第38話 縄神喩
「――ッ!?」
触れると同時に喩にあらゆる感情が流れ込む。思い、想い、意思、痛み。咄嗟に手を離し、驚いて距離を取り、尻餅をついて倒れ込む。
知っている。分かっている。何度も、何度も、何度も、経験しているものだ。
「……【精神感応】」
喩は自分の感じたものを呟いて、確認し確信する。これは【精神感応】だ。
三日前、零は言っていた。「異能の力を持つ者は、精神が壊れたまま異能の力だけを発動させ続けている」、と。つまり、異能の力は発動し続けている。
【精神感応】は直接触れることで効果を発揮する。触れることで肉体的な繋がりを生み、心を繋ぐ。だから触れていなければ心は繋がらず、【精神感応】は効果を発揮しない。
【精神感応】は相手の思考と心が繋がる力。例え、精神崩壊を起こしていても、伝わるものはある。例えば精神崩壊を起こす前の思考や心の破片、つまり過去の記憶だ。
「過去に打ち勝てっていうのは、トラウマや頭痛を克服するのでもなく涙に会うのでもなく、過去を全部知るってこと……?」
零はある一面において恐ろしいまでに合理的だった。予め情報を告げ、推測できる状態を作り上げてから対価を提示する。
今の状態が、まさしくそういう状態だった。
涙は異能の力を使い続ける状態であり、過去の記憶を知ることができる。だから零は喩に過去の全てを知れと、過去の真実を全て受け入れろと零は告げずに、告げているのだ。
そして、過去を知れということは、喩の思う過去は間違いだということだ。
「……分かったよ、零」
喩は呟き、ふぅと息を吐き出す。ここにはいない零に対価を受け入れる宣言したのだ。
立ち上がり、改めて椅子に座り、もう一度、深く息を吸う。
目を瞑って、そっと恐る恐る、恐れながら涙に触れる。
「……ッ」
【精神感応】が発動する。思考と心が繋がる。涙がこれまでに繰り返した思考と心の断片、つまり記憶と直接的に繋がっていく。
「ごめんな、さい」
呟いたのは涙と喩、両方だった。
記憶と思考が繋がり、同じ言葉が同じタイミングに発せられる。
「……ごめんなさい」
「どうして、あんなことをしたの」
謝罪の言葉と問いかけの言葉。
どちらも同じく二人の口から漏れ出した。二人の思考が混ざり合い処理し切れなくなった思考の一部が口から溢れ出しているのだ。
「僕は、わたしは、涙が、たとえが、好き、だいすき、だった」
「わたしは、僕は、たとえのために、涙だけが、あんなことを、頼りだったのに、したの」
「僕が、わたしには、どんな気持ち、こうするしか、だったか、なかったの、分かるのか、わかってくれたらいいな」
言葉が次々と表に出る。心の奥底にひた隠しにしていた喩の言葉が、精神崩壊しても尚心に残っていた涙の言葉が。――そして最後に、今と一切変わっていない零の姿が脳裏に浮かんだ。
それ以上、喩は耐えることができなかった。そして耐える必要もなくなっていた。
「……はぁ、はぁ」
疲弊。精神的な悲鳴。気のせいかそれとも喩の頭痛と同じような幻痛か、喩の体は強く痛み、そして心にどうしようもない苦しみがもたらされていた。
喩と涙がそれぞれ経験した苦しみと同じか或いはそれ以上。そんな痛みと苦しみに体を震わせ、体を縮こませる。
「そんな、馬鹿な、ははっ、あはは……」
震えが治まると同時に、喩は思わず笑い声を漏らしてしまった。乾いた笑みは、現実を直視しようとしない笑みだった。本日二回目の、そんな笑みだった。
そんな馬鹿なことがあってたまるかと喩は笑い飛ばそうとした。しかし、それでも笑い飛ばせなかった。その事実の重さは、どんな方法でも飛ばせられなかった。一ミリも動く気配を見せなかった。
僕は涙が好きだった。僕は涙だけが頼りだったのに。僕がどんな気持ちだったか分かるのか。
わたしは、たとえがだいすきだったの。わたしはたとえのために、あんなことをしたの。わたしにはこうするしかなかったの、わかってくれたらいいな。
漏れ出した喩と涙の言葉を分ければ、つい先程、喩と涙はそう言っていた。その言葉は間違いなく、喩のものであり、涙のものであり、つまり――。
喩の初恋である涙は、喩のことが好きで喩の為に喩を傷付けた。自らの力不足を理解し、突き放すことで自らに依存する喩を開放した。
まるで誰かにそう唆されたような破滅的な結論。そんな結論が導き出されるのだ。
「……ごめ……ん、な……、さい」
声が漏れた。人形のように動かず、かろうじて生きてるだけだったはずの涙の口から、【精神感応】を使っていないというのに、喩と繋がっていないというのに、声が漏れた。
喩は驚いて、涙の方を見る。涙の目を見つめる。
「ごめ、んなさ、い」
繰り返す言葉は同じだった。ただただひたすらに「ごめんなさい」と、途切れ途切れに言い続ける。
「ごめん、なさい」
徐々に言葉が明瞭になり、言葉が続くようになり、目に涙を浮かべながらも、電気が通り始めた電化製品のように、ゆっくり確実に、生気が宿り始める。
「ふざけ、ないでよ……ッ」
ギリィ、と奥歯を強く鳴らして、自らの中にある形容できない感情を発露させる。握り拳を作っている両手が怒りによって強く小刻みに震えていた。
「今更、実はいい奴でしたなんて、そんなので、許せる訳がないでしょ……ッ!!」
心の底から絞り出すような声を漏らす。
今更、謝罪の言葉なんてものを喩は望んでいない。そんなものを喩は必要としていない。例え、弌と笑が喩を受け入れていなかったとしても、喩は決して涙に謝罪の言葉を求めてなんていない。
「涙はッ! 僕にとって最低で、最悪で、下劣で、永遠に、ずっと、ずっと悪なんだ。そうじゃないと、そうじゃないと――」
――そうでないと縄神喩は、縄神喩でなくなってしまう。
それは喩にとって純然たる恐怖だった。
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