4-7


 久丈そっくりの道化師が、夢に出て久丈を笑う。


「よぅ、我が半身。まだ懲りずに無駄な努力をしてるな」


 道化師そっくりの久丈が、道化師を睨みつける。


「無駄なんかじゃない。決勝まで来れた」


「お前は学ばねぇなぁ。だから、明日負ければ全て無駄だろうが」


「負けない」


「負けるさ、相手は『学園ランキング一位』だぜ? しかもお前が散々なりたくてなれなかった、あの『勇者』サマに変身できちまうんだ。勝てるわけが無い」


「やってみなければ」


「わからない、そう言って中学最後の試合で赤っ恥をかいたのは誰だったっけ? 明日、お前のせいで一緒に赤っ恥をかくのは誰だっけ?」


「そうだ。一華先輩のためにも、僕は負けられない。僕はもう二度と、諦めたりしない」


「そうかよ。せいぜい恥をかきな」




 最悪の夢だった。


 この三ヶ月間おとなしくしていたと思ったら、よりにもよって決勝の朝に出て来るなんて。


 寮の自室のベッドで身を起こし、久丈はため息をつき、立ち上がろうと右手を動かし、


 ふにゃ、


 となにか柔らかくて少しひんやりしてしっとりしたものを握った。見た。肌色の球体だった。


「……………………………………………………?」


「……あふぅん」


 例のネグリジェを着たあられもない格好の一華が、眠りながら夢心地で喘ぎ声を上げた。


 久丈の右手は一華にがっちり抱かれてネグリジェの胸元から中へ入り込み、一華の豊満な乳房に置かれていた。びくっと驚いた久丈の右手が無意識に動いてもう一度揉んでしまい、「ひゃぅ、はぁん」指に吸い付くような極上の弾力を楽しんだ挙句、なにか突起物に触れて掻いて撫で回してしまって「やっ、ん!」突起物が更に隆起した。たぶんこれ乳首だわ。


 そこでようやく久丈はフリーズした。


 一秒のあと、再起動した。


 手を抜こうとする。が、一華が抱き込んでいて動かせない。力を込めると「はぁ、ん」と目の前のぷるんぷるんしたものが揺れて持ち主が甘い声を上げてしまう程度の難易度だ。


 待て、落ち着け、冷静になれ。


 突然の事態で混乱している脳みそをフル稼働させる。深呼吸だ。大きく吸って――吐いた息が一華の顔や胸にかかったらしく、彼女はくすぐったそうに口をむにゃむにゃさせつつ身をよじらせた。二つの乳房は久丈の右手を決して離しはしないと谷間で挟み直し、艶かしく動いた腰が一華の曲線美をあらわにする。背中から腰を通りお尻へと至る流麗なカーブはどこまでも女性らしさを強調させた。太ももはむっちりと肉をつけ、ふくらはぎから足の先まで美しい。


 およそ完璧だった。


 美しさと艶かしさを、完璧に両立させていた。


 顔が熱い。心臓がうるさいくらいにバクバク言っている。血液が下半身に溜まっていくのは朝だからだと誰かに言い訳する。


 久丈の右手を挟んだまま一華が動いたおかげで、体勢がサブミッションを極められたかのように大変おもしろいことになっていた。暖かくて柔らかくてとても幸せな感触と、冷たくて固くて鈍い痛みが同時に久丈を襲う。それでも目が離せない。吸い込まれてしまう。


 『魔導浮上都市オーバーフロート』で一番といっても過言ではない美少女の、油断しきったエロい肢体に。


「……むにゃ?」


 その爆乳妖艶お嬢様が目を覚ます。


「あ」


「あら」


 目があった。 


 すると一華は無言で自分の身体――久丈の右手を挟む胸元を見て、何やら左手でごそごそと股間の湿り具合を確認して、あら、と寝ぼけ眼で久丈を責めるように口をすぼめ、


「何もしなかったの?」


「するかぁあああああ!」


「もう、仕方ないわね」


 しゅぽん、と胸元から久丈の手を抜き、やおら迫りくる一華。不意打ちをつかれてそのまま腰に跨がられる。


「ちょ、一華せんぱ」


 優しく頬を両手で包んでくる一華との間合いはほぼゼロ距離。


「ジョーくん?」


「な、なんですか?」


 その呼びかけに答えてはいけなかった。


 瞳をとろとろにさせた魔導都市一の美少女が囁く。悪魔のように。


「あなたを、愛しているわ」


 くらり、とした。一華がいま、世界中の誰よりも、何よりも、どんなことよりも――クラス・トランスでさえ頭のなかから追い出して、ただひとつ久丈のことだけを想っていると、そう『錯覚』したから。


「錯覚じゃないわ」


 一華が顔を近付けて囁く。その細い腕を久丈の首に絡めて抱き着いた。


「あなたさえいれば、何もいらない」


「……、……っ、……そ、それは、」


 大波のように久丈の心をさらう、桃の香りの混ざったむせ返るような女の匂い。全身を覆う甘い誘惑に少しでも負ければ久丈の理性はたやすく飲み込まれる。男としての遺伝子がこいつを襲えと命令している。そうさせているのは他ならぬ一華自身だ。


 一華に体重を預けられ、久丈はされるがままにベッドへ押し倒された。動けばキスができそうな距離で、一華がじっと久丈を見つめる。


 一華と見詰め合う。


「ジョーくん……」


 何もかもを許された気がした。このまま目の前にいる美少女の唇を奪っても良いし、華奢で柔らかい身体を抱きしめてもいい。体勢を逆転させて押し倒してもきっと抵抗しない。服を脱がせて裸にして、試合中でも見せたことのない最後の部分を久丈だけが触れられる。きっと彼女は、重力に従って揺れる大きな胸も形の良いお尻も全て自由にさせてくれるだろう。そんな気がして、一華を見た。


 一華は、微笑んだ。


 いいよ、とその瞳が言う。襲って。好きにして。


 それでも、


 それでも、


 それでも、久丈は、この行為が間違っていると確信している。


――ダメだ、それはダメだ。その考え方は、よくないっ!


 だから理性が勝った。


 久丈の心は抵抗する。一華の、理性がぶっ飛んだ瞳の向こう側がわかる。ヤバイものだと理解している。この欲望に走った先にあるであろう未来は決して望んだものじゃない。自分にとっても、彼女にとっても。


「私ね、」


 潤んだ目で心をさらけ出す一華。


「こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。家から絶縁されることも、クラス・トランスも、世界へ行くことも、すべて諦めたっていい。ジョーくんさえいてくれれば……」


 だから、と久丈は憤慨する。その先にある未来は、あなたのためにならない。


 いまここで一華を襲えば満足するだろう。一緒に逃げることだってできるだろう。だがその後はどうなる? 最上久丈さえいれば何もかもどうでも良くなった腑抜けた双刃一華の完成だ。久丈は思う。この先輩は完全に現実を見失っている。今まで他人を誘惑する側だった彼女は初めて湧いた恋愛感情に酔い狂わされている。『クラス・トランスで強くなるため』に性的な快楽に対して素直なのがそれに拍車を掛けている。


 クラス・トランスを諦めても良いだと?


 例え一時の感情に流されたものだとしても、例え自分を惑わすための嘘だったとしても。


 そんなことを言う双刃一華を、自分は絶対に認めない。


「――僕だけを見るあなたに、何の魅力があるんですか」


 自分のせいで、最上久丈を好きになったせいで、


「これまであなたがしてきた頑張りや積み上げてきた努力を、持って生まれた容姿端麗という才能に振り回されてもそれを利用して強くなってきた事実を、『蒼星無双冠祭ワールド・クラス・トランス』へ行くという目標を、世界に自分という存在を知らしめたいという野望を、世界中の人達に見て欲しいという夢を、これまでの何もかもを、僕一人のために捨てると言うんですか」


 一華の瞳に途惑いが揺れたのは、久丈の言葉に感化させられたからではない。もっと単純で原始的な理由だ。


「そんなことは、この僕が絶対に許さない」


 久丈の目が、めちゃくちゃ怖かったからだ。


「はっ……んっ……!」


 濡れた。


 何が、とは言わない。


 下半身、主に腰がびくんびくんしている一華が、久丈に覆いかぶさったまま訴えた。


「ジョーくん、ジョーくん、ジョーくぅん……! もっと、もっとぉ……!」


 何が「もっと」なのか一華は言わなかったが、久丈は怒りに任せてその通りにしてやる。


「どけ、このどうしようもない痴女が」


「やぁんっ……!」


「聞こえなかったのか? そこをどけ、色情魔の年中排卵期な淫乱メス豚め」


「はっ……はいぃっ……!」


 どいた。


 素直だった。


 久丈はやれやれ、とため息をついて立ち上がる。振り返ると、ベッドの上に座り込んだ一華が両手で身体を抱え、恍惚な表情で何やらブツブツ繰り返していた。


「――の年中排卵期な淫乱メス豚め。そこをどけ、色情魔の年中排卵期な淫乱メス豚め。う、うふふ、良い素材いただきましたぁ……これで今夜も捗るわ、捗るわぁ……」


 何がだよ。


「あのぅ、一華先輩。痴女とかメス豚とか、酷いこと言ったのは謝ります。でも、先輩も、冗談でもあんなこと言わないでください」


「どうしようもない痴女で、メス豚ですぅ……! あぁん、ご主人様ぁ……!」


「聞いてください」


「はっ、ジョーくん、まだいたの。何かしら? 私ちょっと忙しいのだけれど」


 あれれ~おかしいぞ~? ついさっき「愛しているわ」って言った人と別人だ~?


「先輩の気持ちは凄く嬉しいのですが、クラス・トランスを諦めるなんて嘘でも言わないでください」


「ジョーくんも言ってたのに?」


「だから余計にイヤなんです。我儘だってわかってます。でも、僕をもう一度クラス・トランスの世界に戻してくれたのは先輩だから、その、」


「それは王城と同じではなくて? 自分のために辞めろと言ったり、自分のために辞めるなと言ったり、殿方というのは全く困ったものね」


「う、それは、そうですが……」


「なんて、冗談よ、ジョーくん。私がクラス・トランスを諦めるわけがないでしょう? そりゃ、あなたの命令ならどんなことでも喜んで聞きますけれど」


「そんなことは言わないし、そもそも命令すらしないのでご安心ください」


「でも、あなたのことをそのくらい想っているということよ? それだけは理解してくれると嬉しいわ」


「それは、その、……はい」


「わかったら、はい、どうぞ」


 などと言いつつ目を閉じる一華。ちらっちらっと片目を開けて久丈の様子を伺っている。いったい何だと疑問に思っていると半裸の痴女が小声でやり直しを要求してきた。


「――ほらはやく、わたしがねてる、いまのうち」


「なにがだよ」


 五・七・五で誘ってんじゃねぇよ。


 チョップした。


「やだ、手刀だなんて――優しすぎるわ! もっと痛くして?」


「いいからベッドから降りてください」


「あら、そういえば『どうしてここにいるんですかぁああああああ!?』とか『僕のベッドで何やってるんですかあああああ!?』みたいな突っ込みはなし?」


「誠に遺憾ながら一華先輩の奇行には慣れてきました」


「まぁ、本当に『突っ込んで』欲しい所はそこではないしね?」


「ウインクしながら馬鹿なこと言ってないでとっとと僕の部屋から出て行ってください」


「この格好で外に出ろと言うのっ!? わかったわ、ご主人様ジョーくんがそこまで言うなら性奴隷は従います。衆目の好奇な視線に晒された私がはしたなく感じちゃう所、ちゃんと見ててわぶっ」


 言い終わる前にその辺に畳んであった女子制服を顔面めがけて全力で投げた。


「いいから着てください」


「下着がないわ? あっ、そういう……?」


 なにが「そういう……?」だ。ノーブラ・ノーパンで一日過ごせなどと命じた覚えはない。


「自分で取ってください」


「選択肢をあげるわジョーくん。私の下着を取るか、私に下着を穿かせるか」


「この丼ぶりみたいなのがそうですか?」


 ノータイムで女性用上半身下着らしき物体をつまむ久丈。振り返らずにベッドへシュート。


「そうそう。あ、ショーツの色が違うのは気にしないでね。男の子って、女子がつけるブラとパンツは必ずお揃いだってサンタクロースの存在を疑わないショタみたいに信じてるけれど」


「初耳ですし興味ありません」


「もう、ジョーくんったら、相変わらず手強いわね。まぁドM的にはそこが良いのだけれど」


 ボヤキながら下着をつけ始める一華に背中を向けたまま、


――さっきはマジで理性が危なかった。


 と胸の感触が生々しく残る右手を閉じて、窓の外を眺めては己を落ち着かせる久丈であった。

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