第一話「彼女、15」
「私、161センチ!」
はっきりと覚えている。俺と彼女の始まりの言葉が教室の喧騒の中で際立つほどに元気あふれるそんな言葉だったと。
お昼まではまだもう少しあるというこの時間が一番眠くなる。おなかと背中もくっつきそうだ。なんて思っている俺の気だるさとは対照的に彼女の瞳は輝いていて、何がそんなにもうれしいのかがさっぱりわからなくて、
「は?」
と、振り返って言った。振り返ったのは彼女が後ろから話しかけてきたから。
176センチと言う微妙な自分の身長を身体測定が終わった直後の教室でぼやいた後の出来事だった。
「15センチだね!」
「……は?」
さらにわけがわからなかった。脈絡のない彼女の言葉と勢いに気おされて出た言葉は、またも同じ。
「15センチ違いだよっ! なんでそんなこともわからないのかなぁ!」
いや、わかるわけないだろ。
「何の用だよ清水」
「15センチ違いだねっ」
会話が成り立たん。
「ねえねえ」
今度は何だよ。
「私の名前覚えてたんだ?」
「……クラスメイトの名前くらい把握してるよ」
「……本当にそれだけ?」
「それ以外に何だってんだ?」
「照れ隠し?」
どのあたりがだよ。
「俺とお前は幼馴染かもしれないし、確かに面識もあるがそれは単に家が向かい同士だというだけであって、別段仲良かったりはしなかっただろう?」
「まーあね。でもね、今新たなつながりが生まれたんだよ」
「……」
それが15センチってことかよ。意味不明。
「15だから完璧なのだよ」
「いや、さっぱりわからん」
「……ねえ」
「……なんだよ」
「もしかしておバカさん?」
「はぁっ⁉」
こいつの脳みそどうなってんだよ。本気でそう思った。
そんな怒りをぶつける暇もなくチャイムが鳴る。
それが会話の終わりを告げるチャイムとなり、彼女との最初のやり取りはこうして終わった。
切っ掛けなんて本当にそんな些細なものだったんだ。
本当に世間話すらしないような顔見知りという関係の幼馴染。俺は特段彼女に興味もなかったし、おそらく彼女も俺に興味がないだろうと、そう思っていた。
それでもその日をきっかけにして彼女と頻繁に話すようになったのは事実だ。
「望月って変わった名前だよな?」
そう聞いたのはある日の朝の通学路。家が向かい同士ということもあり朝ばったりとあったので何となく話でもしながら登校しているわけだが、最近そんな日が多くなっている気がしていて、そんな朝を望んでいる自分もいた。
「私は望月って名前、気に入ってるんだ!」
「まあ、それは自分の名前だからな」
「まあね。私の生まれた日ってスーパームーンだったんだよ」
「へえ」
スーパームーンっていうとあれだろう。めっちゃ月が光るやつ。
「しかも満月だったんだ!」
「だから望月か?」
「うん。あの月のように輝いてほしいってねー」
「それなら美月とかでもよくないか?」
「えー。それじゃあ特別な感じがしないと思う」
「まあ、そうかもな」
「満月の夜のスーパームーンって自然が起こす奇跡なんだよ」
「奇跡?」
それはまた随分大きく出たな。
「月が一番地球に近づくタイミングと、満月の時期が偶然重なって起きる奇跡!」
「へえ」
正直、自然の美しさに目を奪われるような情緒はあわせもっていないんだ。
……あれ、もしかして。
「なあ、清水」
「なに?」
「お前が15を好きなのって満月の生まれだからか?」
「うん!」
随分短絡的だな。
「でもね、十五夜を意味する望月の名前は私にとっての切っ掛け。言っちゃうとね、私の名前ってただ十五夜ってことじゃなくて15の意味そのものなんだよ」
「へえ」
15そのものねえ。俺にはその価値観はわからないな。
その日の会話はそんなところだったろうか。
でも、積み重なる会話というのはお互いの関係も構築していった。
朝8時半になると、二人一緒に家を出るようになった。今日はどんな話をしようかと、そんなことを考えながら家のドアを開けることも多かった。
お互いの距離が近くなっていくのを肌で感じた。それを、うれしいと思った。それが恋愛感情なのか、そんなことはわからないしどうでもよかった。今が楽しければそれだけで。
そんなある日。
「デートしよう!」
「え?」
土曜日の朝。せっかく寝坊のできる貴重な休日だというのにインターホンがけたたましく鳴り、俺の睡眠を妨げた。イライラするもののドアを開けないことには止みそうにないので出てみると彼女がいて、重たかったはずの瞼が一気に開いたのだ。
本当にその日はデート日になった。
「15センチかな?」
「え?」
電車を乗り継いで街へ出ると彼女はこちらを振り返ってそう言った。ふわりとなびく白いワンピースがよく似合っていて、いつもよりも大人っぽくうつった。彼女が大人に見えると、なんだか自分も大人になったような気がした。
「私たちの距離が15センチになった。そんな気がするんだ」
「15センチ?」
「うん。他愛もない話をして、どうでもいいような時間を過ごして。でも、そういう時間は人と人との距離を縮めると思うんだ」
「そうかもな」
最近いつも一緒にいたから。彼女という存在が自分にとってかけがえのないものになっていると気づいていた。彼女も同じことを思っていることがうれしかった。
「私ね、君にだったら触れられてもいいと思う」
「え?」
その文脈がいったいどういう意味なのか、すぐには理解できなかった。いや、その先の彼女の言葉を待っていた。
「15センチ以内って本当に近しい人同士の距離なんだよ。それはきっと、精神的な意味でもあると思うんだ。だからきっと、私たちの距離は15センチ以内なんじゃないかって……ううん。そうであってほしいと思うんだ」
「……そうだな」
別に何か大きなことがあったわけじゃない。
生きるとか死ぬとか、そんな人生をかけた事件が起きたわけじゃない。
お互いの悩みを解決したわけじゃない。
二人で協力して何かに立ち向かったわけでもない。
でも、それが当たり前で。
小説とかドラマとかアニメとか漫画とか。そんなものにできるような出来事がなくたって、互いにふれあい感じあい言葉を交わすから、心がこんなにも近くなるんだ。
「あ、見て!」
「ん? うわ、すごいな」
町の靴屋のショーウィンドウに並ぶ靴。その中にひときわヒールの高い靴があった。
「15センチハイヒールだって!」
「……こんなのあるんだな」
「履いてみたいな!」
「……」
赤いハイヒール。彼女の趣味とは少し違って、でもきっと意味があるのはヒールの高さなんだと思った。何かのめぐり合わせだと、そう思った。二度と履かないだろうと思っていても何となく言葉が先に出た。
「買ってあげるよ」
少し高いけど買えないわけじゃない。これを、今日のプレゼントにしよう。そう、何となく思った。それは彼女の表情を見てその喜怒哀楽に振り回されながらも幸せだと思った俺からの贈り物だった。
「買ってもらうなんてわるいよ!」
「いいや。俺、趣味もないしお金に余裕があるから」
「うーん。じゃあ半分こ!」
「え?」
「半額づつだそう?」
「……」
まあ、妥協するならそんなところかもな。
「わかったよ」
プレゼントにならなかったことが少し残念ではあったものの、うなずくほかに選択肢はなかった。
サイズを合わせて購入。ちょっと履いて歩きたいと彼女は言った。そんな無邪気にはしゃぐ姿が可愛くて俺はすぐにうなずいた。
「うわっとと……」
そのハイヒールは、まるでつま先立ちするような形状をしている。バランスをとるのが大変そうだった。正直言って少し不安だ。ケガしなければいいけど。
「大丈夫?」
「うーん。大丈夫じゃないけど、もう少し履いててみるよ」
「気を付けてね」
「うんっ!」
彼女を支えられるように後ろで構える。あわよくばバランスを崩して後ろに倒れてくれれば、俺が格好良く受け止められる、何て思ったりもした。
でも、
「あっ」
その瞬間は一瞬で。気づけば彼女は前のめりに転んでいて。
「大丈夫⁉」
そう言って駆け寄ろうとした時だった。
「避けてくれーっ!」
工事中のビルの上からそんな声がして。彼女のはるか上空で何か棒状のものが太陽の光に反射して見えた。それは猛スピードで落下していく。
それを目でとらえたとき俺は必死になって彼女に駆け寄っていた。
「望月っ!」
「えっ」
かばうように抱きしめる。いい匂いだとか、柔らかな肌だとか、普段ならそんなどうしようもないことにどぎまぎしていたのかもしれないけど、そんな余裕はなくて。
ただ、彼女をかばうことで必死だった。
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