第一章_2




 晴明は十二神将たちの主だが、全員が彼に絶対服従しているかというと、まったくそんなことはない。

 服従ではなく、協力してくれている、という表現がもっとも相応ふさわしいかもしれない。

 一応命令はするのだが、彼らがこばめばすいこうされない。逆に、晴明が何も言わなくても、彼らが勝手に行動することもある。

 どちらかといえば、こちらのほうが多い。あつとう的に。

 なぞの男が名指しした神将の顔を思い出し、晴明はふっとれいしようした。

 よりによってあの、青龍を。

 一応形だけ使えきとして従っているふりをしなくもないあの男。呼んでもまるで応じない。たまたま気が向いたときだけ面倒そうに顕現し、何を言われてもろくに答えず、さらにはまともにたいすることすらしない。

 はすに構えて視線はあらぬ方。それでも時々こちらに視線を向けてきたかと思えば、冷めきった目でごうぜんと見くだしてくる始末。

 約定の際には、主の命に従うのは絶対だ、などと言っていたが、どうしてどうして。

 あれを借り受けたいとは、物好きにもほどがある。

 十二神将というくらいだから十二の個性が集まっているのだが、あれが一番けんごしで扱いづらくて手に余る。もっとも、いまのところほとんど出てこない者たちもいて、それらはそれらで持て余すような気がしているのも事実だ。

 しかし、いまのところは青龍が一番やつかい者だ。これはちがいない。

 思い返せば返すほど、胸の奥からふつふつとどす黒いものがきあがってくる晴明だ。

 青龍の目はいつも語っている。

 お前がなぜ俺の主なのか、と。

 だから晴明も、つい思ってしまう。

 お前がなぜ私のしきがみなんだ、と。

 ───借りたいというなら持っていけばいい。

 別に構わない。呼んでも出てこない式神ではなんの役にも立たないのだ。必要だという人間がいて、貸してほしいというのだから、応じてやるのが人情というものだ。奴とて自分を必要としている人間に使われたほうがいいに決まっている。たまにそうやってよそに出向いてくれたほうが、たがいのためというものだ。

 胸の内でぶつぶつとつぶやいていた晴明は、そでを引かれて瞬きをした。

 見れば、十二神将玄武が傍らに座し、いたくしんみような面持ちをしていた。

「……晴明よ」

「なんだ」

「自覚はなかったようだが、考えていたことが全部口に出ていたぞ」

 晴明は、目をしばたたかせた。

 玄武だけでなく太陰も、神妙な、いや、少し傷ついたような目で、晴明をじっと見つめていた。

「…………そうか」

 玄武と太陰のことを言ったわけでは決してないが、彼らにこんな顔をさせたというおもいは、晴明の胸の奥におりのようにしずんだ。

 気まずいちんもくが落ちる。

 空気を変えようと、岦斎が声を上げた。

「……まぁ、ほら、なんだ」

 全員の目が岦斎に注がれる。

「その謎の男も、何を考えているんだろうな。この安倍晴明以外のだれしようかんできなかった十二神将だぞ。貸し借りなんてできるわけがないし、そもそも借りたところで使役できるわけが」

「できるぞ」

 割って入ったのは、ごくあっさりとした台詞せりふだった。

 言葉を失った岦斎が、あんぐりと口を開けて朱雀を見つめる。

「……は?」

 うでみをした朱雀がり返す。

「できる」

 岦斎は、自分の言葉を頭の中でふくしようした。

 貸し借りなんてできるわけがない。借りたところで使役できるわけがない。

「……ええと、どっちを?」

「どれもだ」

 みようが引っかかり、晴明が口を開いた。

「どういうことだ」

「俺たちの心情はさておき、どれも可能だ」

 玄武と太陰がいつしゆん視線をわし、険しい顔で半ばうつむく。

 朱雀は晴明をいちべつした。

「お前が許せば、誰かに貸すことも、借りた相手が俺たちを使役することも」

 一息おいて、朱雀はつけ加えた。

「晴明以外の者が、俺たち十二神将を召喚することも」

 ここで、朱雀は玄武をちらりと見た。

「過去に、俺や玄武といった、四神の名をかんする者は、術者に召喚されて何度かこの人界に降りている」

「そ……」

 呟いたのは岦斎で、晴明はひとつ瞬きをしただけで、もくしている。

 が、彼は心底おどろいていた。自分以外にも、十二神将を召喚して使役にくだそうとした者が過去にいたとは。

 それはいったい、なんのためにだったのだろう。

「その、過去にお前たちの誰かを召喚して、使役にくだそうとした術者ってのは、いったいどういう…」

 勢い込んでたずねた岦斎に、朱雀は片手を上げた。

「それはちがう」

「どれだよ」

 き返す声にどすがいている。

「朱雀、お前な、さっきからまるでいやがらせのように、なんでそんなあいまいな言い方をするんだ、もっとはっきりくわしく言え!」

「お前の主張は確かにもっともだが、あいにく俺のあるじは晴明だ。そして主の言い分では、お前は主のただの。ただの知己になぜこんせつていねいに説明してやらなければならないんだ」

 立て板に水を流すような朱雀の言葉に、岦斎はふるふるとかたふるわせる。

「……すみませんがもっとくわしくおしえてくださいおねがいします」

 朱雀が片まゆをあげる。

「見事な棒読みだが、まぁいい」

 仕方がないと言わんばかりに小さく息をつき、朱雀は晴明をちらりと見やってから口を開いた。

「俺たち十二神将が主をいただき、使役として従った者は、確かに安倍晴明以外にはいない。だが、神将を召喚して一時的に使役した者はいたし、命令を受けたわけではなかったが、事情をんで俺たちが自らの意思で力を貸した者もいなくはなかった」

 そうなのか。

 押し黙ったまま驚く晴明である。

「完全な使役下に置こうとしたのは晴明が初めてだな。だからまずてんくうおきなが出ていった」

 晴明ののうに、召喚に応じてけんげんした老人の姿がよぎった。思えばあれがはじまりだ。

 ──我、十二神将をべる者なり

 あのしゆんかんの、らくらいにも似たしようげきを、晴明はいまもあざやかに覚えている。

「何しろ、俺たち十二神将全員を一度に召喚するなどというばかげたことをしでかしたのは、晴明だけだったからな。そんな向こう見ずな身のほど知らずはいったいどこの誰だと……」

 とうとうと語っていた朱雀が、沈黙した晴明のけんに寄ったしわに気づいて言い差した。

「……前代もんの勇気あるちようせん者のうつわを見さだめに、十二神将を統べる任を負う天空の翁が、まず人界に降りたわけだ」

「……てつぽうな身のほど知らずのことはいいからさっさと話を進めろ」

 半眼でつづきをうながす晴明に、朱雀は肩をすくめてみせた。

「俺たちをまとめて呼んだ者もいなくはなかったが、全員ではなかったからな。それに、そういう者たちは一生に一度命がけで俺たちを呼び出して力を借りる、というようなのが多かったから、使役にくだすためというのはなかった」

 それまでふむふむとうなずきながら聞いていた岦斎が、ここで目をしばたたかせた。

「む、ちょっと待て」

「なんだ?」

 首をかたむける朱雀に、こめかみに指を当てた岦斎が、考えながら問う。

「つまり、何人かの神将をまとめて召喚した者はいたことはいたが、それらの大半は一度だけ神将の力を借りるために呼んだのか?」

たいがいはそうだった。誰かひとりが呼ばれることのほうが多かったが」

「それで、呼ばれたら、お前たちは従うのか?」

「いや、従うというのは少し違う。力を貸すに足ると判断した相手にだけ、必要な間協力してやるんだ」

 たとえば、日照りがつづいたとき、水の神に雨をうとする。その場合、水の神を従えて意のままにあやつるわけではない。せいがんし、助けを乞うているのだ。

 乞う者にまことがあれば、神は応じる。その者の持つ器に応じた力を貸す。

 そういう意味では、過去に十二神将たちを召喚した者は、それなりの能力を持っていたことになる。

 だが、あくまでも一時的なものであって、事がすめば神将たちは異界にもどっていった。

 神将を完全に支配下に置き、使えきした者はいなかったのだ。

「それに、いまも俺たちを召喚することは、できなくはない。それこそ岦斎、お前がじんえがいて召喚の術を使えば、応じて姿を見せてやるくらいはする」

 ただ、従うことはない。彼らの主はもはや定まった。主の許しなくほかの誰かに力を貸すこともない。

「もっとも、晴明が許せば話は別だがな」

 そういった事情を、あのなぞの男が知っているのかどうかはさておき、筋は通っているのだ。

「……たとえ、晴明が許したって」

 ずっと沈黙していた太陰が、ようよう口を開いた。

「いきなりおそってきて、朱雀にを負わせるようなやからに力を貸すなんて、絶対に嫌よ」

 太陰の語気が固い。めつに見せないこわったおもちが、彼女の心情をによじつに表している。

 朱雀はしよう気味に肩をすくめる。

 あの男が放ったものを朱雀はあえて受けたのだ。

 ぜたたなごころは、出血は治まったもののが引きれたままで、傷が消えるまで少しかかりそうだった。

 術自体は弱かったのにりよくは相当なものだった。それだけでも、あの男がかなりの使い手であることが察せられる。

 けている左手をゆるく開閉させて、朱雀はついと目を細める。

 あの男。負けが見えているから晴明とやり合うつもりはないと言っていたが、果たして本当だろうか。

 本当のところ、負けが見えていたのは、どちらだったのか。

 ちらりと晴明を見やる朱雀の目に、りよ深い光が宿った。

 安倍晴明はすさまじい力を持っているが、十二神将全員を使役するに足る器はまだ得ていない。

 神将の力はあふれんばかりなのに、器に容量がないからこぼれ落ちてしまうのだ。いや、こぼれるならばまだいい。

 実際は、納まりきらず、安倍晴明という器をこわしかけている。

 それでも、少しずつ神将たちは生来の力を取り戻している。だれにも言わないところで、晴明が努力をしているあかしだ。

 朱雀は晴明という男がそれほど好きではないのだが、だからといってきらいでもない。

 今後、好ましいと思うほうにてんびんが傾いていきそうな予感はある。しかしそれは、何かがあれば簡単に反対に傾く程度の予感だ。

 神将たちも使役として努力をしているが、主もまたそれに足り得る者としての努力が必要不可欠なのだ。

 それが上に立つ者の義務というものだと、朱雀は考えている。どうほうたちも口にはしないが、みな同じだろう。

「いずれにしても、あの男が何をどう言ったところで、とうの青龍が応じるわけはない。あいつは人間が嫌いなんだ」

 朱雀の言葉に、晴明は青龍を力ずくでくつぷくさせて使役としたことを思い出した。

 確かに、彼は決して人間を好んではいないだろう。

 晴明に対してだけでなく、人間という存在そのものに対して、青龍はいやにれいたんだ。

 いまも彼は、晴明の式神となったことを、心の底ではなつとくしていないのだ。

「うーん。なるほどなぁ」

 感心したようにしきりに頷いた岦斎が、何かを思いついた顔で太陰を手招きした。

 太陰は首を傾けながら岦斎の前に行く。

「何よ?」

「よしよし、来た来た」

 満足そうに頷いて、にんまりと笑う。

「見ろ晴明、十二神将を呼んだぞ」

 晴明は、あきれたように目をすがめた。

「……そうだな」

 それ以外の言葉を口にしなかったのは、あまりにもばかばかしくて言う気がせたからだ。

 一方、太陰も呆れ返った様子だ。

「岦斎、あんた、それが言いたくてわたしを手招きしたわけ?」

「そう」

 元気よく言いきる岦斎に、太陰は片手をもとに当てて深々と息をつく。

「やっぱりあんた、晴明の親友とか言っちゃだめよ。わたし、あんたが晴明の親友とか、認めたくない」

「なんだと、ひどいぞ太陰、お前までっ」

「我も太陰と同意だ、岦斎」

 かんだかい声が物々しく宣言する。

「玄武、お前もか!」

「なんだ岦斎、玄武のことをずいぶんしんらいしていたんだな」

 うでを組んだ朱雀が感心した顔でまばたきをする。

 すると岦斎はふんぞり返った。

「当然だ。俺は十二神将を信じてるからな。ついでに、晴明が口で何をどう言ったとて、俺を親友だと思っていることも知っている」

「というもうそういだいていることなら私もよく知っている」

 ぜつみようの合いの手を入れた晴明は、がくぜんと言葉を失った岦斎をしりに朱雀に問うた。

「ところで、青龍はどうしてる」

「異界にいるぞ。謎の男の話も一応しておいた」

 だが、青龍は何も言わず、げんそうにまゆをひそめただけだったという。

 そうかとつぶやいて、晴明は軽く息をついた。

 特に用がない限り、神気の強い神将は呼ばないことにしている。実のところ、いまこうして朱雀が近くにいるだけで、ろうがたまっていくのを感じるのだ。

 せんとうに特化したとうしようたちよりは、朱雀の神気は弱い。

 しかし彼は、闘将を除けばもっとも力が強いのだ。

 朱雀に全力を出されると晴明がつらくなる。朱雀もそれをわかっているので、あの男のこうげきだまって受けとめたのである。

 神将たちが生来持って生まれた力を解放させられないのは、晴明の未熟さゆえだ。だんはあまりそれを感じないでいるのだが、こういうときに思い知る。

 十二神将のあるじ。この命ある限り彼らを従えるという約定。それは、時間がつごとにこのそうけんに重くのしかかってくる。

「……………」

 おのれの内にしずんでいる晴明の横顔をながめていた朱雀は、たなごころが少し痛んだ気がして、目をすがめた。

 小さな傷というのは、思っている以上に気になるものだ。特に、こういったいびつな傷は治りがおそいので、にぶい痛みが長く残る。

 本来の力を使えれば、このような小さな傷を負うこともなくなるのだが、それにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 一方、打ちのめされたふうに見える岦斎に、玄武がたんたんと言った。

「ときに岦斎よ。いまさらだが、お前は何か用があってこの安倍ていに来たのではないのか?」

「ほんとにいまさらだな」

「用もないのに来たのか」

「用がなきゃ来ちゃいかんのか」

 むくれて半眼になった岦斎に、玄武は深々とたんそくする。

「用があるならば話せと言っているのだ」

「そこまで言うなら仕方がないな、話してやろう」

 なぜかえらそうに腕を組んだ岦斎をいちべつし、晴明は太陰に命じた。

「いますぐたたき出せ」

「こらこらこらこらこらこらっ! ひとの話は聞け!」

「聞きたくない。玄武、太陰、こいつをつまみ出せ」

 主の言葉に、太陰と玄武は顔を見合わせる。あわてた岦斎がわめいた。

「なんて親友甲斐がいのないやつだ! でも安心しろ晴明、俺はお前を見捨てない!」

 先に見捨てられるのは岦斎のほうじゃないのかと、神将たちの三対の目が語っているのをもくさつし、彼はようやく切り出した。

 いわく。

「さらさらと音を立てながら、銀の雨が降るんだそうだ」




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