第47話 神達のご都合主義
平たく言えば皐の家だった。それを理解した途端に皐は分かりやすく狼狽する。何せその皐は、そこらの一軒家とは桁外れに大きな家だからだ。三階建てで各階にトイレと七つ程の部屋があり、収納スペースは二桁に至る。
喩と零が朝この家を訪れた時に揃って言ったのは「そりゃ金がなくなる訳だ」というものだった。家賃やら生活費やらで大部分が持って行かれてしまっているのだろう。
「さて、それじゃあ、僕らが二十日強の間何をしていたかの発表です」
喩が少し大きめにそう言って気を逸らしている間に零はインターホンを押す。そうすると元気のいい声が家の中から聞こえ、扉がガチャッと開く。
「あっ、皐姉ちゃん! やっと帰ってきたー!」
「お姉ちゃん、お帰りなさい」
「……お帰り、姉ちゃん」
現れたのは三人。それぞれ、笑顔を絶やさない活発少女、舌足らずだが皐をリスペクトしているらしい落ち着いた少年、前髪を目が隠れるくらいに伸ばしている少し無口な少年。当たり前ではあるが、皐が面倒を見ている子供達三人である。
そして更に遅れて、男女が現れる。
「えっ……?」
その二人の顔を見ると同時に、皐からそんな声が漏れた。見知らぬ人間が家の中にいたからではない。その逆で、知っている顔がそこにいたからだ。いるはずのない、そして皐が会いたくて会いたくて仕方のなかった二人が。
皐は誰よりもその二人のことを知っており、その二人は誰よりも皐のことを知っている。
「そんな。……どうして、ここにいるんですか」
涙は流れなかった。ただただ、驚き、戸惑い、脳がその現実を処理出来ていなかった。
「説明した通り、私達は高校を卒業したら、色んな人を救いに旅に出る。だから、まずは主に喩の腕試しってことで、今、私達の身の回りで起こっている問題や私達がしたいことを、この際にまとめてやっていたの。それが、一応空白の二十三日間の内容ってことかな。今日遅れていたのは、二人を家に案内していたの」
身の回りの問題を解決する。それが喩と零の現在の暫定的目標。その一つが、宮良皐とその両親の再会を果たすというものだった。
「それじゃあ、弟や妹が増えたけど、家族水入らずで話したいことでも話してね。私達はもう行くから」
余計なことには必要以上に口も手も出さない。茶々も入れず、水も差さない。
喩と零は黙って弌と笑の手を取って、次の場所へと【転移】する。
次の場所は、病院の精神科。つまり、汀がいる場所だ。
皐の問題は解決した。次は喩の事情だ。喩のしたいことだ。
「お待たせ、汀さん」
「お待たされ。……今だから言うけど、正直こんな日が来るのはもう少し先かなと思っていたのよね」
「……それは、汀さんのおかげだと思います。汀さんの治療があったから、スムーズに行けたんだと思います」
「それでも、私は理由の一つに過ぎないわ。精神的にしろ肉体的にしろ、病にしろ怪我にしろ、治る治らないは患者の気持ち次第、何て言葉は使い古されてるわよね」
喩が過去を、トラウマに向き合おうとしたから乗り越えられた。これまで見向きもしなかったそれを真正面に捉えて、向き合い、戦った。だからこそトラウマに打ち勝つことができた。
「だから、それは誇りに思いなさい。喩は、いずれは昔になる今この時に、過去を乗り越えたことがある。それは、多分これから何があっても心の支えになると思うわ。どうなっても後でちゃんと取り返せる、っていうね」
「……はい」
「さて、それじゃあ、本題に移ろうか。一体喩は、誰を紹介してくれるのかな?」
喩の事情、喩のしたいこととは、紹介だった。喩が信頼し信用できる最高の――親友。
「こちら、僕の叔母の縄神汀。こちら、僕の親友、神戸弌に涼基笑と、僕の生涯のパートナー、桃洞零。あと皐がいるけど、他の件で面識があったらしいから省略。ここにいるみんなと皐、それに、まぁ、一応圭も含めて、みんな僕の大切な仲間。一生で一番の、最高の仲間だ」
友達や親戚、パートナー。それらを引っくるめて、喩は皆を仲間と言う。喩の理解者であり、喩が理解している人間であり、喩が信頼と信用を寄せる相手。
これは弌と笑と零に汀を、汀に弌と笑と零を紹介する行為であり、信頼や信用などという迷惑な想いを押し付けてもいいという確認であり、照会でもあった。改めて、信頼してもいいのか、信用してもいいのか、臆病な喩なりの最終確認でもあった。
互いに握手し合ったのを見て、つまり信頼と信用をしてもいいということを確認した。それができたからこそ、喩は次の目的を行動に移すことができる。
「……そして、もう一人、仲間に入れたい人がいるんだ」
それは零にすら言っていないことだったが、しかし零も同じことを思っていたらしい。
合点のいったような表情で一瞬、奥の扉に視線を移し、ついで確認するように喩の目へと視線を更に移した。
「……涙、そこにいるのは分かっているんだ。隠れなくていいから、出てきてよ」
問い詰めるような台詞だが、その実口調は平坦で穏やかだった。ただ、隠れてないで出ておいでとそう言っているだけだった。
ここに涙がいるのは、リハビリの為だった。精神崩壊を起こしてから目覚めるまで生理的反応以外の行動をほとんどしなかった涙の体はあちこちが弱り切っており、まともに生活ができるまでにもう少し時間がかかる。それでもゆっくりと回復している――らしい。らしいというのは、それら全て音信不通の間に一方的に汀から送られてくるメッセージがソースだからだ。
涙はゆっくりと音を鳴らさないように扉を上げて、おずおずと姿を現す。自信なさげに、小動物が怯えるように体を丸めて、喩、零、汀、弌、笑の視線から逃れるように、床を見つめる。
喩と零はアイコンタクトを取り合い、小さく頷く。
「ごめんなさい、涙。私の都合の為に、涙の人生を大きく狂わせてしまった。全部、私のせいで、私が悪い。本当に、ごめんなさい」
今回の一連の騒動の、最大の被害者は何を隠そう天命涙だ。唆され、好きだった相手には裏切り者だと思われ、そして異能の力が露見して精神崩壊を起こした。
心臓を突き刺すことを正当化することはできないが、それでも涙の行動に間違いは少ない。ただただ、好きな人の為に、喩の為に、汚れ役を担っただけだった。
「……ううん。それは、もういいの。零が教えてくれた方法があの時は一番正しい方法だった」
もし零が現れなかったとしても、涙が異能の力を持っていることはバレていただろう。そうなれば涙だけではなく、喩もどうなっていたか分からない。
それならば自分を犠牲にして喩を救うという、零が唆した或いは教えた方法が最善の方法だった。そう、涙は思っている。そう思わなければ、涙はやっていけなかった。
あれは自らの力不足が原因の、起きて当然の必然であり、仕方のないことだったと。そう思わなければ、自らの過去を認めることができなかった。
「過去のことはもういいの。私は、喩に起こして貰った――救って貰った今を生きる」
結果論とはいえ、三年以上の時間を掛けたとはいえ、涙は喩と和解した。それだけは確かだった。そして涙はもう、それだけでよかったのだ。
それでも一つ、零には言っておかなければならないことがある。意地であり、そして純粋な想いでもある、その一言を。
丸めていた背筋を少しだけ伸ばして、小さく息を吸って、でも、と強い声を出す。
「私は、今でも喩が好き。だから、喩を傷付けたりしたら、承知しないから」
「……っ」
驚き。しかしすぐに零は笑う。笑って、手を差し出す。涙は少しバランスを崩しながらもその手を取る。
契約成立の証だった。涙が提示した許す代わりの条件。願いとその対価。喩を傷付けるようなことを絶対にしないと、零に約束させたのだ。
零との契約成立の握手を終えると涙は、次いで喩を見る。見て、少し俯いてから、零に唆されるよりも前の、綺麗な笑みを見せて一言。
「零さんと、仲良くしてね。そして、私みたいな人を誰一人も生まないようにして、ね」
それは涙が今の喩へ掛けられる精一杯の声援であり、自分よりも零の方が喩の隣には相応しいという、敗北宣言。降参の言葉でもあった。
「……うん、約束する。涙に誓って僕は誰一人として異能の力を持つ人間を悲しませなんてしない」
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