第10話 7月28日。夢見とか積みゲー、オフ会

 関西創作系オフ会が明日ある。


 創作活動をする人同士で集まり、お互いに何らかの協力をしたり激励をしたりするらしいのだ。期待外れでなければよいが。


 『夏の夜の夢』という言葉が、元を辿ればウィリアム=シェイクスピアの戯曲からある。


 恥ずかしながら、その戯曲は観たり読んだりしたことはまだ無い。


 無いのだが、『夏の夜の夢』と聞くと、どうにも珍妙な想いが浮かぶ。


 というのも、最近夜に眠って夢を見ると……その日に気になったこと、意識の片隅に引っかかったことがそのまま夢に出てくるのだ。


 今朝も、友人と兄の奥さんの出産日が近いせいか、子供が産まれる夢を見た。


 何故か兄がコードネームのようなものを名乗っており、本名を封印していた。


 そんな兄を夢の中で見て、「凄いや! 兄ちゃん某死のノートに名前書いても死なないや!」などと言って大笑いしていた。出産というものは人生の中でとてつもなく大変な出来事なのに、僕の深層心理は呑気なものだな、と思った。


 事業所での作業は制作中のゲーム用のキャラクター立ち絵作りなどがあったが、ほどほどに切り上げて街に繰り出した。


 繰り出したと言っても、オタクである僕にとって居心地が良いオタク向けの店が建ち並ぶ区画だけだが。


 前後編に分かれているSRPGの後編を買ったのだ。僕の地元のレトロショップの売り値より断然安かった。事業所のメンバーによると売り値は安くても買取値はかなり安い店らしいが。


 僕は、しょっちゅうゲームを積んでしまう。


 攻略法がわからないとかゲームが特別つまらないとかではなく、やり込む時間と体力が取れない上にRPGやSRPGなど、プレイ時間が長くなる作品ばかり好きで買ってしまうからだ。


 大きめのダンボール箱いっぱいに敷き詰められた未クリアややり込み足りないゲーム。紛れもない積みゲーマーだ。


 否、趣味の延長とはいえ自分もゲーム制作をする者の端くれ。積んでいるゲームたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 もはや、積みゲーマーなどと言うのは生温い。


 『罪』なゲーマーと自分を虐げたいぐらいだ。などと言うしょうもない駄洒落すら浮かぶ。


 ダンボール箱を覗き込む度にゲームたちの怨念が聴こえてきそうですらある。時間がかかってもいずれ供養しなければ。消化ではなく供養を。


 だが、ゲーム好きのSNSのフォロワーさんたちは「ゲームは好きな時に好きなゲームを楽しんでやるのがイチバーン!」と慰めてくれる。なんと優しいことか。


 ゲームを積み上げていくのも嫌だが、かと言って自分の創作活動のゲーム制作などがストップするのはもっと嫌だ。


 創作活動に情熱を傾ける気があるのなら、遊ぶ方のゲームたちには待っていてもらう他ない。なんまんだぶ、なんまんだぶ。


 創作活動と言えば、明日は京都に行く。


 主に関西圏の創作活動たちが集まるオフ会が催されるのだ。オフ会と言っても、飲み会やレジャーというよりは創作者同士の静かな語らいと相互協力など、言わば大学のサークル活動に近いものになるだろうか。主催者の方はそう目指しているようだ。


 期待はある。


 期待はあるが、やはり不安もある。


 社会人創作者たちは忙しい仕事の合間を縫って創作活動に勤しんでいるというのに、僕は障害や病気があるとはいえ、定職に就けずに創作アトリエで存分にモノづくりをしている。


 そんな人間を受け入れてくれるのだろうか。


 そんな、病人として肩身の狭い想いから来る不安だ。


 何れにせよ、行ってみなければわからない。


 実際に顔を合わせてコミュニケーションを取って、さらに創作活動に何を求めているのかを示してみなければ。

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