大門先生は、その姿を見ると表情を引き締めた。

「十分はここを動かない。それ以上かかりそうなら、伝えにきてくれ」


     ○


 パソコンで作業中だった吹上会長に事情を話し、生徒会室に二人の女子生徒を連れてきた。会長が人数分のコーヒーを入れて、それぞれの席に置く。うずくまっていた女子生徒もコーヒーを飲んでいくぶん落ち着きを取り戻したようだ。

 廊下で待たせている大門先生を気にしてだろう、ややせっかちに美晴が切り出した。

「名前を教えてもらってもいいですか」

「私は鶴居由紀といいます。一年三組です」なぐさめていた方の女子生徒が口を開いた。青白い顔をした隣の女子生徒の腕に手を置く。「こっちは鶴居奈緒。私の姉です。クラスは二年二組」

 そう聞くと、髪形だけでなく、顔立ちもよく似ていた。

「同じ高校に入学したんですか。珍しいな」

 公立中学では何組か兄弟姉妹はいたが、受験が必要な高校ではあまり見かけない。そう僕が驚いていると、吹上会長が言った。

「この高校には二組しかいないですね。鶴居姉妹と二年の兄弟だけ」

 生徒会役員になってから二月しか経っていないが、吹上会長はときどき生徒のデータを口にすることがある。本人は謙遜して否定するが、高校関係者全員の名前と情報を暗記しているのではないかとひそかに疑っていた。

「スカートをめくられたときの状況を思い出せますか」

「私たちは姉の教室で自習をしてたんです。姉にも分からない難しい問題があって、職員室に教えてもらいに行きました。あの男が走ってきたのは職員室からの帰り道でした。最初は私のスカートをめくろうとしてきたんです。手で振り払うと、今度は隣の姉に狙いを変えました」

「男というと、顔を見たんですか」

「顔は見えませんでしたけど、髪は短かったですし」

 鶴居妹はチラリと僕を窺う。わざわざスカートをめくるなんて男子生徒だとしか考えられない、ということだろう。ここにいる唯一の男である僕に気を遣ったらしい。

「紺ジャージの生徒は顔を隠すように窓側を向いて走っていったから、私も顔は見なかったよ」

 そう言った鶴居姉の顔色は随分よくなっていた。

「走り去った紺ジャージの生徒の性別は、とりあえず置いておきましょう。悲鳴を上げたのは奈緒先輩ですか」

 鶴居姉は頷いた。

「妹がビクッと動いたから、振り返ろうとして、そのときにスカートをめくられたの。単にめくられただけじゃなく、スカートの裾をウエストに差し込むようにして、簡単には元に戻せないようにされた」

「それはひどいですね」

 美晴も顔をしかめる。「犯人に特徴はありませんでしたか」

「髪はうなじが隠れるくらい。男子にしてはけっこう長めだと思う。あと、手に包帯のようなものが巻かれていた気がする」

「由紀さんも同意見ですか」

「はい」

「分かりました。ご協力感謝します」

 美晴が立ち上がった。

「どこにいくんですか?」

 おかわりのコーヒーを注ぐ吹上会長が顔をあげた。

「犯人の捜索をしてきます。いくわよ、健斗」

 できればお茶会を楽しんでいたかったが、さすがに美晴一人に任せるわけにはいかなかった。だいいち、彼女がそんなことを許すはずがない。

「あともう一杯、人数分があるんです。飲んでいきませんか」

「会長は左利きなんですね」

「そうですよ?」

 会長はポットを左手に持ちながら、突然の美晴の質問にも笑みを崩さない。

「歩きながら飲んでもいいですか」

「ええ、美晴さんがいいのなら。でも、飲みづらいと思いますけど」

「すごくおいしいコーヒーなので」

 会長は訝しげな顔をした。けれど、すぐに笑みを取り戻すと、美晴のカップにコーヒーを注いだ。


     ○


 実習棟は、まっすぐ伸びる廊下の片側に、特別教室が並ぶ構造になっている。教室の入り口付近で話を聞けば、他の教室から例の生徒が飛び出してきても見逃すことはない。生徒会室は一番端にある。もう一方の端、音楽室から調べていくことにした。

 廊下を歩いていくと、ピアノの旋律が聞こえてきた。確か『エーデルワイス』とかいう題名だったはずだ。小学生のときハーモニカで吹いたことがある。

「失礼します」

 ノックをすると音が止んだ。

「どうぞ」

 少しの間の後、返答があった。扉を開けると、色白な女子生徒がグランドピアノの前に座っていた。背中の中ほどまであるロングストレートの黒髪が艶やかだった。体はピアノに向かったまま、顔だけこちらに向けている。曲の邪魔をしたせいか、少し不機嫌そうだった。

「なにか用」

 たじろいでしまった僕を押しのけて、美晴が前に出た。

「すこし聞きたいことがあるので、こちらまで来ていただきたいのですが」

「このまま、話をするんじゃダメかな」

「ダメです」

 美晴の有無を言わせない口調に、色白の女子生徒は一瞬顔をゆがませたが、それでも入口まで来るには来てくれた。

「どちら様?」

「生徒会の中本美晴です。こっちが森島健斗。必要なら生徒証を見せましょうか」

「大丈夫」

 色白の女子生徒は面倒そうに手を横に振った。「何を聞きたいの」

「その前に、あなたのお名前は」

「白鷹麻里。二年二組」

 その名前には心当たりがあった。全校集会の場でたびたび表彰される生徒の名前だった。全国区のピアノコンクールで何度も入賞していたはずだ。

「有名人だ」

 思わずこぼれた僕の言葉を、

「そういうお世辞はいらないから」

 白鷹先輩は煙を嫌がるかのように振り払う。

 うなだれる僕を尻目に美晴が尋ねる。

「十分ぐらい前のことですが、この部屋に誰か来ませんでしたか」

「なぜ」

「スカートめくりの犯人を探しています」

「スカートめくり」

 白鷹先輩が目をパチクリさせた。「バカにしてんの」

「大まじめです。被害者の女子生徒は大きなショックを受けています。それで、もう一度お尋ねするんですが、誰か来ませんでしたか」

「来てないよ」

「では、十分前、あなたは何をしていましたか」

「なにって、ずっとピアノを弾いてたけど」

 ぶっきらぼうに白鷹先輩は答えた。数秒後、彼女は美晴の意図に気づいた。彼女は怒りとも呆れともつかない表情を浮かべた。

「あなた、もしかして私がスカートをめくったとでも疑ってる?」

「一応、可能性はあるでしょう」

 美晴は真面目くさった表情を崩さない。

「あの、ちょっといいかな」

 僕は美晴の顔色を窺った。

「なに」

「例の生徒は紺色の制定ジャージを着てたけど、この人は制服姿だよ」

「着替えたかもしれないじゃない」

「そ、そうだね」

「ちょっと、あんたもっと頑張んなよ」

 すぐ尻尾を巻いた僕の首根っこを、白鷹先輩が掴んだ。

「あの、そろそろ他の教室も回ろうよ」

 じとっとした目の美晴に、愛想笑いを浮かべる。機嫌を損ねてなければいいのだが。そう思いながら、美晴の次の言葉を待った。

「鞄の中を見せてもらってもいいですか」

 美晴はピアノの傍に置かれた学生鞄を指で示した。

「嫌だ」

「中にジャージがあるから?」

「勝手に決めつけないで」

 美晴がいきなり駆け出した。止めようとした白鷹先輩の指が宙を掴んだ。鞄のジッパーが荒々しく開かれ、中からグシャグシャの紺ジャージが床に落ちる。まるで着ていたジャージをあわてて詰め込んだような皺の跡だった。

「帰って」

「落ち着きましょう。このコーヒーを飲んでみてください」

 美晴は、まだ持っていた空のコーヒーカップと受け皿を、白鷹先輩に手渡した。

 美晴の考えが分からなかった。これまでの態度から考えて、断られるに決まっている。

「いらない」

 案の定、差し出されたカップを白鷹先輩は突き返した。

「一口飲んでみればハマりますから」

「いらないって」

「これを飲んでくれたら帰ります」

 そこまで言われて、ようやくカップと受け皿を白鷹先輩は手に取った。そして、ますます困惑した表情を浮かべた。

「これ、中身入ってないけど」

「うっかりしてました。ごめんなさい。コーヒーはまた次の機会にということで」


     ○


 音楽室を辞去した後、隣の家庭科室に向かった。ノックをしたが、返事はなく、扉には鍵が掛かっていた。次の美術室も同様だった。

 四番目の教室はパソコン室だった。この教室の隣は生徒会室なので、例の生徒が逃げ込んだとすればこの教室以外にない。

 ノックをしたが、応答はなかった。教室の照明も点いていなかった。扉に鍵が掛かっているか確認すると、扉はすんなりと開いた。

 教室内は薄暗かった。カーテンが窓から差し込む日光を完全に防いでいる。しかし、その中で光っているモノがあった。右奥の隅にあるパソコンの画面だった。よく見ると、そのパソコンの前に誰かが座っていた。

「あっ」

 美晴が教室の照明のスイッチを全てオンにした。止める間もなかった。

「ひゃあっ」

 奥にいた生徒が素っ頓狂な声を出した。小動物のような素早い動作でこちらを振り返る。小柄な女子生徒が、目を大きく見開いている。顔の半分ほどの大きさがある黒縁メガネが危ういパランスで小さな鼻に乗っていた。

「こちらに来てもらえますか」

 美晴がそう呼びかけたが、ヘッドフォンのせいで聞こえていないのか、小柄な女子生徒はこちらを見つめたまま、微動だにしない。

「仕方ないわね」

 美晴はパソコン室に足を踏む入れ、小柄な女子生徒の元へ歩いていく。他の教室に例の生徒が逃げ込んでいないことは分かっている。廊下を見張る必要はない。

 パソコン画面では、露出度の高い鎧を着た女戦士がドラゴンに乗ってあくびをしていた。画面左上には文字がズラズラと並んでいる。

 ファンタジー系のゲームをしていたらしい。

「お尋ねしたいことがあります」

 美晴は女子生徒のヘッドフォンを取った。能天気なビージーエムが漏れだした。

 問いかけが聞こえないのか、女子生徒は美晴のつま先あたりを見つめたまま動かない。

「お尋ねしたいことがあります」

 今度は大きな声で美晴が繰り返した。

 またしても無言。

 イラついた美晴がさっきよりも大きな声――もはや叫びといった方が近いだろう――を出そうと息を吸い込んだとき、女子生徒がにわかに動いた。

 キーボードを凄まじいスピードで叩き、画面を指で叩く。パソコンにはメモ帳アプリケーションが起動されていて、そこに一行の文章が表示されていた。

《なにが訊きたいんですか》

「あなた、口が利けないの」

《しゃべりたくないんです》

「じゃあ、これでいいわ。名前とクラスを教えて」

《一年四組 檜山美玖》

「同学年なのね。私は生徒会の中本美晴。こっちは森島健斗」

 檜山が無言で会釈をした。了解した、という意味だろう。

「それで本題なんだけど、この部屋に私たち以外の誰かが来なかった? 十五分くらい前に」

《私はずっとゲームしてた》

「それは誰も来なかったという意味?」

《少なくとも気づかなかった。ヘッドフォンをしていたから、こっそり入ってこられたら分からなかったと思う。あなたたちが来たのも、電気を点けたから分かった》

 パソコン室を見渡した。パソコンと机と椅子以外には隅にコピー機があるぐらいだ。人の隠れるスペースはなかった。

「十五分くらい前にあなたは何をしてたか、教えて」

 今回も美晴はアリバイを尋ねた。

 檜山は女子生徒ではあったが、紺色の制定ジャージを着ていて、髪も女子にしてはかなり短めだった。身長に目をつぶれば、後ろ姿なら男子と勘違いしてもおかしくない。

《放課後はずっとゲームをしてる》

「気を悪くしたら、ごめんなさい。途中でトイレに行ったりしてない?」

《今日は放課後からずっと行ってない》

 特に嫌がるそぶりも見せず、檜山はキーボードを打ち込む。

「それを証明することってできるかしら」

 それは無理だろう。そう思っていたから、檜山が《できる》と打ち込んだときには心底驚いた。

《私は一人でゲームをしていたわけじゃない。ネットを通じて、チャットとマイクで協力プレイをしてる》

「その人たちと話すことはできる?」

 檜山は頷き、ヘッドフォンを美晴に手渡した。よく見ると、そのヘッドフォンにはマイクが付属していた。頭に被るとちょうど口元にくるよう作られている。

 檜山は画面の左上を指した。ユーザー名の左横にスピーカーマークが点滅している。ここに表示されているユーザーと話をすることができるらしい。

 MikuMiku

 Hat_Ask_Auk_Zoo

 Mikado_Moan

 檜山のユーザー名は一番上のミクミクというやつだろう。その下はハットなんとかさん、次がミカドなんとかさんだ。

「ハットさん、ミカドさん、聞こえますか」

 美晴が声を吹き込んだ。

【あれっ、誰の声。 美玖ちゃん?】

 数秒ののち、男の声が聞こえてきた。

「これは誰」

 美晴が檜山に声を抑えて尋ねる。

 檜山がHat_Ask_Auk_Zooを指した。

「ハットさん、私は美玖さんの友人です。訊きたいことがあるんです」

 Mikado: どうしました

 ピコンと電子音が鳴って左上にメッセージが現れた。

《ミカドさんは、マイクを使わず、チャットで意思表示をする。こちらの会話は聞こえているからわざわざチャットをする必要はない》

 檜山がキーボードを打ち込んで説明する。

 美晴は礼を言ったあと、再びネットの向こう側へ呼びかけた。

「ハットさん、ミカドさん、十五分くらい前に美玖さんが数分間退席していませんでしたか」

 Mikado: 美玖ちゃんはゲームを始めてからずっといますよ

「根拠はありますか」

 Mikado: 美玖ちゃんはオシャベリですから。一分も黙っていたら美玖ちゃんは死んでしまうんです

 僕と美晴は思わず檜山の顔を見た。檜山は顔を真っ赤にして俯いている。

「なっ、なるほど。ハットさんも同意見ですか」

【はい】

「ありがとうございました。あと数分だけ美玖さんをお借りします」

【ごゆっくりどうぞ】

 Mikado: 美玖ちゃん、待ってますよー

 美晴はヘッドフォンを下ろし、髪を整えた。

「疑ってごめんなさい。あなたの言っていたことは事実だったみたい」

《分かってくれたならいい》

 檜山は無表情でキーボードを打つ。ただ、耳がまだ赤いままであることに僕は気づいていた。

 これで、檜山のアリバイは一応証明されたことになる。

 実習棟一階にあるすべての教室を調べた結果、一階にいたのは白鷹先輩と檜山だけだった。教員の証言で例の生徒は二階へは逃げていないことが分かっている以上、この二人のうちどちかが犯人ということだ。

 檜山のアリバイが確実なものである以上、消去法で残りの白鷹先輩が犯人であると考えざるをえない。

 あのジャージの件もあるし、白鷹先輩は限りなく怪しい。

 美晴はこのことに気づいているだろうか。

 そっと彼女の横顔を盗み見た。

 美晴は目を閉じて眉間に皺を寄せていた。

「ピアノの音が聞こえるわね」

 美晴が呟いた。

 耳を澄ませてみると、確かにさきほどの『エーデルワイス』が流れている。中断していた練習を白鷹先輩が再び始めたのだ。

「この曲はずっと流れていたかしら? しばらく途切れていたことはなかった?」

《五分ぐらい前までは、延々と繰り返されてた。ここ最近はずっと同じ曲。気がおかしくなりそう》

「それは確かか」

 思わず僕は口を挟んでいた。

 檜山が頷いた。

《エーデルワイス、とかいう曲でしょう》

 なんてことだ。

 最終的に残った犯人候補のアリバイも、よりによって同じ犯人候補の証言によって成立してしまった。

 スカートめくりの犯人は、実習棟一階で煙のように消え失せてしまったことになる。

 めまいをおこしそうになる僕とは対照的に、美晴はまぜか満足そうな表情を浮かべている。

「これが最後の頼みよ」

 そう言って、空のカップと受け皿を檜山に押し付けるようにして渡した。戸惑いながらも、檜山は大人しく受け取った。

「はい、ありがとう」

 美晴がカップと受け皿を奪い取る。

 またしてもこのヘンテコリンな儀式だ。この一連の動作にいったい何の意味があるというのだろう。

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