第30話 絶望

 目を覚ますと自分の部屋にいた。誰かが家にまで運んでくれたらしい。わざわざスマートフォンと充電器を繋いでいてくれたらしく、日付の確認は簡単だった。

 八月八日。あの時、零から裏切られた時から三日経っているらしい。

「……っ」

 痛い。頭痛はまだ引き続いているらしい。それでも意識を失う直前の激痛よりは遥かにマシになっている。眠っている間に喩の脳が、情報を綺麗に処理したらしい。

 起き上がり、ベッドの上で、背中を壁に預けて膝を抱える。

「くそっ……」

 天上を見上げたまま、無力に呟く。

 裏切られた。

 その事実がじわじわと喩を蝕んでいく。

 裏切られないように心掛けていたはずなのだ。裏切られないように、どんな相手であっても信頼も信用もせず、信頼も信用もされないようにしていたはずなのだ。勿論、そこには零も含まれていた。

 零が零自身の目的の為に、自分を利用していることを喩は分かっていた。

 零の目的は闇に包まれたままだが、それでも確固たる信念を持ってその目的を達成しようとしていた。そしてその為に喩が必要だった。

 一切話していないが、そういうことなのだろうと喩は思い、それならばと今の状態を受け入れていた。何せ、その変わりに自らの異能の力が、自らに降りかかった呪いが消えるのだから。

 自分の利益を考えれば、利用されることくらい、何てことはなかった。

 信頼も信用もせず、利用し利用されている。そういう関係だからこそ、喩は受け入れた。だが、今になって、今更、手遅れになってから、喩は理解した。

 零は喩を受け入れさせたのだ。

 これは利用し利用される関係で、喩が拒んでいる関係ではない、喩の信念は揺るがず、利益もある。そう唆したのだ。

 相手の対面や都合を利用して、自らの望む状態を作り出していた。知らず知らずのうちに、喩が信頼と信用を零に寄せるようになるそんな状況を。そしてそれは、零の十八番芸だ。

「考えれば、分かることなのに」

 呟く。

 考えてみれば当たり前のことだ。

 汀曰く、会う回数の多い人間には無条件で好意を寄せるのが人間の性であるらしい。ましてや喩は零と同棲していたのだ。好意を抱いていても仕方がない。

 それに零は異能の力を持ち、尚且つ喩の事情を把握していた。何もかも筒抜けだった。それらは全て、気構えていても無駄だと喩に思わせる為だった。

 零のそれらは、何もかも計算尽くだった。

「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ――」

 壁に頭を叩きつける。くそっという言葉の回数だけ、何回も何回も何回も。

「結局、何がしたかったんだ、零は」

 声を漏らす。

 零は自らに信頼と信用を寄せるような状況を作り上げ、喩の何もかもをぶち壊した。最も知られたくない相手――簡単に言えば、信頼と信用をしたくて、信頼と信用をされたかった弌と笑に異能の力の呪いを発動させた。

 彼らは広報部だ。それもとてつもなく優秀な。彼らが悪感情を持って記事にしたためれば、あっという間に過去の再現である。それを零は知っているはずだ。

 何故、零がそんなことをしたのか、喩は分からなかった。

 いや、と思い直す。

 それだけではない。喩は何も知らない。零は喩に何も明かしていない。零について知っていることと言えば、【全能】を持ち、嘘は吐くが事実しか言わず、そして計算尽くで自らの望む方向へと持っていく、そんな人間であるということだけ。それ意外は何も知らず、明かされず、分かっていない。

 零の目的も、零の過去も、零の何もかもを喩は知らない。何も知らないくせして、知った気になっていた。

 インターホンが鳴る。ピーンポーン、と喩を包む空気も雰囲気も状況も読まず、淡々と来客者を知らせる。

「…………」

 喩はそれに出るつもりはない。無気力、無力、脱力。悲観と諦観が喩から行動力を奪っていた。

 インターホンが鳴る。

「…………」

 インターホンが鳴る。

「…………」

 インターホンが鳴る。

「しつこいなぁ」

 呟く。しつこいし、うるさい。そして、それら全ても喩にとってはどうでもいい。

 終わりだ。またどこかに引っ越して、今度こそ誰も信頼せず信用せず、信頼されず信用されない中で生きて行かなければならない。

 喩の頭の中では既にこの街での全ては、終わったものになっていた。

「次はどんな街かな」

 涙が伝っていた。全てを失った喪失感。視界が滲むが、涙を拭き取る気力すらなかった。悔しかった。もしかすれば人間を、弌と笑を信頼し信用することができたのかもしれないのに。

 インターホンが鳴り止み、何か聞こえる。玄関の近くで誰かが大声で話しているらしい。

「――ッ!! ああああっ!!」

 叫び散らし、喚き散らし、泣き喚く。そしてまた落ち着く。

 情緒不安定。

 非合理的な動きで暴れ周り、ベッドから落下する。それでも暴れ回り、体のあちこちをぶつける。痛みはない。長続きな頭痛と絶望や諦観がそれらの痛みを鈍くさせていた。

 頭痛は思考を破壊し事実だけを告げる。ほんの僅かな現実逃避すら許してくれなかった。頭痛がじわりじわりと、自分が今どうしようもない状況に追い込まれてしまったことを主張する。

「…………」

 感情の爆発の後には落ち着きを取り戻し、諦観と悲観が包み込む。

 喩の頭も心も無茶苦茶に乱れ切っていた。涙に裏切られた時以上の絶望が喩を襲っていた。何もかも破茶目茶で無茶苦茶でグチャグチャだった。

 フリーズ。脳の処理が異常を来し、その末に思考停止。理性や思考的な行動を全て無視し、感情の赴くまま本能的に行動していた。

 フリーズから回復するには、ひたすらに正常状態に戻るまで待つか、一旦強制終了させるしかない。或いは――。

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