第3話 トラウマ(上)
「それじゃ、奥に行こうか」
汀は診療室の奥にある扉を開き、喩を中へ促す。喩は小さく頷いて中に入る。つい三日前にも同じことをしている為、喩は特に何か抵抗をするようなことはない。
中にはごく普通のベッドがあり、喩は言われるまでもなくそのベッドに仰向けに寝転がった。
「じゃあ、目を閉じて深く深呼吸をして。ゆーっくり息を吸って、同じくゆーっくり息を吐いて。それを何回か繰り返そう。心臓の音が心地よく聞こえるくらい、ゆっくり、ゆっくり、深呼吸をしよう」
言われるがまま喩は深く大きく、深呼吸を繰り返す。数十秒それを繰り返すと汀は、それじゃあいつもの呼吸に戻って、と言った。
「じゃあ、次は体の力を抜いていこうね。右手から、思いっ切り力を入れて、すぅっと力を抜く。一度力を抜くと、その箇所はもう力が入らなくなるよ。はい、じゃあ右手にぎゅっと力をいれて……、よし、じゃあ、ゆっくりと力を抜こう」
言われるがまま喩は力を入れて力を抜く。同じように、左手、右足、左足、そして腹部の順に力を入れて、力を抜く。
そうしていくと、力を抜いた箇所が、本当に力が入らなくなったような気がして、喩は一瞬不安になる。汀は、そんな喩の感情の機微を見逃さない。
「不安になんてならなくてもいい。ここは喩だけの空間、喩がいていい空間、不安になる必要も、警戒する必要もない。何かを考える必要もない、とても、とっても安全な空間。だから喩は不安になんてならない。そうして、ゆっくりと考えることを止めていく。ぼぅっと何も考えずに、そうだね、自分の心臓の音を聞こうか」
間髪入れずに汀は続ける。思考をさせず、喩の無意識に刷り込むように。
「心臓の音を聞いていると、喩は更に落ち着いていく。落ち着くと、心臓の音と私の声しか喩は聞こえなくなっていく。私の声が聞こえるかな? 聞こえたら小さくでいいから、はいと返事をしてみよう」
「…………。はい」
汀がしているのは催眠療法と呼ばれるものだ。喩の精神と心を無防備な状態に――つまりトランス状態にし、普段の喩ならば頑なに開示しようとしない、喩が抱える過去を開示させようとしているのだ。
「まずは自分の確認をしてみよう。君の名前は何だったかな?」
「……縄神、喩」
ぽつり、と寝言のように喩は呟く。汀の声に脊髄反射的に答えているかのようだった。
「そうだね、君は縄神喩だ。じゃあ、喩、年齢と誕生日は分かるかな?」
「……十七歳。誕生日は、四月十七日」
「そうだね、じゃあ、喩の職業は? どこかの職に就いているのかな、それとも学生?」
「……第二高校の、二年生」
まずは、ありきたりな会話から入り、質問に答えることへの抵抗をなくし、そうしてゆっくりと本題に入っていく。
「正解。次の質問ね、喩はその学校で友達と呼べる人がいるかな?」
「……いません」
「本当に?」
「……はい」
「じゃあ、質問を変えよう。最近、同じ学校の人で話した同級生は何人? その人の名前は?」
「……二人、で、涼基笑と、神戸弌」
「そっか、また同じ二人なんだ。その二人は、よく喩に話しかけてくれる?」
「……はい」
「その二人のことを、どう思っているの?」
「……いい人、だと、思います。部活動にも、一生懸命で、とても、楽しそうで、僕にも、気軽に、話しかけてくれる、し、仲良くなりたい、って、思います」
「でもその二人は友達ではないの?」
「……はい」
「どうして? 話しかけてくれて、仲良くしてくれて、仲良くしたいと思っているんだよね、それでも、喩はその二人を友達だと思っていない。それはどうして?」
「……友達には、なれません。僕は、普通じゃないから。普通じゃない、部分が知られると、僕はその二人にも、嫌われてしまう。裏切られ、てしまう」
喩の返答が、徐々に確かなものになっていく。無意識でありながら、答えることに完全に抵抗をなくし、喩はゆっくりと本心を口に出していく。
「普通じゃないというと? 一体喩の何が、普通じゃないの?」
「……異能の力を、持っていること」
「異能の力。それは具体的に何? 喩は一体どんな異能の力を持っているの?」
「……異能の力は、あり得ないことを起こす力です。僕は【転移】を、持っています」
「【転移】。それはどんな力?」
「……簡単に言えば瞬間移動です」
異能の力は、理屈を無視して理屈的に特定の現象を起こす力のことだ。喩の持つ【転移】で言えば、目的地へ向かう為の、現在地と目的地の位置関係の確認、移動、到着の三つの行程の内の移動をスキップする力だ。故に【転移】を使うには現在位置と目的地が具体的に分かっていなければならず、過去に行ったことのある場所にしか【転移】はできない。
移動の手順をスキップするという理屈で【転移】という現象は起こるが、どうやってスキップしているのかは理屈で説明できない。
理屈で説明できない理屈によって特定の現象を起こす。それが異能の力の性質であり、特徴のようなものだった。
「そう。つまり、喩の持つ【転移】が普通じゃない訳ね。それが理由で二人から嫌われてしまう、裏切られてしまうと」
「……はい」
「でも、喩が【転移】を持っていることと、二人から裏切られてしまうことは、関係がないように思えるけど、どうして【転移】を持っていると二人から裏切られてしまうの?」
「……異能の力を持たない人間は無条件に異能の力に嫌悪感を抱きます。それが原因でやがて裏切られてしまう、かもしれません」
異能の力が持つ性質の一つ。異能の力を持たない人間が異能の力を知ると、異能の力を嫌悪する。
「かもしれない、つまり、確定じゃないってことね。もしかしたら、二人が異能の力を知っても裏切らない可能性があると」
「……はい」
「じゃあ、話してみる価値はあるんじゃないの? どうして、話さないの? どうして二人を信じられないの?」
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