第4話 調理実習は甘い香りと甘い誘惑?

 いつしか昼休みにハーデス達が男女五人で弁当を食べているのが日常の風景となり、ハーデスの弁当を望美が作って来ているという事が周知の事実となった。となるとクラスメイト達の心境の変化も顕著になってくる。

男子共は、女子と一緒に弁当を食べているのを羨ましく思っていた。「弁当を作ってもらうとまではいかなくても、せめて一緒に弁当を食べる女の子を……」と考えるのが自然であろう。ここで明暗が分かれる。考えるだけの者と、実際に行動に移す者だ。もちろん『明』は行動を起こして成功した者。行動を起こしたと言っても愛の告白では無く、単に一緒に弁当を食べるだけの話なのでよっぽど嫌われていない限り断られる事は無かった様だ。


『暗』はもちろん考えるだけの者である。もっとも彼等を『暗』と言ってしまうのは問題があるかもしれないが。彼等は彼等で楽しくやっているのだから。

ちなみに女子から男子に声をかけるというケースは残念ながら望美と美紀以外には無かったみたいである。


女子は女子で、望美と同じくハーデスが気になっている者は内心穏やかでは無かった。毎日弁当を作ってくるなんて、二人はデキてると考えるのが普通である。実際、周囲の者もそういう見方をしていた。しかし、ハーデスと望美が一緒に居るのは昼休みぐらいなもので、しかも、美紀と山本、おまけに伊藤も一緒である。二人だけでラブラブしてるところなど誰も見ていない。まだチャンスはあると策を講ずる女子も当然出てくるわけだ。


ある日のこと、その日の家庭科の授業は調理実習。男女混合で行うというので各人気合が入る。班分けでハーデスの班はもちろん山本と美紀、そして望美の四人。伊藤も誘ったのだが「男女の数が合わねーじゃん」と、よその班にちゃっかり潜り込んでいた。

今日のお題はマドレーヌ、お菓子作りだ。となると実習が終わった後は当然ティータイムがあるだろう事は容易に想像できる。この機会を有効に活かそうという伊藤の講じた策だった。


「料理上手の望美がいるからラクショーだな」

 山本が余裕の表情を見せる。しかし望美は意外な事を言う。

「でもお菓子って、きっちり量を量らないと上手くいかないのよね」

 どうやら望美は普段の料理は目分量でしているらしい。それはそれでたいしたものではあるが。


「島本さんなら大丈夫だよ。いつもあんなに美味しいお弁当を作ってくれるんだから」

 笑顔で言うハーデス。コイツはさっき望美が言った事を聞いてなかったのか? 困った顔の望美を助けるかの様に美紀が言った。

「だから、お弁当作りとお菓子作りは違うんだって」


 するとハーデスは胸を張って言った。

「量をきっちり量れば良いんだろ? そういうのだったら任せてよ」

「そっか。古戸はマメな性格だもんな。量るのは古戸に任せてりゃ間違い無しだ」

「そう、適材適所って事ね」

 山本の相槌に、望美はパンっと手をひとつ叩いて目を輝かせる。実は彼女、大雑把な性格なのだろうか?


「うん、任せて!」

 ハーデスが胸を叩くと、美紀も手を挙げて身を乗り出す。

「私、私はー?」

 美紀を一瞥した山本がニヤリと笑って言う。

「もちろんお前にピッタリの仕事はあるぜ」

「えっ、なになに?」

 前のめりで食いついてきた美紀に、悪い顔で山本は断言した。

「後片付け」

「ムッキー! どういう意味よ!?」

 あまりの言葉に怒り出す美紀。まあ、無理も無いが。


「そのまんまの意味だ。他意なんて無いぞ」

 素の顔で答える山本。どうやら本気で言っている様だ。ハーデスと望美がなだめるが、美紀の怒りは治まらない。

「何よ、偉そうに! じゃあ、そう言うアンタは何が出来るってのよ?」

「俺? 俺はそうだな、監督とか味見とかだな」

「アンタが一番しょーもないじゃないの!」

「おお、そうだぜ。俺が料理とか出来る様に見えるか?」

「……見えない」

「だろ? お前は後片付けが出来るだけ、俺より凄ぇんだぜ」

「アンタより凄いって言われても全く嬉しくないけどね。まったくしょうがないわねぇ……わかったわ、アンタは見てるだけで良いわよ」


 山本にうまく丸め込まれたのか、相手をしても仕方が無いと思ったのか、美紀は意外とあっさり引き下がった。

「じゃあ、材料の準備から始めます」

 家庭科の先生は赴任したばかりの若い女の先生。もちろん結構な美人である。かわいい女子が多いクラスに若い美人の家庭科教師、なんという羨ましい境遇であろうか。きっとこれも神の奇跡なのだろう。


 マドレーヌは比較的簡単に作る事が出来る焼き菓子である。材料は薄力粉に卵、バターにベーキングパウダー。そして砂糖とあと……

「アーモンドプードル?」

 美紀が変な声を上げた。多分、アーモンドプードルという物が何か分からなかったのだろう。山本のバカにした様な声が飛ぶ。

「何だ美紀、お前そんな事も知らねぇのか」

「そんなワケ無いでしょ。こう見えても私、愛犬家なんだからね」

「おいおい、なんで犬の話が出てくるんだよ?」

「だってプードルって。アーモンドプードルって言うぐらいだから小さい茶色の仔なんでしょうね」

「てめぇバカか? なんでお菓子作りに犬が関係するんだよ」

「だって、ココに書いてあるんだもん。プードルって」

 美紀は山本と不毛な言い合いをしながら配られたプリントを指差した。すると望美が穏やかな笑顔で割って入った。

「美紀ちゃん、プードルってフランス語で粉の事なの。英語で言えばパウダーね。アーモンドプードルっていうのはアーモンドの粉末の事よ」


 さすがは料理上手な望美。お菓子作りは得意では無い様な事を言っていたが、知識はあるみたいだ。

「じゃあ、材料は揃ったみたいだし、始めましょうか。まず、古戸君はプリントに書いてある通りに材料を量ってくれるかしら」

「オッケー、任せて」

 望美の声にハーデスが真剣な顔で分量をきっちり量る。それを見ている、いや監督している山本の視界の隅に粉まみれで真っ白な伊藤の姿が入った。

「あのバカ、何やってんだ……」

 山本が呟いた瞬間、伊藤は口に含んだ薄力粉を煙の様に吹き出した。おそらく彼は受け狙いのつもりなのだろうが、伊藤と同じ班の女子はそれを白い眼で見ていた。彼が真っ白になっていただけに。


 材料の準備が出来れば後は望美の独壇場。手早くバターを溶かし、粉類を振るい、ゴムベラで混ぜ合わせて生地を作っていく。型に生地を流し込むんだ時、美紀が言い出した。

「チョコ入れたら美味しいかも。チョコチップマドレーヌ」

「おっ、良いねぇ。でも、チョコなんか無いぜ」

 ノリノリで賛同する山本。しかしチョコレートなど用意していない、すると美紀は不敵な笑みを浮かべるとポケットに手を突っ込んだ。

「へっへ~ん」

 得意気に、ポケットから板チョコを取り出した美紀。

「部活は疲れるからねぇ。糖分は必要なのよ」

 溜息混じりで言うと、銀紙を破りひとくち齧った。ちなみに美紀は陸上部。短距離走のホープらしい。そういえば体育の時間にちらりと見た美紀は引き締まった綺麗な足をしていた。


「でも、どうやって細かくするの?」

 ハーデスの素朴な疑問。チョコチップマドレーヌと言うぐらいだからチョコレートは細かくしなければならない。しかし、今日は刃物が用意されていない。かと言って先生に包丁を使いたいなどと言った日には理由を説明しなければならなくなり、最悪チョコレートは没収されてしまう。それでは元も子もない。

「アンタ、ナイフとか持ってないの?」

 美紀がとんでもない事を言い出す。

「人をヤンキーみたいに言うんじゃ無ぇよ」

 憮然とする山本。ナイフなんか持ち歩いてたら没収だけでなく、停学モノである。

「しゃあない。手で割るか」


 原始的だが他に方法はあるまい。板チョコをパキパキ割って、大小不揃いなチョコチップ……と言うよりチョコの破片を作ってマドレーヌの生地に忍ばせる。もちろんバレたら怒られるので、提出用の分として何個かには入れない様にするのも忘れてはいない。

 後は温めたオーブンに入れて、焼きあがるのを待つだけである。他の班の連中も同じ様なペースで進んでいる様だが、伊藤の班はまだ生地さえも出来ていない様だ。彼が足を引っ張っているからであろう事は間違い無い。

 

 マドレーヌは綺麗に焼き上がり、先生のチェックも無事終わった。後はお楽しみのティータイムである。

「あ~美味しい。自分達で作ったと思うと美味しさもひと際ね」

 レモンティーを飲み、マドレーヌを頬張りながら美紀が幸せそうに言う。

「お前は何もしてねーだろうが」

 後片付けは美紀の担当という話だったが、なんだかんだ言って結局は洗い物は望美が、拭き掃除はハーデスがほとんどやっていた。美紀がやったのは精々使ったボウルやゴムベラを棚にしまうぐらいだった。

「何よー、アンタだって人の事言えないじゃない!」

「最初っから言ってただろうが。『俺は監督だ』って」

「ムッキー! 開き直るんじゃないわよ!」

「その『ムッキー』ってのやめろっての。せっかくかわいい顔してんのによ」


 山本が堂々と美紀に向かって『かわいい顔してる』と言った。ポロっと言ったのを一度聞かれてしまったから開き直ったのだろうか? ストレートに言われた美紀は顔を赤くして目をきょどきょどさせながら言った。

「仕方ないじゃない……私、こういうキャラなんだから」

 実は山本は、とりあえず「かわいい」と言っとけば前みたいに喜んで何とかなると思っていたのだが、美紀の想定外の反応に戸惑った。そして彼女の恥ずかしそうな表情が今まで以上にかわいいと不覚にも思ってしまったのだった。


「山本君、コレ食べて」

 空気を読まずにそんな二人を引き裂くかの様な声がした。

「俺? 古戸じゃ無くって?」

 これまた予想外の出来事に驚く山本。声の方を向くと、不幸にも伊藤と同じ班になってしまった美由紀だった。当然彼女もなかなかの美少女である。

「遂に俺の時代がやってきたか? モテ期到来か?」

 山本は心の中で叫びながら美由紀の差し出したマドレーヌを受け取ると口に入れる。

「うん、美味いぜ」

と言おうとしたのだが、その言葉は飲み込まれた。あまりの不味さに吐き出しそうになってしまった彼女達の作ったマドレーヌと共に。

「……美由紀……なんだコレは?」

 称賛の言葉の代わりに山本の口から出た言葉。それを聞いた美由紀は悲しそうな顔で

「ごめんなさい。一生懸命作ったんだけど、美味しくなかった?」


 と言うかと思われた。山本はその言葉を待っていた。しかし、現実は違った。

「『なんだコレは』だぁ? それはコッチのセリフだ。なんだアイツは? 伊藤のせいでウチの班のマドレーヌはこのザマだよ。てめぇのダチならてめぇの班で面倒見とけや。このクソボケがぁ!」

 美由紀は口汚く罵ったあげく、唾を吐き捨てて去って行った。これにはハーデスも望美も美紀も茫然とするばかり。放心状態の山本の口から零れる様に出た言葉。

「……アイツ、あんなんだったんだ……可愛い顔してるのに……」

 それに何故か美紀が反応した。

「山本君、美由紀の事、可愛いって言った! さっきまで私の事、可愛いって言ってたくせに……この裏切者~~~」

 女心というのは分からないものである。


 調理実習が終わり教室に戻ると、山本はまず伊藤を捕まえて詰問した。

「お前、調理実習で何やったんだ?」

 伊藤は俯いて目を逸らした。山本は質問を繰り返す。

「お前、何やった?」

 伏し目がちのままで伊藤は答えた。その内容は酷いものだった。お笑い芸人のマネをして薄力粉まみれになり、口から煙の様に吹き出し、格好つけて卵を片手で割ろうとして失敗し、砂糖と塩を間違えて……と、そこまで聞いた山本が聞くに堪えなくなって止めたぐらいである。


「謝れ」

 低い声で山本が言った。そして一呼吸置いてから叫んだ。

「班のヤツ全員に謝れ! あと俺にも!」

「なんでお前に?」

「なんでも良いから。そんで、美由紀には近付くな」

「えっ、美由紀のヤツ怒ってんのか?」

「それはもう、この上なく」

「マジか~ 美由紀に良いトコ見せようと思って頑張ったのに……失敗しちまったけど」

 頭を垂れてがっかりする伊藤。どうやら彼は美由紀が山本にブチ切れた事を知らない様だ。知らぬが仏という言葉があるが、被害を被ったのは山本、いや、一番の被害者は、美由紀を始めとする伊藤と同じ班になってしまった者達である。彼等にとって伊藤は仏では無く悪鬼羅刹でしかなかった。


 その頃、山本と離れ一人になったハーデスに近付く女子の姿があった。

「古戸君、良かったらコレ食べて」

 恥じらいながら彼女が差し出したのは、もちろん調理実習で作ったマドレーヌ。いつの間にしたのだろうか、可愛らしくラッピングされている。美由紀が山本に差し出したのとは大違いである。

「うん、ありがとう。今食べた方が良いのかな?」

 それを受け取ると、嬉しそうに言うハーデス。

「うーん、目の前で食べられると恥ずかしいから、家に持って帰って食べて」

「うん、わかった」

 女子が恥ずかしそうに言うと、ハーデスは受け取ったマドレーヌをカバンに入れた。

「それじゃ。明日、感想聞かせてね」

 そそくさと行ってしまった。彼女の名前は川上優子。言うまでも無く美人である。普通にクラスメイトとして話す事は無い事は無いが、そこまで親しいというわけでは無い。


 ハーデスが家に帰り、カバンからマドレーヌを取り出した。透明な袋の口はピンクのリボンで縛られている。リボンを解き、中身を取り出すと、折り畳まれた紙片が転がり出てきた。


――コレってもしかして、ラブレターじゃないのか?――


 期待に胸を震わせながら紙を開くと、かわいらしい字で何やら書かれている。


『明日の昼休み、屋上で待ってます』


 女子が昼休みに男子を屋上に呼び出す。まさか決闘を申し込まれるわけではあるまい。やはり愛の告白か? 放課後では無く、昼休みというのがポイントである。同じクラスなら、ハーデスが昼休みは望美と一緒に弁当を食べていると知っているのだから。ある意味望美に対する宣戦布告と捉えても良いだろう。

 ハーデスの目の前に恋愛シミュレーションゲームにありがちなウィンドウが開いた気がした。上段には望美、下段には優子、そして何故か山本という選択肢もある。山本を選べばハーレムルートへ突入出来るのだろうか? あるいはバッドエンドへ一直線なのか?

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