第3話

 放課後。正門の前で、晴花は人を待っている。野球部が練習を終え、ばらばらと正門に向かってくる。その中の一人に、晴花は手を振った。相手は晴花の幼馴染みの上村圭太。野球部に所属する三年生だ。晴花は毎日野球部の練習が終わるのを待って、彼と一緒に家路を辿る。


「もうすぐだねえ、県予選」

 晴花は圭太の隣に並ぶ。七時半を回った空は、ようやく夜の気配を漂わせ始めていた。

「そうだなー」

 圭太は鞄を持ち直しながら応える。

「どう、今年は」

「甲子園行きたいなあ、今年こそ」

「まあ、圭太はベンチなわけなんですが」

「それを言うんじゃない」

 圭太の不機嫌な表情を見て、晴花は愉快そうに笑う。

「ずーっと頑張ってきた圭太は偉いと思うよ」

「なに急に」

「こーんなちっちゃい頃からずっと野球ばっかりしてたじゃん。いつも補欠だったけど」

「下手の横好きだからな」

「でも偉いと思う」

「そりゃーどうも」

 圭太の短く切った黒髪と、日に焼けて少し赤くなった頬を見て、目を細めた。

 晴花は、圭太のことが好きだった。もう数年越しの片思いだ。圭太は、彼女の思いを知らない。彼女は素直に好意を伝えられないでいた。理由はいくつかある。

 圭太に対して、晴花が明確な恋心を抱き始めたのは中学生の時だった。今更のように芽生えた感情に彼女自身戸惑っていたこともあったし、その感情を伝えて、圭太との関係がぎくしゃくとしてしまうのにも躊躇いがあった。

 もうひとつは、圭太が晴花のことを恋愛対象として見ていないということだった。圭太は好きな人が出来るたび、晴花に相談を持ちかけた。圭太に今まで恋人が出来ることはなかったが、晴花は心中穏やかではなかった。そして毎度思い知った。自分は圭太にとって、仲の良い女友達にすぎないのだと。そんな晴花の思いを、圭太は知らない。

 駐輪場で、各々自転車の鍵を外す。少し離れた場所から、圭太が晴花に声をかけた。

「晴花さー、先に帰ってもいいんだぜ」

「うん?」

「演劇部の練習終わるの六時だろ。俺たちはどんなに早くても七時半までは練習なんだから」

「別にいいよ。図書室で勉強してるし。なになに? 一緒に帰るの恥ずかしいとか?」

「何を今更」

 晴花の言葉に圭太は呆れたように笑って自転車を漕ぎだす。

「俺とお前がなあんにも関係ないただの幼馴染みだってことは周囲の全ての人間が知ってるだろ」

「まあ……」

 晴花も自転車のペダルに足をかけた。下り坂を走る。風を切りながら、晴花は前から流れてくる圭太の声に耳を澄ます。

「最近大変なんじゃねえの」

「え?」

「お前の友達。何て言ったっけ、あの美人」

「ああ、沙月のこと?」

「そうそう。今日も保健室に行ってただろ」

「ああ、うん」

「お前、友達なんだからさ、俺より沙月ちゃんに構ってやれよ。一緒に帰ったりとかさ」

 たまにしてるよ、と晴花は応える。呟くような大きさの声は、圭太には届いていなかった。この前は一緒にマックに行ったんだよ。でも、それから沙月おかしくなっちゃったんだ。嘘つくんだよ。あたしたちそれに付き合ってるんだ。でもいいの。沙月大変だから。頑張ってるから。部室でちゃんと全部話してくれるから。でも沙月、今日は部室に来なかったよ。

 晴花は続ける。

 ねえ、何で圭太が沙月の体調不良を知ってるの。なんで。

「何か言ったか?」

 圭太が振り返る。

「なんでもなーい。ていうかさ、圭太、沙月のこと気になるの? 仲人してあげようか?」

 晴花はにやにやと笑って見せる。わざと明るく出したその声が少し震えていたことにも、その頬が引きつっていることにも、圭太は気付かない。

「あ、そうしてよ。あとで沙月ちゃんのライン教えて」

 圭太は軽い口調で応える。晴花は唇を噛んだ。

――あいつら沙月の引き立て役って感じだよね。

――実は沙月に嫉妬してんじゃないの。

 前を向く圭太には、彼女の傷付いた表情は見えない。

 あたしはこの後にやにや笑って、圭太に沙月の連絡先を教えるんだ。

 せり上がる不快感を拭うように、晴花はしっかりとペダルを踏み込んだ。いくらしっかり漕いでも、圭太の隣に並ぶことは出来なかった。

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