その2 めんどくせぇ/平和ってなに?

<ロサンゼルス 午後四時 レッシュ・リューク>


「よぉ~信司。元気かぁ?」


 電話の向こうの友人に語りかけると、彼は元気はつらつな声で『お~、レッシュか!』と応えてくる。


「ちょっと時間があって、どうしてるかなって思ってさ。そっち、朝だよな? 大丈夫だったか?」

『ああ。今九時。今日は退魔の仕事がないから、兄貴の探偵事務所に来てるんだ』


 依頼がなくていつも閑古鳥が鳴いている探偵事務所か。

 けれど今日は後ろが騒がしい。亮の意気揚揚とした声が聞こえる。


「なんか、亮の声がするな。……張り切ってるみたいだけど?」

『ああ。珍しく依頼があってさ。兄貴、今から調査に行くんだって。レッシュは? 今日は休日?』


 弟にまで珍しくなんて言われてるぞ。


「そ。夜は彼女とデートなんだよ。最近忙しくて会ってなかったから、久々、かな」

『それは、彼女さんかわいそうだね。そんなので大丈夫なのか?』


 言われて、リサのちょっと不安そうな顔を思いだした。


「ま、それで別れるならそれだけの仲ってことさ」

『大切にしないとだめだよ。付き合い長いんだろ?』

「ん。まぁな」


 話が少し暗くなってきたぞ。

 そこへ、携帯電話が着信を告げる。


「あ、電話だ。じゃ、信司、またかけるよ」

『あぁ、またねレッシュ』


 信司との電話を終えて携帯電話に出る。


『レッシュ。すぐに社に来てくれ』


 リカルドだ。切羽詰った声だな。何かあったか?

 とにかく行くか。おれは二つ返事をして電話を切った。


 よほどのことが起っているのか? 後ろはなにやら騒がしかったが、襲撃を受けているという物音でもなかったし。

 急いで会社に赴いて、社長室のドアの前に立った。


 ……中から女の声がする。……二人?

 ノックをして、ドアを開ける。


「社長、失礼いたし……、ま、……す」


 言葉が途中で途切れたのは、目の前で行われている壮絶な女の闘いのせいだ。


「あなた、もうプロポーションが崩れてきているわよ。年のせいじゃない?」


 情報屋の“C”が秘書のクレアにきつい一言。確かに、“C”に比べりゃクレアは年の分だけ損してるよな。


「ふん。体でしか勝負できない女にピッタリのセリフだわ」


 クレアの反撃。でもこめかみに青筋浮かんでるぞ。


「なんですって? このめすブタ」

「なによ、男にたかる蛆虫」


 今にも手が出るかっていう雰囲気だ。

 リカルドは椅子に座って頭を抱えている。

 目が合った。これをどうにかしてくれと無言で訴えかけてくる。


 もしかして、これだけのために呼んだ?

 小首を傾げると、リカルドは小さく、こくこくとうなずいている。

 ……報酬、弾めよな……。

 ため息をついてから、女どもの間に割って入る。


「まぁまぁ。そんな顔ゆがめちゃって、二人とも美人が台無しだぞ?」

「レッシュ。あなたには関係ないわ。どちらが社長と今夜一緒に過ごすかの大事な勝負なのよ」

「そうよ。女のプライドをかけた闘いよ」


 こんなときだけ団結してんじゃねぇよ。


「あ~。それなら勝負はお預けだ。リカルドは、今夜おれと約束をしているからな」


 これが一番無難な収め方だと思うな、うん。


「うそ。そんなこと聞いていないわよ?」


 クレアがじと目で見てくる。


「プライベートだからな。いちいちあんたに報告する必要はないだろ」

「今思いついたんじゃないの? “コールド・ゲイル”は、今夜予定が入っているなんて一言も言わなかったもの」


 “C”が突っ込んでくる。

 リカルド……。あんたくらい機転のきくヤツならそれくらいの嘘ついといたらいいのに。


「あんたらの剣幕に圧されて言葉が出なかったんじゃないか? なぁリカルド?」


 おれの言葉に、三人ともリカルドを見る。リカルドは慌てたように、こくこくとうなずいている。さっきから、うなずき人形かあんたは。


「彼がそんな、気の小さい男だとは思わないけどねぇ」

 “C”が、まだ疑いの目で見ている。

「……ひょっとして、あなたたち、人には言えないような関係なの?」


 なんか、とんでもないことを言われたけど、面倒くさいからそういうことにしておいてもいいか。


「へっへ~、ばれたか」

 リカルドのそばによって、両腕を彼の首に絡める。

「そうなんだよ。だから言うの恥ずかしかったんだよ、なぁリカルド?」


 あ、リカルド固まってる。この隙にうなずかせとこう。両腕をちょっとゆすってやると、まるでリカルドがこくこくとうなずいているように頭が上下に揺れる。


 女どもは、異様なものを見るかのような目つきでおれ達を見て、青ざめている。


「そ、そんな……。社長が、レッシュと……」


 クレアは、よろよろと後ずさったかと思うとくるりと後ろを向いて、部屋を飛び出していった。

 あっさりと信じたな。


「お、面白いネタをどうもありがとう。それじゃ、今日はこのあたりで失礼するわ」


 “C”もぎこちなく笑って、さっさと出て行った。あんた情報屋ならきっちりと裏とれよ。

 ま、いいや。うるさい女達がいなくなったし。解決、解決。


「ほら、リカルド、いつまで固まってんだよ。追い払ってやったぞ」

「……そ、そうだな……」


 笑顔を向けてくるが、リカルド、引きつってるぞ。


「よくやってくれた。だが、彼女らはまだ疑っているかもしれないな。今夜、付き合え」

「え? や、おれはノーマルだから――」


 途端に、げんこが頭に降ってきた。


「私がその手の趣味のような言い方をするな。休日にわざわざ出てきてもらった礼もかねて、酒をおごってやる、と言っているのだ。クレア達の目をごまかす意味もこめて、な」


 あぁなんだそういうことか。


 ……今夜……。リサと約束してっけど……。


「どうした?」

「あ、いや、いいんだ。せっかくおごってくれるんだからな。喜んでお供するよ」


 仕事だからな。ゆるせ、リサ。


「そうか。それはよかった」


 リカルドがにこりと笑う。珍しい、こんな笑い方するなんて。

 ま、いいや。リカルドがおごってくれるということは、高級な酒なんだろうから、楽しみだ。




<京都 午前九時 神尾信司>


 今日は退魔の仕事がない。これといって用事もないから、透と一緒に兄貴の探偵事務所へ手伝いに行くことにした。

 まぁ手伝いといっても、あんまり、いやほとんど依頼のないところだから、結局兄貴の話し相手になるくらいなんだけどね。


 探偵事務所についたら、なんだか兄貴は張り切って身支度をしている。


「どうしたの? 兄貴。なんかあった?」

「あ、信司に透くん。せっかく来てもらったのに――」


 返事の途中で携帯電話が鳴った。おれのことなどかまわず話しつづけている兄貴は放っておいて電話に出た。


『よぉ~信司。元気かぁ?』


 レッシュだ。電話かけてくるなんて珍しいね。


「お~、レッシュか!」

『ちょっと時間があって、どうしてるかなって思ってさ。そっち、朝だよな? 大丈夫だったか?』


 そっか。時差があるんだよな。向こうは今何時なんだろう。

 ちょっとレッシュと話している間にも、兄貴は意気揚揚と依頼について語っている。レッシュにもその声は聞こえているみたいだ。兄貴、張り切りすぎ。


 すぐにレッシュから電話を切った。他に電話が入ったみたいだ。

 彼女さんとはあんまりうまく行ってないみたいだけど、大丈夫かな? 今日のデートで挽回できるといいな。


「やぁ~、今日は平和にすみそうでよかったよ」


 後ろで兄貴がその一言で話を締めくくっている。でも、さっきからの話じゃ、浮気調査じゃなかったっけ?


「平和、って、浮気調査だろ? 平和じゃないんじゃない?」

「何言ってるんだ。浮気じゃ人死には出ないだろ? あぁ平和平和」


 兄貴は満面の笑顔。


「浮気でも、出る時はでるよね」

 つぶやくと、透もうなずいた。

「男女の愛情のもつれが原因で殺人事件って、結構ありますからね」

「それは調査が終わって、浮気だったと確証が持てて、依頼者がそれをどうしても許せなくて、そんな手段での解決を望んだときだろ? 調査は終わってるし、俺には関係ないから」

「……それって……」


 平和?

 透と顔を見合わせて首をかしげた。


「じゃ、行ってくるよ。水瀬くんも信司も、適当に帰ってくれていいからね。どうせ他に依頼来ないだろうから」


 所長自らそんなこと言っていいのかな。

 あきれるおれと透を残して、兄貴は出かけていった。


「じゃ、兄貴もああ言ってたし、おれ、一旦帰ろうかな。透もよかったら来る?」

「それじゃ、僕の車で信司さんちに行きましょう」


 透の案にうなずいて、おれ達は探偵事務所を出た。

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