第10話 逃走劇 起承
数十分後。とてつもない後悔の念に包まれながら、喩と零は三階の洋服店の試着室の中に身を隠していた。
「……さて、これからどうするのかな、喩」
「どうするって、一体何をどうしろと」
喩は小声で零と雑談をしながら、時折聞こえる、いたか、見てない、などの会話を聞いては同じく小さな溜息を吐く。試着室は、流石に二人がいるには狭い空間で、喩と同じように膝を抱えて座る零とは常に肩が触れ合っている状態である。
「しかし、あの二人は一体何の為にここに来ていたんだろうね」
「取材を兼ねたデートだと思うよ。何か、この辺で変な宗教の噂があるらしくて、色んな人に情報を募ってたし。それに他にも、広報部は色々と時期に合わせた記事を書いてるし、その情報収集ってところかな」
「へぇ、宗教ね。……そういえば、喩は神を信じる方? それとも信じない方?」
言葉と言葉の間に微妙な思考の間があったことに喩は疑問を覚えるが、しかしすぐに零の問いについて考え、失念してしまう。
「中立かな。いるかもしれないけど、どうせ僕に救いを与えてはくれない。僕にとってはいないのと同じ。神様がいてもいなくても、僕には何の関係のないこと。零はどうなの?」
「神はいるよ。神の存在を知っている人間がいる限り、世界の色んな所に神はいる。神がいたから、私達みたいな異能の力を持つ人間も存在している」
「神様がいるから、異能の力を持つ人間がいる? それってどういうこと?」
何気ない雑談だとするならば軽く俯いて話す訳がなく、また異能の力という単語が出るはずもない。零は異能の力に関する何かを知っている。それも、恐らく重大な何かを。そう察して、喩は問い詰めるように零に尋ねた。
「そのままの意味だよ。喩もあるでしょ、異能の力についての情報。異能の力と神には密接な繋がりがあるのよ」
「ああ、なるほど」
零の言葉で理解する。異能の力を持つ人間には、何故か生まれた頃から知っていることが二つある。内容は千差万別だが、しかしそれらは共通して異能の力についての情報である。
一つは自らの持つ異能の力だ。異能の力を初めて使い、それが異質な力だと認識した時に、その人間が混乱を来さないように、自らの持つ異能の力の詳細をまるで思い出すように知る。
もう一つは、異能の力そのものについての情報だ。例えば、喩が持つのは、異能の力は異能の力を持たない人間に無条件に嫌悪感を与えてしまうという情報。異能の力という人智を超えた力に人々は嫌悪してしまうというものだ。
また汀が持つのは、異能の力は因子となって親から子へと受け継がれ、異能の力は発現するということ。つまり、異能の力を持つということはその親のどちらかの家系に異能の力を持っている人間が必ずいるということである。
そして零が持つのは、神という存在と異能の力には密接な繋がりがある、というものだ。
「これまでに汀さん伝いで色々な異能の力の情報を聞いたことがあるけど、零の情報は何か話の重要度が違う気がするな。何ていうか、もう一歩踏み込んでいるっていうか」
「……それは私が例外だからだよ」
例外。それは零の持つ【全能】のことを指しているのだろうと喩は思う。
確かに零の【全能】つまり、異能の力を全て使うことが可能で、対価があればあらゆる事象を起こすことができるなどという力は、異例で特例で例外だ。だから持っている情報も例外的な重要度を持っている、そういう理屈は十分にまかり通る。
「私が振っておいて何だけど、この話はもうやめにしようか」
「確かにそうだね。今は、この状況をなんとかしないと……」
そうだった、と今置かれている状況を思い出す。
ちらっと試着室のカーテンを軽く横に引いて様子を伺い、すぐにカーテンを戻してはぁ、と小さく溜息を吐く。
「うへぇ、同じ学校の人達がわんさかいる。確認する度に増えてる気がする」
時間が経てば経つほど状況がまずくなっている現状を嘆く。
ゲームセンターを出てから、数分の間は喩と零対弌と笑の鬼ごっこだったが、喩が何とか撒くと弌と笑は自分が持っている連絡網を駆使して近くにいる知り合いを総動員し、喩と零を探し始めたのだ。追いかけている間に喩と零の服装をチェックして、その情報を皆に回すことで喩と零に面識のない人間でも探せるようにしており、喩が知らない相手すらも喩と零を見て、見つけたと、弌と笑に連絡をしながら追いかけて来たくらいだった。
「しっかし、凄いね、弌さんと笑さんの情報網というか協力網というか。顔が広いってだけじゃなくて、協力してくれるだけの交友関係を築いているなんて」
「一介の高校生がやっている広報部っていうレベルじゃないからね、二人の活動は。そこらの記者よりも部分的には凄いかもしれない。前なんてこの辺りで活動していたオレオレ詐欺グループを捕まえて、危険なことをするなって警察に怒られてたくらいだし」
オレオレ詐欺に遭った人達を調べてその傾向を見つけ出し、その傾向に近い偽の情報をそれとなく触れ回って、犯人から弌と笑の所に電話を掛けさせる。その電話を自分の祖父に応対させ、犯人にお金を受け取らせた所で弌が写真を撮り、同時に笑が催涙スプレーとカラーボール、それに科学部に作ってもらった刺激臭の強い液体を犯人にぶちまける。後は今のように自分の情報網を駆使して追跡、同時に通報していた警察によって犯人が御用という流れだった。
その後、捕まえた犯人の自白によって詐欺グループは一網打尽となり、弌と笑は表彰されることになったがその後に、あまりにも危険な方法がバレてこっぴどく怒られてしまったのだ。
それを要約して説明すると零は引きつった表情で笑った。
「それは、確かに、凄いね」
言葉が思い付かなかったらしく、あははと零は誤魔化して目を逸らした。
「……まぁ、だから二人は二高にいるんだけどね」
「二高って、喩が通う学校の名前よね。確か、私立第二高校、だっけ?」
私立第二高校。二高と略され、喩、弌、笑、そして皐が生徒として通い、また圭が教師として勤める学校。
喩が持つ数少ない人間関係のほぼ全てが第二高校によって成り立っていた。
「第二高校は変な入学基準があってさ、勉強以外で特出した特技がないとダメなんだ。他の人間とは違うって誇れるものがないと入れない。その代わり、学力なんてほとんど見ていないんだけどね」
「じゃあ、弌さんと笑さんの特技は情報収集?」
「うん。確か、両方の両親が報道関係の人で、バイト感覚で親の手伝いをしている間に身に付いたらしいんだけど、今じゃたまに両親から手伝ってくれって懇願されるくらい、らしいよ」
「弌さんと笑さん凄すぎない?」
「だから凄いんだって、あの二人は。……だから、逃げてるんだよ。捕まったら、絶対に、異論を挟めない程度に酷い改変をされるんだ」
がくがくと、青ざめた表情で震える喩をよそに零はしばらく考えて、ぽんと手の平を拳で叩き、にんまりと笑う。
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