第3話 7月13日。持病と、応援してくれる人
木曜日。
正確にはこれを書き始めているのは前日の12日の水曜日だ。コンスタントに発表する為に書き溜められるなら書き溜めておく。
隔週の木曜日は、訪問看護の所長さんが訪問看護に来てくださる日だ。もうかれこれ八年は付き合ってくれているだろうか。
無条件に嫌い、不快がる人もいるのであまり気は進まないが、ここで僕のプロフィールの一端について記さねばなるまい。
僕はもう長いこと精神疾患を患っている。小六の時からずっと病院に通っている。
初めは思春期性の鬱病かと思われたが、中学高校で自律神経失調症、現在は統合失調症と診断を受けている。
まともに働くことも出来ない身体なので、行政や福祉機関を利用して、何より家族の支援を受けて何とか生きている。
生まれついての発達障害がどうとかの話は長くなるので後々に回すが……手帳も交付されている精神の障害者なのだ。俗に言えばメンヘラだ。
くれぐれも誤解しないで頂きたいのは、精神を患っているとしても必ずしも悪ではないこと。そして、僕の場合は障害者と言っても症状はまだ軽い方だということだ。
世間のイメージにあるような、錯乱して奇声を発しながら暴れたり、会話も碌に通じなかったりなどという事はまず無い。
訪問看護で受けるサービスも、生活の介助と言うよりは話し相手になってくれることと、血圧、脈拍、体温など簡単なバイタルチェックぐらいだ。
所長さんは心身共に頑健で豪快だ。なのに、医療従事者として患者の人にとことん優しく接する『仁』の心がある。
所長さんと初めて会った時、妙なデジャヴを感じると思ったが、それは小学六年生の時の担任だった先生と声が似ているということだった。
あの先生も心身共に頑健で、子供を預かる以上厳しく接することもあったが優しく、愛の深い教師だった。それでいてどこか豪快であっけらかんとしている。
人間の声というものは本人の精神状態に大きく左右されるものらしい。もしかしたら、似たマインドを持った者はどこか似た声のトーンになっていくのかもしれない。
さて、学校の教師もそうだが、訪問看護医療の現場も過酷なものだ。
年末年始もお盆も碌に休みがない。
何せ、受け持っている患者はほとんどが病気や老衰で重篤な障害を持ち、自力で生活を送ることが極めて困難……人によっては、一瞬でもケアを怠れば生命に関わる。
身体介助だけでもお下の世話、入浴介助、リハビリテーション、姿勢のアシストなど、その業務は気力、体力共にハードだ。
そんな患者さんの中に、僕のように助けがなければたちまち生命が危ういなんてことが無いような者も加えてもらうと、ありがたいが少し申し訳ない気分だ。
せめてうちに訪問に来られる時ぐらいはリラックスしてもらおうと、コーヒーとお茶受けぐらいは出すようにしている。
なのに、所長さんは自ら、僕などのためにお菓子などのプレゼントを持ってきてくれることがある。
なんともはや、そこまでされると全幅の感謝と信頼を寄せる他無くなる。
今日も暑いから、と、コンビニで氷菓子を僕と母と所長さん三人分買ってきて振る舞ってくれた。
今は実質的に訪問看護のサポートを受ける必要の無い状態かもしれないが、そういった契約上の関係を越えて、僕を含め患者さんたちの人生の応援団となってくれている。
そういう関係性は、本来求めても得にくいものだと思う。出会いは宝だ。今後も長く……少なくとも完全に自立するか、訪問看護が受けられなくなるまでこの良好な関係を持っていたい。
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