第4話 旅立ち

「おや、アンタ達最近見かけなかったが、又、背中の荷物預かるようか?」


「いや、これから護衛でドワーフ帝国へ行くことになるから、又、留守にする。今回は

流石に荷物を持っていくよ」


 西門を出る時に、俺達の事を覚えていた守衛に声を掛けられた。前回仕事をする時は毎回のように荷物を預けているから、覚えていたのだろう。

 懐から、冒険者の登録証を出して見せる。前回来た時に、ランクが上がっているので入場税は無料になっている。

 橋のたもとには、ラティオ達とアエラキ達がもう待機している。俺達が、護衛班としては最後の様だ。

 それ程待たないうちに、西門から八頭立ての幌付き馬車と、二頭立ての馬車が出てくる。操者はドワーフ。ワリスの商隊だろう。幌の中は交易の品々が納まっているにちがいない。

 橋を抜けて、適当な所で止まった馬車の中から、ワリスが降りてくる。俺を見て、駆け寄って来る。


「おお、兄弟。助かったぜ、護衛の人数早いうちに揃えてくれて。待てば待つほど、滞在期間の金と、商売が出来ない金が飛んでいくからなあ。肌人種の男女に、獣人種の戦士か? それと獣人種の荷物持ちが二人。まだ子供だな。

 まあ、よろしく頼むぜ。後ろの馬車に乗ってくれ。何かあったら対処を頼む。前の馬車には、操者以外にあと二人俺の仲間もいる。同じドワーフだ。兄弟はこっちに乗るかい」


「いや、とりあえずは、みんなと乗るよ」


 ワリスは、捲くし立てた後に「ああ分かったよと」笑って手を振りながら、八頭立ての幌馬車に向かって行く。俺達も後ろの馬車に乗る。荷物も載っている中、図体のでかいゴンとハダス、デブな俺がいるので窮屈になる。


「アンタが、前に行けばもう少し広くなったのにさ」


「しかたがねえ、文句言うな」


「それに、今回も随分と大荷物を背負っているよ。なにを持って来たのさ」


「これは、俺達の財産だからな。置いてくわけにはいかねえよ。ウム婆さんの所で、買った薬もある。そうだ、お前達の分もあるから持っていてくれ。流石に、荷が多くて手で持つのは億劫だ」


 ゆっくりとした動き出しだが、それでも揺れる馬車の中でウム婆さんから物々交換で購入し、布袋にしまい込んだ薬草一式を渡す。ラティオが、苦い顔をしている。


「昨日、ウム婆さんの所で薬草を買おうと思ったのですが、朝から王都に向かってしまったようで買えなかったのです。本来なら、自分達で用意すべきものです。それに、高かったでしょうこの薬草は」


「ウム婆さんの所の薬草はそんなに高値じゃないよう」


 意見の食い違いに、オルデンが不思議そうな顔で首を傾げる。まあ、ウム婆さんが言う通り貧民用に売る薬と、冒険者用に売る薬は値段と効果が違うのだろう。ラティオは困った顔をしたが、結局、薬を受け取った。オルデン達に、残りの薬を預けておく。多少、移し替えてあるので俺とゴンの分は確保してある。


 日本と同じとはいかないが、ある程度は整備された道を北に進んでいる。馬車の進みは、徒歩よりましだが、それほど早くはない。平原から森の街道を進む。この辺りは、来たことがなく、馴染みのない場所だ。日陰の森ほど木々は多くないので、日向の森の一部なのだろう。


「通常の旅程で考えると、今日は鉱山労働者用の宿場街で泊まることになるでしょう。宿泊先は相手が用意してくれます。大部屋程度ですが」


「あんまり、ノミやらダニやらがいるならこの幌馬車の中で泊まりてえな」


「随分と、お高く留まったことを言うじゃないか。アンタらしくもない」


「いやあ、痒いのはあんまりなあ。病気の心配もある」


 ノミダニ程度に噛まれたぐらいで病気になんてなるもんかい、とガリーザは笑って捨てる。そうでもねえんだが、まだ、感染症の知識は無いのだろうな。ウム婆さんが、医学を知らねえで、あんだけ解剖図に食いついたんだ無理はねえ。

 昼を過ぎたころ、一旦馬車が止まる。何かあったのかと思い、急いで荷台から降りるとワリスの奴が先に降りている。ラティオ達も、慌てた様子もなく次々に降りてくる。周りをよく見ると、ここら一帯は、馬車を止めても十分な広さが切り開かれている。


「昼飯にしよう。腹が減った。なあ、兄弟」


「そうゆうことか。ああ、そうしよう。確かに腹が減った」


 ハダスの奴が、こちらを見ている。俺もゴンも顔を合わせて、両手の平を振って見せた。残念だが、干し肉の持ち合わせはねえ。向こうでは、いつでも新鮮なモツと、きちんと処理された肉が食えたから流石に荷物に忍ばせてはいねえ。がっくりと首をうなだれている。期待をさせて悪かったが、ねえものは諦めてもらう。

 ワリス達は、昼飯の準備を始めている。幌の荷の中から、材料を取りだして水と一緒に煮始めている。水、野菜、干し肉といったところか。あとは、固いパンが用意してあるのだろう。

 ゴンは、ひょいと森の中に入って行く。野草を摘みに行ったのかも知れねえ。こっちもフライパンの用意はしておく。さて、水洗いはどうするか。余分な水は積んではいねえだろうから節約しないと。


 髭をいじりながら考えている俺の袖を引っ張る奴が要る。オルデンだ。


「ゲンさん、向こうで亜人達が争っているよう。多分、オークとコボルト」


「ここから、近いのかい」


「う~ん、微妙かよう。多分、飢えたコボルトが、はぐれオークを襲ったんだよう」


 ポカーンと口を開けて呆けているハダスの頭を引っ叩いて、目を覚まさせる。嗅覚で、オルデンに遅れを取るほどに、俺達の用意する肉に期待をしていたのか。


「ほれ、ハダス、亜人が向こうで争っていると。距離は微妙だが、今のうちに討伐をしておこう」


「ム、確カニ、コボルトガ五匹ホド、オークガ一匹」


「ラティオ達はここで待機してくれ。ゴンがそのうちに戻る。ワリス、向こうに亜人がいるらしい。こちらに来る前に始末してくる」


「ああ、分かった。手伝いを回すか」


「護衛対象に手伝ってもらう訳にはいかねえよ」


 ワリスの申し出を笑って断り、ハダスと共に亜人達がいる方向に向かう。新しい武器の使い勝手を試すいい機会かもしれねえ。


 広場からやや離れた場所で、確かに亜人達は争っていた。雌のオークを、三匹のコボルトが囲んでいる。二匹ほどコボルトが倒れている。オークにやられたようだ。口から涎を垂らし、ギャンギャンとオークに向かって吠えついている。双方、退く気はないようだ。

 ハダスは、手の甲まで覆うような革のコテを身に着けているが、相変わらずの無手。俺は、腰に短刀を差して、買ったばかりの戦槌を手にしている。


「ハダス、美味い肉食いたけりゃあオークの身体余り潰すな。やっぱり、コボルトも食ってみてえなあ」


「……ゲンノ食イ意地ハ、獣人種ヨリモ上ダ」


 犬肉は美味いらしい。俺は食ったことがない。南雲の爺様は、戦後食い物が無いときは、村の辺り一帯から野良犬がいなくなったと言う。結構うまいとも言っていた。ちなみに、狸は臭く、猫は油が凄いらしい。食うものがなければ、何でも食えばいい。生きていくにはな。

 一匹のコボルトがオークに襲い掛かったのを合図にこちらも動く。襲い掛かったコボルトは、オークの脚に噛みつくも棒切れで叩かれた後、頭を踏み抜かれている。

 隠れていた茂みから飛び出して、手近な一匹のコボルトの頭に先端のピックを叩き込む。奇襲は成功し、ピックが頭蓋の骨を砕いて突き刺さる。ハダスはもう一匹のコボルトの首元に噛みつき喉を食い千切る。残るはオークだけだ。


「ブギィィ! ブギギィ!」


 こちらの出現に驚いたオークは、混乱し取り乱している。野生の猪なら、逃げるか臨戦態勢になるかのいずれかだが、中途半端な知性がまたオークの脚を止めている。ハダスが威嚇の吠え声を上げると、注意がそちらに逸れる。

 戦槌を突き出し、先端をオークの首裏にピックを引っ掛けて思いっきり引っ張る。少し重いが、脚が短いオークは重心を崩されて仰向けに転んだ。この戦槌使い勝手がなかなか良い。重宝しそうだ。

 

「ハダス、押さえつけて、頭を持ち上げてくれ」


 ハダスは、言われたとおりに背中を踏みつけてオークの動きを止めると頭の毛を掴んで、頭を持ち上げる。俺は短刀を抜いて、オークの首筋に刺し込んで一気に切り裂く。血が良い勢いで抜けていく。ドクドクと血を流し、痙攣していたオークは動かなくなる。

 討伐証明になる牙をもぎ取り、オークが頭をつぶしたコボルトと、ハダスが喉を食い千切ったコボルトは遠くへ放り投げておく。ハダスがオーク、俺は自分で始末したコボルトを担いで帰る。


「アア、ゲンヨ、直グニ食オウ」


「駄目だ。まず食えるのは内臓だけだ。だが困った。流石に、この辺りで水場を探して冷やしている時間はねえな」


「肉ヲ冷ヤスノカ? ガリーザニ頼メ。術デ何トカシテクレル」


 そうゆう手もあったか。とっとと、広場に戻って相談をするか。


「ゴン、シートと袋、鍋を用意してくれ。少し、モツを食おう。残りは夕飯に食おう。ガリーザ、内臓を抜いた肉を冷やす術はあるかい」


「……毎回、毎回、けったいなこと頼んでくるよ。そっちのコボルト、やっぱり食べるのかい? ハア、水かけて風で冷やせば冷えるかねえ」


「それでいいんじゃねえか。渇く前に、水かけりゃあこの辺りの気温なら十分冷える。ハダス、オークとコボルト、奥の木に吊るしてくれ。直ぐにモツを抜く」


 ゴンは、フライパンでハカマを取り除いた土筆を炒めていた。この時期じゃあ、取れる量も限られる。それでも、一口分は配れる。つまみ程度だな。

 フライパンを火から落として、荷物からシートを取り出しこちらに寄越す。ハダスは、オークとコボルトを木の枝に吊るしている。


 何をするのかと、興味深げな顔をしてワリスがこちらに寄って来る。


「なあ、兄弟。オークとコボルト吊るしてなにを始めるんだい」


「獲物を解体する下準備だ。ちょっと待っていてくれ、美味いモツを御馳走しよう」


「……いったい何を食おうっていうんだい。モツてぇのはなんなんだい」


 聞いてくるワリスの言葉を少し無視して、いつもの手順で腹を裂く。手際よく、内臓を仕分けして、不要な部分は捨ててくるようにハダスに指示する。ハダスには、解体の手順を教えるために付き合わせた。


 ワリスが気持ち悪げに内臓に目を向けている。多分、亜人の内臓だからだろう。


「げげ、ゲンさん。ハハ、ハツとレバー、いい、炒めるかい」


「そうだな。残りは塩を効かせておくか」


「きょきょ、兄弟! まさか、モツッてこれを食うきかよ!?」


 ワリスは驚愕の顔をこちらに向ける、気にせずにゴンはレバーとハツを切り分けて土筆と炒めていく。よし、量が増えた。


「大丈夫だワリス。ここに居る全員、一度は食っている。毒はねえ。美味いぞ」


「あたし達は、内臓を食った覚えはないよ」


「アエラキは食ったに。美味しいに」


「僕も食ったよう」


 ガリーザがギョットした顔をアエラキ達に向ける。アエラキ達はワリスに得意げな顔を向けている。ワリスは、俺達を茫然と見ている。


「何事も、色々と試さなきゃあ新しい境地は開けねえよ。食べてみろワリス」


 俺の言葉を聞き、ハッとした顔をする。モツ炒めと俺の顔を見比べ、悩んだ末に絞り出すように「分かった、食ってみよう」と答えを出した。


 結局、ワリス達は残さずモツ炒めを食べた。途中、荷の中から少し酸っぱいビールを持ちだして飲み始める。操者も一緒に、飲んでいる。飲酒運転はまずいんじゃないのかとも思ったが、飲んでみるとアルコールが薄い。これじゃあ、たいして酔えねえ。


「ガハハ、こいつを食うなら、もっとましな酒を飲みてえな。まあ、派手に酔っぱらう訳にはいかねえからエールで我慢するしかないな」


 ワイワイ、ガヤガヤと喧しい中、楽しい食事が進んだ。オークとコボルトについては、俺達のいる荷の中でなら吊るしてもいいと言われた。ハダスには、肉をまず冷やして、宿場町で皮を剥ぐと教えておく。そのあと、数日間は肉の熟成が必要だと言うことも教える。直ぐには食えねえことを知り、少しがっかりしている。

 流石に手狭になるので、結局俺とゴンが荷物毎、ワリス達の馬車に移動することにする。これで、けっこう間が広がるはずだ。

 ワリス達の馬車の中も、荷物だらけだ。しかし、体格は良いが小柄なドワーフは多少のスキマがあれば、そこで休める。ゴンはかなり窮屈そうだ。かくいう俺だって、多少は狭く感じている。


「兄弟達のでかさだと、狭いだろう。悪いなあ」


「いや、俺は依頼を受けてここに居る。この程度の事で文句は言わねえよ」


「そう言ってもらえると助かるぜ。……それよりも、兄弟達はスゲエ物を食うんだなあ。亜人を食うなんて、俺達は考えもしねえ。そんなに、食うもんがなかったのかよ」


「旅を続けていれば、食える物、食わねえと身が持たねえんだ。軽蔑するかい」


「いや、尊敬するぜ。兄弟に『新たな境地が開けねえ』と言われて、気付かされたよ。頭だけで物事考えていても、どうしようもねえことにな」


 立派なもんだ。多分、他の日本人なら食いやしねえ。この世界の虫肉だってまともに食えねえ連中が多いだろう。俺は、ホームレスになる前に世界中の旅をしていた。日本から離れれば、どこでも虫を食っている。

 最近は、そうゆう所も先進国の教育が進んで昆虫食を『野蛮な行為』『非文化的』とかいう理由で、忌避されてきている。その地で根付いた文化を否定していく方が、よっぽど野蛮だと思うのだが。


「今日は、鉱山街の宿場街に泊まるのかい」


「ああ、その予定だ。このまま行けば大丈夫だろうさ」


 ラティオの言う通りのようだ。馬車は揺れながらも、旅路を進んでいく。外気は冷たい。防具に着込んだ布製防具は、防寒着の代わりになって丁度いい。用を足すのに脱ぐのが少し面倒だがな。


 


 陽が暮れたころ、馬車は宿場街に辿りつく。ワリスは、いつも使う宿だと言って馬車から降りて受付をしてくると言い残しその場を離れる。他の連中と待っていると、それ程待たずに戻ってきて「大丈夫だ。部屋は確保できた」と笑いながら伝えてくれた。

 操者は馬車を裏手の馬車置き場へと向かう。俺達は、八人部屋のカギを預かり部屋に向かう。ここまできて、幌の中で泊まるのも逆に悪い気がしたので、多少痒いのは我慢をしよう。あとは、変な病気を貰わないように祈るしかねえな。


 部屋は思ったよりも綺麗だった。木の二段ベッドが四つ。後は、タンスが二竿。作りは粗末だが、寝るには十分だ。各自で場所を定めて、寝る場所を決める。但し、ゴンとハダスは下にする。重さでベッドが軋んで下で寝るのが、気が気じゃあねえからだ。

 夕飯は交易都市の宿と同じように、一階の食堂兼酒場でワリス達と共に全員で食うことになっている。但し、飯代は各自持ち。持ち込みも自由なのだと言う。

 提供されるのは、パンと何かの肉が入ったスープ、ワインかエール。どう考えても、物足りないと思ったので、宿の裏庭で、携帯コンロを使って、オークのモツを鍋で煮込んでおく。味付けは、考えるのが面倒になったので醤油をぶち込む。皆が食えなきゃ、俺とゴンで食えばいい。後はマタタビ酒。アエラキの傍で飲まなければ良いだろう。


「兄弟、壺の中身、そりゃなんだい?」


 持って来たモツ煮込みに目を付けて、勝手に突き始めたワリスは、壺の中身を杯に注いでいる俺に声を掛けてくる。ウム婆さんと同じように、甘めのワインを貰ってマタタビ酒と割っておく。目ざとい奴だ。それとも、鼻が効いたか。アエラキは、パンを肉のスープに浸して食っている。多分、気付いていない。


「国の酒でな。大きい声じゃあ言えねえが、ゴブリンの瘤を漬けこんである。飲んでみるか。まあ、薬のような酒だ。疲れが取れる」


「そうなのか。兄弟の国は、珍しいことをする。食えねえ木の実を酒に入れるなんで聞いたことがねえ。あっちに、猫人族の子供がいるからな。気づかれねえように少しくれ」


 結局飲むらしい。猫人族にとって、マタタビが禁断の実であることをワリスは知っているらしい。あちらこちらに行く、商人だから色々な裏事情にも詳しいのだろう。

 ワリスの杯を貰って、同じように酒を作ってやる。酒を酒で割っているかが、多少酒精は弱まっている。ワインのアルコール度数が低いせいだろう。


「う~ん、少し苦いな。確かに薬見てえだ。だけど、酒精が高くなった感じがして、そこはいいなあ」


「まあ、そう思って飲む方が良いな。生でもやってみるか? 苦いが、酒精は高い」


 直ぐに、杯を空にしたワリスに今度は生のままの酒を注いでやる。

 一口、飲むと顔をしかめている。やっぱり苦かったか。


「苦い。が、酒精は良い。下手に割るより、こっちの方が俺には合う。口直しの酒には丁度いい。甘いより、こっちの方が美味いよ、兄弟」


 酒精の高さが気に入ったようだ。空になった皿にモツ煮を勝手によそって、固いパンを浸して食いながら酒をやり始める。他のドワーフ達も、各々勝手にモツ煮を皿に盛る。ハダスは大盛り。アエラキもオルデンも、ラティオやガリーザまで、慌ててゴンも自分の分を確保している。鍋の中身はあっという間に空になった。人数がいるから、減るのも早い。

 壺の中身も減るのが早かった。ラティオ達にも、少し分けてやるがこっちはワインで割った方が良さそうだ。三人とも顔が赤い。ドワーフ達は生のまま飲んでいるが、平気なままだ。酒に強いようだ。

 俺の持っていた杯を誰かが、後ろからひょいと取り上げる。どこのどいつだと、後ろを向くと毛並に艶もいい、良いスタイルの黒い猫人族の女が俺の酒を飲んでいる。俺は、完全に目を向いている。ワリス達の声も聞こえない。アエラキとオルデンを除いて皆、絶句している。


「なんだなあ。そんなに、驚くことないなあ。美味しそうに飲んでいるから、一杯貰っただけなあ」


「あ、あのなあ、それ、ゴブリンの瘤を漬けた酒なんだ」


 杯を持った女が固まる。ワリスが壺を傾けて中身を見せている。中身を見て、体を震わせている。ゴンが、黒猫女の身体を支える。


「だだ、大丈夫か? だだ、ダメなら、すす、直ぐに吐け」


 真剣な顔をして、黒猫女を気遣う。女は、ゴンの顔を見つめている。腰に手を回すと、胸板に顔を押し付け始めている。


「あーん、良い男な。逞しい男、大好きな」


 思わず、椅子からずり落ちた。黒猫女は、ゴンにじゃれついている。ゴンは、完全に困っている。どうやら、今のところ体に影響はねえようだ。しかし、やっぱり反応がマタタビを与えた猫みたいになっている気がする。


「おい、ワリスこれは一体どういうことだ」


「おっかしいなあ。猫人族にとって、ゴブリンの瘤が禁断の実だっていうのは、結構知れている。てっきり、身体に毒なんだろうと思っていたが大丈夫そうじゃあねえか。猫人族に担がれていたのか」


「そうではありませんに。猫人族にとってゴブリンの瘤は禁断の実と、親から教えられていますに。しかし、こんなに美味しい物が禁断であるはずはありませんに。きっと、何か裏がありますに」


 聞いたことがあるような無いような、語り口の誰かが、机の上で講釈を垂れている。ゆっくりと後ろを向くと、ワインで割られたマタタビ酒を片手に椅子の上に立ったアエラキが講釈をぶっていた。……こいつ、いつの間に飲みやがった。


「アエラキ、大丈夫かよう、少しおかしいよう」


「問題ありませんに。至って、正常ですに。あ、ゲンさん杯を取りあげないで下さいに」


 明らかにおかしい、アエラキから杯を取りあげる。腕を振り回して暴れている。まあ、抑え込むのは難しいことじゃあない。変な物を飲むんじゃないと怒られ、ガリーザに抱えられている。ひとしきり、暴れるとガリーザの胸の中でスヤスヤと眠り始めた。

 女は、まだゴンの腕に絡みついている。宿の女将が、笑いながら黒猫女の頭を引っ叩いて首を掴んで引きずり出している。宿の親父が、声を掛けてくる


「悪いな、ワリス。普段は、あんな簡単に酔う女じゃないんだ。どちらかと言うと、ザルの類で酒を男にたかっているんだが。一体何を飲ませたんだ?」


 俺は、壺の中身が見られないように蓋をする。感づいたワリスが「秘密だ」とだけ宿の親父に伝える。今後、猫人族の悪さに使われるのは御免だ。このことは、ここに居る奴だけの秘密だ。

 マタタビ酒は、残っていない。結局一晩で空けてしまった。人数も多いから仕方がねえ。護衛初日のお祝いだとでも思っておこう。残った実は塩漬けに出もしておこう。

 アエラキはすやすやと眠っている。オルデンが、上のベッドから顔を出して心配そうに覗いている。変に酔いはしたが、まあ、大丈夫だろう。顔色は悪くない。


「オルデン、大丈夫だ。明日も早いから、寝られるうちに寝ておけ」


「う~、わかったよう」


 少し不満そうな顔を引っ込めて、ベッドに掛けられた布きれの中に潜りこんでいる。まあ、元凶の俺に言われたくはねえか。護衛初日から、ちょっと失敗だ。明日からは、又、注意していこう。くよくよしていても仕方がねえ。俺も今日は寝るとしよう。

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