第4話
異世界三日目
洞穴の中で目が覚め、起き上がる。時計を見る。朝五時。外から良い匂いがする。
「おお、おはよう、げげ、ゲンさん。ああ、朝飯は、もも、モツ汁だ」
昨夜、残った鹿のモツ炒めに水を加えて醤油と塩で味を調えたか。ゴンには寝る前に、沢でくんだ水を沸かして、冷ましておくように指示を出しておいた。浄化の為だ。沸かしたついでの水で汁物を作ったのだろう。水分と塩分を補給し、腹も膨れるから良い判断だ。
「顔を洗って用を済ませたら、食わせてもらうよ。毎朝、ありがとさんだ、ゴン」
本日の天気は薄曇り。雲が高いから、雨が降る心配はなさそうだ。本日の課題、周辺の探索と、引き続き食糧採取。
ついでに、太陽蒸留器のシート類を回収する。使える物を放置する気はない。捨てるなんてとんでもないことだ。
出発前に少し荷物を整理した。昨日、獲れた鹿肉の大部分や皮、角は、拠点とする洞穴に置いておく。盗難や紛失を恐れる俺達は常に荷物を持ち歩く。鹿肉の塊は、持ち歩くにはかさばるし、重い。
だが、捨てることはしない。加工するにしても、死後硬直が解けるまでもう少し寝かしておきたいから、日蔭となる洞穴に放置することにする。
出発したのは、俺の時計で朝七時。直線距離、何事もなく歩いていけば片道3時間程度、昼は太陽蒸留器を作った場所で済まそうと思う。
鹿モツはもうないので、鹿タンをタッパに入れて持っていく。昼飯はタンシオ焼肉だ。決定。
「では、行くか。ゴン。食えそうな植物は適当に採取だ。怪しい物が見えたらすぐに教えろ」
「ああ、ああ、わわ、分かっているよ、げげ、ゲンさん」
重い荷物を軽々と担ぐ、ゴンに声をかけ俺達は出発をした。
ブルーシートと弁当箱を無事に回収する。曇りがちな天気が続いたせいか水は余り溜まっていなかった。まあ、当面の水場は確保できたから心配は少ない。
ゴンは、ナイフを使い、厚めにタンをスライスして、塩で味付けをしている。俺は来る途中で、採取したタンポポの葉を軽く湯がいて醤油で軽く味付けをする。醤油の量が心細い。塩も限りがある。塩分は、動物の肉や血から補給は出来る。これから何日かの状況によっては、更なる節約を心掛けるとする。
ゴンがタンを焼き始めると、いい香りがする。暗い考えが吹き飛ぶ。ああ、腹が減った。
美味い昼飯を食べ、食休みをした後、拠点へと戻る。昨日と違い、何かに遭遇する気配はない。時折、自生しているタンポポやフキの葉を摘んでおく。
この森の日が差す場所には、あちらこちらに生えている。沢を過ぎ、拠点に向かう。この後は、薪となる木や柴を拾うとしよう。ついでに、柱になりそうな樹を見つけて雨をしのげる範囲を広げたい。午後の予定を考えながら拠点に近付く。
気配を感じた。生き物の気配、息遣い。拠点に何かがいる。ゴンも気付いている。身を屈める。昨日の緑猿共が反撃に来たのか。
少し離れたところで荷物を降ろし、身軽になる。相手次第では、逃走も必要だ。相手に気配を悟られないように、慎重に拠点へ近付く。茂みに身を潜め、ゆっくりと拠点の方向に目を向ける。
――豚だと思った。毛が多いから猪豚か。褐色の毛並、でかい豚鼻、下アゴから牙も生えている。
しかし、なにより特徴的なのは「二足歩行」をしている。手に『錆び付いた短剣』まで持っていやがる。そのわりには、身体には何も身に着けていない。
お粗末なブツが、ぶらぶらしているから雄だ。何かの匂いを嗅ぐように、フゴフゴと息をしている。
豚頭の体格は良い。体長は、百八十㎝位だ。ゴンよりは小さいが、俺よりは十分にでかい。体重は重そうだ。手足は短い。本当に豚がそのまま二足歩行をしているようだ。
(何を探していやがる)
フゴフゴと匂いを嗅ぎ続ける。そのうち、こちらの方向に体を向ける。
(しまった、野郎、嗅覚がするでえのか!)
油断した、奴はこちらにのそのそと向かってくる。相手の実力が分からないが、力は強そうだ。
実際、猪を相手にして、真正面から立ち向かうのは避けたい。四足歩行ならかなりの速度で突っ込まれる。
だが、豚頭は二足歩行でのしのしとこちらに向かってくる。サビついた短剣を手にしたまま。
(こいつは、かなりのウスノロで低脳だ)
俺はゴンに目配せをする。首を軽く縦に振り、二本指を立てて、二手に分かれるように無言の指示をだす。頷いたゴンは、気持ち顔を蒼くさせながらも、俺と逆の方向に動き出す。
豚頭がこちらの動きに気づいた。どちらにいこうかと、キョロキョロと頭を振っている。
こいつは相当に馬鹿だ。緑猿は好戦的で素早いから、多少厄介だと思った。豚頭も
武器を持つということは、少なくとも知能があるのかもしれない。
しかし、かなり半端だ。武器を持ち二足歩行になることで、四足歩行の速度がなくなる。中途半端に知能があるから、変に悩む。これなら知性もなく突っ込んでくる野生の猪の方がよっぽど怖い。
豚頭は、俺の方に向かうことに決めたようだ。こちらに、のしのしと向かってくる。先ほどよりかは幾分歩く速度が速いがたかが知れている。手にした棍棒を両手で持ち、覚悟を決める。一息吐いて、茂みから一気に駆け出す。
「オラアアアアア!」
威嚇の大声を出して、豚頭に突撃を掛ける。慌てた豚頭は錆びた短剣を軽く振り上げこちらに振り落してくる。棍棒の両端を持ち押し上げる様に、振り下ろされた短剣にぶつける。
ミシッと嫌な音がする。予想以上に力が強い。攻撃を防がれた反動で、豚頭がたたらを踏む。小柄な俺だが、力はそう簡単には負けない自負もある。
図体のでかい豚頭の頭部に俺の棍棒は届かない。代りに膝に向けて、振り上げた棍棒を思いっきり叩きつける。バキッと音が鳴る。豚頭の膝が折れた音じゃあない、叩きつけた俺の棍棒が折れた。
「ブガアア!!」
しかし、豚頭も身を屈め苦痛にもだえている。片足は使い物にならなくなったかもしれん。しかし、このままでは危険だ。豚頭の攻撃範囲から離れる。
豚頭はこちらを睨む。肉で埋もれた小さな目で。睨んでも無駄だ。後ろには棍棒
を上段に振り上げたゴンが立っている。ゴウという音の後、バキャという音が聞こえ、ズシンと音を立てて豚頭が倒れた。この一撃でゴンの棍棒も折れた。この豚頭は色々と固いみたいだ。
「よくやった、ゴン。見事だ」
「ああ、ありがとう。げげ、ゲンさん。だだ、だけど、ここ、こいつは、まま、まだ、しし、死んでいない」
ナニと思うが、確かに体をひくつかせてやがる。死後の痙攣ではない。息遣いも聞こえる。脳出血で長くもないかもしれないが、万が一もある。俺は、腰に差してある短刀を抜き、止めを刺すべく豚頭に近付く。
「だめだ、ゲンさん、離れろ!」
どもることなく、でかい声でゴンが叫ぶのを聞き、後ろに飛び退く。豚頭は、立ち上がった。
片足を痛めて、ゴンの強烈な殴打を頭部に喰らっても、なお、立ち上がった。予想以上にタフだ。短剣を手に、口から涎を垂らし、こちらを睨んでいる。吐く息遣い
が荒い。相当に怒っている。
「ブ、ブゴオオ!ブゴオオ!」
豚頭は威嚇し、こちらに向けて一歩を踏み出そうとするが、出来なかった。
目の前の俺のことで頭が一杯だったのか、後ろにいたゴンに気を向けなかった。ゴンは、短剣を持つ手を後ろから掴み横に立った後、後方上向きにひねり込みながら肘と肩をへし折った。
「ブ、ブギャァァ!!」
ゴンに抑え込まれた、豚頭は悲痛な叫び声を上げる。余計な知能を持たなかったら、もっと恐ろしい相手だったろう。
しかし、こうなれば恐れることはない。抑え込まれてもなお暴れる豚頭をゴンは押さえつける。こいつを押さえつけられるゴンの怪力も大概だ。
横から首筋に短刀を刺し込む。首が太いので、短刀を奥まで突き刺し引き切る。血がドウと流れ出す。動脈が切れたのだろう。
まだわずかに動く豚頭の割いた首横とは逆側にも短刀を突き刺し、同じように引き切る。しばらくすると、豚頭は大人しくなる。
「しし、死んだよ。げげ、ゲンさん」
いつものドモリ口調でゴンが声を掛けてきた。ホッとする。鈍間だが、予想以上にタフな相手だった。
豚頭の頭は、切り落とし、タンと牙は切り分ける。回収したブルーシートを地面に敷き、豚頭の下半身を二人がかりでシートの上に載せる。かなり重い。百キロは確実に超えている。
短刀で肉を傷つけないように褐色の毛皮をむく。皮の下には脂がしっかりとのっている。冷やしていないため、脂が固まっていないから皮が剥ぎにくい。
なんとか、皮を剥いだ後、内臓と腹膜を痛めないように腹に短刀で数回撫でる様に切れ目を入れる。
ぶら下がっていた粗末なブツと玉を切り取る。繁殖期ではないのか余計な液体は吹出さなかった。
膀胱を傷つけないように内臓を取り出す。内臓は、食道、心臓、肝臓、膵臓、腸、横隔膜に切り分け、まとめてビニル袋に詰める。他の部位は後で捨てる。
内臓を抜いたら後ろ足をロープで括り、手頃な樹に吊るす。ここで一息ついた。
「……まま、又、くく、食ってみるのかい、げげ、ゲンさん」
「当たり前だ。どう見てもこいつは猪豚だ。今度はいける」
少し呆れた顔をこちらに向けて、ゴンがため息を吐く。なにをそんなに呆れることがある。猪豚が二本足で歩いただけじゃねえか。せっかく、獲れた猪豚を食わない手はない。鹿肉や緑猿と違い、豚頭の肉にはしっかりと脂がのっている。美味そうだ。
ゴンに手斧を渡し、背割りをしてもらう。背の低い俺では吊るした豚頭の股まで背が届かない。背割りの後、肉をブロック毎に分けビニル袋に入れる。昨日今日でビニル袋を沢山つかった。
俺は、モツを持って沢に向かう。今夜は、モツ鍋だ。昨日からモツばかり食っている。美味いから構わない。ゴンにはゴミの後始末と、壊れた棍棒の代わりの確保を頼んでおいた。
沢で内臓をよく洗う。後で、血で汚れた肉も洗っておきたい。本当なら、解体前にやっておく処理だが今回は仕方がない。多少味は落ちるが、食えなくなるわけではない。
沢から戻るとゴンが火を熾していた。傍らには棍棒の代わりとなる太めの棒も転がっている。
「早かったんだなあ、ゴン」
「まま、まあね。ここ、こんな、ぼぼ、棒切れなら、いい、いくらでもある」
それもそうだ。森の中だもの。ゴンにモツを差し出す。
「今晩はもつ鍋にしよう。俺はもう一度沢で肉を洗いがてら、山菜をもう少し集めてくる。準備を頼む。」
「ほほ、本当に、くく、食うのかい?げげ、ゲンさん」
「大丈夫だゴン。緑猿の二の舞は、多分ない。残ったのはタッパに入れておけ。モツがやばくなるまではモツ料理だ」
そういうと、ゴンにモツの入った袋を手渡す。「……たた、多分ねえ」とこぼすゴンの声を聴かないふりをして、肉を洗いに沢に向かった。
「うう、美味い」
「ほれみろ」
醤油で味付けをしたもつ鍋を口にしたゴンが思わず声を出した。山菜の苦味とモツの味が良く合う。豚頭と遭遇して、仕留められたのは運がいい。鹿肉も、今晩から加工を始めて干し肉にしよう。明日からは探索をしないで肉の加工や、拠点の整備に日を当てよう。
「ゴン、明日からは肉を加工する。今晩は見張りの際に、鹿肉を塩漬けできる大きさに切り分けておく。」
「ああ、ああ分かったよ。だだ、だけど、しし、塩を結構使う」
「塩を手に入れる。その為の加工だ」
俺は、豚頭の持っていた錆びた短剣を手にする。
「――こいつがあるってことは、少なからず短剣を作り上げるだけの文明がある。多分滅んではいねえ。剣がそこまで風化した感じがしねえ。この世界には、どんな形であれ文明を築くだけの知性がある生き物が存在している。間違いねえ」
文明を立ち上げるだけの知能と知性がある「生き物」がいる。一つの希望だ。ヒトとは限らないかもしれないが、望みは捨てたくはない。
肉の加工が済んだ後は、森を抜けて生き物--ヒトが住む場所を探し出す。俺は豚頭が錆びた短剣を手にしているのを見た時から、そう決めていた。
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