第9話 狂乱

「クソッタレ! どこから湧いてきやがった、この黒蟻共は!」


 祭壇へと向かった私とゲンさんの前には、無数の黒蟻の亜人ミルミギンが立ちふさがります。大戦槌で構わずなぎ倒しますが、次から次へと湧いてきます。


「祭壇の白エルフをどうにかしないと駄目なんだ! やつら、今度は使役しているミルミギンを呼び込んでいるんだ!」


「どこから! こいつら亜人は殺すほど嫌いじゃねえのか!」


 ブブキの答えに、ゲンさんは手にした戦槌をやけくそ気味に振り回しながら怒鳴り返します。「わからないよ!」とブブキも手にした石のナイフでミルミギンの首を飛ばしながら怒鳴ります。にわかに雛壇の上に、大量の炎の弾が発生します。


「コロモス、他の連中と一緒に下れ! そっちまで抑えきらねえ!」


 火に弱く、私達の傍にいないコロモスさんを下げずにはいられません。しかし、白エルフ達はミルミギンに構わずに術を放って来ます。


「ぶぶ、ブブキ、みみ、水!」


「ああ、もう分かっているんだ!」


 こんな時にも治らない私のドモリ癖にイラついたように答えるブブキを庇いながらミルミギンの猛攻に耐えます。

 燃えるミルミギン達に向かって、ブブキの水の術が放たれます。森で放ったような勢いはありませんが、多少の火は鎮火します。


「ラティオ! ガリーザ達は見つかったか!」


「駄目です! そこまで近づけませんし、女性の数も多すぎです!」


「匂イハスル! 必ズ、イル!」


 嗅覚の鋭いハダスさんはここに居ることは判るようですが、何しろミルミギンの群れと白エルフ達が構わずに放つ術のおかげで近付くことが出来ません。


「やべえぞ、兄弟! このままじゃあ、ジリ貧でこっちがやられる! 怪我人が出始めた!」


 私達の守る範囲にいない人達は白エルフの攻撃術に晒されてしまいます。ブブキや、ドワーフ達の守りで多少は持ち答えますがケガをした人が出始めたようです。

 祭壇の上に、無数の蒼い光が立ち昇ります。霊力の矢です。数え切れません、あれが外れずに当たればこっちらの戦力は激減します。奥で、豪奢なローブを着たエルフが嫌な笑みを浮かべています。気に入らない面をしています。


 しかし、蒼い光は放たれる直前に、掻き消えました。豪奢なエルフは突如の出来事に驚きの顔を隠せません。


「な、何故術を止める!」


「じゅ、術が使えません、司教様!」


 祭壇の上のエルフの男達が慌てふためきます。一体何が起きたのか判りませんが、これはチャンスです。前にいるミルミギンを盾で殴りつけ、大戦槌を振り回し退けます。


「お、お前達、どうしてそこにいる! な、なにをしているのだ」


 エルフの司教と呼ばれた男は、私達の後方を指差して叫びます。後ろをちらりと振り向くと、祭壇の間には入らずに待機しているはずのアンを中心として、顔人の男女たちが手を取り合い楽しそうに踊っています。余りの場違いな光景に、一瞬目を疑います。


「アン、何をしている! 危ねえから下がっていろ!」


 しかし、何かに集中をしているアンはゲンさんの怒鳴り声に聞く耳を持った様子がありません。アン達の方に向かわないように、ミルミギンの進行は押さえなければいけません。だけど、その心配もないかのようにミルミギン達は右往左往をしています。出てきた方向から戻っていく者も多くいます。


「ミルミギンに掛けた使役の術が解けたんだ! あの子達、強力な封印術を使っている! 見て、女性に掛かっている使役術も解け始めた」


 虚ろな目をしていた女性達が騒ぎ始めています。多くの女性達が、白エルフの男達を押しのけて逃げ始めます。残った女性達の内、白エルフの女はその場にうずくまり、他の人種の人達は辺りにいる白エルフの男達を殴りつけています。もの凄い、修羅場です。


「女は、アンタ達の道具じゃあないんだよ!」


 威勢のいい掛け声と共に、傍にいた白エルフの股間を蹴りあげている女性がいました。ガリーザさんでした。


「早く場を離れましょう。ここにいると邪魔になります」


 後ろから裸締めを決めて白エルフの首をへし折った後、ガリーザさんに近寄ったソフィアさんは、倒れた白エルフの顔を踏みつぶし続けるガリーザさんに声を掛けて、場を離れようとします。


「こっちです、ガリーザさん!」


「なんだい、アンタ達来ていたのかい!」


 私達の姿に気付いたガリーザさん達は、こちらに駆け寄ろうとします。一瞬の油断、その隙を突かれたガリーザさんは、エルフの司教に後ろから羽交い絞めにされ、首元に華美なナイフを突き立てられます。


「ええい! あの忌まわしい踊りを止めさせろ! 止めなければ、この女を殺す! なぜ、王族の未熟児が我らに反抗をする! たとえ姿が違くとも生き延びさせてやっていたというのに!」


「止めるんじゃないよ! 構わず続けな!」


 しかし、その様子を見たアン達は踊りを止めてしまいました。


 エルフの司教は力が弱いせいか、ガリーザさんがナイフを手にした司教の腕を掴むと動かせないようです。周りにいた、複数のエルフ達から押さえつけられ祭壇の最上段の帳の中に、司教と共に引きずり込まれます。


 帳の中で影が起き上がり、美しい女性の声が響きます。


「騒がしいのう、司教。まだ、儀式は始められんか」


「……女王様、申し訳ございません。今から、外の者達を一斉に始末しましょう。このようなことで使う術ではありませんでしたが、致し方ありません」


「よきにはからえ」


 女性の影にひざまずく司教の影の声が響き渡ります。あの帳の中でのやり取りは良く聞こえる様になっているのでしょうか。


「あの、帳の中、霊力探知が効かないんだ。強力な結界が張られているかもしれないんだ」


「じゃあ、乗り込むまでよ」


 女性達と、皆の活躍でミルミギンも四散し、白エルフの男達はあらかた片付いています。術が使えない白エルフはかなり脆い存在でした。法具のおかげで、術の通用しない私と、ゲンさんはジリジリと帳へと近寄ります。あと一歩としたところで、アンの声が響き渡ります。


「皆、逃げて! 早く!」


 その声が響いた一瞬後に帳から真っ青な大量の光が漏れだします。


「な、なにをしているのだ司教! これは一体なんぞ!」


「ば、馬鹿な、使役の術の強化に成功したと……ま、まさか」


 司教の声を無視して、中にいた女性が美しい裸体を晒しながら帳の外へと逃げ出します。

 しかし、ガリーザさんがまだ残ったままです。アンの忠告を無視して、立ち止まったままのゲンさんを追い越して私は帳の中へと踊り込みます。

 帳の中にいたエルフ達と司教には無数の青い光が突き刺さっています。ガリーザさんを中心に女性のような姿を形作る光は、祭壇の天井辺りまで大きく膨れ上がります。私は慌てて帳の外に出て、祭壇より降りた皆の元へと向かいます。


「ああ、あれは、いい、一体」


「凄まじい霊力の塊なんだ。まるで、伝承に聞く、水の精霊様のようなんだ」


「水の精霊? 精霊が顕現したというのですか、あんなにはっきりした姿で?」


 ブブキの当てになりそうもない答えに、ソフィアさんが疑問を更に返します。その疑問に答えたのは、何故かアンでした。


「そう、あれは水の精霊。この神殿の、エルフ大森林の本当の管理者。でも、今は狂っているの。エルフの司教が無理矢理、使役しようとしたから」


 皆がアンの方に振り返ります。ブブキは、恐る恐る屈みこみアンに再度、問い掛けます。


「君は、ここが水の精霊様の神殿だと言うんだ。本当かい、だとしたらここはエルフの聖地、始まりの神殿。黒エルフ達が見失い、探し求めた場所」


「そう。白エルフが信仰を疎かにして、皆が忘れた存在」


 ドンと大きい音が聞こえます。硝煙の匂いと白い煙が立ち込めます。ゲンさんが銃を構えて、青い光の女性に向かって発砲しています。


「ちっ、駄目だな。効いていねえな。貫通しちまった。流石にガリーザは狙えねえしな……」


「あ、アンタ、精霊様に向かって何をしているんだ!」


「ブブキ、悠長なことを言っている場合じゃねえよ。ありゃどうみても、こっちを狙っている。こいつは逃げた方が良いな」


 ゆっくりと、青い光はこちらに向き、空間を埋め尽くすばかりの水の矢がこちらに向いています。ゲンさんはガリーザさんを狙わずに、精霊の頭を狙ったようですが無駄だったようです。


「殿は術の通らねえ俺とゴンがやろう。あれの怒りは静まるのか?」


「そ、そんなことわからないんだ! あ、あぶな」


 雨あられのように水の矢がこちらに放たれます。多くの人は、祭壇の間より外に出て、ブブキは私達の後ろに逃げ込んで、なんとか矢の雨を凌ぎます。


「あれが追いかけて来れば逃げきれねえぞ、兄弟! ……あ、無理だ、死んだ」


 他の人を逃がして、私達を迎えにきたワリスさんは目の前の光景に死を覚悟します。巨大な水の弾が無数に生み出されています。

 あれを撃たれればとても防ぎきれません。周囲から、大量の水に巻き込まれてしまいます。

 撃ち込まれる前に、アンと顔人達がまたもや踊りを始めます。先ほどの踊りよりも楽しそうにステップを踏み、歌のような単調な声が響き渡ります。

 撃ちだされた、巨大の水の弾は途中で霧散します。にわかに、精霊の足元が輝き始めます。


「ゲンおじさん、ゴンおじさん、あの女の人を助け出して。あの精霊の動きを、顔人の皆で少しでも止めるから。中央の女の人を助けてあげれば、使役術は解けるの。あの霊力の弱い女性が、精霊使役の中途半端な触媒になっているの」


「無茶を言うなアン。あれに突っ込めってか。まあ、子供の無理を聞くのは大人の仕事だ。――いくぞ、ゴン。どうせ、俺達に術は効きやしねえ!」


「おお、おう!」


 それぞれの盾と武具を構えて、ゲンさんと二人、精霊へと突撃を仕掛けます。


「「バアアアアアアアアア!!」」


 同時に聞いているかもわからない相手に向かって、大音声の威嚇を放ちます。中央の光が強まると精霊は苦しむようにもがきます。それでもなお、私達に向けて水の矢や、弾を撃ちこみますが、術を防ぐ法具のため、私達に届くことはありません。


 戦槌を脚に打ち込みますが、手ごたえが全くありません。何度打ちこんでも、水を打つ様な感触しかありません。


「ゴン、こいつには打撃も何も効かねえ!打つだけ無駄だ!」


「どど、どうする!」


「判らねえよ!」


 苦しみ、もがく精霊の足元で、ゲンさんと二人ジタバタと無駄なあがきをしています。飛びつこうとしても、ガリーザさんがいる位置はかなり高く手が届きません。

 不意に、精霊の手がゲンさんの方に水平に振りかざされます。気もせずに受け止めたゲンさんが吹っ飛びました! 受け身を取り損ねた姿勢で壁に叩きつけられて、蹲っています。どうやら、この精霊、物理的な打撃も可能な様です。

 武具も、盾も手放し精霊の脚に掴みかかります。法具の首飾りの影響か判りませんが、私の手で直接つかむことは出来ました。ゲンさんに向けた、下手糞な平手打ちを私に向けて打ち出します。かなりの衝撃です。とても、痛い。意識が飛びそうです。


 精霊は、アン達に向かって歩き出そうとしています。


 行かせるわけにはいきません。


「行かせない、行かせない!」


 言葉が自然に口に出ます。


 私を引きずるように、歩を進めようとします。


「行かせない、行かせない! お前は、私が行かせない!」


 苦しく、もがき乍ら、煩わしそうに私が取りついた脚を振り回します。


 振り回さられる脚に必死にしがみつきます。


「離さない、絶対に離さない!」


 しがみつく私を必死に離そうと、地団太を踏むかのように暴れます。


 ビキィと、金属が軋むような音が首から聞こえます。


 もしかすると、首輪が壊れかけているのかも知れません。


 これが壊れれば、押え込むことが出来なくなるのでしょう。


 どうすれば……


 誰かが、私の背中と肩、最後には頭を踏み台にして精霊の中へと飛び込みます。精霊の水の中にいるガリーザさんの脚を掴んでいるのは、ゲンさんです。

 精霊の中に入ったゲンさんの首輪は一瞬で弾けて砕け散ります。ゲンさんは、水の中をもがく様に苦しみの顔を浮かべています。


 精霊の中にいるゲンさんの足首を掴み、強引に引きずり出します。強い抵抗を感じますが、離す訳にはいきません。


「来い、こっちへ来い! 私の方へ、来るんだ!」


 私の叫び声と共に、首輪がはじけます、無我夢中で脚を引っ張り、溺れるゲンさんを引きずり出します。ガリーザさんも一緒に精霊の中から引きずり出されます。ゲンさんは四つん這いになり、ゲエゲエと水を吐き出します。ガリーザさんは眠ったままです。


「し、死ぬかと思った。脚が抜けそうだったぞ、ゴン」


「でで、でも生きている」


 二人共、生きています。ガリーザさんも息をしています。後ろを振り向けば、光の中をもがき苦しむ精霊がいます。光と精霊の身体は段々と小さくなります。アン達の術で足止めを受けたまま、使役の術が解け始めているようです。


「も、もう良い。罪なき者よ、踊りを止めよ。原始的で力強い術じゃ、身体がもたん」


 驚いたことに精霊が声を発しています。その声を聞き、顔人達は踊りを止めて、アンも祈りをささげる様に続けていた歌を止めます。


「おじさん達、ありがとう。もう、大丈夫だよ」


 初めて見たかもしれないアンの笑顔がこちらに向きます。可愛らしい笑顔です。その顔を見て、ゲンさんと同時に崩れ落ちる様に、その場で座り込みます。

 一般人と同じ位の身長になり、顔の輪郭や表情がはっきりとした女型の水の精霊は浮遊したまま、こちらに近寄ります。


「世話をかけたな、異界の者よ」


「もう、本当に大丈夫なのか」


「そうじゃな、問題は無い。ただ、無粋な者達には退場を願おうぞ」


 精霊が勢いよく両腕を振るうと、周囲に白いローブを着込みフードを目深にかぶった連中が一斉に姿を現します。いつの間に紛れ込んでいたのか判らない、白エルフの攫い部隊に、帳から逃げだした『女王』と呼ばれたエルフもそこにいます。全員が、一瞬の出来事に動揺を隠せないでいます。


「ば、馬鹿な、白エルフの術がこうも容易く破られるのか」


「愚かな白人種達よ。われは精霊ぞ。世界の管理を担う一角ぞ」


「……偉そうに言っているが、使役術に中途半端に掛かっていたよな」


 ゲンさんは私とアンに向けてそう言います。今、言うことでは無いですよね。精霊がプルプルと震えています。女王は精霊に向き直り、命令口調で語りかけ始めます。


「うむ。素晴らしい力じゃ。その精霊の力、白エルフの女王たる我にこそ相応しい。我と契約せよ、精霊。我ら、白エルフが貴様に変わり世界の管理を担おう」


 女王は、それがさも当然のような顔をしています。精霊さえも見下すような顔です。なにか、精霊に対抗する術や道具でも持っているのでしょうか。ゲンさんと二人、アンを庇い身構えます。


「良い、異界の者よ。力量を測り損ねている愚かな白エルフの相手は我がするぞ。祖先の戒めも破り、森守の役目さえも全うできぬ者と契約などできんぞ。眠っている我の力を使い、強き結界を施したようだが、それも切れておる」


「ならば、再び眠り白エルフの糧となるのじゃ!」


 周囲の攫い部隊から、蜂蜜色の宝石「琥珀」が無数に投げ込まれ、一斉に術が唱えられます。精霊の足元に、アンが施したような光が現れます。が、光はすぐに消えて、一斉に術を唱えていた攫い部隊が崩れ落ちます。


「ば、馬鹿な、封印術は完成したはずじゃ……」


「霊力が弱すぎるぞ。その程度では、我を封印することは出来んぞ、愚か者。森の古き住人たる樹人達の命を悪戯に弄び、ついでに得た石だけでは我は封じること叶わぬ」


 精霊が両腕を振るうと、一瞬で身体を硬直させた攫い部隊やエルフの女王が浮かび上がります。周りを、異臭の漂う、不純物が大量に混り濁った液体が足元から包み始めます。エルフ達は口は動いても、身を動かすことは出来ないようです。


「お主達は、樹人達の体液で作られた棺で永遠の眠りにつくことを『琥珀葬』と呼んでいるぞ。死してなお、腐らずに、美しくいることが出来ることこそ、最上の埋葬方法だと信じてな。今、お前達を包むは、お前達が垂れ流す汚水の塊ぞ。お前達はそこで眠れ」


「ヒィ、き、汚い! 美しい私の身体が穢れる! た、助けて……」


 叫ぶエルフ達を一瞬で汚水は包みこみ固まり、その場に落ちます。濁った棺の向こうには、美しい顔を醜く歪めたエルフの女王の顔が見えます。とても、見れた顔ではありません。


「残った白エルフにも同じことをするのかい」


「性根しだいぞ」


 ゲンさんの問いかけに、棺を冷ややかな目で見る精霊は冷めた口調で返事をします。この後、一体どれだけの白エルフ達が生き延びることが出来るのでしょうか。しかし、私達の知ったことではありません。本人次第なのですから。



 眠ったままのガリーザさんを抱えて、ゲンさん、アン、水の精霊に、顔人達と共に、祭壇の間の外に出ます。皆は、沢山の篝火が焚かれた神殿の入口の広間で待っていてくれました。精霊を見た、ブブキは跪き精霊に手を合わせます。


「私は、黒エルフの一族のブブキと申します。黒エルフは、大森林の中央を離れ、長き時の間に水の精霊様の神殿を見失い、今日この時まで探し続けました。遂に悲願は成し遂げられました……」


 頭を下げ、小刻みに震えるブブキを、白エルフの女王に向けたような冷めた目線で精霊は見つめます。


「よい、若きお主を責めることはせんぞ。下れ」


「は、はい。ありがとうございます」


 いつもの軽い調子は、完全になりを潜めたブブキは緊張で畏まり固まりながらその場を離れていきます。信仰と言うより、畏れの方が強い感じです。

 神殿の外は、暗く月の明かりも、木々に遮られて星の明かりさえもまともに見えません。とりあえずは、この場で一晩を明かすことになります。身の安全は精霊が責任を持つと言ってくれました。


「それぐらいは、術から解放して貰った礼ぞ。あのままでは、幾分まずいことが起きたぞ」


「お前さんが、外で暴れることかい」


「うむ、それよりもっとまずいぞ。我の身がもたん」


 もしもを想像した精霊は、死んだような目になりプルプルと震えます。よっぽど怖い想像をしているようです。あの震え方は、誰かに怒られることを恐れている時の震え方に似ています。偉い立場の様ですが、もしかすると、更に上がいるのかも知れません。


「ゴン、恥ずかしいからそろそろ降ろしてくれないかい」


 私に抱えられたガリーザさんが、いつの間にか目を覚ましていたようです。お姫様抱っこの様な格好なので恥ずかしいようです。そっと、地面に降ろしてあげます。少し、顔が赤いです。

 不細工な私に抱えられている姿を皆に視られて、恥ずかしいのでしょう。心を読んだのか、水の精霊がウンウンと笑みを浮かべて頷いています。失礼な精霊です。

 ゲンさんから頼まれて、水の精霊にお湯を出してもらい身を清めました。適当に探し出した大きめの壺に湯を張り交代で入ります。長旅で汚れた身体のせいで、壺の風呂は直ぐに真っ黒になりますが、精霊に頼んでその都度交換をして貰います。


「あ、アンタ達、水の精霊様に何をさせているんだよ!」


「いいじゃねえか。小汚い体で神殿にいる方が問題だろう。肉も酒も好きだから、精進潔斎してまではいかねえが、入浴で身を清めることくらいはしねえとな」


 壺の風呂から上がった私達に、ブブキは非難がましい声を上げますが、ゲンさんはものともしません。

 当の本人が大したことでは無いと言うのですから構わないでしょう。そもそも、私達の信仰とする対象ではないのでそれ程、ありがたみの感じる存在ではありません。

 捕えられた白エルフの女性達は、誰とも何も話さずに蹲っています。水の精霊が近寄り、女達に話しかけます。


「お前達が『闇の夜の交わり』と呼ぶ無駄な儀式は途絶え、新しき女王は封印したぞ。王族の血に連ならるお前達が死ぬことはもうない。ただ、王族としての地位もないぞ」


「汚らわしい他人種に救われたとあれば、死んだも同然です。もとより、新しき女王と子孫の繁栄のために、この身を捧げる覚悟であったのです。……殺しなさい」


「愚かな。ならば、死よりもおぞましい生を与えよう。罪人が望むものなど与えはせん」


 精霊はゲンさんから包みを受け取ります。ドワーフ達の首に付けられた術を封じる首輪です。濃い茶色の瘤状の肌をした首輪は白エルフの女達の首元に飛び、次々と形を修復していきます。


「術を封じ、自ら死ぬことも封じさせて貰ったぞ。あまたの樹人種の呪いその身に受けながら、全てを捨てて生き続けよ」


 めそめそと鳴く者も、叫び散らす者も一様に部屋から出せれて森の中へと帰されて行きます。この後は、自分自身でどうにかしろと言うことです。

 今迄、どのような生活をしていたのか知りませんが、これからは今迄と違い過酷な生活が待ち受けるはずです。


「精霊様、樹人種の呪いとはどういう意味ぞい」


「済まぬな。あの首輪は、お主達樹人の皮を剥いで作られた法具ぞ。白エルフはお主達を捕まえ、様々なことに利用していたぞ」


 白エルフ達は、樹人から取れる皮や体液に目を付け『亜人』と呼ぶことで、自らの所業に正当性を持たせたと言うことです。罪の意識はなく、ただ、当時の黒エルフ達からの批判をかわしたいがためにです。


「お前達が眠る前に、しておきたいことがあるぞ。ゴンとやら、前に」


 皆で、休む算段をしている時に精霊から声を掛けられます。一体何の用でしょうか。


「左の手を前に」


 厳かな雰囲気で言う精霊の言葉に従い、左手を前に差しだします。精霊は、自分の左手を私の掌に載せ言葉を紡ぎ始めます。


「汝、水の精霊と共に歩み、夫婦の契りを交わし、共に生き続けることを誓うか」


「ここ、断る」


 精霊は、間髪を入れずに放った私の拒否の言葉に呆けた顔をしています。他の人達も同じような顔をしています。アンと顔人達が眠そうにしています。早く寝かしてあげないといけません。


「な、何故?!」


「ご、ゴン、馬鹿なことを言うんじゃないんだ、水の精霊様と夫婦の契約なんて凄いことなんだ、嫌なら俺が代わりたいんだ」


「そ、そうだよ、ゴン! これだけ高位な精霊と契約できることなんて二度とないよ!夫婦云々はともかく、契約だけはしときな」


「いい、嫌だ。ここ、断る」


 ブブキとガリーザさんが説得するように喋り始めますが、いつの間から寝ていたのか、まだ術の影響が残っているのか知りませんが頭のボケた存在と夫婦の関係を結ぶわけにはいきません。


「あ、あれほど激しい声で『行かせない』『離さない』『私の元に来い』と叫んでいたぞ! あそこまで、真剣に求愛をされれば精霊たる我でも心が動くぞ、それとも弄んだのか」


「いいいいい、意味が違う!」


 眠気も冷め、その場を走り逃げ去ります。どうやら、術で狂って暴れていた精霊を押さえつけていた時に叫んだ言葉を勘違いしているようです。

 笑いをこらえていたゲンさんが遂に吹き出し、腹を抱えて笑い転げ始めました。エルフ以外の皆が釣られて同じように笑います。毎度毎度の展開が私に転がり込みました。


「よお、ゴン、遂に春が来たな!」


「かかか、勘違い!」


 私の脚に追い付く勢いで、後を追いかけて来る精霊をどうにかしてほしいのですが、誰からの手助けもなさそうです。アン達も笑っています。野に咲く花の様な可愛らしい笑顔。――やはり、子供には笑顔が似合います。

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