第5話 赤く、眩しい女性(ひと)
翼音が聞こえてきた。大型の翼竜が数騎、人の背丈はある大きな箱を鉄鎖で繋いで運んでいた。
「あれは?」
「ラブロの塔からの支給品さ。食糧とか、飼料とかが入ってる。俺たち騎士は階級戦には参加しないから、物資は基本的に配給制なんだよ。ほら、ここからでも見えるだろう。南東にそびえる塔がラブロだ。俺たちの生命線だな」
「食糧を、塔で作っているのか」
「そうだ。ジェンドは信じられないだろうが、ネペイア・アトミスのほとんどの人間は、お前の知るような『畑』を直に見たことがない。塔で勝手に作られるものだと思ってる。まあ、半分は当たっているが」
ジェンドは物資を運んできた人々を見た。風除けのためだろうか、厚着をしている。男も女もいたが、皆ジェンドよりずっと年上だった。
「あの人たちも騎士なのか」
「いや。彼らは『民』だ。運搬、清掃、土木――他にも人の手が必要な様々な仕事に就いている。この街にはなくてはならない存在なのに、地位は低い」
「地位……」
「しっくりこないか? だが、お前はそれでいいさ。民は俺たち騎士と同じく、階級戦に参加しない。だから自前でマタァが確保できない。マタァの有無で生活水準が大きく変わるネペイア・アトミスでは、騎士や民は路傍の石同然だ。まあ、だからと言って上街に行きたいとは思わん。ネペイア・アトミスの外には、とてつもなく広い世界が広がっている。身内で戦って満足する連中には決してわからん」
エザフォスが遠い目になる。
「……騎士でありながらマタァのもたらす豊かさに目が眩んだのが、お前の故郷を滅ぼした男だ」
あの男が川の水を全て使って力を蓄え、階級戦を優位に進めようと企んだことは、数日前にスピアースらから聞いていた。
「そう考えると、ジェンドたちがあの環境で紋章術を知らずにいたのは奇跡だよ」
「必要がなかったからだと、思う」
「羨ましい限りだ。……さて、俺も手伝いに行ってくるか」
エザフォスの後ろ姿を見ながら、ジェンドは彼が階級戦を疎う理由を感じ取った。
物資を積んだ大箱は、倉庫を兼ね備えた詰所に運ばれた。そのとき、大きな音と共に詰所の内部から灰色の煙が噴き出した。数人の悲鳴が聞こえ、ミツの葉が宙を舞った。
煙の中から人影がひとつ飛び出す。混乱する詰所を顧みず一目散に駆ける。長く鮮やかな赤髪がたなびいた。
「待て!」
同じく煙から姿を現したエザフォスが鋭く叫んだ。だが人影は従わず、係留していた翼竜に素早く飛び乗ると、剣で綱を切り落とし、発着場を飛び立った。
建物からは騎士たちが咳き込みながら次々と出てくる。
「キクノがスピアースの腕を持って逃げた」
「グリオガから『生き返し』の話を直接聞いたんだ。あいつ、騎士には任せられないと言いやがった」
「あの跳ねっ返り娘め。追うぞ。竜は」
「ほとんど眠っている。すぐには飛べない」
漏れ聞こえてきた会話の内容に驚き、人影が飛び去った方を振り返る。
エザフォスが駆け寄ってきた。
「頼みがある。今飛んで行った奴を追いかけてくれ。すぐに飛べるのがお前たちなんだ」
「わかった」
「すまん。捕まえようと考えなくていい。無理せず、見失ったらこいつを上げろ」
そう言ってピオテースの鞍に発煙筒を取り付け、その使い方を簡潔に伝えた。
ピオテースを駆り発着場を飛び立ったジェンドは、間もなく目標の翼竜を発見した。大地の縁に沿って上昇している。ピオテースに合図し追走を始める。相手もジェンドの存在に気付いて速度を上げるが、翼竜の基本性能の違いからか、距離は開かない。
上昇を終えると視界が一気に開けた。
上空から見るネペイア・アトミスは、お
『森』は、眼下の街での戦いを表しているのだ。
速さでは敵わないと悟ったのか、相手はいきなり身を翻して降下した。建物の間の狭い隙間に滑り込む相手を見て、ジェンドは追走をやめた。ピオテースが振り返って意志を確認してくる。ジェンドは首を横に振り、発煙筒を焚いた。
「素人が無茶するのは危険。それに、お前も疲れてる」
心優しい翼竜の首根を撫でる。
――ジェンド自身は露ほども意識していなかったが、ここまでの飛翔技術はとても素人とは思えない非凡なものであった。自らの才能に無頓着なジェンドは、その事実に思い至ることができなかった。
ピオテースを促し、ゆっくりと降下する。円形の芝の広場に着地すると、翼竜は「やれやれ」と言うように息を吐いた。
地面に降り、辺りを見回す。
二階から三階建ての家屋がほぼ隙間なく並んでいる。裏通りなのか石畳を歩く人の数はまばらで、皆、ジェンドと同じような布軽装であった。彼らは突然の闖入者が翼竜を従えているのを見て、奇異と興味の目つきになっていた。居心地が悪くなったジェンドは、エザフォスたちが早く来るようにと願い、少し色が薄れてきた発煙筒の煙を見上げた。
「なあ。そこのあんた」
無精髭を生やし、背中の曲がった中年の男が声をかけてきた。先ほどまで軒下で座っていたので、ここの住人だと思われた。
「もしかして逃げてきたのかい。その翼竜、騎士のものだろ。いくらか譲ってくれたら、匿ってやるぞ」
ジェンドは眉をひそめた。彼が何を言っているのかわからない。
男は口元を緩め、「このままってのは迂闊、迂闊」と言いながら近づき、ピオテースから発煙筒を取り外そうとした。その手を誰かが掴む。鮮やかな赤い髪が揺れる。
「やめなさい。戦いもしないでマタァをせびるなんて、みっともないわ」
「ずいぶんな言い草だあ。キクノ」
聞き覚えのある名だった。
「まさか、スピアースの腕を盗んだ……」
ジェンドのつぶやきに相手が振り返る。固い髪質、吊り上がった目、一方で控え目な口鼻、卵形の輪郭。発着場で騒ぎを起こした張本人は、ジェンドとほぼ同年齢に見える女性であった。
「キクノ・マラクよ。スピアースは私の実兄。それから、『盗んだ』は訂正して」
男を下がらせ、キクノはジェンドに正対した。態度に険がある。
「まさか追いかけてきたのがピオテースだったとはね。引き離せなかったのは道理だけど、不愉快だわ。亡くなった人間の愛騎を使うなんて、私や兄への冒涜だと思う」
「そんなつもりない。それは違う」
ジェンドは反論した。するとピオテースがグルグルと喉を鳴らしながら、キクノの肩を押した。険しく切り立っていた彼女の眉がやや緩む。
「ピオテース……これはあなたが望んだことなの? この男が兄の代わりになってもいいと、そういうことなの?」
肯定するように翼竜が鳴く。
「……あなた、名前は」
「ジェンド。こっちがルテル。エナトスから来た」
キクノの眉が戸惑いの角度を描く。
「家名はどうしたの。それにエナトスって、そんな地区名あったかしら」
「家名がどういうものか知らないし、持ってもいない。エナトスは生まれ故郷だ。ネペイア・アトミスの人間じゃない。俺は、あんたの兄に助けられてここに来た」
「兄さんに?」
ルテルが肩の上から飛ぶ。
『キクノ。あなたはどうしてここに戻ってきたのですか。逃げていたのではないのですか』
「別に、逃げたわけではないわ。私はまだロフォス・エザフォスの皆に言いたいことがある」
「じゃあどうしてこんなことを」
「兄の身体をグリオガ様に一刻も早く届けたかったの。グリオガ様から大まかな経緯を聞いて、居ても立ってもいられなかったから。……そういえば、ジェンドという名をグリオガ様から聞いたわ。そう、あなただったのね」
「あんたは、スピアースを生き返したいのか」
「そうよ。方法があるのに、その場で足踏みしているのが我慢できない。確かにいくら高名な祭壇師といっても、死んだ人間を生き返すことができるなんてにわかには信じられない。危険も、失敗もあるかもしれない。でも、道があるなら選ぶしかないじゃない。だって、他ならぬ家族のことなのよ」
力を込めて語るキクノ。その気持ちはジェンドには痛いほど理解できた。
「兄のことはグリオガ様の家の者に引き継いできた。あとは頭が硬い皆を説得するだけ。発煙筒を焚いたなら、もうすぐ皆がここに来るはず。だから戻ってきたの。兄さんは、誰よりも騎士であることに誇りを持っていたけど、騎士で終わっていい人ではなかった。だから……やり直せるなら、やり直して欲しい」
ピオテースの横腹に手を当てる。彼女の横顔は遠くを回想しているようにも、これからのことに決意を固めているようにも見えた。
「兄は、スピアースはそれだけの能力と魅力を持っている。私は自分のしたことを間違いとは思わない。これからも」
――眩しい。彼女は俺よりもしっかり前を見ている。自分を信じて進もうとしている。
ジェンドはそう思った。
やがてエザフォスが仲間を連れてやってきた。キクノがいることを驚いていたが、彼女の強い眼光に射貫かれ、言葉を飲み込んでいた。
「皆さん、諦めないでください」
開口一番にキクノは言い、それから立て続けに自分の意志をぶつけた。真っ直ぐ目を逸らさずに、年齢も経験も上の男たちに向かって主張するキクノの姿に、本音を言えば辟易した。だが一方で、現状を何とかしたいと強く思い、揺るぎない自信と信念を持って行動しているのだろうと感じた。
俺は、受け身が過ぎたのではないか。キクノのように、もっと自分の行動に自信を持つべきではないか。積極的になるべきではないか。
「眩しい奴」
つぶやく主を、ルテルは見上げていた。
結局、この場はキクノとエザフォスが揃ってグリオガと面会することで収まった。
「ジェンド。お前は皆のところに戻ってろ。明日の厄介な階級戦に備えなきゃならないだろ」
反射的にうなずきそうになって、ジェンドは首を振った。
「俺も行く。行かせてくれ」
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