虫愛づる姫君 巻の二
イワイノハジム
第一章 虫愛づる姫君 巻の一のあらすじ
(5657字)
花と蝶をこよなくお好みになる姫君のお隣に、虫どもを愛してやまない姫君が暮らしておられる。虫と言ってもすず虫や松虫のような趣ある類ではない。モサモサと体中に毛が生えていたり、六本足で地面を這いずるかと思えば、急に羽ばたいて人の顔に飛びかかったり、一日じゅう木に取り付いてジイジイ鳴いていたりする、そんな虫ばかりを可愛がる姫君が、この都に真実いらっしゃるのだ。
姫君は、年端もいかぬ
「虫が
童たちに声をかけて、恐ろしげな姿のいろいろな虫をこれでもかと集めさせ、さまざまな形の観察用虫かごへお入れになる。
「イモ虫毛虫が、思慮深そうにしている様子ったら、本当に奥ゆかしいわ」
それでもさすがに添い寝はできぬから、手のひらに載せて右から左から飽きもせずに観察なさっている。
当然、父君母君はひどく心配され、お嘆きになる。
「何か深い考えあってのことだろう。しかし、年頃の娘が無粋なまねばかりしていてどうするのか。世間では、やれ変人じゃと噂になっておるぞ」
でも姫君は、理路整然とお答えになり、
「物事の表面だけを見て、美しいだの汚いだの言う姿勢には問題があります。あらゆるできごとには根本となる物の理が隠されているのですわ。それを究明するのは、人として非常に崇高な行為だと思うのです。ほら、ご覧いただけるかしら、毛虫が蝶になるのですよ? 他にも例えば、人の着る衣服は絹からできていて、絹は蚕の吐いた糸で織られています。イモ虫である間は大変な役立ちようですが、蚕は蛾になってしまうと、あとは卵を産むだけなのです」
「ううむ、なんたる姫だろう。ああ言えば、百倍にして、こう言って返しおる」
ご両親は天を仰いで嘆くのだった。
姫君の虫好きは尋常ではなく、あるときなど、
「毛虫って姿形は面白いんだけど、古典を思い出すよすがにはならないわね。でもカマキリやかたつむりには故事成句がけっこうあるから、その点で興味深いのよね」
などと言いだし、何匹ものカマキリ、かたつむりを集めさせ、
「さん、はい!」
号令をかけて童らに虫の歌を歌わせる。そして、ついには御みずから、男のように大声を張り上げて、白楽天を歌い出す。
「かたつむりの角の上でぇ~、いったい何をツンツンしているのぉ~?、想像してごらんん~、まるで火打ち石のぉお~」
女房たちがするような、眉毛を抜いて
「こんなもの不潔よ!」
あろうことか、「こんなもの」呼ばわりされるほど嫌って、全くお付けにならない。そのため笑えば真珠のような歯がきらりと光る。髪は腰ぐらいまであるけれど、虫を観察なさるときには、額髪を耳にかきあげて熱心に見入っておられる。まるで、仕事に追われて忙しい女どもがするような仕草だ。
こうしたお振る舞いをなさる姫が、若い女房たちの手におえるはずもない。それゆえ、やはりどうしても、控えの間にて額をよせあっては、
「毛虫くさいお屋敷なんてまっぴら!」
「よその姫様にお仕えしたいわ」
まだまだ未熟な者どもは口々に言い合うのだった。そこへ、古株女房の
いかでわれ
とかむかたなく
いてしがな
かわむしながら
みるわざはせじ
「私は姫のおそばにずっとお仕えしたいわ。今はまだイモ虫毛虫に夢中でも、いつの日か、嗚呼いつの日か、蝶になられることでしょう」
表面上はそんなことを歌ってみせているけれど、句の上を取ってみれば「いといがみ」と読める。つまり、「ずいぶん噛みつくような勢いで言い合っているのね」。やんわりたしなめる兵衛なのだった。
だが若い女房たちも黙ってはおらず、例えば
「よそのお屋敷に仕える女房がうらやましいわ。だって蝶よ花よとお楽しみなんでしょう? それに引き替え、こちらでは毛虫くさいばかりで、もう」
若い中でも少し年かさの左近はひねりをきかせ、
ふゆくれば (冬が来ても)
ころも頼もし (衣の心配はありませんよねぇ)
さむくとも (寒くたって)
かわむし多く (毛虫がどっさり)
みゆるあたりは(いるようですからぁ)
これも、句の上が「ふごさかみ(畚逆見)」と読めて、
「イモ虫を入れた
つまり兵衛の使った折り句をまねして一矢報いた形になっている。さらに左近は「着物なんかも着なきゃいいのにねー」なんぞと言い出すのだった。
若い者たちの言いたい放題を聞いて、古株女房の兵衛がとうとう語り出した。
「姫君がおっしゃるのは、毛虫が脱皮して蝶になるという自然の神秘についてなのです。その変化の過程を調べていらっしゃるのです。こういう探求心は、まことに考え深いと評価されて当然なのです。それに、ひらひら飛んでいる蝶なんて、捕まえれば手に粉が付いて、病の原因にもなるのだとか。一見きれいそうだけど、いやらしいったら、もう」
兵衛は思慮深げに語る。まこと、女房の鑑のような者である。えらいぞ兵衛。
六本足の虫ならば何でも来いの姫君だが、およそ長くてにょろにょろしたものは大嫌いだ。いつぞや、良家の物好きな御曹司、
「な・何かの理由あればこそ、蛇が同封されたのでしょウ。これは前世の父母かも? ひょ表面的な美醜で、美しい間だけもてはやすのはイカガなものか?」
甲高い震え声でおっしゃって、遠くから棒でツンツンと調べるそぶりまでなさった。まことに見上げた探求心ではなかろうか。
姫君のこうしたご様子を垣の間から覗き見て、右馬佐がほざくには、
「おしいなあ、実におしい!
どちらかと言えば、こんなニョロニョロした男も、姫はお好みではない。このとき、騒ぎを聞きつけおっとり刀で姫を救いにみえた父君は、その生きるが如き蛇模型をご覧になり、かえって感心されて、
「早いところ、歌だけでも返してしまいなさい」
そうおしゃって、またお仕事に戻られるのだった。蛇模型には次のような歌が添えてあった。
はふはふも (地面を這ってでも)
きみがあたりに (あなたのおそばに)
したがわむ (お供しましょう)
ながき心の (ずっとずっと続く、あなたを思う心がぁ)
かぎりなき身は (この長い身のように限りなくぅ)
なにやらあちこちに力のこもった作のようである。そこで、姫はわざとゴワゴワの紙にカタカナで返事を書かれた。
「アナタガ長虫ノオ姿デハ、オソバニイラレマセン。来世ニテオ会イシマショウ」
紙にも内容にも頓知を効かせたため、それにはさしもの右馬佐も苦笑いし、ひとまずはへろへろ帰って行ったものだ。
そう言えば、唯一、にょろにょろしていても姫が平気で触れるのは、愛猫コヨリのしっぽぐらいのものである。その名は、投げた
こんな姫を、大切な一人娘だからと、ご両親は他家の姫とは比べものにならぬほど溺愛し、その望むとおりに「虫生活」を送らせてきたのだが、このままでは婿のなり手が無かろうと、まことに心配の絶えぬ毎日である。挙げ句の果てには、右馬佐と愉快な仲間一名が、なんとわざわざ女装までして、再び覗き見に来たのだった。残念ながら、これは類が友を呼んだ例であると噂されている。
……ああ、なんと不憫なご両親であろうか! いつの日か、どこぞやの若君と無事添い遂げられるよう、破天荒きわまりなき姫をどうにか矯正教育していきたいものだ、このように語られる父君であった。(つづく)
◇ ◇ ◇
あらすじを記した巻紙はカサカサと耳障りな音を立てて、姫の手元に広がっている。コオロギ模様の
「これは、一体、どういう趣向ですか?」
すんなりした竹葉を形良くおいたような眉毛は、その角度をいささか増しぎみにしている。
「まるで私一人だけが変人のような描きかたではありませんか!」
「姫、そのように大きな声をたてぬこと」
母君が静かにたしなめる。
「これも父上の深謀遠慮の一環なのですよ」
「それにしても、この書きっぷり……しかも〈つづく〉とは? 〈つづく〉って?」
姫は手にした巻紙をいつの間にか握りしめて、
「ああ、書き主を問い詰めたい!」
憤慨する姫の斜め後ろには女房の兵衛が控えおり、なぜか顔を伏せている。その眉は寄っていて、肩は微妙に上下している。
姫の気持ちは収まらない。
「それに左近だって小大輔だって、本当の女房たちは、ここに書かれているほど意地悪じゃないでしょう?」
兵衛はさらに顔を伏せる。逆に、母君の後ろに控える若い左近は、ごく小さな動作ながらも首をブンブンと縦に振っている。
見かねた母君が、柔らかい言葉で書き手を弁護する。
「面白くしようとして筆が滑ることはよくあるそうな」
姫の背後では、これもまたごく小さな動作ながら、兵衛が首を縦にコクコクと振っている。
「残念ながら、面白くなってはおりませぬ!」
姫の断定を聞いたとたんに硬直する兵衛。向かいに控える左近は「ほら、ごらんなさい」とでも言いたげ顔だ。
開け放した
すると、それまで座して瞑目していた大納言がゆるりと口を開く。
「まあ、姫にはまだまだ実感できぬだろうがな、このような物語をそちこちに広めることで、わが一家の婚姻機会も増えようというものだ」
「ですが父上」
「なかなかに誤解の多い世の中、ふた親の良識度が高いことを積極的にあらわし、物好きな公達に、〈ああ、この親ならば〉と思わせる、そういった物語を至るところに流布し普及させ」
「わたくしは」
背後の女房たちがひやりとする、そんなさえぎり方で姫は主張した。
「とりわけこの一点が承服できませぬ」
「ほう、何かな」
大納言は穏やかに問う。広げた巻紙を指さしながら姫は続ける。
「これです。毛虫、イモ虫などと、私は一度も言ったことが無いのです」
「なんと」
「わたくしはいつも、常に、幼虫と呼んでおります。ようちゅうです。幼き虫です。毛虫だなんて! イモ虫だなんて! 虫にうとい、あのお隣の花姫様ならともかく」
蝉しぐれに隠れて、どこからともなく、かすかに鐘の音が響いてくる。木漏れ日はゆらゆらとうごめき、漂う濃淡を地面に落としている。ようやく顔をあげた大納言は、つぶやくように言った。
「幼虫……そこか。そこであったか、姫の懸念は」
ここは
いつもなら姫の弁舌を黙って聞く大納言が、今日は逆に質問を発したのだ。
「ひとつ問おう。姫はなぜ、蝶よ花よではなく、虫よ幼虫よとだけ思い煩いながら日々を暮らしていけるのか」
思い煩いという言い方にひっかかりを感じつつも、姫はチラッと上目遣いにした目をいささかそらして、神妙に答える。
「それは、まず、父上母上が、許してくださるからです」
「片頬だけふくらますのはやめなさい」
と母君。
「……はい」
「ふむ、ではなぜ、われら父母は許しているのかな」
「それは……いつの日か、父上のお仕事をお手伝いできるようにと」
「そう、そこなのだ」
大納言は腰を少し浮かせ、座り直した。そして流れるように語り出す。
「我が家に独特の、他家には任せられぬ業務を、滞りなく円滑におこなっていくために、そして発展させていくためには、四書五経や『史記』の丸覚えではなく、むしろ『
虫姫様は静かに答える。
「はい」
「ふむ。ならば、こうした書巻に見られるような、〈書かれた素晴らしい知識〉だけを覚えていけばいいのか。否。長きに渡り積み重ねられた知恵を必要とする一方で、現実の虫やその振る舞いに隠されている〈物の理〉を探り出し体得する、そういう〈しなやかな考え方の構え〉とでも言うようなありかたが、我らにはどうしても不可欠なのだ」。
大納言の言葉をうつむき加減に聞きながら、姫は思う。
(ああ、今日の父上は何かが違う。お話の内容はいつもと通じるけれど、何か、他におっしゃりたいことが、このあと……)
やはりと言うか突然と申すべきか、父君の言葉は妙な方向に動き出した。
「そこで、虫愛づる姫君に、いくつかの難題を与える。姫は今まで本当に、虫を相手として真剣に研究をしてきただろうか。さまざまに学んできたならば、虫以外の分野においてもその考え方は応用できるはずである。もし、今まで単に遊んでいたのならば、これから出す難題は解けぬであろう。まったく解けぬときは、どこぞの公達とさっさと婚礼をあげるべし。もし、みごと難題を切り抜けるならば、これまでどおり虫の研究を続けてよろしい。さあ、いかがいたすか、名にし負う虫愛づる姫君よ」
(えっ……えええ)
姫は心の中で叫んだ。そして言った。
「遊んではいません。た、楽しかったけど!」
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