4-5


 家族は母しかいないと思ってた。


 最上家は母ひとり子ひとりの母子家庭で、裕福ではなかったが貧乏でもなかった。母はクラス・トランスの国内プロプレイヤーだったが、ランキングの下の方を行ったり来たりしていて決して強くはない。収入はそれほど多いはずはなかったから、中学に上がるころ久丈は不思議に思う。なぜお金のかかる私立の『冠装魔術』推進校に進学できるのだろう。


 別の収入源があるのだとはっきり悟ったのは久丈が中学二年生のとき。母が体調を崩して入院しはじめたころだ。


 いくら生命保険と蓄えがあるとは言え、働き手のいない家庭が、家賃と学費と生活費と入院費を払えるはずがない。銀行の口座を調べても借金をしている形跡はなかった。その代わりに、毎月必ず『誰かから』お金が振り込まれていた。それは二流プロプレイヤーの母が必死に稼いだ額の三倍はゆうに越えていた。


 久丈は身近な友人に相談した。よりにもよって永水瑛美だった。


 瑛美は親身になって考えた。彼女もまた知らなかったからだ。まさか自分の家から幼馴染の母に金が渡っているなど思いもしない。久丈の母から魔法の手ほどきを受けていた瑛美は「お母さんに聞いてみようよ」と言ったが、久丈は「日に日に弱っていく母にそんなことは聞けない」と思った。最上家は母子家庭なのだ。父親がいないのだ。幼い頃、いくら母に聞いても微笑むばかりで何も教えてくれなかった父親が。顔も知らないその人物がこのお金を振り込んでいると久丈は考えた。だから母には聞かない。今はまだ聞けない。元気になったらそのときに。


 けれど、母の具合はどんどん悪くなっていく。


 ひょっとして治らない病気なんじゃないか、と母が入院してから半年が過ぎころに久丈はやっと思った。中学二年生もあと少しで終わりだったが、久丈はいまだに魔法ができなかった。


 母の病気と、使えない魔法。


 大きな悩みが二つになった。一人で抱えるには大きすぎた。瑛美に相談した。八つ当たりみたいな形で感情をぶつけたこともあった。それでも最後までちゃんと話を聞いてくれた。救われていたと、久丈は思う。


 いつしか久丈は、魔法が使えるようになることと、母がもう一度元気になることを、同じように考えていた。もし魔法が使えたら、僕は勇者になれる。もし母さんが元気になったら、またいろいろ教えて貰おう。母さんは、魔法がとても上手いから。


 どちらもかなわなかった。


「あなたは、私の誇りだわ」


 見る影もなくやせ細った手が、そっと久丈の頬を撫でていく。


 それが久丈の記憶にある、母の最後の言葉だ。


 中学最後の試合、その一週間前だった。


 母が死んだ。




 瑛美が自分よりも泣いていたことをよく覚えている。


 頭と心の整理がまるでついていなかった。


 葬式と遺品の整理に追われて、久丈は泣くタイミングを逸した。もう一人の幼馴染である絵理沙が何かと手伝ってくれて、どうにかこうにか終わった頃にはすでに三日が経っていた。葬式は実家でひっそり出したのだが、居間の隅っこにいる瑛美はべろべろに泣き続けてちっとも戦力にならない。そういやぁ良く母さんに魔法を教わっていたな、と久丈はぼんやりと思う。


 そして手紙を見つけた。


 絵理沙は「一度家に帰る」と出払っていて、瑛美は泣き疲れて眠っていた。


 なかを開く。


 母の字だった。


 「ね」が汚くて「ぬ」に見えて、思わず「母さん」とつぶやいていた。気が付けば泣いていた。なんてことはない内容だった。お肉ばかりじゃなくて野菜も食べなさいとか、練習しすぎないで早く寝なさいとか、調子にのって風邪をひかないようにとか、お母さんはもういないけど、身体に気をつけて元気でいてぬとか、もう字が汚くてここで来るのかよ元気でいてぬってなんだよと笑いながら泣いていた。半分くらい読んだところで久丈の声で目を覚ました瑛美がやってきて、二人で抱き合ってべろべろに泣いた。だからその時は気が付かなかった。手紙が二枚あったことに。


 その翌日、久丈は立派な門扉の前にいた。永水の屋敷だった。


 ここに招かれたのは二回目だ。一度目は、ずっと幼いころに母に連れられて来た覚えがある。瑛美はいつも久丈の家に遊びに来たし、母からもここに来てはいけないと言われた気がする。その理由が今ならわかった。わかりたくは、なかったけれど。


 自分は永水の子だと手紙の二枚目にはあった。ひょっとして、明日からここで暮らすことになるのだろうか。漠然とした不安だけが胸を覆っている。


 応接間に通された。高そうな椅子が並んでいて、はしっこに所在なく座ってしばらく待っていると、お付きを一人だけ連れた妙齢の女性がやってきた。綺麗な人だが、それよりも何よりも、「強い」と感じた。母に似た強さを久丈は見た。冠装魔術士クラス・プレイヤーとしての強さを。


 然り、だ。


 ここは『冠装魔術武闘クラス・トランス』における『魔術名門家』の一角、『王城家』が分家筋、『永水』なのだから。


 その奥方様が、一介の魔術士であるはずがない。


 永水の奥方様――瑛美の母親は、思わず立ち上がった久丈を目にして、四日前に実の母親を亡くし天涯孤独となったばかりの久丈を前にして、何はともあれ真っ先にこう言った。


「あなたは、勇者一族わたしたちの恥です」




 奥方様の話は概ねこうだ。


 現当主が戯れにとった妾の息子が久丈であること。妾は永水家にふさわしくないので追放されたこと。久丈がこの事実を知るのは本当はあと二十年は先であったこと。永水家が『謝礼』と称して金を振り込み続けていたこと。久丈の母親が死んだので、今後は久丈の口座に入ること。それは久丈が成人するまで続くこと。


 瑛美が久丈を想っているらしいこと。


 瑛美が久丈の妹であること。


 瑛美は何も知らないし、これからも知ることはないこと。瑛美を含め、誰にも口外してはいけないこと。それが破られた場合、永水家は全力で久丈の行いを『非難』し、『糾弾』し、これまでの『謝礼金』をすべて返却してもらうつもりであること。


 要約すると、「金はやるから黙ってろ」だった。


 久丈の言葉は全て無視された。本当の意味で話にならなかった。奥方様が母を追放させたのですか、という質問はもちろん答えてもらえず、事務的な手続きまでただ一方的に告げられて、それでおしまいだった。具体的な質問はすべてお付の人が答えてくれて、奥方様は久丈を見ようともしなかった。妾と旦那の間に生まれた子供を視界に入れたくないらしい。


 久丈の容姿にも、永水の当主の面影があるのだろうか。そんな疑問を抱いた。


 帰り際、ふと視線を感じた。知った顔だ。瑛美の父親が道場の入り口から久丈を見ていた。


 久丈は、そっか、と思った。あれ、僕の父親でもあるんだ。


 やがて興味が失せたように、永水家の当主は道場へ姿を消した。その瞬間に見えたあの目を久丈は今でも思い出す。


 忘れていた厄介事がまた現れた、そんな目だった。


 家族は、やはり母しかいなかったのだ。




 久丈は「話すつもりはないし、お金を貰うつもりもありません」と奥方様に言った。今までの分もぜんぶ返そうと思った。いつになるかはわからないけど。


 一流の冠装魔術士クラス・プレイヤーになれば高収入を得られる。やることは変わらない。『勇者』を目指して精進するのみだ。物心ついた頃から自分を鍛えてくれた母に誓った。例えどんな境遇に置かれようとも、父親と名乗る男性とその家族に疎まれても、「あなたは私の誇り」と言ってくれた母に、自分は『勇者』になれると証明したかった。この血は、穢れてなんてない、と。


 そう決心した三日後、中学最後の試合で、久丈は負けた。


 情けなかった。


 どうしても魔法を使えない自分が、『勇者』になれない自分が、才能のない自分が、運命に選ばれなかった自分が、運命を覆せなかった自分が、情けなかった。


――やっぱり僕は、『勇者一族の恥』なのか。


 そうして久丈は決めた。『冠装魔術武闘クラス・トランス』を辞めよう。もう二度と、夢を見るのは辞めよう。


 推薦入学が決まっていた学園への進学を辞退した。仕事を探そうと思った。クラス・プレイヤーじゃなくて、普通の仕事を。


 すると、辞退の連絡をした五分後に携帯デバイスが着信を告げる。女性だった。入学金も授業料も寮費も払えないことを伝えたら、特待生枠でぜんぶ免除にしてあげると言われ、中卒じゃ就職は厳しいわよなどとやたら現実的な問題を突き付けられ、私はあなたを待っているわ、と告げられた。食うものと寝る場所を得るために久丈は彼女に従った。


 言うまでもなく相手は学園長で、進学先は葉桜冠装学園だった。




 それから、半年だ。


 母が死に、久丈が本当のことを知って、まだ半年だ。


 気持ちの整理が何もかもついていない。母がいなくなった穴はぽっかりと胸に空いたままで、瑛美のことを『妹』とも『好きだった女の子』とも決められない。久丈の時間は止まったままなのに、周囲の環境は目まぐるしく変化していく。狂ったように『人助け』をするのは、自暴自棄になっているからかも知れないと久丈は思う。しかし何も変わらない。心の空虚は埋められず、好きだった人とも向き合えず、『勇者』という夢は捨て去り、どれだけ他人を助けても、自分は『何者』にもなれない。そう思っていた。


 そんな時に、


――あなたは私の『切りジョーカー』になれる。


 双刃一華と出会ったのだ。


 もう一度夢を見ようと、思えたのだ。


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