第11話 蟲解体工

「……」


 黙々と、手を動かし作業を進めます。脚や触角といった物をもぎ取り、表面を拭いた甲羅を剥ぎ、翅を切り取り、腹を裂いての中の内容物を取りだします。内容物は壺の中に入れておきます。解体部位を集めた集積場は山積みの状態です。


「ソフィアの言う通り、腹の中身が香油の原料みたいなもんだ」


 一抱え程ある足をもぎ取った火間虫の腹を用意された解体用のナイフで切り裂き、白い内容物を手の平ですくいとり、脇にある壺へと入れたゲンさんは手に残る油の香りを嗅いでいます。

 火間虫大襲来の後に残った大量の遺骸は、職人街の一画に集められて解体されて香油の原料となる部分とそうでない部分に分けられます。

 脚などの部分は食用も検討されましたが、毒物を使用したのだから止した方が良いと提言がされたため今回は廃棄される予定です。

 今はこうして、香油となる甲羅の表面の油と、美しき女性で火間虫狩人の元締めでもあるソフィアさんから齎された情報で分かった、内臓物の脂肪分『油袋』を収集している状況です。




 あの大襲来から数日の間はバタバタとしていました。結局翌日には狩人組合から呼び出され、アシオーさん立ち合いの元に今回の騒動に対する事情聴取を受けました。ただ、大したこともなく、解放されました。

 ゲンさんは代わりに事情聴取後、ソフィアさんから事件とは関係のない質問攻めに合いました。

 帰り際に、銀貨を十枚頂きました。ゲンさんが「詫び料」かと、嫌な顔をして聞いたのに対して「駆除の報酬金ね」と笑いながらアシオーさんは答えました。ラティオさんや、サプルさん、ウム婆さんに対しても支払われたそうです。ただ、ウム婆さんは「大した活躍はしていない」と受け取りを断られたそうです。

 

 冒険者組合からも呼び出しを受けましたが、ランクの更新についてでした。炊き出しの件と合わせて、最低ランクの仕事をしている私達の状況をおかしく思ったラティオさんから、ゴブリン討伐の件について再度報告があり、今回の火間虫駆除二つの件に対する貢献度を考えると、ランクをDランクにしてもおかしくはないとの結論に達したということです。

 ランク更新料は、銀貨三枚でしたが、炊き出しの際に提供した、鹿肉とオーク肉の件でチャラにして貰えました。多分、鹿肉の値段が良かったのだと思います。

 

 ランクが上がったため、市内に入る際の入場税の支払いは免除となりました。毎週のように延長を行う必要がなくなり、面倒な事が一つ減って良かったと思います。又、Dランクからは護衛や、討伐系の依頼も受けられるようになります。

 だからと言って急に仕事の内容を変える様なゲンさんではありませんでした。昨日は一日かけて、リカーさんから泣いて頼まれ受注した『火間虫の遺骸収集人』の作業を行っています。

 そして、本日は急きょ決まった『火間虫の解体作業』の依頼作業に従事しています。狩人組合からの緊急依頼のため、やり手が集まらなく、ノモスさんからも拝み倒されました。緊急に解体作業が始まった原因は、多分、ソフィアさんとゲンさんの会話です。




「……俺も、成分だあなんだっていう難しいことは知らねえんだ。石鹸が油と水をなじませる作用で汚れを落としたりするって事位は知っている。作り方自体は、国で興味を持って色々と聞いたり、調べたりしたから知っているだけだ。専門じゃあねえんだ」

「では、あの湖の白く脆い石が、貴方の言う『ホウ砂』と言うものだと何故思ったのですか」

「あの湖は、淡水湖と言うには水に変な味がする。塩湖というには、それ程しょっぱくはねえ。周りで岩塩が取れているとも聞かねえしな。――それで、まあ、いわゆる鹹湖かなと思ったわけだ。どっかで温泉か鉱泉でも湧いているのかもしれねえ。俺達の国では、そう言った湖の跡地でホウ砂がよく取れたと聞いたことがある。旅先で見た事もあったから知っていたんだ」

「ホウ砂があれば、貴方の言うセッケンが作れるのですね」

「違う、違う。ホウ砂は固めるのに使うんだ。温めて溶けた獣脂、こいつは日にちが経った油なら結構なんでもいけるが、それに灰を水に付けて取れた上澄み液の灰汁をゆっくりとよく混ぜれば、とろりとした『石鹸液』ができる。『香油』を使えば、質の好い石鹸液も出来るかも知れねえ。そこに、ホウ砂とアンモニア代わりの尿を水で溶いた物を加えて、型に入れて一晩程度待てば、上手くいけば固まる。割合とか配合はそっちで調べてくれ」

「じゃあ今回の火間の遺骸から取れる『油袋』も使えるかも知れないわけですね。ところで、アンモニア代わりに尿を入れるのはなぜですか」

「良く知らねえよ、そう教わったんだ。本当は、少し発酵した状態の方が良いらしいが……」


 延々と続けられる質問攻めにゲンさんは辟易していましたが、この話を嗅ぎつけた誰かが冒険者組合に火間虫から取れる油を集める様に依頼をしたようです。多分、狩人組合長です。あの人も興味深げに聞いていましたから。


 ちなみに、今迄、香油の卸売りを一手にうけていたという「ブルガル商会」は、存亡の危機に立たされているようです。ガリーザさんやリカーさんの話だと、先代迄はまともな商売をしていて、都市の参事会でも古株の重鎮だったらしいのですが、商会長が代替わりしてから、商いが酷くなり、品質の悪い物を誤魔化して売り飛ばし、仕入れ先から強引に安く買い叩く等の振る舞いが多くなったらしく客も離れ始めていました。

 ただ、「香油の卸売り」を始めてから息を吹き返して、更に傲慢な商売に拍車が掛かっていたとのことでした。

 今回の件で、先代に恩を感じて残っていたまともな奉公人達は店を去り、会長は大襲来の責任を追及されているそうです。

 あの案内役は、冒険者組合から香油収集人夫が集まらなくなった為、金で雇った破落戸を使って、貧民街から攫うように男を二人連れていき、ろくな休みを与えずに油の収集をさせたと言っているそうです。

 あの日の昼間の内に手下の破落戸と香油を受け取りに、採取場へ向かうと火間虫は逃げた跡で骨になった管理人と採取人夫を見て慌てて都市に戻り、会長と対応を相談している最中に大襲来が起きてしまったということでした。

 

 

 

 そして今、私達の目の前には大量の火間虫の遺骸が山積みにされ、件の『油袋』の採取にいそしんでいるわけです。たとえ死んでいるとしても、気味が悪くて声も出ません。よくあの時は、まともに立ち向かえたものです。

 火間虫はまず、表面の油を良く拭き取り掴みやすくしておきます。布に染み込んだ油も傍らにある壺に絞りだし無駄にはしません。

 死んだときに脚を折りたたむような姿勢になっているため、腹を裂くには邪魔なので、ねじり切ります。力を入れ過ぎると腹から油が出て滑りやすくなるので注意が必要です。この時に、甲羅と翅も外しておきます。

 裸になった火間虫を裏返して腹を裂き、白い内臓『油袋』を傷つけないように、手の平ですくうように取りだし、これも壺に入れます。

 壺は一杯になると、別の場所に運ばれて不純物を取り除かれながら『香油』が生成されます。一つの壺は、五~六匹程度の火間虫をさばくと一杯になります。

 あの時、私達が燃やした大量の火間虫の遺骸は、南の堀に捨てられます。集めた卵鞘は、火間虫狩人の人達が処理をしました。ソフィアさんが言うには「本当は、無暗に火で処分すると弾けて危ない」と言う話です。今回は、離れた所にいたので危なくはなかったのですが注意をするように言われました。


「おう、やっぱり本職じゃあねえ奴の知識はたかが知れてる」


 頭を掻きながらサプルさんは、自嘲気味に乾いた笑いをしていました。すこし、ガリーザさんの目線が冷たかったのは内緒です。




「しかし、こっちの甲羅と翅なんかは捨てるには、何か勿体ねえなあ」


 後ろに山と積まれた、火間虫の甲羅の残骸を見てゲンさんは呟きます。火間虫の甲羅は他の昆虫に比べて柔らかくあまり使用用途はないので、火で燃やして更に細かく砕いて捨てることになっています。


「なにか、良い案があるのでしたら教えて下さい」


 前に、長身の人影が立ちます。黒いローブをまとい、前掛けを着け、黒く長い髪を一つにまとめた、目と鼻がはっきりとした美人――火間虫狩人の元締めソフィアさんが、作業用の椅子を片手に持って前に立っていました。

 ゲンさんが、嫌そうな顔を見せたのも気にせずに椅子を降ろして腰を掛け、前にある火間虫を手に取ると一緒に解体作業を始めます。美人がゴキを持って解体するのは、日本にいる時は、想像できる光景ではありませんでした。解体をする手を休めずにゲンさんに再度、問い掛けてきます。


「で、実際どうなのですか、貴方達の国では何かに利用をしているのではないのですか」

「俺達の国には、こんなにでかい火間虫はいねえよ。だがなあ、勿体ねえ気はするんだ」

「貴方達の国には洞穴火間虫はいないのですか。私からするとそちらの方が驚きです。まあ、いずれにしても勿体ないと言って捨てないでおくと、結局後で捨てるだけで取っておいた場所と時間が無駄になります」


 「まあ、分かってはいるのだがなあ……」とゲンさんは呟きます。お互いに喋りながらも解体する手は止まりません。器用なものです。話を聞いていた私としても、少しは提案をしてみましょう。


「ああ、油で水を、はは、弾くから、ああ、雨具は?」

「雨具、カッパや傘か。甲羅はともかく翅ならできるかな?」

「カッパ、傘、どのような物ですか」

「カッパは雨を弾くコートみたいなもんだ。傘は、手で持って雨を防ぐ道具だな」

「羽の筋は柔軟性に乏しいので、衣服を作るのには向きません。傘と言う道具は、雨を防ぐだけで他に何の役に立つのですか」

「いや、それだけの道具だな」

「……それ、何か意味あります?」


 あまり、評判の良い提案ではなかったようです。ゲンさんは私の肩を叩きます。


「まあまあ、しょげるなゴン。アイデアを出すのは良いことだ。ソフィアよ、人に聞いといて良い答えがないから文句を言ったり、馬鹿にしたりすると、誰も良い案を出さなくなる」

「……そうですね。注意をした方が良いですね」


 ソフィアさんはゲンさんに指摘されると、少し考えた後に苦笑いをして納得するように頷き返事を返します。


「他にも、何か考えはないのかい、ゴン」


 珍しく、私が提案をしたことに気を良くしたゲンさんがニコヤカに聞いてきます。まあ、先ほどの言を取るならば、ダメで元々、アイデアは出すだけ出してみましょう。


「かか、瓦や、しょしょ、障子紙の代わり」


 雨を弾くのならば、建築の材料として使えるかも知れませんが、ちょっと突拍子すぎたかもしれません。聞いた二人は、黙って何も言いません。呆れられたのでしょうか。


「瓦ですか……、少し大きい感じはしますが。ところで、障子紙とはなんですか」

「加工した木を格子状に組んだ窓に張る紙だ。外側には普通使わねえ。内窓に使う。多少だが、昼間は光も通す。翅も柔軟性が乏しいから、外に直に使うのはマズイか? それなら硝子だって同じ……」

「窓に紙を使うのですか。随分と勿体ない発想です。その代わりに翅を使う。陽の光は、確かに入るかもしれません。上手く加工すれば雨風も防げますか……」

 

 今まで動いていた手を止めて二人共考え始めます。二人が考えているのを解体しながら黙って見ています。


「……瓦や、窓の面材に使うとなると、今回手に入れた遺骸だけじゃあ、とても足りねえなあ」

「多分大丈夫ですよ。馬鹿が考えたこの案件、実は、王都からの依頼で以前から研究対象になっていたのです。今回の件でケチがつくかもしれませんが、馬鹿の管理不届きのせいであって、火間虫狩人の研究成果が駄目だったわけではありません」

「じゃあ、火間虫の養殖は、又、どこかで行われるって事か。もしかしたら将来は、もっと本格的になるかもしれねえと」

「そうです。今までも捨てるしかできなかった甲羅と翅が有効に利用できるとなれば、動きに拍車が掛かります。……失礼、ここの管理者と話をしてきます。あと、翅と甲羅は丁寧に扱って別々に集める様にして下さい。後で、窓への使い方についても相談をさせて下さい」

「その辺は、大工と話をしろよ。おい、聞いてるのか」


 ソフィアさんは、手にした火間虫の解体を済ませると、持って来た椅子をそのままに管理者が要る小屋へと向かって行きます。


「まったく、ほとんど病気だあれは」

「ハハハ、おお、面白い人だ」


 ゲンさんは、やれやれと言った感じで肩をすくめて、解体作業を再開させて、


「言っては見るもんだろ、ゴン。なかなか、良いアイデアだと俺も思ったぜ」


 手元から目を逸らさずに、褒める様な感じで私に話しかけます。少し、照れくさいです。そして、普段意見をあまり言わない私を諭すようでもあります。


 しばらくすると、管理者との折り合いをつけたソフィアさんが戻り、腰を掛けて解体作業を再開します。


「ゲン、ゴン。明日からは、その資材の山を分類することになったので、又、手伝いに来てもらえませんか。冒険者組合には依頼を出すように伝えてあります」

「ああ、ああ、わかったからそんな真摯な顔を向けるな」


 ソフィアさんは、ゲンさんの答えを聞きニッコリと笑います。美人の笑顔はとても画になります。……ゴキを抱えてさえいなければですが。

 結果的に、今後、狩りの合間に火間虫狩人の方達を集めて甲羅と羽根が、建材として利用できるかの検証をすることにしたそうです。


「そういえば、ソフィアは狩りに行かなくていいのかい。残存する火間を狩るのも忙しいだろう」

「他の人達に任せてきたので大丈夫です。気になるような洞穴には、私達専門狩人が虱潰しに当たっています。森で、はぐれた単体は冒険者組合に討伐依頼を出しておきましたから、見つけた冒険者達が処理をするでしょう」


 その後も、他愛もない話や、質問、考えについて意見を求められることが続きます。ソフィアさんも本当によく飽きもせず話が続くと思います。しかし、おかげで単調になり時間の経過が遅く感じる作業が、いつの間にか終了の時刻となっていました。


「お疲れ様でした。管理者小屋で、依頼完了の手続きをして下さい。それと、小屋の前にある壺の液体で油汚れを落としてください」

「おいおい、もしかしてもう試作品を作ったのか」

「ええ、香油は貴方達が言っていた職人が、壺で保管をしていたものを買い取りました。良い仕事をしているので、今後もその職人に頼むつもりです。私も試しに、試作品を使用しましたが、確かに油が落ちやすいです。私達、火間虫狩人にとっては、ありがたい品になりそうです」


 ソフィアさんの言う通りに壺の中にはトロミがかった液体、石鹸液がありました。私達が先に作った獣脂の石鹸液よりも不純物がなく綺麗に感じます。頭の小さい柄杓で液体を手に取り洗うと油が浮いて落ちやすい状態になります。


「あんまり強いと、肌の油成分を落としちまうから、よく調整をしてくれ。衣服を洗うなら、不純物を取り除いた獣脂でも十分なはずだ。その辺は値段とよく相談をしてくれ」

「そうなのですか、分かりました。もっと研究をしていきます」


 ゲンさんは笑いながら頼むぜといい、荷物からタオルを取りだします。荷物箱から取りだした、タオルの先に引っ掛かり、一冊の本が足元に落っこちます。「落ちましたよ」と手を洗い終えた、ソフィアさんが本を拾い上げて、目にした瞬間固まります。……以前にもあった光景です。


「ズイブント、オモシロイ、ホン、デスネ。「エ」ガ、イキテイル、ヨウデス」

「なんで棒読みなんだ。悪いが、幾ら積まれても譲らねえよ」


 野草ポケット百科を食い入るように見つめていたソフィアさんは、何かを言おうとする前にゲンさんに拒否をされて、口をとがらせて泣きそうな顔をしています。


「そんな顔しても駄目なものは駄目だ。さあ、返してくれ」


 渋々といった感じで野草ポケット百科を差し出して来ます。多分、写真の無いこの世界で、写真付きの図鑑は大変な貴重品になるのでしょう。


「……国に戻る機会があったら、お前の分も仕入れてくるから、絶対に内緒にしておいてくれ。ただ、先約がいるから、そっちが先になる。それと余り、言いふらされると、俺達はここに居られなくなるからな」

「分かりました。このことは、誰にも言いません。もし、虫系の本があれば、何冊でも引き取ります。お金は何としてでも用意をします」


 「分かった、分かった」と苦笑をしながら、ソフィアさんに生返事をしたゲンさんは野草百科を荷物の中にしまい込みます。あまり、変な所に入れておかないでもらいたいものです。


「なあ、ソフィアよ。この辺りの昆虫は皆あんなにでかいのかい。蜂も火間虫も俺達の国の昆虫より、かなりでかい。その割には、香油や虫肉以外に利用している風が見えない気がする」

「……以前は、防具や武具にも使用していましたが、ドワーフ帝国から、そこそこの値段で品質の良い鉄や、青銅製の物が出回り始めてからは需要が減っています。最近では虫甲加工職人の数も減り始めている状況です」


 俯いて寂しそうにソフィアさんは語ります。多分、ゲンさんも内心で首を傾げていると思います。有限な資源である鉱石等はいずれ枯渇するでしょうが、絶滅をするほど乱獲をしない限り昆虫ならばその心配はないのです。まあ、資源活用のために、様々な生物を絶滅させている地球の住人が言うことではありません。

 でも、私達の世界で欲するような昆虫素材も、こちらでは目を向けられることがないのかも知れません。それはそれで、少し勿体ないような気がします。

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