第10話 大襲来

 ――建物と建物の間を、耳障りなガサガサと言う音を立てながら大きく黒い塊の群れが、こちらへと向かってきます。足元に近寄ってきた一匹を、手にした錆びた短剣で素早く叩きつけます。白い液体が潰れた腹から出てきますが、まだ動いています。

 しかし、止めを刺す必要はありません。放っておけば後から来た者に集られて食べられてしまうからです。

 中央は私とゲンさんに、ハダスさん、両端をサプルさんとラティオさんが固めて道を塞ぎながら移動しています。後方には、土の術で進行を妨げるために術を仕掛けるガリーザさんとウム婆さんがいます。ウム婆さんは門の中に入りそびれてしまったようです。

 次から次へと建物の壁を這ってくる『洞穴火間虫』私達の知るゴキブリが巨大化した昆虫を、ゲンさんが思いっきり棍棒で叩き潰します。ラティオさんも手持ちの剣で叩き潰します。表面の油のせいで、切れ味が直ぐにダメになってしまったようです。


「クッソタレ、本当に切りがねえ! 威嚇をしたってビビらねえからやりずれえったらありゃしねえ!」

「貴方達と関わると、こうゆうことに遭遇しやすいのでしょうか?」


 苦笑いをしながら聞いてくるラティオさんに「知らねえよ!」と怒鳴りながら、地面から這ってきた一匹を叩き潰しています。一匹一匹は対して強くないため大したことはありませんが、何しろ量が多すぎます。


「ラティオ! 火の術で焼けば、盛大に焼けるんじゃないのかい!」

「ガリーザさん私達も一緒に焼けてしまいます。止して下さい」


 道幅いっぱいに堀と壁が立ち上がり、ゴキブリの波が分断されます。壁に阻まれ、後ろの進行が遅れます。

 しかし、一時的です。

 サプルさんには私が使っていた棍棒を渡してあります。ハダスさんは、蹴りあげたり、踏みつけたりして処理をしています。そのため、足の裏に油が付きすぎ歩きにくくなるため、時々、ウム婆さんに洗浄の術を掛けて貰わなければなりません。

 貧民街や職人街の方は、一路東の湖の方角へと逃げて行きます。しかし、逃げた所でどうなるのでしょうか? 東側には門がありません。私達もあまり広い場所に出ると逆に囲まれてしまう可能性も出てきます。


「ふん、どうやら火間虫どもは他の城門前にも集っているようだね。城壁の上に守衛がいやあしない。北は貧民の集まりだから、見捨てられたね」


 ハダスさんへの洗浄の術が終わった、ウム婆さんが城壁の上を見ながらぼやきます。いつもなら、篝火がたかれ始める城壁は暗いままです。夕刻が差し迫り、曇天の空はどんどんと暗くなってきます。すぐに、夜の帳が落ち始めることでしょう。

 分断され残ったゴキブリを始末して、少し距離を稼ぎます。術で作られた壁は、直ぐに乗り越えてくるでしょう。走りながら、ラティオさんが皆に問いかけてきます。


「しかし、距離を取っても仕方が無いように思います。一層、道が途切れて平野に出てしまう前に、ここで抗い続けた方が良いかもしれません」

「おう、しかし、体力が続かねえ。誰かの限界が来れば一気に集られちまう」

「増援は考えられねえのかい?」

「難しいだろうよ。こんな急な出来事じゃあ、他の城門に行った守衛も精一杯だろうさ。そもそも、見捨てた所に増援なんてよこしゃあしないさ」

「それにしても、油が飛び散って汚いったらありゃしないよ!」


 どうしても叩き潰して処理をする為、油が飛散して体に付きます。変な匂いではないのですが、ベトベトして気持ち悪いことには変わりはありません。「……洗浄、洗浄」と、ゲンさんがブツブツと呟いて考えています。ガリーザさんは自身に洗浄の術を掛けると、ラティオさんに提案をしてきます。


「先みたいにさ、私とウム婆さんで土の術で穴開けて落ちた所に火をつけたらどうだい? 油に一気に火が付いて、一網打尽に出来るんじゃないかい」

「おう、奴らは火を怖がる。大規模な火からは逃げるぞ」

「……火が付いただけで直ぐに死ぬわけではないでしょう。一所に留め続けられれば良いですが、向かってこられたら余計に厄介です。火間虫は壁も平気に這うぐらいですから、直ぐによじ登って来るでしょうし」

「あたしゃ、土系統の術は得意じゃないんでね。あんまり深い穴は作れないよ。奴らが這い出られない程深い穴作るなんて、とてもじゃないが霊力が足りないね」


 「じゃあ、どうするんだい!」とガリーザさんが天を仰いで怒鳴ります。「洗浄、穴、洗浄、穴……」と、ゲンさんがブツブツと呟き、ハッと顔を上げます。


「いや、いけるぞガリーザ! いい提案だ!」

「ア、アンタは賛成なのかい! 珍しいじゃないか」

「火を付けるのは、ラティオの言う通りになるかもしれねえから、代わりにこいつを使おう。それと、この中で足の速さに一番自身のある奴は誰になるんだい?」

「おう、俺だ。ハダスにはまだ負けないだろう」

「じゃあ、一走りして、湖側へ逃げているリカー嬢ちゃんに伝えてくれ。湖にある白い石の結晶をできる限り多く集めて持ってきてくれと。それと、風の術を使える奴らも一緒に連れてくるようにとな」


 ゲンさんは、私の背負っている荷物の箱の一つを叩きながら、サプルさんに指示を出します。ゲンさんが叩いている箱の中に入っているのは、先日作った『石鹸』が入っています。



 道が途切れ、平野が広がります。さらに東へ行けば、水汲み場の湖があります。道の橋から広く浅い穴を作ります。穴を作った分だけ周りに土手のような壁が盛り上るので、土を押しのけた感じがします。ゲンさんは、荷物から石鹸を取り出し温めて溶かすようにガリーザさんに指示を出します。

 ガリーザさんが、ボソボソと口を動かし手を振れると石鹸は徐々に溶けだしていきます。


「ずいぶんと滑りやすいね。溶かしたらどうするんだい」

「水で薄める。薄めすぎると、石鹸溶液としての役目を果たさねえかもしれねえ。程々にな」

「はあ? そんな大量の水、あたしは術じゃあ作れないよ」

「おいおい、それじゃあ不味いんだ、これっぽちじゃあいくらなんでも足りねえ」


 できた石鹸液を前にヤイヤイと言い争いをするゲンさんとガリーザさんの頭の上から、大量の水が降りかかります。土手の上に私と一緒に立っていたウム婆さんがヨロヨロと倒れて膝をつきます


「だだ、大丈夫か」

「大丈夫じゃあないよ。霊力を使い過ぎたのさ。さあ、肩を貸しておくれよ、ゴン」


 立つのもつらそうに見えるので、屈みこんで、ウム婆さんを担ぎあげます。とても軽いです。ウム婆さんはコホンと咳払いを一つして、ゲンさんに向かって声を掛けます。


「そんだけありゃ問題ないね」

「……ああ、十分だ。頭も冷える」


 ゲンさんはずぶ濡れのまま、水の中を歩きます。石鹸溶液を撹拌させているようです。気づいた、ガリーザさんが術を使い始めると、水が緩やかに波立ちます。


「風の術なら得意なもんさ。あん時と同じさ」


 作業が終わると同時に、道の向こうからゴキブリの大群が押し寄せてきます。ゲンさんとガリーザさんは慌てて、土手の上に上がってきます。


 ゴキブリは石鹸液が混じった水につかるとしばらく歩いて、動きを止めます。濡れた触角が力なく倒れています。死んだようです。死んだゴキブリに集る物も、水に浸かると死んでいきます。しかし、次から次にと湧いてくるゴキブリの数に術で作った穴は徐々に満たされて行きます。


「……やべえな。数が多すぎる。それに、死ぬのが早すぎだ。せめて、土手を超えてから死んでくれ。幾らもしねえで、遺骸の上を渡り始めちまう。リカー嬢ちゃん達が間に合わねえ」


 死んだゴキブリに集りながらも、徐々に土手の前まで黒い群れは近付きつつあります。予想と違ったのは、遺骸を食べたゴキブリ達が堀の方へと向かい始めたことです。これで、少し時間が稼げましたがたかが知れています。


 ――しかし、その僅かな時間のおかげでリカーさん達が間に合いました。風の術を使える方達と共に、湖で見た白い塊を手に持っています。


「こ、こんなもの何に使うんですか? ただの白くて脆い石のはずです。市内で使う人はいません。使い道がないのです」

「いいや、使い道はある。こいつは多分、『ホウ砂』だ。俺達の国では、ノミやダニ、そして、このゴキ、火間虫の駆除に使うんだ。なるべく粉にしてくれ。出来上がった粉を風の術で火間虫どもに吹きかけろ! 粉は吸い込まないようにしてくれ、少ない分には死にはしないが毒には変わらねえ!」


 話を聞いていた人達が、急いで石を砕いて粉にしていきます。術を使える人達が、出来上がった粉を前にして、風の術を送り、向かってくるゴキブリ達に吹きかけていきます。


「おう、ゲン、こんなやり方は火間虫狩人の連中も多分知らない。本当なのか!?」

「ああ、間違いねえ。奴ら、遺骸を食ってドブの堀に向かった。多分、ホウ砂交じりの溶液を一緒に食ったせいだ。俺が知るより、効き目が早すぎるが、もしかすると耐性が無かったのかも知れねえ。ありゃあ、脱水症状起こして、本能的に水場に向かったんだ」

「それにしても、何でアンタの作った「石鹸」を溶かして混ぜた水に入ると火間虫共は死んだんだのさ? もしかして、あれも毒だったのかい?」

「石鹸自体はまあ、食い物じゃあねえが、毒でもねえ。触れた所で問題はねえ。俺達は、汚れや油を落とすのに使うんだ。只の水じゃあ、表面の油で弾く火間虫も、油となじむ石鹸溶液に、呼吸器を塞がれて死んじまう。こいつも、俺達の国じゃあ知れていることだ」


 ホウ砂の塊は、次々と運び込まれます。逃げた人々が手伝いに来てくれているようです。リカーさんに、小さい子供は手伝わないように伝えなければいけません。化学の実験で使うホウ素は小さい子供だと少ない量でも致死に至る場合があるはずです。持って来てくれた方達も、触れた部分を水で良く洗うように伝えてもらう必要があります。


 話を聞いたリカーさん達冒険者組合の人は、小さい子供達が手伝うのを止めさせ、遠くに離してくれます。アエラキさんとオルデンさんが手伝いたそうにしていましたが、訳を話して距離を置いてもらいます。ここは、大人に任せて貰いましょう。

 ホウ砂の効き目は劇的でした。粉を浴び白くなったゴキブリ達は、動きが遅くなりノロノロと水場に向かおうとします。行き着く前に死ぬもの、堀に落ちてのたうち回りながら死ぬもの――ホウ砂を浴びたものは、確実に死んでいきます。向こうの世界では、ここまでの効果はないでしょう。サプルさんが言った通りなら、今までホウ砂を使われたことがないこの世界の火間虫達にとって、駆除材は猛毒だったのかもしれません。


 東に向かう、黒い群れの流れは止まりました。サプルさんがゲンさんに言います。


「おう、ゲンよ、火間虫の遺骸に火を掛けた方が良い」

「危ねえんじゃねえか。多分、油のせいで盛大に燃えるぜ」

「おう、確実にこの中に卵が残っている。放置すれば、又、大量発生だ。直ぐには孵らないが早いに越したことはない」

「だとよ、ガリーザ」

「はいはい、まったく人使いが荒いよ。アタシも霊力が尽きちまうよ」


 ガリーザさんが口の中で術を唱え、杖を突き出すと遺骸の一角に火が付きます。

 思ったほど、火の勢いは強くならず、広がる感じで燃え移っていきます。香ばしい匂いがあたりに漂います。見た目と違い、良い香りです。


「香油の蝋燭に似た匂いですね」


 ホウ砂を粉にする作業を止めた、ラティオさんが声を掛けてきます。


「うん? そりゃそうだろう。これから、香油を産出しているんだからなあ」

「ハイ? アンタ、今なんて言った?」


 顔を引きつらせたガリーザさんが、問いかけてきます。首を傾げたゲンさんが答えます。


「知らねえのかい? お前達は香油採取の仕事したことねえのか。香油っていうのは、洞穴火間虫から出来てるんだ。蝋燭とかに使ってるんだろう」


 うげえ、と言った顔をガリーザさんがしています。知らなかったのでしょう。「もう、香油蝋燭使えない……」と言っています。もしかして、余り周知されていないのかもしれませんね。


「おう、リカー嬢さん住居に入る前に、しらみつぶしに残存火間がいないかよく調べた方が良い。一匹自体は弱いだろうが、一般人に取っちゃ十分脅威だ。奴らは、ちょっとした隙間でも入り込むから、もしかすると住居に潜んでいるかも知れん」

「そうですか、分かりました。申し訳ありませんが、もう少し皆さんのお手伝いが必要です。よろしくお願いします。私達は、この白い粉を他の門まで持っていきます」


 サプルさんに言われたリカーさんは、こちらへと向き、ぺこりと頭を下げてきます。こうなれば、最後まで付き合うしかありません。ホウ砂を持ち他の門への助勢に行ったリカーさんと、霊力を失い、他の人に担がれたウム婆さんは市内の方へと戻っていきます。


 住居を一軒ずつ確認していきます。サプルさんの言った通り、貧民街にあるバラックは隙間だらけのため、大多数の家屋の中には洞穴火間虫が潜んでいました。数の少ない成虫を駆除するのは、大した問題はありません。


「おう、卵は割らずに一か所に集めてから燃やす。一個ずつ燃やしていたら、霊力の無駄だ」


 逃げ戻って来た人達も一緒に手分けをして、家屋内を点検します。拳二つ分くらいの、卵鞘がたまに見つかります。表皮が固く、簡単には割れませんが、もし割ると中身の幼虫が飛び散るように飛散し、後に火間虫が発生する原因になると言われました。


「湖の白い粉を部屋の中にまき散らせば、卵ごと駆除できるんじゃないのかい」

「いや、駄目だと思う。ホウ砂はゴキ、火間虫の卵には効果がねえと聞いたことがある」

「それに、ゴンさんの話では人に対して完全な無毒ではないようですしね」


 ガリーザさんは、今回も出した意見を皆に否定され、口を尖らせ拗ねてしまいます。気付くと徐々に、北城壁にも篝火が焚かれ始めます。どうやら、他の門の駆除も成功したみたいです。ホウ砂は役に立ったのでしょうか。


 調べ終えたバラックから狭い路地へと出てくると同時に門のある方角から、複数の人がこちらへと向かってきます。いまさら、増援がこちらに向かってきたのでしょうか。

 私の見当は外れて言いました。二十人程の人相の悪い男達を引きつれて来たのは、黒いローブを目深にかぶった香油採取人夫の案内役です。私達の方を指差して喚き散らし始めます。


「こ、こいつらだ! 冒険者組合経由で頼んで手配されてきたのは、こいつらで最後だった! こいつらが、洞穴の火間虫や潜り戸に何か細工をしたのだ!」

「誰だ、手前は。――あん、よく見りゃあ、あん時のゴキブリ野郎か! 金も払わねえで、次は訳の判らねえ言い掛かりか! 上等だ、言った通りに叩き潰してやらあ!」


 黒ローブの喚き声をかき消すように、ゲンさんの怒声が響き渡ります。棍棒を構えて、完全に臨戦態勢です。後ずさりをして、完全にビクついてしまった黒ローブを押しのけて、短剣を持った人相の悪い大柄の男が前に立ちます。


「でけえ声にビビってんじゃあねえよ、だらしがねえ。おう、えせドワーフとトロルもどき、お前ら二人が、洞穴火間虫に何か細工をしたことになってんだ。いいから、黙って来い。痛い目に――」


 ゲンさんは、こちらに、意味の分からないことを言い始めた、体格のいいリーダー格の男が喋っている途中、開いた口に棍棒を突き入れます。あの棍棒先端にゴブリンの牙を仕込んであるので、口の中は滅茶苦茶になっているでしょう。歯も何本か飛び散っていました。棍棒を引き抜くと同時に、泣いて蹲った男の顔面に前蹴りを放ちます。


「意味の分からねえこと、言ってんじゃあねえよ。おい、ゴキ野郎、手前また俺達にいちゃもんをつけて、罪を擦り付けようとしていやがるな。もう黙っちゃいねえぞ」


 蹴られて気を失った男の顔を踏みつけるゲンさんを見て、残った男達が一気に殺気づきます。各々、手にしたナイフや短剣を手にこちらに襲い掛かろうと身構えています。


「き、貴様ら、私はブルガル商会の番頭だ! 歯向かえば、ブルガル商会を敵に回すんだ! 貴様らのような最低ランク冒険者の仕事を無くすことなんて簡単なことなんだぞ!そ、それに――」


 男達に隠れ、馬鹿なことを喚いている案内役の男の話の途中で、堪えきれなくなったゲンさんが相手取った男達に飛びかかりました。急に飛びかかられて、対応の遅れた一番手前の男の懐に飛び込み、顔面に棍棒で軽く突きを入れ、バックハンドで頭部を叩きます。相手が死なないか心配です。

 私は、ゲンさんと違い、獲物を持っていません。錆びた短剣はありますが、使えば殺してしまう可能性が高くなります。流石にこの世界でも、人殺しはしたくありません。亜人は殺してしまいましたが、あれは獣の類と割り切ります。しかし、ゲンさん一人だけに任すわけにもいきません。

 申し訳なく思いましたが、出てきた家屋の建て付けの悪い木戸をもぎ取ります。ラティオさん達と目が合いました。


「てて、手出し無用で」

「……いいのですか、手伝いますよ」

「ふふ、二人で十分」


 剣呑な雰囲気のラティオさんは短剣に手を掛けて、ハダスさんもサプルさんも相手を睨みつけ唸り声を上げています。ガリーザさんは杖で肩を叩き、ニヤニヤしています。


「ゴンにしては、言うじゃあないか。まあ、わたしも十分だと思うよ。あの、ローブを着た下衆は術士だから気を付けなよ」

「わわ、分かった」


 男達相手に大立ち回り中のゲンさんの加勢に向かいます。手にした木戸を、水平にして相手の方に思いっきり振り回します。何人かの男が当たった拍子に転がります。見た目の割には足腰が弱いようです。一人、短剣を振りかざし向かってきたので、間合いに入る前に片手で持った木戸で腹部を着くと、くの字に曲がって飛んでいきます。こちらは、軽いようです。


「おいおい、やり過ぎるなよゴン。殺すと後が大変だ」

「わわ、分かっている。げげ、ゲンさんこそ、やや、やり過ぎだ」


 ハハハと渇いた笑いを上げて「そうだな、気を付けよう」と答えていますが、殺さなくとも手を抜く気はないのでしょう。加勢に入った私を見て、男達は青ざめています。


「ふ、ふざけるなよ、見た目や体格は違っても、肌人種だって聞いたのに……こいつら、本物のドワーフとトロルじゃあねえのか!?」

「あ、あんな扉、普通片手で持ちあがらねえよ!」


 男達が、失礼な蔑称で私を呼ぶので木戸を投げつけてやります。避け損ねた、一人の男の鼻に当たり、血を流しながら崩れ落ちます。その男の後ろには、ゲンさんに向けて、杖を前に出している案内役の男がいます。ローブの奥の口がボソボソと動いています。

 ――直感的に、ローブの男との間合いを縮めて、前蹴りを金的に放ち、痛みで前かがみになった男のローブと腰帯を持ち、バラックの壁に放り投げます。投げられた男は壁を突き破り、刺さった状態になったので、足を持って引きずり出します。失神したようです。これで、術は使えません。


「ああ、壁を壊しやがって、やり過ぎるなと言ったばかりじゃあねえか」

「すす、すまない」


 瞬間、頭に血が上りやり過ぎてしまいました。周りを見ると、男達は完全に及び腰で戦意を喪失したようです。ゲンさんが低い声で男達を威嚇します。


「おい、まだやるかい」

「もう、いいんじゃないのかね」


 男達の後ろから、飄々とした声が聞こえました。全員の目が、そちらに向かいます。そこには、狩人組合長のアシオーさんとノモスさんに、リカーさんが立っていました。傍らには四人の守衛さんの他にもう一人、見知らぬ長身のローブを被った人がいます。


「まったく、たいした暴れっぷりだね。ゲンさん、ゴンさん」

「久しぶりだな、アシオーの爺さん。今更、何しに来た」

「そう言うな、ちょっとそこの男に用があってね」


 ノモスさんが先頭にたち、ひと睨みしてから男達を払いのけます。男達は皆、恐れた顔をして素直に道を譲ります。失神した案内役の男に、手のひらに収まる小さい壺から液体を振りかけて何かの術を掛けると、傷ついた部分が塞がり、男は目を覚まします。アシオーさんは懐から、見た事のある板『審議判定板』を取りだし男の手に当てます。


「目が覚めたかね」

「こ、ここは、おお、狩人組合長、き、聞いてくれ、野蛮なトロルもどきと、下品なえせドワーフに襲われた。あ、あいつらブルガル商会の管理する香油採取場に細工して今回の事態を起こしたんだ! 間違いない、信じてくれ」


 審議判定板は赤く光ります。男は何か、嘘をついています。ようやく、審議判定板に気付き、男はギョットします。アシオーさんは、審議判定板をゲンさんに渡します。


「お前さんは、こいつの言う香油採取場に、今回の事件に関わるような細工をしたのかね」

「してねえよ」

「しし、していない」


 私達の答えに、板は反応をしません。嘘ではないから当たり前です。ノモスさんが、男の胸元をつかみ、低い声で問いかけ始めます。


「……貴様、何をした。貴様の言う、香油採取場から三つの骨が確認された。俺の元には、そう報告が来ている。二つは洞穴の中から、もう一つは掘立小屋の中からだ。小屋の骨は、あの管理人だろう。だが、洞穴の二つの骨は誰だ? 冒険者組合は、ゲンの事があってから依頼内容見直しのため、香油採取の依頼を受けていない」

「し、知らない、知らない、私は何もしていない! ほ、本当だ!」


 男は、泣きそうな顔をして必死に訴えかけますが誰も信じる人はいないと思います。しかし、予想外の人が予想外の事を言い始めます。


「ああ、お前は何もしてねえだろうな。なーんにもな」

 

 ゲンさんが呆れた顔をしながらとんでもないことを言いました。ノモスさんが驚いた顔をして、ゲンさんに問いかけてきます。


「ゲン、お前は何かを知っているのか!?」

「なーんにも知らねえよ。ただ、その男も、死んだ馬鹿な管理人も、きっと、なーんにもしてねえだけだ」


 真意を掴めないゲンさんの言葉を聞き、リカーさんの傍らに待機していた長身の人が、案内役の男に詰め寄ります。


「正直に言いなさい。貴方、どのように火間虫の管理をしていたのですか」

「知らない、知らない、何にもしていない!」


 男は、半狂乱に首を振り「知らない、していない!」を繰り返します。長身の人はローブを払いのけて、顔をあらわにします。――黒く美しい長い髪をした美しい女性ですが、怒りで顔が歪んで般若の様です。


「知らない、していないって、まさか、火間虫養殖をする際に伝えた、私達、火間虫狩人の指示を何も守らなかったですか! 定期的な清掃に、成虫と卵鞘の間引き、これをしなければ狭い空間で爆発的に火間虫は増えてしまうに決まっているじゃないですか! 貴方、自分のやったことわかっているのですか、腕が悪くても元火間虫狩人でしょ!」

「き、気持ち悪い火間虫の巣の中に入ってそんなことできるわけないだろう! 下賤な火間虫狩人のいうことなんか聞いていられるか! 火間虫なんて、放っておけば共食いをして勝手に減るんじゃないのか、違うのか」


 長身の女性――火間虫狩人は、顔に手を当てて「これ程の馬鹿だったなんて……」と呟きます。案内役の男は、虚ろな目でへらへら笑いながらぼやき始めます。


「へへ、良いじゃないか。市内に被害はでなかったのだろう。途中で撒いた、白い粉のおかげで火間虫の大群は殲滅できたじゃないか。もう、問題は無いだろう。こっちは、香油採取場の火間虫が全部いなくなって大損をした。俺は、間違いなくクビだ」

「クビじゃあ済まないね。お前さんにはもう少し詳しく話を聞かなければならないね。狩人組合と交わした協定違反、火間虫大繁殖の原因、洞穴に残っていた二組の骨。ブルガル商会自体叩けばまだまだ、埃がでそうだね」


 「イ、イヤダ」と抵抗をしようとする男の顔に、槍の石突が叩き込まれます。「抵抗するな」と冷ややかな目で守衛さんに言われ、手に縄、口に猿轡を噛ませられた案内役の男は引きずられる様に守衛に連れていかれます。


「俺達も一緒に行くようかい」

「いや、もう少しあの男から事情を聴いた後だね。審議判定版で、今回の件について何かを細工したわけではないと、分かっているからね」


 いずれは、呼ばれるということでしょう。残った人相の悪い男達は、いつの間にか来ていた衛兵さん達に縄を掛けられて、連行されて行きます。抵抗をする気はないようです。


「さて、じゃあもういいよな。こんだけいりゃあ、残りの作業は任せてもいいだろう。俺達は用済み、帰らせてもらう」

「いいえ、少しお話をさせて下さい。あの、白い粉と、セッケンと言うものについて」


 火間虫狩人の美しい女性が微笑みを浮かべて、ゲンさんの肩に手を置いています。たおやかな笑みですが、逃がさないと言った感じが滲み出ていて、少し怖いです。女性の顔を見た、ゲンさんも引きつった笑みを浮かべています。


「まず、火間虫の油となじむと言うセッケンはどのように作ったのですか」

「お、おお、あれはだな溶かした獣脂と灰から作った灰汁を混ぜてトロミがついたら、湖で取れるホウ砂を水とアンモニア……は、なかったから俺の小便を混ぜて固まらせ「ちょっと、待ちな」」


 ゲンさんが石鹸の作り方を、早口に説明するのに被せてガリーザさんが、片眉を上げてゲンさんに問いかけます。不味い用語が一つ混じっていました。


「いま、最後の方になんて言ったんだい」

「だから、ホウ砂と水と俺の小便……あ、いけねえ」

「アンタの汚水が混じった物体を、アタシは触ったってことかい!」


 振り下ろされた杖をひょいと交わして、ゲンさんは一人、職人街の方へと走って逃げて行きます。怒りの顔をしたガリーザさんと、慌てた顔をした火間虫狩人の女性が二人して追いかけ始めます。


「ま、待ってください! まだ、話の途中です、貴方、余計な邪魔をしないで下さい」

「そう言う訳にはいかないんだよ! こっちの沽券に係わるのさ!」


 二人の女性は、ヤイヤイ言いながらゲンさんを追いかけます。


「おう、羨ましいなゲン! 美女に二人追いかけられてモテモテだ!」

「変わってやるよ! サプル!」


 サプルさんの掛け声が聞こえたゲンさんは、遠くから叫んでいます。「おう、お断りだ」と笑いながらサプルさんは言います。それを聞いたラティオさんも、ハダスさんも笑っています。

 ゲンさんはいつもの場所で野営をしていれば、そのうちに戻って来ることでしょう。怖い思いも、嫌な目にもあいましたが――終わりよければ全て良しとしましょう。

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