第31話 無題

「だぁっ、しゃらくせぇな!!」

 鈍い破壊音と共に聞き覚えのある男子の声が聞こえる。同時に二人の女子の驚きの声も聞こえた。

 ドカドカと苛立ちを露骨に表に出しながら、廊下の床を踏み鳴らす。

「どこだ、喩ッ!! お前に話がある」

「……っ」

 やはり、とその怒声を聞いて喩は思う。

 聞き間違えるはずがない。この声は、笑の声だ。

 本心を話すことはできなかったが、それでもある程度の理解をしていた相手、最も信頼と信用を寄せたかった、とても良い人格者――だった人間。

「…………」

 そっと扉の鍵を閉める。皮肉にもその音を聞かれたせいで居場所を笑に知られてしまう。

「ここか、喩!」

 叫んで、笑は扉を強く叩く。

「…………」

「答えろよ、喩ッ!」

 喩は耳を塞ぎ、震えながら蹲る。ドア越しに聞こえる笑の声を、必死に聞かないようにしていた。

 聞きたくなんてないのだ。あと少しで、対価を全て支払って【転移】を消し去り、普通の人間になった後に本音で語り会えるはずだった、親友になれると確信していた相手の怒声なんてものは。

「答えねぇんなら、こっちにだって手はある」

 そう言って扉を蹴飛ばし、笑は無理矢理喩の部屋へと侵入した。

「…………」

「…………」

 無言。喩は視線を合わせることすらせず、ただただ俯くだけだった。

 聞きたくもなければ、同じように見たくもないのだ。人間がたかだか異能の力ごときで一変してしまうような、そんな姿を喩は見たくないのだ。

 一変する両親に、一変する近所の人達、そして裏切った天命涙。もうそれだけで十分だ。もうそれだけで、人間の汚い面は嫌という程理解した。だから、もう見聞きする必要もなければ見聞きする理由もない。

 それでも現実は無慈悲に事実を突き付ける。

「なぁ、喩。俺達、友達だったよな」

「……そうだね、クラスメイトってだけじゃ、なかったと思ってたよ」

 喩にとっては全てが過去だ。もう既に、笑もそれ以外の人間も、街にいる人間は全て過去に会ったことのある人間なだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 喩はもうそれでいいのだ。会話は終了した。もう、何も話すつもりはない。

「なんでだよ」

「…………」

 笑の言葉に喩は答えない。

 これ以上、過去を最悪にしたくないのだ。もう何もかもリセットして、その内、いつか、もし、仮に過去を思い出せるくらいになった時に、ああそんなこともあったなと思えるくらいの過去に美化をしたいのだ。なのに、次々と過去になる今が最悪な状況へと追い込まれていく。

 だから喩にはこれ以上笑の言葉を聞くつもりはなかった。誰かと関わるつもりはなかった。

「チッ、だんまりかよ、喩」

「…………」

 聞かない。見ない。答えない。喩の中にあるのはそれだけだった。外界からの拒絶と断絶。

「笑、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるかよ! 俺は大嫌いなんだよ、こういうの」

「いいから、黙りなさい」

「……ッ。分かった」

 ふぅ、と状況を収束させた弌は小さく息を吐き出し。次いで、さて、と呟き、小さく唸るような声を漏らした。

「…………」

 早く消えて欲しい。喩の頭の中はそれだけだった。薄暗く後ろ暗い負の思考だけを繰り返していた。

「喩。圭から、喩のことを聞いたよ。喩や圭、皐に零さん、それにもっともっと、色んな人が抱えている事情のこと」

「…………」

「異能の力」

「――ッ」

 びくっ、と体が反応してしまう。異能の力を持たない弌から、異能の力という言葉を発せられる。つまり異能の力を認識している。それが異能の力の呪いが発動してしまっていることを確定付けているのだ。

 しぶとく、図々しく、砂粒のように小さな可能性が潰えてしまったことを意味していた。

「ねぇ、喩。どうして? どうしてなの?」

「…………」

 責めるような口調。問い詰めるような口調。追い詰めるような口調。

 まるで単純に問うようなそんな口振りが、負の思考を続ける喩の心を削った。そして耐え切れなかった。

「うるさいなッ!! どうせ僕は、化け物だよ。人間なんかじゃなくて、異質で異常な存在だよ。そんなに嫌いなら好きなだけ文句を言えばいいじゃないかッ!! もう放っておいてよ、言われなくてもさっさと出て行ってやるからさッ!!」

 叫んだ。本音の吐露だった。

 関係は破綻している。ならばもう関わる必要なんてないだろう。どうせ自分は化け物で、どうせ二人はただの人間だ。絶対に分かり合えないことくらい自分だって分かっていると、そう告げたのだ。

「……悪い弌。やっぱり我慢できねぇ」

 呟いて笑が動く。喩の胸ぐらを掴み、持ち上げる。喩は無抵抗に笑を見つめていた。

「ふんッ!!」

 弌が止める暇もなく、笑は喩に全力の頭突きを食らわした。喩はそのまま地面に落下し、笑も反動でふらつく。

「笑ッ!?」

「痛ッ……」

「痛ぇな、クソが」

 お互いにつーと額から血が流れる。

「笑、何してるの!? そんなことをしたら、喩がますます誤解するでしょッ!?」

「……誤解なんて、しないよ」

 弌の慌てるような声に、喩は声を漏らしていた。

「もう、二人は友達でもクラスメイトでも何でもない。ただの敵だ」

 喩は淡々とそれを告げる。

 攻撃を受けた時点でそれは決定的だった。

「ああッ! 面倒臭ぇな、喩ッ! くだらねぇ、思い込みをしてんじゃねぇよ!」

「だから思い込みなんてしてないって言ってるでしょ!」

「してんだろうが! 一体いつ、お前の敵になった! 一体いつ、お前を化け物だなんて言った! 一体いつ、お前のことが大嫌いだって言ったッ! 一体いつ、お前に出て行けって言った!」

 言葉を紡ぎ、息を継いで、そして次いで、言い切る。

「一体いつ、俺達が喩を裏切った」

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