第四章
第1話 プロローグ
朝晩の冷え込みはまだありますが、日中はすっかりと春めいてきました。地方の街中の建設工事現場での作業も終わり、プレハブの2階にある工事事務所でコピー機を借りているゲンさんを、詰所で一人待ちます。
「ゴンさん、お疲れ様でした。これ、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
常駐する若い現場監督から暖かい缶コーヒーを貰いました。今日で、この工事現場での作業は終わりになります。竣工間際となり、現場での雇われる期間が終わると共に、雑役夫の仕事に切りを付けることとなりました。
ゲンさんは必要な物も買いこんでも、まだ懐は温かいので海のある方にでも足を延ばそうという話になっています。
向こうから戻り、山から降りて直ぐに、いつもの伝手で日雇いを始めました。昔にいう飯場というものはありませんが、手配された安宿に泊まり通っていました。結構、現場からも近く便利でした。王国の宿屋を経験すれば、日本の宿はどこでも快適に思えます。
「今日でお終いですね。又、次の現場で会いましたらよろしくお願いします」
現場の点検を終えた、坊主頭の小柄な監督は、私達の他に人のいない詰所でタバコを吸い始めます。この人は、見た目は若いのですが私よりも歳は上です。私もゲンさんもタバコは吸いません。工事現場の人はまだ、比較的タバコを吸う人が多いものの、最近では時代の流れかやはり半分位に減ってきています。
「主任がタバコ吸わないから、事務所で吸いづらいんですよねえ。今日は、所長が出かけていないから、これで終わりです」
腰を降ろし、ゆっくりとタバコを吸い、寛ぎながら世間話を始めます。こちらが、あまり喋らなくても、聞いてもらえるだけで良いみたいです。カンカンカンと鉄の階段を降りる音が聞こえてきます。
「悪いな。待たせた」
ゲンさんが降りてきました。主任さんも一緒のようです。体格のいい、短髪の眼鏡をかけた主任も詰所の中に入り、腰かけます。
この人は、タバコを吸わないのですが、周りが吸ってもそれほど気にする素振りはありません。からかいがてらに、怖そうな所長に向かって「煙いです。訴えます」と笑いながら言う場合はありますが。
「なんだ、お前もいたのか。丁度いいや。ゲンさん、換金したこれ渡しますね」
ズボンの後ろポケットから厚めの茶封筒を取り出し、ゲンさんに手渡します。ゲンさんは中身を取り出し、おもむろにお札を数えます。あれは、手持ちの金貨を換金して貰ったお金です。
「……四十五と、四十五万か。大層な金額になったな」
「死んだ親父が隠してた金貨ってことで、先方には説明をしました。多少、口止め料で相場よりも安いかもしれないけど、余り文句も言えません。そんなとこで勘弁を」
「上等だよ。じゃあ、これは監督さんの口止め料」
ゲンさんは五枚のお札を渡します。眼鏡の主任は手刀を切ってから受け取り、三枚を胸ポケットに入れて、二枚を若い監督に渡します。
「へ、良いんですか!?」
「この前、休日作業した礼だよ。ゲンさんの金を当てにしていたみたいになったが、まあ、貰っとけ。お二人は今日で最後ですね。お疲れ様でした。又、次の現場でもお願いしますよ」
「いや、当分仕事はしねえな。まあ、秋口に気が向いたらするかもしれねえが」
「えぇ、そりゃまずい。次の現場も決まってるので。所長にも言っとかないと……」
主任さんは一人ブツブツ言いながら、詰所から出て二階の事務所へと戻っていきます。残った監督も、タバコを吸い終わると「お二人が帰ったら閉めますので」と一言残し、事務所へと戻っていきます。
残った私とゲンさんは、汚れた作業着から私服に着替え帰宅します。帰宅とは言いますが、泊まっていた宿は今日の朝で引き払い、今晩から、歩いて海の方へと向かう予定です。気ままなホームレスの二人旅。軍資金は豊富に出来ました。
「良い酒を買っていくか。少し多めに。今日はビールでも飲むか」
「どど、どこまで行く?」
できる限り街から離れた所にしようとゲンさんは言い、工事現場を囲う仮囲いに設けられたゲートを少し開けてキャリーカートを牽いて出て行きます。金貨の価値が分かると軽く思っていた荷物が、少し重く感じるのは不思議な物です。
中古書店で、本を買い。釣具店で六万円もするクーラーボックスを一つ、購入します。六面真空パネル製と説明されましたが、いまいちよく分かりませんでした。ゲンさんは、良い物を大事に使えばいいのだと言い、即決で購入を決めました。
ゲンさんに頼んで、お金を貰い一人で欲しかった物を買い求めます。ゲンさんは、チェーン展開をする酒の販売店で、酒や各種つまみを買いそろえます。購入した冷えた缶ビールは、早速クーラーボックスに入れておきます。こちらに戻ってから、少し荷物を整理しました。向こうで購入した防具の類を収納するための空きが必要となっていたからです。
向こうの世界で仕入れた防具の類は、一番下の箱に何とか収めてあります。ただ、今日、また新たな箱が上に積まれました。強力の方は、百キログラム近い荷を担いで山を登ったと言われています。それに比べればまだ大したことはありません。カートに積まれた荷物を舗装された道路で牽くから楽なものです。
繁華街をブラブラと歩き進む途中の辻で、濃い化粧をして、指輪やネックレスを幾つも着けた、派手な服装のお婆さんに呼び止められます。この街で占いをしているお婆さんです。この人もゲンさんの顔なじみです。
「随分と重そうな荷物を牽いてるじゃないかえ。又、フラフラと旅に出るのけえ」
「ああ、海の方にな」
「まったく、病気だえ。治りやしない」
ヒヒヒと現代人としては珍しい笑い方をして、こちらに手招きをします。なにか、用を言いつけたいのかと思いました。
「ちょっと、うちの店に寄って行きな。たまには占ってやらあ」
「間に合ってるよ」
「つれないこと言わないんだえ。ほら、ゴンこっちに来な」
私の腕をお年寄りとは思えない力で引き、店の方にと連れて行きます。当分この街には戻らないでしょうから、いいのではないかと思い付いて行きます。ゲンさんはやれやれと言った顔をしていました。
雑居ビルの一室。所々塗装の剥げたスチール製の玄関戸を開け、照明のスイッチを入れ、暗幕で仕切られた廊下を奥へと入って行きます。
暗幕の奥はキッチンの付いた八畳間程で、お婆さんの居室となっています。普段は狭い廊下の一画で占いを行っているのです。
それでも、このお婆さんの占いは良く当たると評判で、お得意のお客さんが多くいるそうです。噂では、大企業の社長さんの占いもやっていると言われています。
「さて、今日は休みだったんだけえど、二人の人相がちょっと気になった。まあ、もともと悪人面とブサイクだから普通の人より変わった人相をしているけえ」
「下らねえこと言うなら、帰るぜ」
そう言わないで座って待ちなと、ソファーを指差してから、お婆さんは奥へと向かいます。戻って来ると、熱いお茶を持って来てくれました。
「ほら、飲みな。さて、早速本題に入るかえ。アンタ達、これから旅に出るんだえ。いつもより長い旅へ」
「うん? それほど長くはねえと思う。又、秋頃には戻って来るつもりだ」
「いや、長くなるえ。それも最後の旅。最後に選択を迫られるえ。もう直ぐ、旅に立つ。だから、これ向こうで渡しておくれ。私がもう会うことが出来ない二人へ」
お婆さんは、包装紙で包まれた箱と、二通の手紙を入れる白い封筒を渡します。中央はご丁寧に封蝋がされています。そして、宛名の文字は――読めません。これは、向こうの世界の文字です! ゲンさんがお婆さんに向けて叫びます。
「おい! 婆、これは一体どういことだ!」
「戻ってきたら教えてやるえ。『夜のアシオー』と『癒しのウムブラ』によろしく言っとくれ――」
お婆さんとの距離がいつの間にか離れていきます。周りの風景がグニャグニャと歪んでいきます。一瞬真っ暗になると、私達の前には舗装された石畳に、石作りの建物が並ぶ街並みを目にします。ドワーフ帝国の商業区の大通りです。
「流石に訳が分からねえ。ただ、これは、多分、アシオーとウム婆さん宛なんだろうな」
「そそ、そうだね」
こちらももう夜になっています。これからでも、あの宿には泊まれるでしょうか。行くだけ言ってみましょう。ダメなら、裏庭の一画でも借りればいいのです。
(合田 豪 「最後の旅にて」と記された手記より)
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