第11話 8月8日。関西創作交流会。

 書き続けなければ誇りが死ぬなどと言っておいて早々に更新を停滞していた。やはり弱虫か僕は。


 先日の土曜に予定通り、関西創作系オフ会に参加してきた。


 結論から言えば、最高である。僕的に。


 まず一番に心配していたことは、定職に就けずにいる障害者である僕を受け入れてくれるのだろうか、ということだったが……本当に本当にありがたいことに第一回の参加者の皆さんは主催者さんも含めすんなり受け入れてくれた。


 知っている人は知っているだろうが、日本では障害者への理解がまだまだ不十分だ。


 僕の体験だけでも、普通に休日などに会って歓談する分には何の問題もないはずなのに、『障害を理由に労働していない』。それだけで生き方を否定され、友好的な関係を拒絶されたこともあった。


 だからといって、障害者へみんながみんな特別扱いしろとか、労れ、とか言うつもりもない。


 海外の福祉環境が充実している国では、障害者を『弱者』とは呼ばない。むしろギフテッド(授かった者)とさえ呼ばれる。


 確かに生活の支援は必要だが、障害者もまた人間なのだ。


 可能な範囲で懸命に生き、対等に接し、互いを尊重する。健常者と何も変わらないはずなのだ。


 さて、創作系オフ会に(当日より『関西創作交流会』と名称変更)話を戻す。


 主催者や僕を含め第一回は四人集まった。


 そして、全員創作物をほんの一片を見せられただけで物凄く濃い。


 一人一人特徴を書いてみよう。


 主催者さんは小説に作曲、独自の理論による絵描き、ゲーム制作ほか。マルチな活動だ。


 サイトでの理路整然とした記事の書き方の通り、理数系で数学的思考の得意な人だ。


 だが、実際に会ってみると笑顔を絶やさず、おおらかで何だかフンワリした雰囲気がある。


 いざ会合が始まると、おっとりしていて時々判断に困る様子が見受けられたが、後に述べる人のお陰でスムーズに主催者として振る舞えていた様子。


 いくつか作品を見せてもらったが、小説は一部、小説というより『脚本』を意識して書いていた。


 僕から見て一番素晴らしいと思ったのは物事の分析もそうだが、膨大なデータを操っての作曲だと思った。クラシックやピアノ曲が得意らしい。


 極めつけは『五時間で作った、プレイ時間五分』の超短編RPGだった。


 作品の演出に最も影響する音楽ももちろん本人のオリジナルなのだが、何故かテンポが数倍速になっている。


 早すぎるテンポは不協和音を伴い、それだけで作品にカオスな雰囲気をもたらしていた。


 ゲーム内容はRPGの習作としては真っ当でシンプルで、三回戦闘に勝てばゲームクリアだ。


 だが、ダメージ計算や行動パターンの把握などが必須で、敵の即死攻撃によって初見ではまずゲームオーバーになる。


 また、主催者の手描きの敵キャラクターの姿とネーミングがシュールで、ゲームの笑い要素を増大させている。


 RPGの特性上、戦闘メインにクリアまで進めるのは作りやすいのだが、主人公の目的(親父に習って立派な板前になることらしい)と何ら関係の無い試練で板前になってゲームクリア。ちなみに最終試練は親父を奥義を使って倒すこと。さらに途中から某国民的RPGの呪文や攻撃をそっくりそのまま登場、と遊び心と簡略化の精神が同居していて、ますます面白かった。


 次に、その主催者の方と大学時代からの長い付き合い、という人。


 その人も宇宙学やスピリチュアル関係など、遠大な、だが興味をそそる分野を主としている。


 一番得意かな、と感じたのはゲーム制作……特にシステム部分だ。


 実に斬新な挑戦をされていて、『皆で創るRPG』を意識している。


 端々までまだプレイ出来ていないが、遠く離れたプレイヤーの人たちの総意で、あるいは、プレイヤー個人個人の好みを取り入れ、ゲーム性に直接影響するような作品を目指しているらしい。実に作者さん自身の多様性への寛容さや平等性などを感じる。もうすぐ完成予定らしいが、本人はまだまだ作り足りないと言った様子である。


 また、その人は会話を纏めたり、意図を汲み取って話を進めるのが上手いと感じた。


 創作活動に打ち込む人は往々にして内向的になりがちである。僕自身もそうだ。下手をすると会話が続かず話もコミュニケーションも停滞してしまうことがある。


 そんなグループにおいて、会話が上手い人、盛り上げ役になってくれる人はとても貴重だ。これまたありがたい。


 最後に来た人は小説が得意だった。


 大学時代に文芸サークルに所属していたとのことで、主催者さんとは話が合いそうだ。


 だが、文芸サークルに居てもその人は肩身の狭い思いをしたそうだ。


 確かにその人の作風はハッキリ言って破滅的だったりサイケデリックだったり、人の好みが分かれそうなものだが、同じサークルだと言うのに、酷評どころか人格を否定されるようなことばかり言われたらしい。


 当の本人は自嘲気味に言うが、某文芸即売イベントの審査員に格別の評価を受けた、と言うだけで、その人は非凡なモノを持っているはずだ。


 あるいは、評価されたことへの嫉妬なのか。それもまた人間の性ではあるが、創作活動をする者なら個性や人間性、そして作風を尊重して弁えるのが然るべきではなかろうか。


 第一回の会は、こんな感じの人たちが参加した。


 後日、SNSでメンバーさんの一人が「正直、作風が濃すぎて最後までついていけない。闇の深さを感じる」と呟いてくれたが、それでもその「作品を通じて己を曝け出す」スタイルは尊重してくれた。これまたありがたや。


 ここで言ってくれた『闇』というのは、創作者自身が果たされていない様々な願望のようなものだ、というものらしい。


 理解されにくい創作者の裡のこだわり、自分の弱い所や情けない所、あまり声高には言えないようなその人なりの欲望。


 創作活動というものは、そういう生きている『つらみ』『苦み』のようなものを慰めてくれる。最高のセラピーだと思う。私的な感情や趣味に寄る創作をする人ほど、良い意味でも悪い意味でも孤独へと至るのかもしれない。


 ――――じゃあ、さしずめプロの世界で、顧客ユーザーの要求を充たすために作品を作る職人気質のような人たちは、そういう『闇』を作品に用いないのか? 皆、孤独は無いのだろうか? 己の願望や切望を込めたりしないのか? 


 わからない。


 わからないが、たったひとつわかるのは。


 プロの世界は、そういった個人個人の内界の充実やセラピーよりも、ひたすら成果を上げることを至高とする。求められるもの以上の成果を。


 そういう世界は……創作をセラピーに、愉しみにしてのみ生きる人にはきっと耐えられないのだろう。やり甲斐以上にセラピーを求める人は。


 少なくとも、かつて先の見えない目で盲目的に、甘く幼稚な算段でプロを目指そうとした僕には。


 ――――ならば、精一杯創作を楽しもう。


 きっとそれが、僕のような人間へのささやかな幸せなのだろう。


 新たな創作交流会。


 プロなど到底及ばない、もとい、望まなくても……こういった会合でのみ得られる愉しみと経験が、幸福があるはずだ。


 これから、メンバーさんたちとよろしくやっていきたい。お世辞でも何でもなくそう願う。

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