第4話 課されたモノ

 太陽が南中を過ぎた頃。

 ロフォス・エザフォス隊とジェンドは目的地のネペイア・アトミスに到着した。

 その『街』を目の当たりにしたジェンドは、しばらく続いていた騎士たちとの気まずい空気も忘れて、唖然とした。

 高高度にある半球状の巨大な大地を、細く頼りない一本の柱が支えていた。まるで燭台のような形だ。そして、その周辺を守るように四本の柱が地上からそびえていた。これら全てがネペイア・アトミス――ひとつの『街』であるという。ジェンドの常識は根本から打ち崩された。

 エザフォスの合図で一行は高度を下げた。燭台大地の下層にある発着場へ向かう。切り立った崖が大きくくり抜かれ、内部に入れるようになっていた。ジェンドとピオテースは最後尾で発着場に入った。地面は濃い灰色の靄で覆われていて、着地の衝撃を和らげた。そのまま翼竜たちは歩いて奥へと進んだ。緩衝材の靄が途切れたところで、ようやく翼竜から降りる合図が出た。ジェンドは地面に足を付けた途端によろめいた。自分の手足が自分のものではないような違和感があった。

 ロフォス・エザフォスの面々は口数少なく、ジェンドには理解できない作業に取りかかった。本当はすぐにでも水分を補給したいほど喉がかさついていたが、ジェンドはピオテースの傍らでひたすら指示を待った。

 しばらくして、ようやくひとりが声をかけてくれた。

「あっちに待機施設がある。また呼びに行くから、それまでじっとしていろ」

 ジェンドはうなずき、言われたとおりに十数メトル先の石造りの小屋に向かった。ピオテースも後ろからついてきた。騎士たちは主を喪った翼竜を呼び止めようとしたが、ピオテースが嫌がったので、結局、翼竜の好きにさせた。

 待機施設は平屋でこぢんまりとした建物だった。内部には寝台と書机がひとつずつあり、壁の一面に本棚が据えられていた。寝台の脇には四角くくり抜いただけの窓があった。

 ジェンドは寝台に腰を下ろした。途端、吐きそうになって口元を押さえた。吐き気とともに唾を飲み込むと喉に痛みを感じた。

 ピオテースが窓から長い首を差し入れ、ジェンドの肩に顎を置いた。心優しい翼竜にジェンドは微笑み、翼竜の横顔を軽く撫でた。

「お前の主を守れなくて、すまない」

 天井を見上げる。液体が入った透明な瓶が吊り下げられ、うっすらと光を放っている。エナトスにはあんなものなかった。ここは故郷から遠く離れた場所なのだ――改めて現実を突きつけられ、ジェンドは大きく息を吐いた。

 ルテルは傍らで眠っていた。心なしか羽の色が薄くなっている。

 俺も休もう。

 身体のだるさは耐え難いほどになっていて、低く唸りながら寝台に倒れ込んだ。今すぐ眠ってしまいたいのに、意識がはっきりしていて眠気の切れ端さえも訪れない。そのせいか、これまでのことを延々と思い返してしまった。

 自分が正しい道を進んでいるのか、自信が持てない。

 こういうとき、バンデスなら何と言うだろう。何か言って欲しい。導いて欲しい。

 ジェンドは左手の火傷痕を見たが、何も起こらなかった。失望を込めて火傷痕を触る。

 ――指先が、火傷痕にめり込んだ。驚愕で固まった指とは反対に、掌は溶けた乾酪かんらくのように柔らかくなっていた。

『スティマス……』

 ルテルがやおら起き上がる。彼女は身体から灰色の靄を出した。ジェンドの肌に靄が染みていくと、左手は次第に元の弾力を取り戻していった。

『これで……とりあえずは大丈夫です』

「ルテル。今のは。俺の身体は、いったいどうしてしまったんだ」

『スティマスは今、徐々に崩壊しています……私の力が及ぶうちは、進行を食い止められ……』

 言い終わらないうちに、使い魔の少女は目を閉じた。ジェンドの腕の上で静かに寝息を立て始める。

「ルテル。大丈夫か。ルテル」

『落ち着けジェンド。疲労で眠っているだけだ』

 火傷痕が動き、バンデスが現れた。

『だが、良くない傾向である』

「何が起こってるんだ。教えてくれ」

『ルテルの言う通り、お前の身体は崩壊の危機にある。黒い太陽の紋章術を浴び、儂を宿したことが原因だ。放っておけば全身が溶け、お前は人の形を失うだろう。これを防ぐには、身体崩壊よりも早く熱源としての力を蓄えなければならぬ。紋章術を使い続けるのだ』

 ジェンドは動揺した。

「だけど紋章術を使ったら、身体が動かなくなったんだ」

『それは紋章術の副作用ではなく、お前の精神的な脆弱さのためだ。強い心を持てば、倦怠感などいずれ治まる』

 だが問題はそこではない、とバンデスは言った。

『今のお前は紋章術師として未熟ゆえに悪循環に陥ってしまっている。紋章術を使用した直後、自分の身体が自分のものでないようだと感じたであろう。術を使うことでむしろ身体の崩壊を進めてしまっている証左である。危険な徴候だ』

「そんな。じゃあどうすれば」

『紋章術を完全に掌握するのだ。術の流れをつかみ取り、操れ。一時の激情に任せた術は氾濫した川のようなもの。お前自身を壊す濁流だ。お前が誰にでも同情することは儂も理解している。だが、敢えて言おう。敵を作るのだ。術の向かう先を冷静に見定め、必要な力を必要なだけ流せ。それは確固たる意志と術の掌握があって初めて可能になる。そうして正しい道を邁進するなら、儂の想定より早くエナトス復活は成し遂げられるだろう。反面、道を誤るならばお前は確実に死ぬ』

「……」

『慌てず、急げ。今はルテルが抑制できる範囲で済んでいるが、このまま無闇に術を使用する状態が続くならば、最悪の結果が待っている。儂はお前を叱咤しよう。ここで踏みとどまれ。精神の弱さを克服する意志を持て。今は立つのだ。ジェンド』

 非情な宣告を残し、バンデスは消えた。

 ジェンドは寝台に顔を埋めた。お前は心が弱い。だから死ぬ。何も成せないまま死ぬ――これほど辛い言葉はない。

 だが、紛れもない事実なのだろうと思う。

 エナトスが全滅したとき、自分は何もできなかった。正常な判断力を失い、ただ彷徨っただけだった。今の自分に、アーダや仲間たちが受けた苦痛を背負うだけの覚悟があると言えるか。エナトスの過ちを繰り返さないために誰かと敵対する覚悟があると言えるか。ある、と答える自分と、そう思い込んでいるだけだ、と答える自分の両方がいた。

 それでも立て――と下知されたのだ。ジェンドは歯を食いしばり、寝台から身体を剥がす。頬を張って目眩を追い払い、立ち上がった。主に呼応し、ルテルもまた肩を震わせながら起き上がった。

 ピオテースが頭を近づけてくる。この賢く優しい翼竜は、ジェンドがバンデスと話している間、声を立てず、ずっと心配そうに側にいてくれた。

「ありがとう、ピオテース。さあルテル。おいで」

 使い魔の少女が主の肩に収まった。ジェンドは深呼吸を繰り返して、バンデスの言葉を反芻はんすうした。

 ピオテースが窓から頭を抜き、威嚇するように低い唸り声を上げる。小屋の外が騒がしくなっていた。小屋を出ると、発着場で騎士たちが数人の男と言い争っていた。彼らの姿を認識した途端、背筋がざわりと粟立った。ジェンドが撃墜した男たちだったのだ。倦怠感が薄れ、一度は鎮まった激情が再び火を熾(おこ)し始めた。

 ピオテースがジェンドの服を噛んだ。「行くな」と言っているようだった。

「俺自身の覚悟を確かめないといけないんだ。行くよ」

 ジェンドは翼竜の拘束をやんわりと解いた。ひと声鳴いて、翼竜はジェンドの後に付いて歩き出した。

 男がジェンドに気付き、騎士を押しのけた。厳めしい顔で、日焼けの目立つ男だった。体格はジェンドとそう変わらない。

「階級章を見せろ」

 開口一番に男は言った。

「わざわざ高いマタァを払って稀代の祭壇師を呼んだんだ。あんたが空気を読まないお偉いさんかどうかぜひ確かめたい」

「……」

「あのとき第四空域にいたのはあんただろ。使い魔を連れている。でなけりゃ、あんなでかい紋章術を扱えるものか。大樽ヴァレイ級……いや、ことによったら鏡湖リンミ級もあり得る」

「……」

「おい。図星を指されて黙りか」

『あなたたちが何を言っているのか、理解ができません』

 ルテルが透き通った、しかし無感情の淡声で代弁した。男は鼻で笑う。

「なら結論を言ってやる。俺たちと改めて戦え。下級者には下級者の戦い方があるってことを見せよう。そして手に入れ損ねたマタァはきっちり回収させてもらう。あんた、十分気持ちいい思いをしただろ。ちょっとくらいは下々に還元してくれよ」

 そうだ。それがいい――成り行きを見ていた他の男たちがこぞって声を上げる。

 目を爛々とさせる彼らに、ジェンドは枯れた声をぶつけた。

「先に仕掛けてきたのは、そちらだ。あんたたちの術に当たってスピアースは……死んだんだ。なぜ、そんなことを言える」

「人死にが出たのか」

 男が驚いた。ジェンドは、彼が自分の行いを後悔したのだと思った。

 男は気の毒そうに言った。

「流れ弾か。それは運が悪かったな。マタァもろくに得られないのに辺境を飛び回って、挙げ句戦うことなく命を落とす。同情するよ。とても俺には真似できない」

 ジェンドは二の句が継げなかった。男が片眉を上げる。

「なんだその顔は。事実だし、これ以上言いようがないだろ。俺たちはただ戦っただけ。紋章術をぶつけ合ってるんだから、流れ弾なんて当たり前だ。文句なら中止の裁断をしなかったグリオガに言えって」

 彼が本心からそう言っていることは、顔を見ればわかった。あまつさえ、命の恩人であるはずのグリオガをないがしろにした。

 ほら見ろ――と心の中でもう一人の自分が言う。彼らはそういう人間なのだ。理屈なんてどうでもいい。もっと怒れ。あの空で見せた以上の力を示してやれ。俺が木偶の坊じゃないってところを見せつけろ。それが覚悟を決めるってことだろう。

 ルテルが袖を引いた。彼女のつぶらな瞳の中に昏い怒りの色を見つけ、ジェンドは我に返った。また、激情に流されるところだった。左手の火傷痕を見る。大きく一度、深呼吸をした。

「あんたたちを、俺の『敵』にしたい」

 声が震えないようにするには勇気と気力が必要だった。

「あんたたちが、俺を『敵』と見てくれるなら……俺は、戦う」

「おかしな宣戦布告だな。だが、確かに聞いたぞ。その言葉」

 男は不敵に笑った。懐から水色の札を取り出し、突きつける。

「俺の名はノイロス・リービ。水瓶ボウカリ級中位。明日の上三つ刻にエスミア区まで来い。楽しい戦闘にしてくれよ」

 一方的に告げると彼らは翼竜に乗り、発着場を飛び立った。

『彼らも翼竜も軽傷、もしくは無傷のようです。グリオガは約束を守ってくれました』

 使い魔の言葉にジェンドはうなずいた。ほんの少し前に『敵として戦う』と告げた相手のことを心配する――その感覚は他人とずれているとジェンドは自覚していなかった。彼は、自分の気持ちを読み取ってくれる使い魔の存在を有り難いと思っていた。

 眉間に皺を寄せたエザフォスがジェンドの肩を掴み、揺すった。

「こいつめ。勝手なことを。言っただろう。階級戦に狂うような奴になるなと。それに、奴らは湧士レフティスの――階級戦士の中でも好戦的で、しかも卑怯者だ。言質を取られたら厄介な相手だぞ」

「ごめん」

「……まったく。俺はお前が素直なのか捻くれているのか、わからなくなった。で、どうするんだ。まさか本当に奴らの誘いを受けるつもりなのか」

 ジェンドはうなずいた。エザフォスは仲間と顔を見合わせ、大きな大きなため息をついた。

「さすがのお前でも、この誘いが不公平なことぐらいわかると思ったが……いいか。奴らはお前を上級者と誤解して、限りなく自分に有利な状況で戦うつもりなんだ。時間と場所を指定してきたのがその証拠だ。寄ってたかって袋叩きにして、自分たちが返り討ちに遭った憂さを晴らそうとしているに違いない。こんな理不尽なことがあると思うか」

 ジェンドはエザフォスの顔を見つめ、再度「ごめん」とつぶやいた。主の隣でルテルが深々と頭を下げた。

『心配してくれて、ありがとうございます』

「本当に調子が狂う。お前は湧士よりも騎士に向いているぜ。今からでも遅くない。あんな奴らとの約束は反故にして、俺たちと一緒に来い」

「皆は、階級戦に参加しない?」

「俺たちには他にやるべき大事な使命がある。ネペイア・アトミスをラヴァから守るっていう使命がな。そして、お前は誰かと戦うより誰かを守る方が向いてる。騎士には必要な素質だ」

「俺にも、やるべきことがあるから。彼らと戦わないといけない」

「奴らだけじゃない。階級戦に参加することは、ここを出て街に住み、大勢の湧士を相手にしていくことだ。その覚悟はあるんだろうな」

「……それが、俺のやるべきことなら。ありがとう。心配してくれて」

「ああ、わかったわかった。そうすぐに頭を下げるな。色々あって、俺たちも戸惑っていたんだ。許せよ、ジェンド。お前が自分で決めたなら、俺たちには止められない。もともと巻き込んでしまったのは俺たちの方だからな」

 エザフォスの表情から険が取れる。

「お前がこの街で生きていく道を見つけたなら、それでいい。さっきはああ言ったが、お前が戦いに溺れるような性格じゃないのは理解しているつもりだ。階級戦に嫌気が差したならいつでも戻ってこい」

 ピオテースがジェンドの身体に頭をすり寄せる。エザフォスが頭を掻いた。

「さて、こいつはどうするか。もうすっかりジェンドを次の主と認めているみたいだから、一緒に連れて行けと言いたいところだが……翼竜連れて街で暮らすなら結構なマタァが必要になる。今のお前では養えないだろうな」

「……」

「そんな悲しそうな顔するな。マタァも階級も持っていないお前をいきなり路頭に放り投げるような真似はしないさ。ピオテースのねぐらはここだから、お前もしばらくここを拠点にするといい。ただし、自分で街に出ると決めた以上、時期が来たら独り立ちしてもらうぞ」

「わかった」

「よし。そうと決まれば、どうやって明日を乗り切るかを考えないといけないな。使い魔が付いてるなら死ぬようなことはないだろうが、これからのことを考えると――」

 エザフォスはまるで我がことのように思案しながら踵を返した。

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