3-4


 それから時間はあっという間に過ぎた。


 通常授業が終われば一目散に練習場へ行って一華と訓練した。時には瑛美が来てくれて模擬戦をやったりもする。剣技はともかくダンスの経験がまるでない久丈のために、一華はダンスレッスンもスケジュールに組み込んで、二人はクラシックバレエから社交ダンス、ヒップホップにジャズダンス、果ては日舞まで踊りまくった。もともと身体のできていた久丈でさえ週替りでガラリと変わるダンスレッスンには堪えたが、新しい動きを身につけるほど自分が強くなっていく実感がある。魔法を練習していた時には得られなかった成長する喜びは、久丈のモチベーションと力量を天井知らずに上げていった。


 ただ、一華は練習中めちゃくちゃ厳しかった。


「おいそこの豚野郎――。あなたよ、ジョーくん。誰が休んでいいと言ったの? うん? もう踊れない? 何を言っているのかしら。ブヒブヒ鳴かれても私に豚の言葉はわからないわ」


 人格が入れ替わったみたいに厳しかった。


「なぁに? 吐きたい? ダメに決まっているでしょう。飲みなさい。どうしたの? もう疲れたの? まったく、どうしようもないクズね」


 お前ドMなんて嘘だろって思うくらい厳しかった。


「ほらほら、踊れないと言うなら犬のように走り回りなさいよ。ナメクジのように地面を這いずり回りなさいよ。なぁに? そんなことも出来ないの? 生きている価値あるのかしら? ゴミね」


 ゴミって言われた……。


 轢かれたカエルみたいにレッスン場の床でへばっている久丈のメンタルがピンチだ。それを見た一華がそっと微笑む。


「まぁ、ひとまず休憩にしましょうか」


 毎回、久丈の体力が限界を迎えた少し上あたりまでレッスンさせておきながら、久丈の心が折れるギリギリのラインで休ませる一華はさすがだった。そのうえ、


「よく頑張ったわね。えらいわ、ジョーくん」


 ニコニコと満面の笑みで久丈を褒め称えて、タオルとスポーツドリンクを渡してくれる。この笑顔に騙されて久丈は翌日も吐くまで(吐いても)練習するのだ。飴と鞭であった。


「ぁりがとぅ……ざぃます……せんぱぃ…………もぅマヂ無理……」


 声がギャル文字のように小さくなってしまったが、何とか起き上がりお礼を言って受け取る久丈。水分補給しないと死ぬが、飲むと吐きそうでどちらにせよ死ぬ。


「ジョーくんは頑張り屋さんね。センスもあるし、きっともっと強くなるわ」


 優しい風が久丈を撫でた。なんでそんなものを持っているのか、一華が隣でパタパタとうちわを扇いでくれている。五月でまだ涼しいのが助かった。夏になったらどうなってしまうんだろう――と想像しかける脳みそを全力で制御する。いまこの状況でそれを考えるのは自殺行為だ。ダムに戦車砲を撃ち込むようなものだぞ。死にたいのか!


「それにしても、あなたを鍛えるシゴくのがこんなに楽しいだなんて思わなかったわ」


「キラキラした瞳でドSなことを言わないでください……」


「先が楽しみよ。ジョーくんは実に良い素材だわ」


「合成されそうですね」


 どういう進化を遂げるのだろう。


「でも楽しみなのは本当よ? だって訓練にかこつけてイジメておけば、あとでたっぷり仕返しされちゃうじゃない?」


「え? いや、仕返しなんてそんなこと」


「イヤラシイ仕返しをされたときに、盛り上がるじゃない?」


「……は?」


「――厳しい教官。訓練には耐えなければならない。しかし抑圧された精神は、いつしか抑えきれぬ欲情となって反逆するのであった」


 どうしよう、なんか急に電波トばし始めた。目がイってる。


 一華は立ち上がると、くるくる回りながら一人二役で演じ始めた。


「『じょっ、ジョーくん! 私を裸にひん剥いたあげく縄で亀みたいに縛り付けてどうするつもり!? あぁん、縄がっ、縄が素肌に食い込んで、あぁん!』

 『へっへっへ。ずいぶんシゴいてくれましたねぇ、一華先輩ぃ?』

 『いやん、だって私はジョーくんのためを思って! やだっ、おっぱい、おっぱい、さわっちゃっ! だめっ!』

 『覚悟してください。僕が受けた苦しみ、たっぷりと返してあげますから。お前の体になぁ!』

 『待って! 待ってよぅ! 生はダメっ! ダメだったらっ!』

 『おら! さっきみたいに言ってみろよ!』

 『こ、この豚野郎……?』

 『それはお前だ雌豚がぁ!』

 『いやああぁぁ! らめぇええ! 赤ちゃんできちゃうぅううううううううううう!』

 ――ね?」


「ね? じゃねぇよ」


 ドン引きだよ。


「私はこれを『逆襲萌え』と名付けているの。なかなかゾクゾクするシチュエーションだと思わない?」


「ここに病院を立てようと思いました」


「あら? わかりにくかったかしら。つまりね、夜伽は喧嘩した後が気持ち良いと言うでしょう? アレと似たようなもので、SからMの振り幅は大きければ大きいほど興奮するの。私の言いたいこと、ちゃんと伝わったかしら?」


「だからその、「共感を得られなかったのは伝え方が悪かったから」と思うのやめてください。十分伝わってますから。その上でドン引きしてるだけですから」


 なんてこった。この変態お嬢様にしてみれば、ドSなイジメすら後で自分が虐げられるための布石でしかないのか。なんてこった。


 久丈が愕然としていると、一華は、ぽん、と手を叩き、


「――はい、休憩終わり。さ、次の訓練に移るわよ、ジョーくん」


「ちょ、待ってください。先輩に突っ込んでばっかりで、僕あんまり回復してないです」


「なっ……! 突っ込むとか回復とか勃たないとか、なにを言ってるのあなたは! 恥ずかしくないのかしら……!」


「恥ずかしいのはアンタだよ!」


「ジョーくんの冗談に付き合うのはこれくらいにして練習に戻るけれど、『突き合いたい』のは別にあるけれど、何か質問はないかしら?」


 『お前を泣かす方法』と質問しかけた久丈はぎりっぎりで踏み留まり、ダンスを用いた戦術について疑問を打ち明けようと口を開き、


「あの、一華先輩に聞きたいんですが、ダン」


「上から105・63――」


「いえ、スリーサイズではありません」


「あら? じゃあ、そうね。目隠しとか、縛られるのとか、あと一糸まとわぬ姿で公園を」


「性癖も聞いていません。もう全てが嫌になったので帰りますねさようなら」


「やめてごめんなさい許して、ジョーくんに嫌われたら私泣いちゃう」


 涙目で久丈の腰を掴む一華。


 結果的に『お前を泣かす方法』がわかった久丈であった。




 険悪な雰囲気になったこともある。


 訓練があまりに辛くて、一華のセクハラがあまりにひどくて、ついに我慢できなくなった時だ。久丈がむっつりしていると、たいてい一華がこう言うのだ。


「その……ちゃんと頑張ったら、私の体で遊んでいいのよ?」


 あたまのおかしなひとだった。


「何を言ってるんですかあなたは……!」


「これを使っても良いのよ?」


 と、おもむろにカバンから手錠を出す一華。


「……なんでナチュラルにそんなもん持ってんですか」


「あぁ……いつも虐めているジョーくんに、手錠で逆襲されちゃうなんて……!」


「また妄想ブーストかかってるよ……」


 脱力。


 そしてそれを見計らったかのように、


「――ごめんね? ジョーくん」


 などと、目に涙を浮かべながら謝るから、結局、翌日もまた訓練に来てしまう。




 しかしそれがいけなかった。放課後、いつも通りに一華との待ち合わせ場所に行くと、


「えい」


「え?」


 突然の手錠。捕まった。


「油断大敵よ、ジョーくん」


「僕、何も悪いことしてませんけど……」


「だって、すごく怒ってるみたいだったから、その、不安になっちゃって、つい……」


「つい?」


「逃げないようにって……」


 あーまた上目遣い。ずるい、ずるいなー可愛いんだもん! ちっくしょう!


 ため息をつきながら久丈は微笑む。降参である。


「僕は逃げませんから、これ外してください」


「ほんとう?」


「本当です」


「ぜったい?」


「絶対です」


「じゃあ、はい」


 ちゃりん、と手渡される鍵。自分で開けろということらしい。


 あれ? と久丈は不思議に思う。


「一華先輩、この手錠、鍵穴どこですか?」


「え……?」


 つつ、とスカートの端をつまむ一華。ゆっくりと上にあげていき――


「てい」


 太もものあたりで力づくで止めた。具体的に言うとドロップキックした。受身も取れずその場に落ちる久丈と一華。愛が痛い。すごく痛い。


「なにをするのかしらジョーくん!」


「それはこっちのセリフです!」


「だってジョーくんが、かぎあなっていうから! あなって言うから! 私のかなって!」


「ひらがなで言わないでください! よけい卑猥に聞こえるから!」


「なんでわかったの?」


「一華先輩の考えることは――」


 大体わかります、と言いかけてやめた。


「え? 私のことは?」


「――なんでもありません」


「私のことは? なに? わかる? んん? 私のことはなんでもわかっちゃう? なんでもはわからない? わかってることだけ?」


「羽川翼さんみたいなことを言わないでください!」


「以心伝心ね。ジョーくん。私は嬉しいわ」


「……なにがですか」


「パートナーと良質な関係を築くことは、すなわちバトルの勝利にも繋がるのよ」


「良質って言いましたか? 手錠をする関係が?」


「あらそうだったわね、ごめんなさい」


「わかってくれて嬉しいです」


「片方は私につけましょう」


「…………………………」


――切り落としてやりますからね。その腕、切り落としてやりますからね。


 わずかに芽生えたS心。ちょっと物騒なことを久丈が考えると、一華はなぜか恍惚な顔で背中をそらしてびくんびくんした。


「はぁ……ん。ゾクゾクした……っ! なんか……きた……っ!」


 伝わっちゃったらしい。


 嫌な以心伝心だった。


 一華がぽつりと呟く。


「ジョーくんに逆襲されるためなら、腕の一本くらい安いわね……!」


 もういやだ、頭痛い。誰か助けて。




 とまぁこんな感じで、久丈たちの特訓は続いている。

 きっと特訓である。


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