その6 平和の実態/お疲れ様/そしておまけ

<京都 午後九時 神尾信司>


「ただいま~」


 兄貴の声が探偵事務所に響き渡った。


「おかえり兄貴、どうだった調査は?」


 事務所のソファに座ってお茶を飲みながら透と話していたおれは、振り返って兄貴を迎えた。


 昼間にいったん家に帰ったけど、また夕方に事務所に戻ってきた。誰もいない事務所に戻ってくるより、兄貴だって誰かに迎えてもらいたいだろうしね。


「あぁ、バッチリ写真とったよ。ホテルに入るとこと出るとこ。あのダンナさん、昼間っからよくやるよ~」


 兄貴はにこにこと笑っている。そこ、笑うところか?


「昼間だからじゃないんですか? 夜だとあやましまれやすいですし」


 透が言う。そんなものなのか?


「あ~、そうだね。夜遅く帰ると疑われるから昼間に浮気する、って人、いるよね」


 兄貴は「けれど俺にはそんな手段は通用しない」と得意げに笑う。だから、そこ笑うところか?


「……撮ったのは、ホテルの入り口の写真だけ?」


 それで浮気の証明になるのかな。


「あぁ。浮気の証拠としては、ホテルに入ったときと出たときの写真があればけっこう有力なんだよ。時間とかがわかるとなおいいね。ラブホテルに二時間いたら、やることやってるってみなされるんだよ」


 やることやってる、って……。考えたら顔が熱くなってきた。


「そうなんだ。……てっきり、部屋に入るところまでつけているのかと。世の中の探偵さんって大変だなぁって思ってたんだけど、ホテルの入り口までならまだ楽だよね」

「そりゃ、依頼とあらば部屋までつけるけどね。なんだったら最中の写真だって……」


 兄貴兄貴! それ以上言わないで。

 おれの視線に気がついて、兄貴はそこで言葉をとめた。この人だと本当に難なくできちゃうから怖いよ。


「証拠が手に入ったということは、依頼者さんにももう連絡されたのですか?」


 透の質問に兄貴はうなずいた。


「うん。離婚を考えるって。明日、証拠の写真を渡すことになったよ。あとはもう俺達の手を離れるね。ダンナさんの浮気が原因の離婚なら、慰謝料たっぷり取れるよ。よかったね奥さん」

「……離婚しないのが一番いいんじゃないかなぁ」

「浮気亭主と一緒に暮らすよりは、新しい人生歩んだほうがいいよ、きっと」


 そんなものなのかな。


「いやぁ、久々に人死にのない依頼でよかったよかった」


 兄貴は満面の笑みで調査ファイルをまとめ始めた。

 この人の「平和」の基準がズレていると思うのは、おれだけ? 誰か教えてくれ……。




<大阪 午後十時 青井結>


 家の車庫に車を納めると、どっと疲れが沸いてくる。

 けれど、子供達の満足そうな寝顔を見ると、少し和らいだ。

 助手席の息子も、後部座席の娘も、チャイルドシートでぐっすりと眠っている。照子が咲子をそっとシートから抱き上げた。

 俺は淳を抱きかかえて車を降りる。


 子供達を部屋のベッドまで運んで寝かせる。パジャマに着替えさせてやっても眠ったままだ。子供というのは、体力の限界まで遊んで、スイッチが切れたように眠る。

 起きる様子がないことを確認して、リビングへ。

 キッチンでは、照子が弁当箱や水筒を片付けている。


「お疲れ様、結。紅茶かコーヒーでも淹れようか?」

「ん……。ホットミルクでいいよ。今日は早く寝ることにする」

「OK~。先にシャワー浴びてきたら?」


 照子の提案にうなずいて、シャワールームに向かった。

 少し熱めのお湯で体を洗ってさっぱりさせ、リビングへと戻る。ちょうど照子がホットミルクをいれてくれたところだった。

 ソファに座ると、自然とため息が漏れた。


「ほんと、疲れちゃったね。子供のパワーは際限ないもんね」


 照子が笑う。


「あぁ。いつも二人の相手をおまえ一人でやっているんだもんな。本当に、ありがたい。なかなか家にいられなくて、ごめんな」

「なぁに? 改まっちゃって」


 照子が俺の隣に座って首に腕を回してきた。


「あなたは外で大変なお仕事しているんだから、わたしは家で大変な仕事を引き受けるわよ。大変の種類がぜんぜん違うけどね」


 照子の言葉が、とても温かくて、うれしかった。

 腕をそっと解いた彼女の唇に、感謝のキスを落とした。

 じっと見つめてくる照子の頬が赤い。

 ……いい雰囲気。俺はそっと彼女に手を伸ばした。


「ママぁ、ねんね~」


 予期せぬ声に俺も照子もぎくりと体を硬直させた後、そちらを見る。

 淳が目をこすりながらこちらをぼぅっと見ている。起きたのか……。

 ぷっと照子が噴き出す。俺もつられて笑った。


「淳くん寝かせてくるね」


 照子が立ち上がって息子のそばに駆け寄っていく。


「あぁ、おやすみ」


 彼女達を見送る。きっとしっかりと寝付くまで時間がかかるのだろう。


 一人残されたリビングで、彼女がいれてくれたホットミルクをすすり飲む。

 温かい。


 ありがとう照子。お疲れ様。



(戦士たちの休日 了)



<おまけ>


「さぁ、今回は誰をハメてみましょうか?」

 彼には「休日」などというものはない。「ロキ」からの命令がなければ独自で動いて、あちこちに混乱と死をもたらす。

「……そういえば、この間、彼に仕事を邪魔されましたねぇ。ひとつ、仕掛けてみますか」

 彼は次の標的を定め、にやりと笑う。

 その手には、標的のプロフィールを記した資料。

 彼が次に狙うのは……。

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