第2話 帰還
宿の戸を叩き、少し待つと髭を短く切り揃えた女将が、驚いた顔をして食堂からこちらに向かってきます。
「ア、アンタ達、王国に帰ったのじゃあなかったのかい!? それともまたこっちに来たのかい」
「いや、まだ王国には帰ってねえんだ。ちょっとこの辺りに興味が出てな。フラフラとしていたんだ」
「今の今までかい? 酔狂なことだよ。その割にはこざっぱりしているね。泊まるのかい、二人部屋だと少し高いよ。二人で一泊銀貨一枚。その分、今晩の夕飯はサービスにするよ」
「ああ、それで頼む」
私は、懐に隠した巾着袋から銀貨を一枚取り出し女将に渡します。
「じゃあ、早速夕飯を食べるかい。食堂には知った顔がいるから、一緒に食べな」
言われて食堂に向かうと確かに見知った顔、少し赤い顔をしたプロクリス商会の若頭ワリスさんと、研究者のクラテルさんが一緒にコーヒーを楽しんでいる最中でした。二人もこちらを見ると慌てて立上り、驚きを隠せないでいます。
「きょ、きょ、兄弟! 戻って来たのか!」
「ああ、ついさっきな。クラテル元気にしていたか」
「え、ええ、問題はありません」
二人共、食事は済んでいるようです。女将は私達の分のエールと薄焼きパン、焼いた塊の肉を薄く削いだものとサラダを持って来ます。私も、ゲンさんもパンにサラダと肉を挟んで食べ始めます。今日はスープではありませんでした。
「最近はスープよりも焼いた肉を出すようにしたんだよ。手間は少しかかるけど、客には意外と受けているよ」
「じゃあ、弁当の方も売れているんだろ」
「ハハハ、まあね!」
女将は豪快に笑いながら、椅子に腰を降ろします。商売繁盛でなによりです。それに、コーヒーこと『クフ豆茶』も売れているようです。
「酒じゃあねのかい、ワリス」
「ああ、もう飲み終っちまったあとだ。いまは、こうしてクフ豆茶で余韻を楽しんでいるところだ」
ゲンさんはエールの入った杯を飲み干し「そうか」と一言だけ言います。そして、私の荷物の一番上に乗ったクーラーボックスから冷えたビールを取り出し、空いた杯に注いでいきます。
肉を挟んだパンを一口食べ、ビールを飲み、又注ぎ、一口食べ、飲むを繰り返します。眉根を寄せ乍ら、ゲフーと大きなゲップを一つ吐き、
「……たまらねえな」
「……ああ、たまらねえぜ、兄弟。見せつけてくれる。何を飲んでいるんだ」
「御国のな、ビールだ。ゴンも遠慮しねえで飲め。女将はどうだ、今からだろう」
「御相伴させてもらうよ!」
女将は嬉々として嬉しそうに杯をこちらに向けます。杯を預かり、始めに勢いよく注ぎ、少し傾けてゆっくりと注ぎます。綺麗な注ぎ方ができました。ビールを注いだ杯を女将に返すと、直ぐに口を付けてグビグビと喉を鳴らして飲んでいきます。
「アァ、美味しい……。よく冷えているよ。少し苦いけど、香りが良いよ。エールとは違った味だね。私は、こっちの方が好きかも知れないよ」
料理やお酒の好みは人それぞれ。好き嫌いはどうしても出ます。わたしは、どちらかと言うとビールは苦手な類です。自分用に買っておいた缶チュウハイを取り出し、手酌で飲みます。
「ゴンも、美味そうに飲みやがるなあ。なあ、兄弟、ちょっとだけ」
「それは出来ねえ相談だ。又、酔った勢いで何を言うか判らねえからな」
「それよりも、その酒を入れている筒はなんでできていのですか?」
ゲンさんは、クラテルさんの質問は無視して、ニヤリと嫌な笑みをワリスさんに向けます。いまだにあの時のことを根に持っていたようです。
酒の恨みは恐ろしく私がした所業も、日本へ戻った後に思い出してから暫くの間は、宥めるのに苦労をしました。今回も別口を一本、購入をしています。もう、誰にも渡すことはないでしょう。
がっくりと肩を落とすワリスさんをしり目に、クラテルさんは研究の状況を話してくれました。花火の研究はあの後も続いています。
勢いで作ることに成功しましたが、今は色合いや、大きくする方法を研究しているようです。又、一番力を入れているのは「琥珀の酒」の研究。皇帝の肝いりです。しかし、あまり成果は芳しくないようです。
「ゆっくりとやれ。慌てるな。上が何を言おうとな」
ゲンさんはそう助言をします。いずれにしても、お酒造りには時間が掛かるでしょう。どの程度と言われると分かりませんが、発酵や蒸留してから樽詰めした後の熟成期間を考えれば慌てても直ぐに美味しいものが出来るわけではありません。
「お前達ドワーフは寿命が長いんだろう。いいじゃあねえか。ゆっくりと楽しみながら進めな。ところで、ワリス。俺が肌人種と知れてまだ、兄弟と言ってくれるのか」
「何を言っているんだ兄弟。ドワーフじゃあなかろうが、なんだろうと兄弟は兄弟じゃあねえか」
「ガハハ、そうか。じゃあ、飲め! 帰還の祝杯だ」
空いた杯にビールを注ぎ、結局ワリスさんとクラテルさんに勧めます。二人共嬉しそうです。女将も交えて、ささやかながら私達がこの世界へと帰還したことのお祝いとなりました。今夜は少し長くなりそうです。ただ、ビールの空き缶は回収をしておいた方が良さそうです。
――翌朝、自宅に帰らず宿へ泊まったワリスさん達と一緒に朝食を摂ります。モーニングコーヒーを楽しみながら、ゲンさんが相談を持ち掛けます。
「ワリス、王国に行く商隊はねえのかい。できれば、早いうちに戻りてえ」
「うん? そうか、王国に戻るのか。まあ、随分と長居をしていたみてえだし仕方がねえか。俺がな、三日後に王国に向かう。又、一緒に行こう。兄弟達がいれば護衛も少なくて済む。今回は、石鹸と海綿を仕入れようと思っている」
「そうか、お言葉に甘えて同乗させてもらう。ところで、石鹸は売れたのかい」
「ああ、そこそこな。実際に使って見せると、食堂や油を使う職人たちに売れた。こっちでも研究をしてえと思っている。海綿は海に近い王国の方が安く手に入るしな」
三日後、少し急な話ではありますが、私としてもアエラキさん達が無事に王国についたか少し気になります。ラティオさん達が付いていたのですから大丈夫だとは思います。コーヒーを飲み終わり、席を立つワリスさんが思い出したように一言残していきました。
「ああ、兄弟、多分明日の朝、訪ねてくる人がいるからな」
「ん、そうか。お前の知り合いか」
「……まあ、そんな所だ」
私はその言葉に、違和感を覚えました。何かを忘れている気がします。
宿の奥に残したオークの塩漬け肉はまだ健在でした。旅の間はこれでスープでも作るとします。塩抜きをせず、そのまま湯に入れてスープにでもします。後は、日持ちのする野菜でも買って行きましょう。
露店で売り出されていた木の樽を購入してから、玉ねぎやニンニク、ニンジン、ジャガイモのようなものを買いこみます。十日分、適当な量を買っておきます。飲み水代わりの酒類は向こうで勝手に用意するでしょう。必要な薬は、日本で買った物やウム婆さんの薬もありますので買い求める必要もないでしょう。
トントンと、戸を叩く音がして目が覚めます。昨日も、ワリスさんとお酒を飲んでいたゲンさんはまだ眠っています。陽も昇り始め、良い朝を迎えています。女将さんが、起こしに来てくれたのでしょうか。
「うむ。ゴン、久しぶりぞ。元気そうでなにより。ゲンはそこで寝ておるのか? 寝顔を見てやろうぞ……」
戸を開けるとそこには、美しい金髪の長い髪と髭をもつ「美髯姫」様がいらっしゃいました。声を聞きつけたゲンさんは飛び起きて、あっという間に窓から飛び降り、脱走を試みます。
「てめえ! ワリス、裏切ったか!」
「馬鹿なこと言うなよ兄弟。裏切るとかの問題じゃあねえんだ」
どうやら、下で待ち構えていたワリスさんに捕まったようです。窓から下を覗くと、何人かの戦士が待機していたようです。ワリスさん一人だと、殴り倒してでも逃げられる可能性もありますからね。お姫様は、ホホホと笑いながら優雅に食堂へと向かいました。
食堂に降りると、嫌な顔をしたゲンさんが椅子に腰を掛けています。ワリスさんと戦士達が、周りを取り囲み、姫様がゲンさんの向かいに座っています。
「ゴンも来たぞよ。では、ともに城へと参ろうぞ」
「無礼は承知だが、一体、何のようだい」
「ホホホ、忘れているのか。褒美の残り渡してやるぞよ」
すっかり忘れていました。最後に皇帝陛下が、そんなことを言っていたような気がします。
お姫様はお供を連れて優雅に歩いています。ゲンさんが左隣、私は一歩後ろを歩きます。周囲をお供の人が固めています。お姫様は時折、街の人達に笑いかけ、手を振ります。反応を見る限りでは、姫様の人気は高そうです。
「てっきり、馬車かなんかで来たと思っていたんだがな」
「妾はなるべく歩いて、街の者の様子を見るのが好きぞ。城の中で閉じこもっているのは退屈きわまる」
「襲われたらどうするんだい」
「今は、ゲンに守って貰うぞよ。ホホホ……」
姫様はゲンさんの顔をちらりと見て軽く笑います。この人を襲って攫うのは至難の事でしょう。ゲンさんが守る必要は感じられません。
綺麗に整えられた髭をしごきながら嬉しげにゲンさんと世間話をしています。お似合いのカップルの様ですね。微笑ましいことです。
「……変なこと考えてねえか、ゴン」
「べべ、別に」
こちらを睨んでいますが、とぼけます。結構鋭いです。
前回、最後に皇帝陛下と謁見した場所に通されました。東屋というには豪勢な建物に皇帝陛下はいらっしゃいます。
「うむ、久しぶりであるな。ゲンを見かけないと、姫が嘆いておった」
「あら、父上、お恥ずかしい……」
顔を赤らめ、両頬を押えて、髭を揺らしながらくねくねとしています。何とも言えない光景です。周りからは「姫があのような仕種を……」「なんと可愛らしい」と言ったような、ため息交じりの声が聞こえてきます。
「では、約束通り残りの褒美を取らす」
皇帝陛下がそう言うと、奥から武具・防具を持った人達が出てきます。そろいの兜、盾、但し、私の分はかなりの大型。そして、武具として槌と大ぶりの戦槌。両方とも武骨で、重厚な金属製です。
「お主ら二人は旅の冒険者だと聞いた。華美な装飾よりも実用的な物の方が良かろう」
「ああ、助かる。飾りなら、荷物になるだけだ。直ぐに売り払うところだ。大事に扱わせてもらう」
不遜なと言った声が上がりそうですが、本当の事です。できれば、本音として出して貰いたくはないのですが、ゲンさんにその辺りのことを望むのは難しいでしょう。兜を着用してみると、ぴったりのサイズでした。頭のサイズを測らせた記憶はありませんが、きっと、術で調べたのでしょう。
「後は、妾を貰い受ければ全てとなります……」
「皇帝陛下、父親としてここは止めるべきではないのかい」
「ハハハ、無理なことを言うな。個人的な強さであれば、姫は我や将軍よりも勝る。この国で止められる者などおりはせんわ」
ゲンさんが、明日には王国に旅立つと必死に説得するも、ならば一緒にと姫様も引きません。流石に、それは周りが許してくれはしません。姫様は、剣呑な雰囲気で周りを一瞥し、周囲を見据えた後、寂しそうな目をこちらに向けて奥へと引き下がって行きます。皇帝陛下に一礼をし、私達もその場を辞去しました。
「準備は整ったか、では、出発するぞ!」
ドワーフ帝国の門の外、威勢のいいワリスさんの掛け声で、馬車が走りだします。四頭立てが三台に、八頭立てが二台、全てプロクリス商会の馬車です。私達が思っていたよりずっと大きな商会だったようです。
交易都市の他に、王都や港街にも足を延ばすと言うことです。護衛の名目でついたのは結局私達だけでした。ドワーフの人達は、商人と言う割には誰もが屈強そうです。――但し、クラテルさんを除いてです。
「各方面へ足を延ばして、過酷な商いの旅をするプロクリス商会の従業員達は、皆、手練れの戦士みたいなものですよ」
がたがたと揺れる馬車の中で、布に包れた箱を大事そうに抱えながら舌を噛まないように慎重に喋っています。自宅兼研究所に引きこもっている、クラテルさんは遠出が初めての様です。
「結局、そいつは捨てられなかったのかい」
「ええ、何回か打ち壊そうと思いましたが、結局、踏みとどまってしまいました」
ゲンさんは、クラテルさんが持っている箱に目を向けました。あの箱の中身はきっとあの時に製作した銃なのでしょう。話によると何度か軍の関係者からも接触があったと言うことです。引き渡しは、その都度断ったといいます。今回、旅の間に盗人に入られても困るので持って来たということです。
「盗人か、違いねえな。かなりの確率で入りそうだ」
「ええ、間違いなく入ります。根拠となるものは、全て持ちだしました。爆発粉塵の作成方法については、花火の研究もあるので隠しても意味がありません」
「……そうか。仕方がねえ」
ゲンさんは日本に戻った時に、いつになるかは判らないがいずれ火薬の事も、銃の存在も広まることになるだろうと言っていました。どんなに秘匿にしても、情報はどこからか漏れると言っていました。
「あの発表を機に、技術者組合の風向きも変わりました。保守的であったここ数十年の考え方を改め、他国の技術者の招へい、研究等も行って行くようです」
「それに、先立っての旅になるのかい。良いんじゃねえか。前にも言ったが、外の文化や文明について見たり、聞いたりすることは、タメになるからな」
途中で、亜人や害獣の類に襲われることもなく交易都市まで付きました。今回は、馬車の数も多いから、襲ってくる奴は滅多にいないとワリスさんは言い、もし、それでも襲う奴は大層な相手になるから、多少の被害をこうむることことも覚悟しなければならないので、運も良かったとも言っています。
昼過ぎ、馬車に乗ったまま、門を通過し市内へと入ります。門を抜けた所で、馬車から降りてワリスさんの元に別れの挨拶をしに行きます。後ろには、何故かクラテルさんもいます。
「世話になったなワリス。ここで降ろさせてもらうぜ」
「ん、そうか兄弟。ちょっと待っててくれ」
ワリスさんは自分の荷物を集め、袋に入れるといそいそと降りてきます。
「俺も一緒に行くぞ。会長からの言付けでな。兄弟と一緒に少し勉強して来いだと」
「なんだい、結局そう言うことだったのかい。まあ、構いやしねえが」
クラテルさんもそのつもりだったようです。私はてっきり、ここでお別れだとばかり思っていました。この二人とは、もう少しお付き合いが続きそうです。ドワーフ三人と、トロルが一人。きっと、肌人種がいるとは誰からも思われないのでしょう。
「俺は、ドワーフじゃあねえよ」
何も言っていないのに、ゲンさんがこちらに向かってぼやきます。やっぱり鋭いです。
取り急ぎ、冒険者組合へと向かいます。ラティオさん達と行き会えるかもしれません。いなければ、言付けをして夕方まで待てばいいのです。上手くすれば、アエラキさん達とも行きあえます。
「……お久しぶりになります。随分と永く帝国にいたのですね。同胞と一緒にいることが楽しかったのですか」
受付にいたリカーさんは、ゲンさんに向けて、冷たい目を向け、嫌味なことを言います。雰囲気がかなりよくありません。普段なら軽く返すゲンさんも、訝しく感じたせいか慎重に答えます。
「どうした、ひでえ言い様じゃあねえか、リカー嬢さん」
「アエラキさん達を、星の瞬きの人に預けて、自分達だけは残ると聞いていません。最後まで責任を持つ約束だったのではありませんか」
「ああ、いや、まあ、そのことは悪いとは思っているんだが、一応、ラティオ達に頼んだしなあ」
「そうゆうのをいい加減だと言うのです。皆が戻ったあとも、何も連絡はありませんし」
日本に戻ってしまったので連絡のしようがありません。しかし、リカーさんの言い分に間違いはありません。ゲンさんも私も平謝りをするしかありません。プリプリと怒るリカーさんに頭を下げ続けて、どうにか許してもらいました。
「結構、怖い嬢ちゃんだったんだな、兄弟」
前回のやり取りを覚えているのか、ワリスさんがゲンさんに小声で話しかけています。ゲンさんは苦笑しながら、まあなと返しています。聞こえていたのかリカーさんが咳払いを一つして睨んでいます。お二人共背筋がピーンと伸びました。
私達の声を聞きつけた、ノモス組合長が奥から出てきました。こちらも、怖い顔をしています。また、怒られるのでしょうか。
「丁度好い所に来た。リカー、ゲン達と狩人組合に行く。一緒に来てくれ。受付は他の者が行う」
「ワリスや、クラテルも行っていいのか」
「……ドワーフ族の意見も聞きたい。一緒に来てくれ」
ノモス組合長に付き合い、急遽狩人組合に向かいます。どうやら私達の事ではなく、別件で問題が発生したようです。しかし、一緒に行くならやっぱり私達に関係のあることなのでしょうか。
狩人組合の建物に入り、ノモス組合長が受付へ顔を出すと直ぐに奥の組合長室へと案内をされます。組合長室には、馴染みの顔、狩人組合長のアシオーさんに、薬売りのウム婆さんがいました。皆さん、顔が少し暗い感じがします。それに、ウム婆さんは左腕にケガをしているようです。
「婆さん、王都で何を無茶した。『言語読解』って奴は、ケガをするような術なのかい」
「お馬鹿なことを言ってるんじゃあないよ。私のケガよりも、もっと悪いことが起きたのさ」
「俺達二人に関係がある、悪いことなのかい」
「ああ、関係、大ありさ。――アンがね、攫われた」
一拍の間をおいて、ウム婆さんから告げられた言葉は、にわかに信じられない事でした。
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