第43話 桃洞零

 零は壁に背中を預け、喩はそんな零の隣に寄り添った。寄りかかる人間がいなければそのまま倒れてしまいそうで、そんな姿を見るのが喩はどうしようもなく嫌だった。

 どこから話そうかな。そう呟いて、しばらく黙って、そうして告げる。

「昔はさ、あんまり科学とか信じられなかったの。特に、私がいた村は科学を絶対的なまでに信じなかった。その代わりに、神を絶対的に信じていた」

 人々は神に対して純粋な信仰を持っていた。

「だから、私がいた村には神がいた。名前なんてない、無名の神がね」

 人間が信じるから神が存在することができる。それは零の言っていたことでもあった。

 特に零が生まれた村では人数は少なくとも、圧倒的な信仰の純度と物量があった。それらは世界中の人間の信仰量と同じかそれ以上の信仰だった。

「私達が受動的だったからかな、神も基本的には受動的だった。私達は何かが起こってから行動を起こし、神に願う。神は私達に願われたから何かを叶えた。そういう状態だった」

 争いの起こらない穏やかな世界。争いが起これば、神に願い解決してもらう。そうして神は信仰を貰い、神としての存在感を保ち、上層させる。

「私はそんな村で神の声を聞く、巫女みたいなことをしていた。三月五日、つまり巫女の日に生まれた私はそういう使命を持って生まれてきたと思っていたし、神の声を聞くことを誇りに思っていた。神に仕えるなんて、なんて私は運がいいのだろうと思っていた」

 平和で穏やかな世界だったよ、と零は言う。

「だけど穏やかな世界ってのは、一つ波が起こったらそれで荒れ果ててしまう。嵐の前の静けさ、それが私達の村ではずっと続いていた。そのくらいに絶妙なバランスで成り立っていた。だから、その平穏が崩れると大きな嵐が、波が起こった。誰しもを飲み込み、流し尽くした大津波が起こった」

 村は穏やかで平和だった。平和な特定集団の中を乱すのは、波を起こすのは、良くも悪くも決まって部外者だ。喩と涙の間にあった穏やかな波が零によって乱されたように。零の村の場合で言えば、それは一人の少年だった。

「彼の名前は真。まだまだ苗字がない時代だったから、私も零だけだったし、あの人も真だけだった。まぁ、後にお互い桃洞って苗字を付けるんだけどね」

 真なる少年は傷だらけで零の村に現れた。どうやら他の村では神に願いを叶えてもらうには生け贄が必要だったらしい。存在しない神の為に、真は生け贄に捧げられた。

 助けてください、という真の声を受け入れて零を中心に神に祈りを捧げた。

「困ったことにね、神はその願いを聞いてくれなかった。神は神を信じる人間の願いを叶える。だけど真は神を信じていなかった。だから治らなかった。――さて、神の存在を信じない人間に対して、神を信じる人間しかいない私達はどんなことをしたと思う?」

 簡単に言えば二つに二分した。一つは真に神がいることを証明しようと躍起になった人々。もう一つは神を信じない真を断罪しようとした人々。

「私は、どちらにもつかなかった。私はその時点で、神が利己的な存在だと気付いたから」

 全知全能だというのに、自らを信じる人間のみを救う、そんなケチくさい存在だと零は気付いた。どうやら自らが信じる神は全知全能ではあっても、絶対善ではないらしいと。

 穏健派と強硬派、そして唯一どちらにもつかなかった零。村が二分――正確には三分した。

「私はみんなから真を隠した。その時点で私には神を敬う気持ちはなくて、だけど他の人々は当然だけど神を敬っていた。だから私達は、神を奉る祠に身を隠した」

 神を絶対的に信じていた人々は、神の為に大きな祠を作っていた。進行の度合いを物の大きさで証明していた。

「私は食べられる山菜を探したりとか、盗みを働いたりとか、そうやって一ヶ月くらい隠れていた。二人にしては狭い空間に長期間一緒にいた。さて、どうなると思う?」

 零の問いの答えは喩にとっては考えるまでもなかった。喩はそれを経験している。パターンは違えど、二回も同じことを経験していた。

「そう、私は真を好きになっていた。同じように真も私を好きになっていた」

 愛の逃避行、なんて綺麗なものじゃなかったけどね。そう笑って、零は次々と続ける。

「意外と長く続いたのはみんな受動的で、だから考える脳も能もなかったからだろうね。だけど、誰かがある時に気付いたの。神に探してもらえばいいってね。そうして見つかった。さて、神を許さない強硬派は神を祀る祠にいた私達を捕まえて、不敬者であり裏切り者として断罪しようとした。――簡単に言えば、祠ごと燃やした」

 神聖なものを汚す不届き者。そして穢れてしまった祠を清め、再び神を奉る為に一度燃やしてしまおう。ついでだからそれをまとめてやってしまおう。そんな理由だったらしい。

 逃げる気力を失うまで祠に閉じ込め、そうして意識を失う寸前まで待ってから強硬派の人々は祠に火を放った。

「死ぬと思った私は、最後に神に言ってやったの。神のくせに私達を救うこともできないんだね、って。そして願った、救えるものなら救ってみろ、って。そしたら、神が怒った。正確にはそんな暴言を吐く奴を神が怒らない訳がないっていう村の人々の思い込み、信仰によって、神が怒ったことになった。だから私は力を押し付けられた。【全能】と永遠の命と、自分達の子供に異能の力が受け継がれていくっていう呪いを、私達を救えという願いの対価に、押し付けられた」

 そこからは地獄だった、と零は言う。真を治して、【全能】を駆使した、誰にも認識されず、誰にも見つからない空間を作って、そこで真と共に生きることにした。

 子供が三人程産まれた。その三人が異能の力を持つ人間へと繋がっていった。

 それ以降、神は村に現れず、神の奇跡によって成り立っていた村は破滅の一歩を辿った。それでも受動的だった村の人々は、最後の最後には神が助けてくれるとそう信じていた。

「だけど神の力は私が持っている。そして私は、真を救わなかった彼らを憎んでいた」

 最終的にこのままでは死ぬと思ったらしく、神を見捨てて零を信仰するようになった。神ではなく人間を信仰するようになった。

「まぁ、私は彼らが嫌いだったからそんな信仰、かなぐり捨てて思いつく限りの災厄をもたらしたんだけどね。そうして村が滅んだ後、神が最後に一度だけ現れた」

 村が滅んだ後、唯一、その神がいることを知っていた、信じていた、信仰していた零に神は一度だけ現れた。

 人が人を信仰すれば破滅することくらい、誰でも分かるでしょう。零が涙を神と崇め信仰していた宗教の人々に対して、言ったその言葉は当たり前のことであり、そして経験談でもあった。

 神は村人の信仰によって成り立っていた。故に信仰者が零だけになった時点で、神は零の妄想の中の神になった。格下げであり、都落ちだった。

「『お前は、【不老不死】の恋人に殺されなければ死ぬことができない。そうして死ぬまで永遠に苦しめ、それがお前への罰だ』。ははっ、笑えるよね、どんな生物よりも優れているはずの神が、これ以上ないくらいに人間味溢れた私怨を捨て台詞に吐いたんだから」

 神の存在が人間の信仰によるものである以上、信仰によって成り立つ存在には人間らしさが必ず現れる。

 妄想において妄想する人間に知識がなければその妄想は浅いものになるのと同じで、神という漠然とした存在しない上位存在の性格を人間は決して想像できない。故に神を信仰する各個人が思う神の性格の中で色濃く重なり合った部分が、つまり人間の共通した思考が神の性格として反映されてしまう。

 人間が共通して持つ思考というのは、自らが該当する普通を受け入れ、該当しない普通を異常と受け入れずに排斥するような、独裁的で自己中心的で自分勝手な、偏りのある、普通だ。

 そんな人間の意思の集合体である神に救いを願った零がその代わりに受け取った対価が、老いず死ねない呪いであり、死ぬ為に生きるという呪いだった。

「……以上が私の過去。そして喩は、私を殺すことができる【不老不死】を持っている三番目の恋人」

 三番目、つまりこれまでに二人失敗しているということだった。二人は一体誰なのかと、喩が問おうとする前に零が答える。

「一人目は、真。真は【不老不死】と【全知】を押し付けられたの。お互いに殺し合おうとして、だけど彼は私をどうしても殺せなかった。二人目は【不老不死】だと告げた時点で絶望して、殺してくれって懇願した。一生、生きていくことに耐えられなかったみたい。だから彼の【不老不死】だけを取り除いてあげた。そして、今回が喩」

 零以外であるならば、零は【不老不死】を取り除くことができる。正しく言うならば【不老不死】から【治癒】へと格下げができる。それはある種の、神の情けだったのかもしれない。

 零にはそういう運命を突き付けたが、その子供には関係がない。関係あるのは本人だけなのだから。

「何も告げず、零を殺させようとしていたってこと、か。今度は二人目のように絶望もさせないように」

 零を殺せば異能の力は消え去り、喩の【不老不死】もなくなる。殺した後ならば喩は、そして異能の力を持つ人間は自由になる。それで全て解決する。前回も前々回も、零を殺す段階にまで持っていくことができなかった。だから零は、喩に殺される為だけに三年間もの時間を掛けて、喩に自らを殺させようとした。そして殺すところまで持って行ったが、それでも零は死ねなかった。

 【不老不死】である為に、何百年と生き続け、死のことだけを考え、生きてしまっていた零は既に死生観が崩れ去り、崩壊していた。

 つぅ、と零は涙を流し、零は喩の肩に頭を乗せた。

「ねぇ、どうしてかな。どうして、私は死ねないのかな。死なないといけないのに、死ぬべき人間なのに、どうして私は死ねないの……?」

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