第37話 独り言

 喩がいつも寝転ぶベッドに少女はいた。

 天命涙。過去の喩の唯一の理解者だった少女であり、喩の初恋の相手であり、喩を裏切った少女。かつて喩を支え、そして喩を大きく変えた、喩という人間を語るにおいて良くも悪くも欠かせない存在。

 今は精神を崩壊させ、物言わぬ人形のようだった。

「正直、二度と会うことはないと思ってたよ」

 喩は呟く。涙に向けてであり、尚且つただの独り言でもあった。何か話さなければ、耐えられそうになかった。

「……涙も異能の力を持っていたんだね」

 今更ながらに喩は気付く。そういえば、異能の力を持つ少女を救うというのがあの日の表の目的だった。そしてその対象が涙であり、つまり涙は異能の力を持っている。

 そんなことすら喩は三日前に知ったのだ。喩は涙に何もかも話したが、涙は喩に大事なことは何も話してくれなかった。そんな事実も、喩は今更知った。

 言いながら近づく。

「……ッ」

 見たくもなかった涙は、見ていられない姿にへと変貌していた。あまりにも醜く、あまりにも弱々しく、あまりにも衰弱し切っていた。

 こうなっていたのは自分だったかもしれない。そんなことを考え、喩は思わず身震いをしてしまう。

 特徴的だった黒髪は傷み、表情と同じく薄れて白化していた。心が通っていないが如く、白く染まりきっていた。

 最後のあの時を除けば、笑みを絶やさない少女だったというのに今では無表情に虚を見つめている。目からは生気を感じられず、痩せ細った腕や足は骨にかろうじて肉が張り付いているような感じ。

 あまりにも無残な涙の変貌っぷりを、しかし喩はざまぁみろと思っていた。当然の帰結。必然の結末。確定された運命。因果報応であり自業自得。来るべき報い。だから、ざまぁみろ。

 勿論、それが悪感情であることを喩は理解している。だが、そうであってもそう思わずにはいられなかった。

「見えているのかな、涙。僕の髪、涙ほどじゃないけど、こんな風になったんだ。……全部涙のせいだよ。シマウマ見たいで、笑えるでしょ」

 独り言。思っていることを考慮することなく、ただひたすらに話し続ける。虚空を見つめる涙には恐らく何も見えていないのだろう、何も聞こえていないのだろう。それでも、それを分かっていても喩は言葉を発し続ける。

「……今でも、どうして涙があんなことをしたのか分からない。それに涙が異能の力を持っているって知って、ますます分からなくなった」

 異能の力を持っているのならば、尚更裏切る必要はない。それどころかあの時、涙は異能の力の存在すら匂わせなかった。だから、上手く仲介役となってくれたならばあらゆる物事が上手く行ったかもしれないというのに。

 勿論、それは喩側の都合であり、涙にも都合がある。とはいえ、裏切り行為が許されるという訳でもない。かもしれないという、もしもの世界はあくまでももしもの世界でしかない。

「本当はさ、怒り狂いたいんだ。首でも締めて、殺してやりたい。僕はそれくらいに涙を憎んでいる」

 恐らく弌や笑が自分を受け入れてくれなければ、そうしていただろう。涙を殺して、自分も死んでいた。人間関係のこじれ、よくあるくだらない人間の死因の一つだ。よくあるのだから、恣意的にそんなことをしても何も問題はない。

「あれから三年と少しか。もう、そんなに経ってるんだね。僕には昨日のことのように思い出せるけど……、いや、思い出せないんだけどね、思い出す前に頭痛がしてさ。あはは」

 置いてあった椅子に座って、喩は涙の顔を見つめながら喩は呟く。

喩はどうしても怒り狂えなかった。逆に、冷静になって落ち着き払ってしまっている。それは過去の話になっている訳ではない。今でも十分に怒りや憎しみはある。それでも感情は一切合切、昂ぶらなかった。

「…………」

 喩から言葉が尽き、沈黙が訪れる。喩にはその沈黙を打ち破ることはできず、喩は黙りこくってしまう。絶対に返ってこない応答を喩は待ち続ける。

 落ち着き払った感情の起伏は波一つ立てず、ただただ直線を引き続ける。

 ふと、喩は涙の手を取る。何故なのかは分からない。理屈も理由も意味もなく、何のキッカケもなく、喩は涙の手を握った。言葉が尽きたから、次は体を動かしたのかもしれないし、本当にただ理由もなく、何となく触れたかっただけなのかもしれない。三年前に精神的にも物理的にも離れてしまった、天命涙という存在に、触れたかっただけなのかもしれない。

 ただ、その行動によって事態が進展したことだけは確かだった。

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