その5 夫と父のいつものアレ/兄と妹のような自然体
<京都 午後二時 神尾沙夜香>
昼食が終わって、のんびりまったりとした時間。午後の稽古は夕方からだから、今のうちにゆっくりしておかないと。
朝出かけていった信司はお昼前に帰ってきた。なんでも、お
……まあわたし個人としては、信司がいてくれるほうがうれしいから、いいんだけど。
居間でくつろぎながら取り留めのない会話。信司と水瀬くんが談笑して、わたしは時々話に加わる。傍らではお父さんがお酒を飲んでいる。信司と二人きりの時間もいいけれど、こういう時間も好きだ。
「それにしても、おっちゃん、よく飲むなぁ昼間っから」
信司がお父さんに話しかける。それはいいけど、また「おっちゃん」って言って、お父さん怒るよ?
思ったとおり、お父さんは「おっちゃんではない、お
「ごめんごめん。おっちゃんって呼んでいた時間が長かったから、つい」
「でももう結婚して一年は経ってるんですから、いい加減慣れてもよさそうですよ?」
水瀬くんがツッコミを入れている。
「まったくだ。おぬしはわしと親子関係を結ぶ気がないということか?」
あぁ~。たちの悪い絡みが始まった。
「そんなことないよ。こうして仲良くやってるじゃないか。……ほら、夕方からの稽古に障るよ? お酒、その辺でやめておいたら?」
お父さんの不穏な雰囲気を察したのか、信司がお酒をやめるように言う。信司、自分の恋愛ごとにはむちゃくちゃ鈍いくせに、他のことは察しがいいからなぁ。
「何を言う! 酒一升など水と等しいわ!」
酒瓶を掲げ持つお父さんの顔色は確かに普通とぜんぜん変わっていない。ろれつも確かだ。この人は――わたしもだけれど――めっぽう酒に強い。
「『風禊』の技を持ってすれば臓器に活を入れ、酔いなどに負けぬ体となるのだ」
お父さんは、かっかっか、とでも笑い出しかねない勢いだ。
「だったら、脳にも活を入れたら、天才になれるんですか?」
水瀬くんがつっこんだ。あ、それはわたしも興味があるところなのよ。
「……。脳は臓器ではないのだ」
え~? まあ確かに臓器って言ったら主におなか付近にある器官だけど。
「結局は無理ってことよね?」
確かめてみると、お父さんは「うむ」などと勿体をつけてうなずいている。
「そんなことできるなら、おっちゃんとっくにやってるよね」
あ、ばか、信司。
バキャァ!
派手な音がして、信司が吹っ飛ぶ。
「それはどういう意味だぁ! わしが馬鹿だといいたいのか。それ以上愚弄するなら実力を持って抗議するぞ!」
もう抗議しちゃってるよ。
「もう抗議してるじゃないか」
さすがわが夫はわたしと同じツッコミを口に出した。吹っ飛ばされて伸びちゃってるのが哀れ。まぁ身から出たさび、口は災いの元、ってね。
「文句があるなら、道場で聞くぞ」
「む……。よぉし勝負だ!」
あぁ~あ。結局いつものパターンか。お父さんと信司、こうやっておばかな掛け合いをしながらも楽しんでる。
場所を道場に移して、しかもちゃっかりと道着に着替えちゃって、二人は向き合う。
きちんと一礼してから、掛け合いの続き。
「そもそも、おぬしに馬鹿よばわりされるいわれはないぞ!」
お父さんの拳が信司の頬に炸裂。
「誰が馬鹿っていったんだよ! 曲解してるよおっちゃん!」
信司が跳び蹴りで反撃。
「おっちゃんではない! お
着地の足を狙った蹴り。
「うわぁ! いってぇ~! ひきょーだぞ! 暗殺術使っただろ~!」
足を引きずって起き上がる信司は怪我にめげずにハイキック。
「ふはははは! 軸足の踏ん張りが足らぬわ!」
ドカバキ、ドンガラガッシャーン。
……もうドタバタコメディにしかなっていない闘い。
「好きですよね、神尾さんも、信司さんも」
横でちゃっかりと観戦している水瀬くんが、しみじみと言った。ずずっとお茶でもすすってるのが似合うよ。
「そうだねぇ。……日課みたいなもの、かな」
そう答えるわたしも、こんなばかばかしくも平和な日々が、好きなのよね。
お父さん、信司。いつまでも仲良くね。
<京都 午後四時 黒崎章彦>
前にここに来たときは、桜が満開だったな。京都の桜の名所に挙げられるくらいの道だから、とてもきれいだった。
初めてデートしたところに行こうと言われて、桜の時期ではないがやってきた。先日まで秋とは思えない暖かい日が続いていたから、紅葉が遅れていて、ちょうど今見ごろになっている。
「わぁ、きれいだね、お兄ちゃん。落ち葉が舞うのもなんだかロマンチック」
隣を歩く
「光……。ロマンチックはいいけれど、お兄ちゃんはやめてくれ。おまえ、いつまで俺の幼馴染のつもりだ?」
「えへへ、そうだった。章彦さん。ついつい、長く呼んでいるとね~」
ぺろっと舌を出す光。もう二十三なんだから、もうちょっと落ち着いた言動をとってくれ。
まあでも確かに、こいつが生まれたときからずっと幼馴染として過ごしてきたからな。光が俺を「お兄ちゃん」とつい呼んでしまうのもうなずける。
黒崎家の家政婦として働いている結城真琴さんの娘である光。俺も妹のようだと思っていた。
まさか、婚約することになるとは、ぜんぜん思っていなかったな。
親父が持ってきた「見合い」の相手の中に、まさか光がいるなんて。普段と違う光の姿に惹かれるなんて。
……不覚だ。
「章彦さん、何考えてるの?」
光が尋ねてきて、われに返った。
「あ、いや、おまえって……。言動がころっと変わるなぁと」
「なにそれ。……あ、だまされたとか思ってるでしょ」
じと目で見上げてくる光。
「本当のことだろう? あの見合いのときにおまえが幻だったんじゃないかって思えるくらいに、普段は子供っぽいし」
光は頬をぷぅっと膨らませたかと思うと、すぅっと表情を変えた。
今まで子供のようにはしゃいでいたのがうそのような、大人びた表情。微笑を浮かべて俺を見上げる顔は、まさに「お嬢様」。
「わたくしも、きちんとしなければならないときは心得ています。章彦さん。あなたの妻にふさわしくありたいと思っています」
急に楚々としたしぐさになった。歩き方まで「すたすた」から「しずしず」に変わったように思える。優美な物腰に、とっさに返す言葉が見つけられない。
「……さすが、結城コーポレーション代表取締役のご令嬢。いつもそうしていればなおいいんだけど」
すると光は、またいつものように子供っぽく笑う。
「だって、せめてお兄ちゃんといる間だけでも、ありのままのわたしでいたいんだもん」
「……ありのままの自分か」
親が大企業の代表ともなれば、娘に課せられるものも多いのだろう。
同じように、「偉い親」を持つ身として理解できた、光の立場、思い。
「そ。わたしが息抜きできる、数少ない場所なの。お兄ちゃんのそばは」
にこりと笑う光。
……まいったな。
「判った判った。俺の前でそうやってるのはいい。けどやっぱりお兄ちゃんはやめろ。そう呼ばれると妹みたいな幼馴染としか見られない」
「いいじゃなーい、もうお兄ちゃんで。癖になってるんだもん」
「やめろってのに」
「なによぅ、ケチ兄~」
「なんだよおてんば妹」
「元気娘って言って」
「OK.Hyper girl」
「ハイパーって、あんまりいい意味じゃない単語じゃなかった?」
「あ、よく判ったな」
「馬鹿にしないでよっ! わたしだって小さいころはアメリカにいたんだし、日本に帰ってからだって大学はトップクラスの成績で卒業したのよ」
紅葉の進んだ並木道の下を、ののしりあいのようなやり取りをしながら散歩して行く。
気づいてる。俺も、光のそばでは飾らない自分でいられると。お嬢様然としている光も好きだが、こうやって一緒に騒いでいられるのも嫌いじゃないと。
ま、末永くよろしくな、おてんば妹。
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