4-11
地に這いずりながら伸ばした腕を、王城の魔法剣に貫かれた。
「あぐっ……! ああああああああああああ!」
一華の口から苦悶の声が叫ばれる。
ステージの上で腹を貫かれた一華はその場に倒れこみ、激痛のなかで無意識のうちに、王城の光の矢を食らって遠く飛ばされた久丈へと手を伸ばしていた。
血塗れで倒れる半裸の踊り子に跨り、勇者となった王城が婚約者に容赦なく剣を振り下ろす。
一華の悲鳴が響く。
「呪文詠唱も、いまさら『覚醒』も無いとは思うが、念のためだ」
感情の欠片もないような声で――いや、ほんの僅かばかりの愉悦に染まった声で一華の四肢を斬りつける王城。
いつでも殺せる。なのにいつまでも殺さない。
弄んでいた。
「いぐっ……! がっ、ああああ……! じょ、ジョーくん……! ジョーくんっ!」
一華は諦めていない。まだ生きているからだ。
「二度とこの俺に逆らうなどと考えられないよう、二度と『
一華が痛覚値をゼロにしないのは精一杯の抵抗だ。いま感覚を手放したら、この痛みを手放したら、楽になってしまったら、きっと心が負けてしまう。何もかもを諦めてしまう。
王城がもう愉悦を隠そうともせずに笑って、掌に刺した剣をぐりぐりと動かす。
「なに、心配するな。お前の醜態がたとえ帝国中、世界中に見られようと、俺は変わらずお前を愛でてやる」
虫唾が走った。思わず睨みつけて、一華は言葉を発していた。
「あなたは、私のことを、私の心を、まったく見て、いないようだけれど、」
自分をそんな風に見下ろしていいのはあの子だけだと思いながら、一華は続ける。
「私の容姿にしか興味がないようだけれど、これは本当はジョーくん以外の男に言うつもりはなかったけれど、あまりにも哀れだから、特別に教えてあげるわ……」
「――なに?」
目をつむって、久丈に謝る。心の内で勝手に謝る。
――ごめんなさいご
「私はね、痛めつけられるのが大好きな被虐趣味者よ。衆目に裸を見られたいと願う露出妄想癖も持っていて、そう考えるだけで性的に興奮する変態なの。知らなかったでしょう」
「……何を言っている?」
「理解できないでしょうね。私のことを今までどんな女だと思っていたのかしら? あぁ、だいたいわかるから言わなくていいわ。あなたの想像するような女はどこにもいないけれどね」
「気でも違ったか?」
「あなたの加虐趣味もなかなか見込みがあったけれど――はっきりしたわ。あなたに痛めつけられても、まったく嬉しくないし気持よくないし全然濡れない。ジョーくんは言葉と視線だけであんなに私を悦ばせてくれるのに、あなたはまったくダメだわ」
「お前、本当に双刃一華か? あの、無垢で清楚で、可憐な華のような、」
「だからね、王城」
一華は諦めていない。まだ生きているからだ。最上久丈が、まだ生きているからだ。
『舞踏剣闘士』の能力をコピーして
その目がいま、開いたからだ。
――双刃家にはこんな言い伝えがある。すなわち、『道化を演じ、道化と踊るものだけが、勇者となりえる』。
改めて確信する。
「私のご
☆ ★ ◇ ◆
目を開く。
一華が手足を斬られて血塗れになりながら、久丈を見ていた。その手を伸ばしていた。
胸が掻きむしられるように痛む。あのひとにあんな目にあって欲しくない。今すぐ助けにいかなくてはならない。なぜって、あのひとは、自分の、大切な――
胸の矢を握る。力任せに抜いて投げ捨て、立ち上がる。
「一華先輩、僕は――」
大切なパートナーへ誓った。
「あなたの
息を吸う。
息を吐く。
たったそれだけのことで、三ヶ月前とは違う自分になっていることを実感する。
一華が、言った。
まるで初めての夜を過ごすかのようにうっとりと、
「来て、ジョーくん」
はい、と頷く。
そうして久丈は、熟練値を最大にまで上げ上限に達したクラスが極稀に得られる、技能欄の最終行に記されたその特異能力を思考操作でエントリー。
再エントリー。
『覚醒』、
「――『恥知らずの
粒子が弾けた。
「なんだ、これは……」
王城が呻いた。久丈ではなく、眼下を見ながら――否、たったいま足の下にいたはずのそいつが飛び退いた先、客席の中心を見ながら。
「貴様は、何だ……」
そいつを見て、王城はさらに問う。
「なぜ、その姿を……!」
洗練された西洋甲冑、左には大きな盾を持ち、右手には魔法剣と思しき長剣。そして何よりも胸に刻まれた『鷹翼』の紋章――!
「双刃一華は、お前には渡さない」
王城の『覚醒』をコピーし、一華と融合した最上久丈が、『勇者』の姿へ
一歩目は久丈が早かった。
元々が『
ステージ上の敵まで七歩。
その最初の一踏みで久丈は『勇者』のステータスを身体で把握した。今までトランスしたどのクラスよりも高レベルな身体能力、身体が風のように軽く、鋼のように力強い。彼我の距離を修正、あと四歩。視線の先にいる自分そっくりの姿をした――自分のオリジナルの姿をした王城が狼狽えながらも構える。いいのか、と久丈は脳裏で思う。ステージに上がる。あと二歩。それでいいのか。剣技でいいのか。魔法じゃなくていいのか、王城。
あと一歩、会敵、交錯――する前に、
「――っ!?」
ステップを混ぜた。かつてシーフに見せてもらった距離と体移動を撹乱するフェイント。オリジナル勇者が哀れなほど簡単に引っかかり体勢を崩す。左腕を斬り飛ばし、相手の反撃はこちらの盾で防ぐと、そのまま盾を押し込んでの
「殺す!」
空に光が生まれる。それは雲よりも高いこの試合場において、その存在をより強く主張した。精霊や妖精などの『肉の体を持たない』彼らに力を借りることなく、繋げたリンクをそのまま使い、
久丈は咄嗟に左手を向ける。精霊の力を借りない煌星系魔法に詠唱は必要ない。もしや、と思ったが魔法は『発動しなかった』。やはり自分には魔法の才能がないらしい。
けれど、
「
けれど一華は、こう言ってくれた。
――『勇者』にしか使えない煌星系魔法。けれど『勇者』にできることが本当にそれだけとは思えないわ。ジョーくんは、『本当の勇者』が成し得たことができるはず。
視界端のウィンドウ、『技能』欄の最終行にそれはあった。
クラスの能力を使用する際に必要なのは、コマンド入力ではなく意識の集中だ。『これを使う』と強く念じさえすれば、クラスがそれを読み取ってプレイヤーに発動するためのキーを伝える。久丈は『勇者』の指示に従った。王城と対照的に、手に持った魔法剣を大地に刺して、
「――
久丈の刺した剣を中心に、黒い何かが広がる。
音よりも速く駆け抜けたその黒い光の幕は、瞬く間に天空武闘場を形成する空間すべてへ行き渡った。まるで太陽に影がかかったように、皆既日食でも起きたかのように世界が暗みを増した。久丈が剣を抜くと再び明るさを取り戻したが、決して戻らない何かがあった。
久丈にはわからない。何も変わらないように感じる。だが確かにそれは起きたはずなのだ。その証拠に、
「なに、これはっ……!?」
煌星系魔法の発動に失敗した王城が、飛翔魔法すら制御できずに落下した。勇者の身体能力でかろうじて着地するが、残された右手をじっと見て、戸惑いを隠せない。
「なんだ、この――『喪失感』は……! 貴様、何をしたぁ!」
「降りてきて貰っただけだ。こっちの土俵に」
久丈にその感覚はわからない。もともとそれが使用できない久丈には、
『魔法が使えなくなる』感覚など、とうてい理解できない。
「――な、なんだと……?」
叫ぶ王城の姿が変わる。魔法が封じられたことにより、『勇者』への変身も解除されているのだ。それは久丈たちも同様で、試合場には四人のプレイヤーが再びその姿を現した。
同時に天空武闘場が崩れ落ち始める。この浮き島そのものが魔法によって浮かんでいたからだ。崩壊と落下が同時に起こる試合場で、互いの切り札を出し合った魔術士たちが最後の決戦へ挑む。だが、
「く……! 大志さま……!」
中央島が真ん中から三つに深い亀裂が入り、一華と蘭子がそれぞれ分断された。
久丈の数十歩先には、同じ島に残された王城の姿。
「馬鹿な、これは……そんな……!」
その魔道士は勇者と魔法を失い、なおもうろたえていた。
道化師が走る。
揺れる大地で立ち上がった久丈の計算は終了している。総コストは互いに6のまま。このまま落ちればダブルノックアウトで引き分けとなるだろう。延長戦になろうが再試合になろうが、次も作戦が上手くいく保証はない。今回は相手にこちらの切り札を知られていなかったから成功したのだ。
いまここで、決着をつけるしかない。
コスト1の久丈が、コスト5の王城を倒すしかない。
走る久丈を見て、勇者変身の依代となった後遺症で『
「忘れたかのかしら、王城! 五人の『勇者』が何を成したかを!」
「まさか……!」
「かつてこの世界から『魔術兵器』を消し去ったことを! 地球からの魔力リンクを! 魔術士が変身する際に接続する『
「魔法を封じたのか……! だがそれは、本物の……本当の勇者の……!」
呆然とする王城。
一華は己の考えが――『舞踏剣闘士』が逆流で見せたあの言葉が正しかったことを確信した。
最上久丈とは、彼を形作るものとは、
コピー能力、どんなカードにも合わせられるジョーカー、魔法が使えない才能、世界に見放されたかのような運の無さ、それでも生き延び続ける悪運の強さ、人を助けずにはいられない体質、そして永水の血。
それはつまり、
コピー能力で一華のクラスを模倣し、『
一華は叫ぶ。満面の笑みで、まるで自分のことのように誇らしく、
「ジョーくんは私の勇者なのよ! それくらいできて当たり前だわ!」
その笑顔を見て、王城は悟った。やっと悟った。
「一華、お前は――本当に、俺の元に来る気がないのか」
誰に聞かせるわけでもなく、自分自身に問うように。
「何もかもを理解して――ただの反発心、反抗心ではなく、本当にあの男のことを――」
恐らくそれは生まれて初めて味わう感情。王となるべくして生まれ、育てられ、何もかもを思い通りにしてきた男が初めて遭遇する『どうしようもない感情』。
支配だけでは、ひとの気持ちは変えられない。
だからきっと、これは失恋なのだ。
「――れ、のれ、おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれええええ!」
突撃してくる久丈へ怨嗟の念を込めて睨む。
「認めん、認めん、認めんぞ最上久丈! この俺が貴様に劣っているなどと! 一華を愛しもしていない貴様に!」
魔法は使えない。だが腰に備えた
「貴様を殺し! 勝利し! 一華を俺のものにする!」
エンハンサーによる能力上昇は伊達ではない。かつて一華と二人でも倒しきれなかったことを久丈は忘れてはいない。しかし久丈は怯まない、崩壊する大地を疾駆する。
「言ったはずだ」
仕込み杖を抜いた。もはや小細工は、
「双刃一華は、お前には渡さないっ!」
「ほざけぇっ!」
二つの刃が交錯した。だが王城のエンハンサーは久丈の仕込み杖をあっけなく叩き折り、勢いそのままに久丈の肩に吸い込まれる。痛覚値ゼロの王城は刃が肉を切り骨を断つ感触を知らない。やけにあっさりと久丈の身体を通り抜けた愛剣に若干の途惑いを覚えながら、それでも勝利を確信した、
その、瞬間、
「――なんっ!?」
久丈の身体が無数のトランプへと変化した。
魔法は使えない。だがそんなものは生まれた時から慣れっこだ。久丈が仕込み杖を抜いたその時にはもう、小細工は、『済んでいる』!
53枚のぺらっぺらのカードは風に舞い上がって王城を包んだ。
「くそ!」
剣を振り回し、いくつかのカードを切って捨てると、残るそれらが鳩となって飛んで行く。王城にはまるで理解できない、予想できない、予測できないし計算もできない。このあと何が起こるのか、道化師がいったい何を考えているのか、王様には彼の気持ちがわからない。
空中へ飛び立った鳩がぽんぽん、と仕込み杖と変化した。攻撃!? と構えた王城を嘲笑うかのようにそれらはまたも姿を変える。それは細長い紙を丸くくっつけただけの、粗末な紙細工の王冠だった。くるくると円を描くようにゆっくりと舞い降りてきて、
「――『道化師の王冠』《クラウンズ・クラウン》」
王城の胸を、背後にいる久丈の剣が貫いていた。
「な、なぜ、」
信じられないものを見る顔で振り向いた王城に、久丈が種明かしをする。
「カードを一枚、あなたの服に忍ばせました」
トランプが王城を包み込み、鳩に変化する直前、魔道士のポケットに入れて置いた。それを瞬間移動で位置交換したのだ。
紙の王冠が53枚のトランプへ戻る。落ちてきた一枚を捕まえて、くるりと翻す久丈。
「これを」
王城は怒りを抑え切れない様子でそいつを睨んだ。
ジョーカーが――さんざん久丈の夢に出てきては馬鹿にしていたクラウンが、ひゃひゃひゃ、と笑っていた。そして、『悪いな、魔道士』と言った。確かに言った。王城はそのクラスの声を聞いた。
『お前には「面白み」が足りねぇ。それじゃあ「肉の身体を持たない俺たち」は味方につかないぜ』
「貴様……!」
王城の身体が粒子となっていく。それは試合場が落下するよりも、崩壊するよりも、早く訪れる決着だった。
カードを持たされたことに気付かなかったでしょう、と久丈は言う。
「気付くものか……! こんなふざけた結果、認めてたまるか……!」
「こんなのは、簡単に気付けるものです。感覚さえあれば。優れた魔術士はわずかな体重の変化にすら敏感に反応します。様々な能力を強化させているクラスプレイヤーの着た衣服に、コスト1の道化師が仕掛けなんてできるはずがない」
『痛覚』とはすなわち『触覚』だ。肌に触れたものの感覚、それが強くなると『痒み』になり、さらに強くなると『痛み』になる。その値をゼロにするということはつまり、
「………………っ!? そういう、ことか……! 貴様、どこまでも…………!」
消えゆく魔道士に、道化師が最後の勝因を告げる。
「あなたが痛覚値をゼロにしていなければ、僕たちは負けていた」
久丈はもう一度だけ鳩になり、飛び立った。刹那の後、武闘場は雲海を突き抜けて完全に崩壊する。一華と蘭子は同時に落ちて、王城はもう死んでいる。
――ごーん、ごーん、ごーん……。
何もかもが無くなった雲の上で、久丈が再び人の姿へ戻ったとき、どこからともなく鐘が三つ鳴った。シルクハットを押さえて落ちながら、久丈はその音を聞く。
第九十回葉桜冠装学園・一学期トーナメント決勝戦。
試合時間:六分二十四秒。
王城&蛇空ペア、残コスト0。
一華&久丈ペア、残コスト1。
久丈と一華の、勝利である。
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