4-2



 瑛美がはしる。


 この瞬間ときばかりは彼女の頭に久丈も一華も思い浮かばない。この試合に勝利すれば彼らの目的が達成できて、瑛美にとっても大切な友人であり先輩である一華お姉さまの人生を救うことができるらしいが、そんなこといまこの瞬間は知ったこっちゃない。


 目の前の敵を倒す。


 それだけである。


 後方に待機するパートナーの絵理沙が、コスト1『神官プリースト』として呪文を唱えた。身体強化の補助魔法を掛けられた『聖騎士パラディン』瑛美は小さな身体でマントを翻し敵へ向けて風のように一直線。相手は相変わらずの組み合わせで『大魔導師ソーサラー・キング』と『盗賊シーフ』のペアだ。いつも通りシーフが前に出ていたが、身体強化済みの聖騎士が相手ではさすがに瞬殺されると理解しているのか、後退しつつ魔道士と連携を取る構え。


 瑛美は思う。


 逃さないけどね。


――響け轟け光条の蛇。大気を斬り裂き大地に刺され。天なる雷神、御身の無双を我が前に!


 反応はできない。晴天の草原フィールドに突如として無数のいかづちが落ち、シーフは己が雷電系最大魔法トール・エフェクトを喰らったのをカード状態になったことでようやく知る。残コスト5。魔法落雷の余韻が空間をばちばちと光らせるなか、瑛美はシーフを振り返りもせずに王城へ向けて突っ込んでいく。広範囲魔法であるトールを喰らわせても魔道士たる王城にはさすがに防御されていたが出鼻は挫いた。飛翔魔法を維持できず地面に落ちて、瑛美を待ち受けようと腰の後ろに手を回し両刃剣エンハンサーを構える魔道士へ颶風のごとく突撃する。


 両者の間合いが消し飛ぶ。十二歩、七歩、四歩、


 くい、と王城が左手首をわずかに上げたのが見えた。本能に従って瑛美は猛加速する。


 瑛美の背中で大爆発が起きた。


 流れる時間がゴムのように伸びる。一秒が一分にも一時間にも感じる。


 呪文を詠唱していたのは瑛美だけではなかった、当たり前だろう、後方の絵理沙は死んだかもしれない、咄嗟に突撃の速度を上げて助かった、一歩遅ければ巻き込まれていた、その一歩が相手の誘いであることに瑛美は気付く、爆発の衝撃波が瑛美の背中を押し、無理な体勢で加速した身体は隙だらけで、王城の両刃剣が見事なまでにぴったりと振るわれていて、


 その全てを、知ったこっちゃない、と瑛美は凄惨に笑った。


 聖騎士のマントが踊る。


 それ自体が風精霊シルフの加護を受けている外套マントは瑛美の身体をぐるり、と横回転させて王城の必殺の一撃をかわさせると、さらに敵の両刃剣を巻き取って自由を奪う。一秒にも満たない硬直だが中学全一を獲った聖騎士には十分過ぎる時間だ。瑛美が魔道士の背後に着地した時、王城の首は宙を舞っていた。爆発音がやっと戦場に轟いた。流れる時間はなおも伸びる。


 爆風に晒されながら、どっちかな、と瑛美は考える。王城の肉体が粒子へと変換され始め、すべて消え去る前に瑛美の魔法剣は魔道士の頭をさらに貫いた。こっちか。


 王城の『瞬間再生』が始まっている。頭と胴体が分断された場合は頭を起点にして肉体が再生されるらしいことを見極めた瑛美が、王城の首から下に極小キューブが集まりひとの形になっていくその前に眉間へ剣を突き刺していた。痛覚値ゼロの王城がホラー映画よろしく冷静に瑛美の魔法剣を目で追うが、瑛美はその瞳ごと頭を横に両断する。巻き起こる爆風のなか、シルフのマントを纏った聖騎士の剣閃が嵐のように吹き荒れて魔道士の首を切り刻んでいく。職業クラスの特異能力は奥の手で、トーナメント戦でも滅多に披露されるものではなく、それはまだ見ぬ対戦相手ライバル達に情報をさらけ出すことになるからだと、王城は知りつつも三ヶ月前に『瞬間再生』を見せた。


 その結果が、これである。


 すでに原型を留めなくなった肉塊がそれでも再生しようとキューブを発生する。伸びた時間は元の流れに戻りつつあり、そして瑛美は呪文を唱えた。


――燃えよ精霊サラマンドラよ。集え高まれ我が元に。その炎は我がつるぎ、我が剣は我が魂、我が魂は汝が炎と共に!


 人間三人は飲み込めるほど巨大な火の玉が瑛美の向けた掌に生まれる。キューブがきゅるきゅる、と固まって頭、額、まゆ、耳、目、ほほ、鼻、口まで再生された王城を情け容赦のない爆炎が飲み込んだ。青白い光が弾けて敵を滅却すると、熱と衝撃が爆風となって辺りに奔る。


 爆煙と粉塵で視界がきかなくなる。巻き込まれないよう下がった瑛美が目の端で情報を見た。『神官パートナー』の復活待機時間は残り十五秒で、敵の残りコストは5のまま。つまり最初の攻防からわずか五秒しか経っておらず、王城もいまだ死んでいないということ。


――ズルなんじゃないの。


 さすがにそう思う。『瞬間再生』に対し、『再生する間もなく殺す』という方法で勝とうとした瑛美であったが、まさか塵一つ残さず燃やし尽くしたところからでも再生するとは思わなかった。吸血鬼だってここまで不死身じゃない。いや、そんなのは現実にいないけど。この世界に魔術師はいても魔物はいない。いるとしたら眼前の「王城大志」という名の化け物だ。


 ふぅ、と息を吐いて魔法剣を握り直す。雷電系最大魔法トール・エフェクトに風のマント、さらに火炎系魔法フレア・ロールまで投入した瑛美の魔力は底をつきかけている。熟練値が上がれば魔力量も増えるが、入学してからたったの三ヶ月では大した上昇もしなかった。だがここで攻撃の手を緩めたりするのは論外だ。再生魔法がかかるということは、再生している間は無防備なのだ。反撃されない今のうちにひたすら殺しきる。


 頬を撫でていた熱い風がやむ。視界が開ける。瑛美はもう一度奔り、


「――え?」


 しかし王城はいなかった。


 絵理沙の叫び声。


「後ろっ!」


 左腕がくるくると舞う。風の刃。通り過ぎていく。円形の小盾を装着したまま宙に飛ぶあの左腕は瑛美のそれだ。だがぎりぎりで回避が間に合った。絵理沙の声で咄嗟に右へ飛んだ瑛美は、なおも襲いかかる斬撃を振り向きざまに魔法剣で弾く。片腕くらいくれてやる。右手一本で迫り来る風空系斬属性攻撃ウィンドカッターをいなし、一瞬たりとも止まることなく敵攻撃範囲外にいる絵理沙の元へ駆ける。一歩目を踏み出し、


 補助魔法の効果が切れた。


 身体が重い。思い出したように左手に激痛が走る。


 風が右足首に通り抜けた。予感、逡巡、葛藤、一秒後に訪れるであろう激痛、斬られた、痛覚値をゼロにしたい、だめだそんなことをしたら負ける、せめて10から5に、


「あぐっ!」


 右足をやられた。痛覚値を5にしたおかげで痛みは抑えられたが、地べたを転がり回る感覚すら遠い。軽い麻酔をかけられたように肉体の実感が薄い。上体だけで振り返る。敵が見えた。『聖騎士』の目には飛来する風の刃が視える。膝立ちになって斬撃を凌ぐ。絵理沙との距離はあと十歩程度で、彼女が復活するまであと七秒。立ち上がれ。敵が近付いてくる。『神官』の魔法で回復して貰えば自分はまだ戦える。立って走れ。敵がすぐそこまで来ている。


 見たことのない姿で。


 いや――よく、知っている姿で。


 さんざん教科書で見た姿で、そこに敵が立っていた。


「敬意を表する」


 右手には魔法剣と思しき騎士剣。左手には大きな盾。身にまとうは聖騎士と似た西洋甲冑ではある。しかし自分のそれよりも更に洗練され、何よりも胸に刻まれた『鷹翼』の紋章。


「よくぞ俺にこの姿を取らせた」


 かつて魔術大戦を収めた伝説の魔術師――『勇者』が、そこにいた。


「なんで……それを……」


 戦闘中であるにもかかわらず、瑛美は呆然と尋ねていた。


 『カード型魔術兵器クラスウェポンシステム』から『冠装魔術武闘クラス・トランス』へ転換される際、英雄クラスである『勇者』も再現された。他のクラスと違い、『勇者』のカードを手にできるのは世界で五人のみで、毎年プロの世界選手権でMVPを取った選手だけが対象となる――はずなのだ。


 高校を含むアマチュアでは、『勇者』はいないはずなのだ。


 それが、なぜ。


「答えると思うか?」


 特異能力『瞬間再生』を見せたせいでここまでの劣勢を強いられた王城が、にやりと笑う。この奥の手があったからこそ、『瞬間再生』までは見せてやったと言わんばかりに。


 『冠装魔術武闘クラス・トランス』の自動魔術審判において試合は続行されている。止められていない。ということは、ルール違反ではない。


 この変身は『聖域』が、ひいてはかつての『勇者』が認めた行為だ。


「見事だ、永水瑛美。さすが我が王城の分家である。だが惜しかったな。一年生では、熟練値を上げるにも限界があろう」


 勇者へ変身トランスした王城が、手にした騎士剣を掲げる。その先の遥か上空に何かが生まれ出た。


「終わりだ」


 我に返る瑛美。絵理沙は復活しているが回復は間に合わない。左足で踏み込み魔法剣で斬撃を見舞う。大きな盾で防御され、切り返そうとしたとき、眩い光が瑛美を飲み込んだ。王城が荘厳に唱える。


「――煌星系最大魔法インへリット・スターズ


 上空で何かが起きた。


 とにかく眩しかった。目が開けられないほどの光量が瑛美に襲い掛かり、次いで全身が燃えていることに気が付く。息ができず、顔を上げることも叶わず、真っ白に埋め尽くされた視界に、燃えて溶けて灰になる右手の影だけをわずかに捉えていた。次の瞬間、意識が途絶えた。




 地上に太陽が生まれたかのようだった。


 かつて、とある『舞踏剣闘士』が使用した光熱系最大魔法サン・オブ・サンとは比較にならないほどの熱と光が戦場を支配していた。『勇者』にのみ使えるという煌星系魔法によって試合場として構築されたその空間にあるおよそすべてのものが融解し、蒸発し、後には何も残らなかった。草木を焼却され大地を熱せられた草原フィールドは瞬く間に溶岩地帯へと様相を変え、ぽつん、と三つの何かだけがそこに浮かんでいた。


 ひとつ、『神官』・九院絵理沙のカード。


 ひとつ、『聖騎士』・永水瑛美のカード。


 そして『勇者』・王城大志が、掲げた剣をゆっくりと降ろす。


――ごーん、ごーん、ごーん、


 と大きな鐘がどこからともなく三つ鳴って、試合終了を告げる。


 王城&蘭子ペアが、準決勝戦へ駒を進めたことを意味する鐘の音だった。



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