縛られた世界 2/3
多分、いくらか時間が経って意識が戻った私は、まず薄目を開けて自分の置かれた状況を確認した。
私は背もたれが頭の辺りまである、木の椅子に座らされていた。腕は背もたれの後ろに回されて縄で縛られていた。縄と手首の間に布が噛ませてあるらしく、縄が肌に食い込んできてはいない。
服もそのままだし、口に何も噛ませてない所を考えると、私を捕まえたヤツは割と良心的らしい。眼帯は外されていたけど眼鏡がかけられていたおかげで、吐き気には襲われずにすんだ。
裏側の手首に仕込んであったナイフを探ったけど、すでに取りあげられていた。
逃げられないと察した私はひとまず、うつむいた頭を上げずに周囲の様子を覗ってみる。
少し離れた所にバーカウンターが見えて、その後ろの壁に紙切れが貼り付けてあるホワイトボードがあった。どうやら、ここは少なくともバーでは無いらしい。
カウンターの内側に、私を気絶させたワイシャツを着ている痩せた男がいた。
そいつは奥にある機械でコーヒーを淹れていて、その手前の椅子に二人の人間が座っていた。
「ほれ出来たぞ」
マシンが止まるとワイシャツは、カップを私から見て右側に座る、ジャージ姿の細身な若い男の前に置いた。
その右隣には、グレーのパーカーを着た、細くて背のちっさい女の子が座っている。うっすら同業者っぽい雰囲気をもつジャージとは違って、そのちっさい女の子からは全くそんな感じはしない。
時計を見ると、時刻は午前8時過ぎを指していた。どうやら私は、9時間も呑気に寝てたらしい。それはここ数年で最長の睡眠時間だった。
何とか、ここはどこなのかを知ろうと、視線をあちこちに向けていると、
「お、コナか」
コーヒーを一口飲んだジャージ男が、ワイシャツの男を見つつ感嘆の声を上げた。
「おう、良いのが手に入ってな。……ってお前よく分かったな?」
「ここのは、酸味とコクが他と段違いだからな」
ワイシャツの方にジャージの方が、そう自慢げに言った直後、不意に振り返って私の方を見た。
特技の縄抜けをしようと、手を微かに動かしていた私はかなりヒヤリとした。
だけど、そのまま視線を前に戻したので、運良く気付かれなかったと思ったが、
「そこの厨二病っぽい人、缶コーヒーでも飲むか?」
そんなに甘くは無いようで、ジャージの方が私にそう言って、缶コーヒーを放り投げてきた。
それを見て頭を上げた私は、ほぼ解けていた縄から手を引っこ抜いて、放物線を描いて飛んできた缶を受け取った。
「投げるんじゃねえよ! 危ねえだろこの野郎!」
「悪かった」
ジャージ男の暴挙に私がぶち切れると、そいつは表情を変えずに頭だけ下げた。
謝る気ねえだろテメエ。
ちなみに、縄抜けの技が身についたのは、認めたくないけどもアレの趣味のおかげだ。ヤツ曰く、「必死に逃れようとする様が良い」そうな。
そのせいで私の手首には、大分酷い傷痕が残っている。
「ところで気分はどうだ、芙蓉帆花さんよ」
営業スマイルを貼り付けたワイシャツの方が、こっちに来てそう訊いてきた。
なんで私のフルネーム知ってんだ。
そんなうさんくさいワイシャツの方を
「うっせえ! 最悪に決まってんだろバーカ!」
そう言ってから、投げつけられた無糖と書いてある缶を開けた。
目の高さを合わせてきていたそいつの顔に、私はコーヒーを口に含んで毒霧よろしく吹きかけた。
うわ、苦っ。ブラックかよ。
「ぐわああああ! 目がああああ!」
ワイシャツの方はどっかの悪役っぽく叫んで、目を押さえながら勢いよくのけぞった。
大方、持ってきたそれには、自白剤でも入れてあったんだろう。
こちとら慣れてんだよ、ざまあみろ。
「くっそ、なんで俺ばっかり……」
顔をこすったワイシャツの方は、コーヒーが染みこんだ服を見てため息を吐いた。
「で、私をどうするつもりだ、そこの変態」
ティーシャツに着替えてきた若い男を指さして、椅子にどかっと座ってそう言い放つ。私の手は安全のためにと、両方とも椅子の脚に手錠で繋がれている。
「初対面で変態呼ばわりされるとは……」
ヤツは大袈裟に肩を落とす仕草をして、ため息を吐いた。
「ネットでセーラー服を買い集めるような男だからな」
ジャージ男は間違っては無い、と付け加えて、からかうように人の悪い笑みを浮かべた。
「あれって新品じゃないのね」
女の子はからかってとかじゃなく、普通にドン引いていた。
「やめろー! 誤解されるだろうがー!」
ティーシャツの方は、何でいつもこんな扱いなんだー、と半泣きで嘆いた。
「何か慰めるとかしろよ……」
だけど、放置プレイを食らったヤツは、深いため息を吐いてから咳払いをした。
そのあと、おのおのが自己紹介をしてから、やっと私の質問に答え始めた。
「君自身をどうこうするつもりは無いんだ」
『情報屋』と名乗ったティーシャツは、カウンターの内側に座ってそう言ってきた。
手足を拘束しといて何言ってやがる。
「事の発端は、オークションサイトの管理人が、『同じ人物から毎日使用済み下着が出品されて、犯罪臭がするから調べてくれ』と言ってきた事でな」
あの野郎ふざけんな! だからいつまで経っても下着がきれいなままだったのか!
私はそうとう怖い顔をしていたのだろう、杉崎鈴と名乗った少女は、怯えた表情でビクッと動いた。
……その反応は、私でもちょっと傷つく。
「なんで売れるんだそんなもん」
「そういう趣味のヤツがいるんだよ」
「ふーん」
不愉快そうな顔をして、大森享一と名乗ったジャージはコーヒーを啜(すす)った。
説明されないと分からないのか……。まあ普通の感覚じゃ分からないか。
「その反応を見ると、よほどさんざんな目にあったらしいな」
「普通の女なら廃人になるレベルでな」
あー、思い出したら頭痛くなってきた。また白髪が増えるわ。
「……」
私の言葉を聞いた大森は、呆れた顔をしてカップをあおった。
「それ出品してたのが君のボスだと分かって、ついでに周辺を洗ってみたんだよ。そしたらそいつがウチの殺し屋二人に、目を付けたっていうのが分かってな」
聞くところによると、私が狙撃しようとした女の殺し屋は、そいつの妹を釣る為のエサにするつもりだったようだ。道理で殺すなとか注文付けてきた訳だ。
「で、腹が立ったから、そいつお気に入りの君を捕まえて、おびき出そうと考えた訳だ」
『情報屋』は、壊れた盗聴器をつまんで見せてきた。
あの野郎どこに盗聴器仕込んでやがった……。
「やってること一緒じゃねえか」
「たりめーよ。意趣返しだ、意趣返し」
相当腹に据えかねたのか『情報屋』から、静かな怒りがにじんでいた。
「おっと、おいでなすった」
『情報屋』はリモコンを操作すると、酒瓶が置いてある棚の上に置かれたTVの画面に、裏口付近から入ってくるアレが映し出された。
「うわ、いかにもアレだな」
ソレを見た大森は呆れた様にそう言って立ち上がり、隣にいる杉崎の目を塞いだ。
「……っ!?」
その瞬間、彼女は慌てふためいて、顔を真っ赤にしていた。でも、別に嫌がってるような様子は無い。むしろ嬉しそうでもあった。
……こいつも私と同じ口か?
「ほんじゃ大森、その辺にでも鈴ちゃんとそいつ隠しとけ」
テレビを消した『情報屋』が、部屋の右手前の囲いを指してそう命令する。
大森は、了解、と答えると、杉崎の手を優しく引いて応接スペースに入れた。
でも私は荷物みたいに運ばれて、杉崎から離れた位置に雑な感じで置かれた。
長い方のソファーに座った大森は、傍らの杉崎の頭を撫でる。
「大丈夫だ」
と心配そうな顔をしている彼女に言ってから、大森は仕切りの外に出て行った。
杉崎はその場から動こうとはしないけど、落ち着かない様子で膝の上で指を祈る様に組んでいた。
その様子をしばらく見ていた私は、退屈しのぎに話しかけてみることにした。
「なあ、ちょっと良いか」
「ひ、ひゃい!」
杉崎はビクッとして、緊張した様子でこちらを見た。さっき大森達と話していたときの落ち着いた印象は、怯える小動物を思わせるものに変わっていた。
私、そんなに怖いのか……?
「お前、あの男のイロか何かなのか?」
「……?」
意味を知らなかった様なので、情婦って意味だ、と教えてやると、
「ち、違、う……!」
彼女は瞬時に顔を真っ赤にして、身振り手振りも交えて必死に否定した。
てことは、この子も同業者なのか……。見かけによらないもんだな。
「き、享一、とっ、私は、そ、ん――」
発言の途中で下品なノックが鳴り響き、杉崎は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
「やあ初めまして天谷さん。いきなりだが、私の帆花くんを返して貰おうか」
アレがやかましくドアを開けて、言い放った第一声がこれだ。
はぁ? 誰がお前のだって? あと名前で呼ぶな。気持ち悪い。
「断る。というかお前のもんじゃねえだろ」
『情報屋』が私を代弁する様に即答すると、アレはカチンと来たのか声を荒げて、
「ならば力ずくだ。おい、入ってこい!」
と、外にいるらしい誰かに声をかけた。
ドアが開く音がして、ドンパチが始まるかと思ったけど、誰も入ってくる気配が無い。
「おい! 何しているんだ! って、うわああああ!」
何か重い物がいくつか倒れる音がして、それを見たらしいアレが悲鳴を上げた。
後で確認聞いた話だと、自分の存在感を操れる『体質』を持つ、大森が全員仕留めたそうだ。
「おい、テメエ。よくも俺のお気に入りに手を出そうとしやがったな」
『情報屋』の口調は静かだけど、かなり低いので相当怒っているのを感じる。
「わ、悪かった、金は出すから命だけは助けてくれ。帆花くんも付けるぞ! アレはいい身体して――、いたっ!」
どうやらアレは不意打ちをしようとして阻止されたらしく、拳銃が勢いよく床に落ちる音がした。
金だけじゃなく、私まで売って命乞いするとか無いわー。というかプロに素人の不意打ちが通用するわけないだろ。
「ふざけるのも大概にしやがれ。このクズが」
『情報屋』は吐き捨てる様にそう言って、
「大森くん、サクッと殺っちまってどうぞ」
至極どうでも良さそうに、軽い調子で大森にそう命令した。
「あいよ」
いよいよ殺されると分かったらしいアレは、白々しくこう叫んだ。
「帆花くん! 私を助けろー!」
「やだね! 誰が助けるか!」
囲いの向こうに聞こえるように、私はそう即答した。
さっき売ったヤツに助けを求めるか普通?
「ごっ……」
短くて低い断末魔を上げたっきり、アレは呻き声すらも発しなくなった。
どうやらあの世に行ったらしい。ざまあみろ。
「哀れなヤツだ」
その言葉とは反対に大森は、一切同情してなさそうな調子でそう言った。
「おい大森、あいつの手錠外してこい」
『情報屋』にそう命令された大森が囲いの中に入ってきて、私に付けられた手錠を外した。
その後、手錠をその辺に放り投げた大森は、自分を見て安心した様子の杉崎の元へと向かった。
まもなく『情報屋』に呼ばれた私は、それを横目に囲いの外へと出た。すると、目の前に仰向けで元『主人』が転がっていた。
今まで、散々いたぶられて辱められてきたソレを、私は睨みつけるように見下ろした。
元『主人』のクソ野郎のおもちゃになる前の事だ。
私はどっかの山の中に住む、あるじいさんの元に身を寄せていた。
彼はかつて最強の狙撃手として、裏社会では有名な存在だったらしい。
だけど、年を取って体力の衰えを実感するようになっていた彼は、自分の持っている技を受け継いでくれる人間を探していた。
そんな中で、どこまでも狙撃向きな『体質』の私の事を知って、じいさんは貯めていた金の半分をつぎ込んで私を買った。
私が自分で食い
……訓練の時は、毎度容赦なくゴム弾を喰らわせてきたけど。
私が今まで生きてきた中で、じいさんと過ごした日々が一番幸せだった。
だけどそんな日々は、突然、粉々に壊わされてしまった。
――私を手に入れようとやってきた、アレのせいで。
朝飯に使う野菜を採りに来た私は、茂みの中から飛び出てきたアレの兵隊に、不意を突かれて捕まえられてしまう。
猿ぐつわを噛まして腕を縛ると、そいつらは私をそのまま拉致しようとした。
そのとき、異常に感づいたじいさんが駆けつけて、その連中をあっという間に全員片付けた。
だけど隠れていた別働隊が、私の拘束を解いていたじいさんを撃ち殺し、また私を取り押さえた。
泣きわめいている私は目の前にやってきたアレに、髪をつかんで顔を無理矢理上げさせられた。
「いいねえその顔、すごくそそるなあ!」
私を見下ろしてそう言ったヤツが見せた、あの気持ちの悪い満面の笑みは一生忘れられない。
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