第6話 香油収集人夫

「こここ、この仕事は、ももも、もう絶対にしない!」

「……今回の依頼を選んだのはお前だ、ゴン。文句言うな」


 暗く、湿った洞穴の中で私は叫びます。ゲンさんが抑えこむ蟲の甲羅を、渡された布でふき取り、染み込んだ油を木桶に絞りだします。「香油」と呼ばれるこの油は確かに、芳しい香りがします。床は虫から出た油のせいで、ぬるぬると滑るため脚を踏ん張って転ばないようにします。先ほどまでは、大した作業じゃあないと思っていたのですが――




「薬草採取の依頼、無事完了しましたか」

「ああ、問題ねえな。きちんと報酬を貰った」


 依頼書が張られている掲示板の前に立つと、受付のリカーさんが声を掛けてきました。ゲンさんからあっさりとした、予想外の返答を聞いて、ポカンとしています。


「そ、そうですか。良かったです。ウム婆からは、次に担当した人が下手な物を持ってきたら、冒険者組合には、もう依頼を出さないと言われていましたので」

「まあ、そう言われるかもしれねえな。ちたあ、採取の仕方なんかも若い連中に教えた方が良いともうぜ」


 逆にゲンさんから指摘を受けてしまい、リカーさんはムウとした顔で考え込み始めてしまいました。ゲンさんは、気にも留めずに掲示板を眺めていましたが、ふと私の方に顔を向け、


「ゴン、今回はお前が仕事を選べや。毎回、俺じゃあ申し訳ねえ」

「いい、いや、べべ、別に構わない」

「そう言うな。こうゆうことも経験だ。たまには、お前の考えも聞いてみねえと」


 そう言われると、引くに引けません。日本でも、仕事はゲンさんが探し出します。私は、一緒に付いて行くだけです。ゲンさんが選ぶ仕事は大抵、力仕事なので問題はありません。考えてみると、いつもゲンさん任せでした。確かに良いことではありません。

 掲示板に張りだされた依頼書を一つずつ確認していきます。討伐系の依頼は、ランクが低くて受けることは出来ません。私達は、歳は食っていても駆け出しのEランク選べる仕事も限られてきます。

 最終的に選んだ依頼は「香油収集人夫」を選びました。きっと、油分を多く含む植物か何かを絞る作業でしょう。多分、力仕事の類です。


【依頼書】 香油収集人夫

 明日の日の出までに、西門に来ること。担当者が、収集場所まで案内をする。報酬は作業終了後、作業証明書と引き換えに冒険者組合より銅貨五枚が支払われる。収集場所は、転びやすいため、必要な保護具は持参する。暗いが火気の扱いは厳禁とする。食事は持参のこと

作業内容:所定の数量の壺を油で満たし、職人街の「油加工場」まで運び込む。

依頼者 :商業組合所属 ブルガル商会

ランク :E


 私は代筆のサインをしてもらうため、リカーさんに手にした依頼書を渡します。まだ、考え込んでいたリカーさんは、こちらに気付いて依頼書を受け取りますが、依頼内容を見た瞬間に明らかに顔をしかめます。


「ハア、毎回毎回貴方達は、人気のない依頼を選びますね。意図的にですか?」

「……ここ、故意じゃあない」


 どうやら、今回の依頼もハズレ、ゲンさんにしたら当りかもしれませんが。


「どんな、作業なんだい」

「まあ、読んで字のごとく香油を集める作業です。「ヒマ」という蟲から取れる油を集める作業になります。作業的には楽だと言われていますが、二回目を受ける依頼者はいません」

「その程度の作業内容なら断る理由もねえな。受けるぜ、サインを頼む」


 選んだのは私ですが、結局受けたのはゲンさんになってしまいました。まあ、私も断る気はありませんでしたから良いでしょう。しかし、力仕事ではないようですね。

 ふと気付くと、アエラキさんが私の傍に忍び寄っていました。手に持つ布袋をジィと見つめています。どうしたのでしょうか。微動だにしないアエラキさんの代わりに、オルデンさんが先に挨拶をしてくれます。


「こんにちは。ゲンさんにゴンさん。依頼選びかよう」

「ああ、こんにちはだ、オルデン。もう、選び終わった。香油収集人夫だ」


 オルデンさんはこちらから目を背け、下を見ながら少し震えています。


「そ、その仕事は思い出したくないよう。頑張ってくれよう」

「そうかに、あんなの大したことはないに。案内人と管理人が嫌な奴に」


 袋に目を向けたまま、アエラキさんもポツポツと喋ります。人によって、随分と印象が変わる仕事の様です。ゲンさんが、アエラキさんの様子に訝しげな雰囲気を感じ心配そうに声を掛けます。


「アエラキ、どうしたゴンの布袋が気になるのか?」

「うん、とっても気になる匂いがするに」

「にに、匂い?」


 なにか、そんなに変な匂いがするものは持っていないはずです。しかし、ゲンさんが「あっ」と声を出して、私の持つ袋をあさり、中からビニル袋を取りだします。中身を手に取り、アエラキさんの目の前で手を開きます。


「こいつが原因だろ」


 ゲンさんの手の中には「マタタビ」こちらで言う、「ゴブリンの瘤」がありました。しまった、すっかり忘れていました。アエラキさんの目と尻尾がせわしなく動き始めます。


「ゴブリンの瘤かよう。これがどうかしたかよう、アエラキ」

「どど、どうもしないに。森で見かけてもなんともないに。欲しいとも思わないに」

「ん、そうか。じゃあ、しまうか」


 悪い顔で笑うゲンさんが手を閉じると、アエラキさんががっかりとした顔を見せ、尻尾が下に下がります。手を開くと、再び目と尻尾がせわしなく動き出します。面白がって、ゲンさんが二度、三度と繰り返しています。私がオタオタとしているうちに、リカーさんがゲンさんの頭を後ろから引っ叩きます。冷徹な顔をしてゲンさんに注意をします。


「……ゲンさん、知らない人も多いので言っておきますが猫人族にとって、『ゴブリンの瘤』は理性を狂わせる、禁忌の実と言われています。絶対に渡さないようにして下さい」

「あ、ああ、分かったぜ。悪かったな、アエラキ。知らなかった。許せ」


 そう言って、マタタビの実をビニル袋に入れ、布袋の中に戻します。こちらでも「猫にマタタビ」は健在なことが分かりました。

 「し、知らかったよう」とオルデンさんも吃驚しています。アエラキさんは、がっくりと項垂れています。禁忌の実なんでしょう?


「油を取り扱いますので、暗いからと言ってランプや松明の類の使用は依頼している商会より禁止されています。術で明かりを灯す分には構いません」

「オルデン達は、どうしたんだい」

「僕達は、夜目が効くよう。暗くても大丈夫だよう」


 ゲンさんと相談して、明日は持参しているヘッドライトを持っていくことにします。油で汚れやすいので、カッパと長靴を着用していくことにしましょう。ちなみに、ゴブリンの瘤ことマタタビはゲンさんの焼酎で漬けることにしました。後で、容器を購入する必要がありますが、どこで売っているのでしょうか。




 朝日が昇る前の暗い時分に朝食を済ませた後に、南門の守衛さんに荷物を預け、西門へと向かいます。LEDの懐中電灯で道を照らして進みます。周辺で野営をしている人達も、起きていたり、いなかったり様々です。

 暗い、西門前の橋のたもとで待つのは私達だけです。待つことしばし、朝日が昇る頃に、門から二つの壺を載せた荷車を牽いた依頼の案内役がこちらに来ます。

 依頼人は黒いローブを目深にかぶり顔の判別が出来ません。中背ですが、体格はローブに隠れて分かりませんが、多分男でしょう。ゲンさんが依頼書を手にして、相手に見せます。


「香油収集人夫の作業を受けた、俺がゲン、こっちがゴン。依頼の担当者かい」

「……案内役だ。付いて来い。荷車を牽け、壺を落とすなよ、落とせば報酬はださん」


 黒ローブの人は、ボソボソと聞きづらい小さな声で指示を出して、さっさと前を歩き出します。私が荷車を牽き、ゲンさんが後ろで壺を抑えます。

 都市から北西の方向に、進んでいきます。小休止を挟み、昼食も持参していた干し肉を齧って済ませます。一体どこまで行くのでしょうか。これでは、陽が暮れてしまいます。


 陽がだいぶ西に傾き森は暗くなってきています。ようやくたどり着いた目的地と思われる場所――日向の森と、日蔭の森の境に――その掘立小屋はありました。

 丸太の柱を地面に差し、外壁代わりに粗末な木の板を張り、葉の付いた枝を屋根に載せて雨よけにしています。粗末ですが、何とか風雨は凌げると思われます。ただ、強風が吹けば飛んでしまいそうです。小屋の少し後ろには、洞穴の入口が見えます。

 

 案内役の男が、掘立小屋の中に入ると入れ替わるように無精ひげを生やした、胡乱な目付きの怪しい痩せた中年の男が出てきました。待機している私達の方に来ると「フン」と鼻を鳴らしてから、見下すような目線を向けてから喋りだします。


「俺は、この洞穴の管理人様だ。ほれ、壺を持って洞穴に入れ。やり方を教えてやるから、付いて来い」


 喋る息は酒臭く、顔は赤くなっています。この様子を見ると、多分、昼からずっと飲んでいたのでしょう。


「……今から作業を始めるのかい」

「あん、文句があるのかよ、え、嫌ならこのまま帰れ。冒険者組合には依頼放棄で罰金を請求してやるからよ」

「分かった、文句はねえよ。洞穴へ行こう。教えてくれ」

「ケッ、威勢のいいのは面だけだな。所詮は、貧民冒険者か。ま、まあいい。付いて来い」


 途中で、ゲンさんの目付きが座ってきたのに恐怖を感じたのか、男は目を背けて洞穴の方へと急ぎ足で向かって行きます。どうやら、大ハズレの依頼を受けてしまったようです。


「すす、すまん、げげ、ゲンさん」

「お前が謝ることじゃあねえ。あの依頼書だけじゃあ、こうゆうことまでは分からんさ。今までが出来過ぎていたのさ」


 「早く来い!」と、離れた所から怒鳴る男の後を追い、洞穴へと向かいます。男が洞穴の入口付近で、ボソッと声を出すと男の目が少し光ります。


「暗いが、火なんて着けるんじゃあねえぞ、辺りは一面油だ。直ぐに火がついちまうからな」


 自分だけ、暗くても大丈夫なように目に術を掛けた男は暗い洞穴の中をどんどんと進んでいきます。荷物の中から、LEDのヘッドライトを取り出し、頭に付けて足元を照らします。急に足元を照らされ、吃驚した男がこちらに振りむき「あっ」と声を出して、両目を手で隠し、大声を出します。


「手前ら、勝手に照らすんじゃねえ! 早く消せ! 目、目が痛え! どうしてくれる!」

「ん、すまねえな。急に消すことは出来ねえ術でな。火じゃあねえから安心してくれ」


 クソ、と声を出して、ボソと言うと自分で目にかけた術を解いたようです。男はきっと、夜目が効くように、目の光の感度を上げるような術をかけ、私達が点けたLEDの光を見たため目が眩んだのでしょう。


「そ、そうゆう術があるんなら先にやれ馬鹿どもが!」


 怒り出した男が、ライトに照らされた洞穴の中をフラフラと進んでいきます。本当に、身勝手な男です。

 洞穴の中の道は、壺を持った人が進める程度には広いものでした。行き着いた先は、石が積まれた壁がある部屋でした。床には石が敷き込まれています。広さは六畳間程です。

石床が油に濡れてヌメヌメと滑ります。石壁の両端には、人幅程度で高さが三十センチ程の引き戸が一つずつ設置されています。男は、一つの潜り戸の前に立ち説明を始めます。


「こっちの戸を開けて、出てきた蟲の甲羅をそこにある布で拭いて、木桶に絞りだせ。木桶に油を溜めて、壺に移し替える。お前らみてえな、馬鹿でもできる簡単な作業だ。蟲は一匹ずつ出して、向こうの扉に押し込め。殺すなよ、お前らよりも貴重なんだ。壺がいっぱいになったら教えろ。但し、朝になったらだ。陽が昇る前には、小屋に入るな。入ったら報酬はなしだ。いいか、わかったな」


 きっと、この男と案内役はこの後、酒を飲み朝までぐっすりと寝ているのでしょう。私達は、夜通し作業をすることになります。男はそれだけ言うと、今来た道を戻って行きます。

 男の姿が見えなくなると、背負っていた荷物を、油で汚れないように岩の上に置き、持ってきた壺を適当なところに降ろし、ゴム手袋を嵌め、引き戸の前に立つとゲンさんは一つため息をついて


「ゴン、とっと始めよう。早く終わりにしてえ」

「わわ、わかった」


 腰を屈めた私が、男が教えた方の引き戸を開けます。少し待つと、蟲の頭が見え、ゲンさんがその頭を掴み引きずり出したのを見て引き戸を閉めます。私は、ゲンさんが抑える蟲の姿を見て小さく悲鳴を上げてしまいました。


「ちっくしょう、ゴン! 早く木桶と布持って甲羅を拭け、こいつは予想以上に滑る! しかし、なんてでけえ『ゴキブリ』なんだ!」




 リカーさんが言った「ヒマ」という蟲は、私達が知る「ゴキブリ」でした。但し、体長が六十センチを超える超大物です。日本の街中に現れたらパニックになる事、間違いなしです。


「リカーとオルデンはゴキが苦手、アエラキは別に平気なタイプなんだろう」


 平気で押さえ付けているゲンさんも、大丈夫な類ですね。私は、苦手です。

 滑る足元を踏ん張りながら転ばないように注意して、余り姿を見ないように甲羅を布で拭きます。布に染み込んだ油を木桶に絞り、一杯になったら壺に入れるを繰り返します。

 二~三匹拭くと木桶に八分目程度まで溜まりますが、壺にはなかなか溜りません。壺二つを一杯にするとなると、結構な時間が掛かりそうです。


「なんで、こんなに油があるかと思ったら、床と壁のスキマから油が滲み出ていやがったのか」


 油の出が悪くなったゴキブリをもう一つの引き戸の中に押し込んだゲンさんがそう言うと、足元を見て考え出します。


「……なあ、ゴンよ。あんな馬鹿のいうこと聞いている場合じゃあねえな。床の油をふき取った方が、よっぽど楽だぞ、この作業は」


 言われてみれば、その通りです。いちいち、あんな気味の悪い蟲を相手に奮闘するよりもその方が何倍もマシです。床に滲み出た油の量はたかが知れていますが、どうせ朝まで小屋には入れないのです。ゆっくりと仕事をしても構わないでしょう。

 二人で膝をつき、床の油をふき取り木桶に絞りだします。ある程度拭くと床は綺麗になってしまいますが、仕切りの壁から油が滲み出てきますので、ボケっと量が出るまで待ち続けます。


「ここ、これが、ほほ、本当の油売り」

「売っちゃいねえがな」


 ハハハと、ゲンさんが軽く笑います。私もつられて笑います。こうして話しながら作業をしていれば、馬鹿な男を相手にしてささくれた気持ちも少しずつ和らいできます。


 途中、辛抱が出来なくなって、一匹ゴキブリを引きずり出しました。引き戸を開けた時に、多くの油が出てくることに気が付き、それ以降は戸を少し開けながら油を集めました。

それでも結構な時間を費やしつつも、壺を二つ満たしました。

 油でベトベトになったゴム手を取り、ビニル袋で二重に包みます。持ってきていたタオルで壺を丁寧に拭き取ります。洞穴から出るまでに滑って落とせば、今迄の作業が台無しになります。アエラキさんとオルデンさんはどうやって、この壺を外に運び出したのでしょう?

 

 普段なら一人で楽々と持っていける程度の重さですが、今回はゲンさんと共に、落とさないように慎重に持ち、外に出します。外はもう、明るくなっていました。胸元から時計を出したゲンさんが時間を見ます。


「まったく、都合二十四時間働きづめか。しかも、この後都市にまで徒歩で荷車牽いて戻るのか。蟲も、依頼者もブラックだな」


 途中、交代で仮眠を取っていたので体力的には大丈夫です。しかし、持ってきた干し肉は尽きてしまいました。今後は露店で買った食事を取ることになっていくでしょう。

 二つの壺を荷車に積み、掘立小屋の木戸を叩きます。中から、眠そうな顔をしたキツイ目の痩せた男が出てきます。


「終わったのか。中身を見せろ」

 

 この男は声からすると案内役の男です。管理人と言った男はまだ寝ているのでしょう。木戸の奥から、いびき声が聞こえてきます。

 案内役の男が壺の蓋を開け中身を確認すると、ローブを被り「戻るから付いて来い」と言い、先頭を歩き出します。夜通し作業をした、こちらにはお構いなしです。こいつも、管理人と同類のようです。

 干し肉は尽きているため、何も口にしないまま都市まで戻りました。案内役は一人、手持ちの干し肉とパンを食べていました。分けるそぶりもありませんでした。

 職人街の一角にある小屋の前で立ち止まった案内役は、目の前の扉を叩きます。中から、年配の男が出てきて怒鳴りだします。


「遅いじゃないか! アンタ達が納期を縮めている癖に何で、毎回毎回、油の配給がこんなに遅れるんだ!」

「こいつらの作業が遅いのであって、私が貴様に文句を言われる筋合いはない。それとも、辞めるか? 別に貴様に頼む必要は無いのだ。やる人間は幾らでもいる」


 案内役は私達に向けてアゴをしゃくり、悪びれた様子もありません。言い返さない小屋の主は、唇を噛みしめ下を向き悔しそうにしています。


「お前達、もたもたしないでさっさと小屋の中に壺を入れろ。そうすれば、作業は終わりだ」


 案内役は私達の方に向き、更に指示を出します。ゲンさんと二人で慎重に壺を小屋の中にいれます。二つ目の壺を入れた時に、小さい声で主が私達に話しかけます。


「……すまんな、怒鳴ってしまって。アンタ達のせいじゃないことは分かっている」

「いや、気にしちゃあいねえよ。お互いさまって奴だ。俺達は、次は来ねえがな」

「毎回、運び人が変わっているから分かっている」


 ため息をついて主は、自分の作業に取り掛かるようです。この後、ゴキブリ油はどのような加工をされて使われるのでしょうか。少し興味が湧きますが、今は止めておきます。

 外に出ると、ゲンさんが完了証明を貰うため、案内役の男に依頼書を差し出します。しかし、案内役は依頼書を取ろうとしません。


「これは、なんのつもりだ。こんなに時間を過ぎている。金は払えん」

「あん、どういつもりだ、時間の指定なんてどこにも書いていねえじゃねえか」

「文句を言うな。私がそう言ったのだと、冒険者組合には伝えろ。違約金を請求されないだけましだと思え」


 怒り心頭のゲンさんの顔を見ずに、案内役は北門へと向かって歩き出します。顔を真っ赤にしたゲンさんが、思いっきり地面を踏み蹴り、大声で怒鳴ります。


「クソが! ゴキブリ野郎、次にあったら承知しねえからな!」


 遠く離れた所から、蔑んだ目線をこちらに向けてから案内役は去っていきます。こちらも負け犬の遠吠えにしかなりません。残念です。


「げげ、ゲンさん、くく、組合に行って報告しよう」


 私の声を聞き、赤い顔のままゲンさんは歩き出します。北門を潜り、組合へと向かいます。前を歩くゲンさんの顔はかなり凶悪になっていたのでしょう。守衛さんも、街の人も目線を合わせることなく道を開けていきます。

 勢いよく冒険者組合の木戸を開けたゲンさんは、受付に居たリカーさんの元にドシドシと歩み寄ります。怒鳴りたいのを抑えながら、事の次第を説明していきます。

 話を聞いたリカーさんは、カウンターの奥に入って行きます。少しの間を待つと、組合長のノモスさんと共に戻ってきます。ノモスさんは黙って、報酬依頼である銅貨五枚を差し出して来ました。


「……これは、どうゆうつもりだ」

「話は聞いた。今回の報酬は冒険者組合から出す。このことは、黙っていてくれ」

「先方に抗議をするつもりはないのか、多分、毎回の事じゃあないのか」

「……ブルガル商会は商業組合でも重鎮の店だ。事を荒立てて、商業組合からの護衛依頼を減らされると困る」

「そうゆう問題じゃあねえだろ! てめえ、それでも組合長か!」

「私だって分かっている! しかし、護衛依頼は、Dランク以上の冒険者達の重要な収入源なのだ! 仕事を貰っている、我々、冒険者組合は我慢するしかないのだ!」


 ゲンさんに、ノモスさん両者が共に声を荒らげます。組合の受付は、一瞬静寂に包まれます。ゲンさんは、ノモスさんの目を見ながら静かに話します。


「だがなあ、きちんと働いた成果に対して、下らんケチを付けて報酬を支払わねえのは、おかしい。そうならないように、先方の依頼書まとめるのも、アンタ達組合の仕事だろ? ランクの低い仕事は支払う報酬が少ねえから、後で文句を言われないように我慢して冒険者組合が立て替えるなんてことをしてりゃあ、いずれ詰むぞ」


 二人は再び黙ります。ゲンさんは目を逸らさずにノモスさんを見続けます。耐えきれなくなったノモスさんが顔を下に向けます。


「そうだな。ゲンの言う通りだ。これからは、依頼の取決めをする際には注意をしよう」

「なあ、どうして『冒険者』なんて職業、呼び名ができた。いや、当ててやろう。人が嫌がるような、危険を伴う作業にあえて従事する者達を揶揄してつけられた。違うか」


「……そうだ。よくわかったな。違うか、知っていたのだな。実際に、秘境や未踏破地域に乗り込む冒険者達もいる。

 しかし、多くの者達は不潔で、きつく、危険で誰もが嫌がる仕事をあえてやる。やらざるを得ない。冒険者組合が出来る前、貧しい者達に金を与えるため国王が様々な仕事を与える様に、各地の領主に指示を出した。犯罪を減らすためだという。領主は都市の参事会や、村長達にそのことを伝えた。

 しかし、与えられた仕事は最悪のものばかりで、従事した者達の多くがケガをしたり、死亡したりした。結果、余計に貧しくなる者達が増えた。そのようなことを、少しでも減らすために冒険者組合が設立された。能力の確認や、ランク分けをすることにより未熟な者が危険な仕事に着かないため処置だ」


「俺達の国にこんな職業はねえよ。日雇いや派遣なんて呼び名にはなるかもしれねえがな。それとなあ、どんなに危険性が低いって言っても、危なくない作業はねえんだ。歩いていったて転べばケガをする。どんなにランクが低くいと言っても仕事は仕事だ。きちんと成果に対して報酬が出なければ、やる気は失せていく」

「ウム婆のことも言っているのか」

「あれは、別だ。成果をきちんと出さなけりゃあ、いくら頑張ったって言っても報酬が支払われねえのは、仕方がねえ。遊びじゃあねえんだ。言わなくてもやる奴はやるが、仕事が分からない連中がいるなら、きちんと教えるのも管理する側の役目だと俺は思う。覚える気がねえ奴は、駄目だがな」

「覚えておこう。いずれにしても、この報酬は受け取れ」


 少し黙った後に「分かった」と言ってゲンさんは銅貨を受け取ります。

 今日は、少し憂鬱な気分になってしまいました。明日の仕事を選んで、夕飯を買って帰りましょう。歩き通しで疲れました。だけど、きつくても、やりがいのある仕事を選びたいですね。

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