第5話 ほっぺに付いたご飯粒を女の子に取ってもらうのは男子の夢

 次の日、ハーデスは朝一番に山本の顔を見つけると、事の次第を話した。

「そっか……優子が……」

 山本はちょっと羨ましそうだったが、難しい顔で少し考えてからハーデスに聞いた。

「正直なところ、お前はどっちが良いんだ?」

 望美と優子、どっちが好みかという単純なこと。しかしそれは単純なだけに難しい。人の好みなんて状況次第でコロコロ変わるものなのだから。

「どっちったって、そんなの選べないよ」

 気弱な事を言い出すハーデス。ゼウスだったら考えるまでも無く「両方だ」と答えるだろう。せっかくライトノベルのハーレム的展開に憧れて人間の高校に入り込み、そのチャンスがやって来たというのにもったいない……

 だが、山本はハーデスの答えを予想していた様だ。

「そう言うと思ってたぜ。前にも言ったろ、ゆっくり進めば良いって。なんでお前はそうすぐに結論を出そうとするんだよ」

 山本は優しく笑うと言葉を続けた。

「とりあえず、昼休みは優子のトコへ行って来いよ。望美には俺がうまいこと言っといてやる」


 昼休み、山本は望美の席まで届く様な声で騒ぎ出した。

「うわっ、弁当が無ぇ! そうか、二時間目に腹減ったから早弁しちまったんだ。古戸、学食行くから付き合ってくれよ。望美の弁当持ってさ」

 あっけにとられるハーデスに、ウィンクのつもりだろう、片目を瞑って合図を送る。

「そうか、わかったよ。島本さん、ごめん、今日はお弁当だけもらっていくね」

 ハーデスは望美から弁当を受け取ると、山本と共に教室を出て行った。


「じゃあ、頑張って来い」

 廊下で二人は別れ、ハーデスは屋上へ山本は学食へと向かった。


 屋上へ通じる鉄扉を開けると、ハーデスの姿を見た優子が嬉しそうな顔で近付いてきた。

「古戸君、来てくれたんだ」

 そりゃ行くだろう。全然知らない子ならともかく同級生の、しかも美人の呼び出しなのだ。しかし、ハーデスが望美の弁当をぶら下げているのを見て、優子は少し顔を曇らせた。それに気付いたハーデスは思わず手を後ろに回して弁当を隠したが、あえてまた手を前に戻した。

「やっぱり気になるよね。他の女の子が作ったお弁当を持って来るなんて。ごめん、失礼だよね」

 優子は首を横に振って答える。

「ううん、望美の方が先に古戸君に近付いてるんだもん。しょうがないわ」

 ハーデスは少しほっとして優子を見ると、手に少し大き目の包みを持っている。おそらく二人分の弁当だろう。

「私も、お弁当作ってみたんだけど……望美のお弁当があるから……要らないかな?」

 そんな事を言われて要らないと言う男は世界中を探し回っても居ないだろう。もちろんハーデスも例外では無い。

「そんな事無いよ。喜んでいただくよ!」


 屋上の端に並んで座る二人。本来学生は立ち入り禁止となっている為、周りには誰も居ない、つまり二人っきり。その状況にあらためて気付いたハーデスは少し緊張してしまう。

「望美のと比べられると恥ずかしいけど……」

 優子が包みを解くと弁当箱では無く、大き目の折が二つ顔を出した。ひとつにはおにぎりが、もうひとつにはおかずが詰められていて、お花見や運動会の時の様に複数人で食べるタイプ。要するに一緒に食べる事が前提のお弁当だった。

「古戸君、何が良い?」

「何でも良いよ。って言うか、せっかく川本さんが作ってくれたんだもの。全部食べなきゃね」

 優子は紙皿におにぎりを二つと卵焼きに肉巻き、そしてキュウリとトマトを載せるとハーデスに手渡した。

「ありがとう、いただきます」

 まずは肉巻きに齧り付くハーデス。甘辛く炊いた肉で巻かれた人参が見た目に鮮やかだ。

「うん、美味しいよ」


 ハーデスの感想にほっとした様子の優子。もっとも、この状況で弁当にケチをつけるヤツが居たらお目にかかりたいものである。

「良かった。望美は料理上手いから、ドキドキだったんだ」

 はにかんで言う優子。こういう時の女子は何故こんなにも可愛いのだろうか? まったくもってけしからん話である。こんな顔をされては男子など簡単に手玉に取られてしまうではないか。

 おまけに優子は禁断の技をも繰り出してきた。

「古戸君、ほっぺにご飯粒が付いてるよ」

 ハーデスの頬と言うか口元に付いていたご飯粒を摘んで口に入れたのだ。なんというベタな、しかしなんという破壊的な行為だろう。しかも彼氏彼女の関係ならともかく、まだ単なる同級生でしか無いと言うのにだ。もしかしたら優子は望美に先を越されて焦っていたのかもしれない。


 ハーデスは悶絶寸前だった。そんな事、初めてされたのだから無理も無い。何度も言うが、ハーデスは妻帯者である。と言う事はもっとすごい事、例えばあんな事とかこんな事も体験している筈なのだが……これが大人達が忘れてしまっていた感覚『萌え』の力なのだろう。

 後はふわふわした記憶しか無かった。気が付くと、優子の弁当箱は空になり、優子が紙コップにお茶を注いで渡してきた。

「お粗末さまでした」

 ハーデスはお茶を受け取ると、一気に飲み干した。

「あ~美味しかった。ご馳走さまでした」

 実際は後半、味なんて全くわからなかったハーデスだった。


 優子の弁当を食べ終わったハーデスは、脇に置いておいた望美の弁当を思い出した。

「あっ、島本さんのお弁当もあるんだった。コレも食べなくっちゃ」

 なんとデリカシーの無い男だろうか。優子が泣きながらその場を駆け去ってもおかしくない展開である。しかし優子は気丈にもその場を離れなかった。

「うわっ、今日のも凄いな」

 益々デリカシーの無い事を言うこの男。優子に代わってぶん殴ってやりたいぐらいである。しかし優子はこっそりと望美の弁当をチェックしようとしていた。

「ほら、こんな風になってるんだよ」


 こっそりチェックする必要は無かった。ハーデスは愚かにも望美の弁当の品をひとつひとつ優子に解説しながら食べ始めたのである。こんな事されたら愛想を尽かしても良さそうなものだが、優子は違った。ハーデスの顔が良いからだろうか?

 それもあるだろうが、それ以上にハーデスの普段の言動は品行方正なものだったのだ。でも、やっぱりアレなのだろう。


『但し、イケメンに限る』


 望美の弁当も平らげたハーデスに優子は少しびっくりした様子。

「古戸君、凄くたくさん食べるんだね、もしかして量、足りなかった?」

 考えてみれば、優子の弁当を食べた直後に望美の弁当を平らげると言う事は、逆もまた真なりで、望美の弁当を食べた直後に優子の弁当を平らげる事が出来ると言う事である。


 優子はハーデスの強烈な食べっぷりを見て、「望美の弁当では足りて無い」と判断した。ならば「昼休みの後でお菓子でも渡したら喜んでくれるのではないか? そうすれば少しは望美のアドバンテージを埋めれるのではないか」と考えたのだった。

 実際のところは、ハーデスは結構無理して食べてたりしていたのだ。変身前の本来のハーデスの姿ならともかく、細身の美少年に変身しているのだから、物理的に無理があると思われる。まあ、細身の大食いタレントも居るのだから、何とも言えないのだが。


 時計を見ると十二時五十分。あと十分で午後の授業が始まる。二人は別々に教室に戻る事にして、屋上を後にした。


 教室に戻る前にハーデスは学食を覗いた。山本と一緒に学食に行ったのに、別々に教室も戻るのは不自然だと思ったのだ。山本は学食のテーブルで一人、ジュースを飲みながら待ってくれていた。

「おう、早かったな。どうだった?」

 山本のいつもの笑顔。ハーデスは嬉しくなって、さっきまでの出来事を山本に話した。

「なにっ、『ほっぺにご飯粒が付いてるよ』って、マンガとかでよくあるアレか!?」

 山本はライトノベル派では無くマンガ派の様だ。


「うん。それからぼーっとしちゃって、あんまり覚えて無いんだ」

「いきなりそんなんされたんじゃ無理も無いな」

「うん……どうしよう?」

「どうしようも何も、今まで通りにやるしか無いんじゃないか?」

 山本の出した結論にハーデスは首を傾げる。

「今まで通りって?」

 山本は自分の考えを説明した。

「まだどっちとも付き合ってるわけじゃ無いんだ。もう少し見極めてから決めりゃ良いってコトだよ」


 頼もしい山本の言葉(そうか?)しかし、そうも言っていられない状況が迫っている事を二人は知る由も無かった。


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