第6話 ボーイ・ミーツ・ガール
隣が空き部屋なくらいに人気のない古いマンションの、自分の部屋の玄関まで喩は【転移】し、靴を脱いで自分の部屋へと直行。そのまま服を着替えることもせずにベッドに倒れ込んで、目を閉じる。
「……僕は結局、自分勝手なんだろうな」
人を信じず、汀には自分の望んでいる言葉を掛けてもらい、治療を受けさせてもらい、書き残し一つで帰ってしまう。それを自分勝手と言わず何と言おうか。我儘と言い換えられるくらいだろうか。
「……おやすみなさい」
ぬるま湯のような自己嫌悪に浸りながら、喩はそのまま眠りについた。
翌朝。即ち夏休み初日。七月二十一日。喩は妙な重みを下腹部に感じて、目を覚ました。
「んぅ……」
喩は基本的に目覚めがよく、すぐに自分の置かれている状況を認識することができた。喩は仰向けで、喩の上には大変如何わしい感じに馬乗りになっている黒髪長髪の少女。どうやら体に感じた重みはその少女のものであるらしい。昨日のこともあってか涙ではと喩は一瞬驚くもそうではないとすぐに分かる。ほっと、安堵しかけてようやくその異常に気付く。
喩は状況を認識することはできたが、その状況をすぐに理解することはできなかった。段階的に考えていってようやくそれを理解した。
一人暮らしをしている喩の家に喩以外の人間がいるという、異常事態を。
「――って君は誰!?」
がばっ、と起き上がろうとするが少女がそれを防ぐ。男女で力の差はあるはずなのだが、あっさりと喩はベッドに押し返されてしまう。
「おはよう、縄神喩くん。昨日はいい走りっぷりだったね」
その言葉で喩は少女の正体を理解する。昨日、喩をストーキングしていた少女だ。
「私は桃洞零。そうだね、喩と同じ化け物、って言えば何となく分かるかな?」
針で刺されたような軽い痛みが喩を襲った。化け物という言葉はどうしても喩に過去を想起させてしまう。故に頭痛が起こってしまうのだ。
「……僕は化け物なんかじゃない」
なるべく平静を装って喩は反論する。自分は、縄神喩は、どこまでいっても人間であり、それ以上の存在になるつもりも、堕ちる気もない。
「あはは、そっか。喩は、化け物って言われただけだったね」
「……ッ、君は一体、何を知っているの?」
少なくとも零は喩の過去を知っていた。汀にしか詳しく話したことのない過去を、縄神喩が天命涙に裏切られたということを詳細に知っていた。
「全部だよ。私は喩の全部を知っている」
「だとしたら、僕が次に言うことも分かるよね」
「ここから出て行って、そして僕には二度と関わらないで、かな。だけど、残念。ここは喩の家でもあるけど、私の家にもなったから関わらないことも出て行く事もできないな」
家にもなった。喩はその言葉に引っ掛かりを覚え、零を軽く突き飛ばして部屋を出る。今度は押し返されることなく零は喩から離れてくれた。
部屋を出ると喩はすぐにその異変に気付いた。廊下が二倍程広くなっている。そして自分の部屋の向かいにもう一つ部屋ができていた。次にリビングへ向かうと、また二倍程広くなっていた。同じ広さの部屋を二つ合わせて壁を取り払ったような、そんな広がり方をしていた。
すぐに一つの可能性を思いつく。見た感じそのままが、その結論だった。
「……部屋を二つ、合わせた」
隣の空き部屋と喩の部屋を合わせた。それが喩の出した結論であり、事実だった。
普通ならばあり得ない出来事だが、異能の力というものを知っている以上、そして零が喩と同じ化け物であると言っている以上、こう考えるべきなのだろう。
零は異能の力を持っている、と。
「正解。だから昨日、追いかけて疲れさせてぐっすり眠ってもらっていたの。まぁ、体力よリも精神の方がよっぽど疲れていたみたいだけど。そういう訳だから、これからよろしくね、喩」
肩をぽんと叩いて零は笑う。ごく当たり前に、今日の天候を告げるくらいの気軽さで零は、喩との同棲宣言をした。
無茶苦茶過ぎると喩は思う。唖然とする。突然喩の前に現れ、突然部屋を改造され、突然同棲宣言をされた。一切の順序や理屈、倫理的な問題などを無視して、断れない状態を作り出した。それも喩が眠っている間に。
「どうして僕なの? 君は何がしたいの?」
喩は零を正面に捉えて尋ねる。どうして自分が巻き込まれなければならないのか、どうして喩の事情を知っていてわざわざ巻き込むのか。
「そうだね、私は喩のことを知っている。喩が今何に苦しんでいるのかを知っている。だから、それを克服する手伝いをしてあげようと思ってね」
「……どういうこと?」
「もしも、喩が持つ異能の力を消すことができるとしたら、喩はどうする? ううん、違うな。もしも、【転移】を消し去ることができるとしたら、喩はどんなことまですることができる?」
問われて喩は考える。異能の力を、【転移】を消し去ることができるならば、自分は何ができるのかと。考えたのは一瞬だけだった。それだけで十分だった。
「どんなことでもするよ。例え人殺しであっても、僕は多分躊躇わない」
異能の力の呪いさえなければ、裏切られる可能性は人並みの確立になる。異能の力さえなければ喩は普通の人間でいられる。化け物ではなくなる。その為にならば喩はどんなことでもする自信があった。
「そっか、よかった。うん、喩の覚悟は聞かせてもらったよ。――じゃあ、私がそれを叶えてあげよう。喩の異能の力を消す為に、私の力を貸してあげよう」
「……君の、力。それは、君の異能の力ってこと?」
「そういうこと、理解が早くて楽だわ。私の異能の力は【全能】」
「……【全能】。神様みたいな力だね」
神が神たる所以である全知全能。全知、全てを知っており、全能、全てが可能である。その内の全能の名を持つ異能の力。何気ない呟きだったが、零はほんの少しの動揺を見せた。
「……まぁね。私の【全能】は、他の異能の力の全てを無条件に使うことができる。それだけじゃなく、あらゆる事象を引き起こすことだってできる。でも、それにはある程度の条件が必要なの。簡単に言えば対価ね。私が定めた三つの対価を喩が支払えば、私は【全能】の本当の力を使うことができる」
「……つまり僕が君に君の定めた三つの対価を支払えば、零は【全能】を使って僕の【転移】を消してくれるってこと?」
不自然な間に喩は違和感を覚えたが、それよりも零が持ちかけている取引の方が重要だった。
「そういうこと。さて、どうする、喩?」
零の問いはつまり、異能の力を消す為に自分に対価を三つ支払うか、それとも今の薄暗い絶望に浸りながら生きていくか、そのどちらかを選べということだった。
迷う理由がなかった。即答だった。
「分かった。君に対価を支払う。だから、僕の【転移】を消して」
「はい、これで交渉成立」
ぱん、と手を叩き、その後に零は喩に手を差し出す。交渉成立と言えば握手だろうと、暗に告げているのが喩にも分かった。特に何かを考えることなく喩は自然にその手を取る。
同時に零はにこっと、悪戯が成功した子供のような笑顔を見せて、告げる。
「じゃあ、早速、一つ目の対価ね。私の恋人になって」
「ふざけ――っ!?」
ふざけないで、と言おうとした喩の手を零は引き、自分の方へと引き寄せてそのまま自然な流れでキスを一つ。
喩は驚きで思考が停止し、数秒後にようやく零から離れた。
「な、なにをっ!?」
頬を赤く染めて分かりやすく狼狽える喩に零は楽しそうにもう一度笑って一言。
「それじゃ、改めて、私の彼氏として、これからよろしくね、喩」
「……君は、一体何が目的なの?」
零の行動基準が分からない。何を目的として生きているのか、どんな考えを元に生きているのか、喩は全く理解できなかった。
「私は、私の責任を取りたいの。私はその為に生きている」
妙に真剣な表情で答えた零のそれは、あまりにも曖昧で喩には具体的なことが何一つ分からなかった。
しかし一つだけ分かっていることがある。どうやら、これからは相当面倒臭いことになるらしい。
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