1-3



「――なんだよ、これ」


 久丈が呟く。


 モニターには、まるで追い剥ぎにでもあったかのように肌を晒す一華が両手を斬り落とされ、リタイアしない彼女を相手の魔道士とシーフが両刃剣とナイフで切り刻んでいく光景が映されていた。


 わからないことが多すぎる。


 なぜ、先ほどの入学式で挨拶をしていた副会長があんな格好でバトルをしているのか。


 なぜ、本来二対二で行われるはずの『冠装魔術武闘クラス・トランス』で彼女が一人で戦っているのか。


 なぜ、ペア枠がまだ空いているのに、ギャラリーはこんなにいるのに、誰も加勢しようとしないのか。


「入学初日から練習場に顔を出すなんて、精が出るわね二人共」


 背後から声がして、久丈が振り返る。隣の瑛美が朗らかに挨拶した。


「あ、学園長だ。こんにちは!」


「はい、こんにちは。永水えいすいは相変わらず可愛いわね、普段は」


 妙齢の美人が微笑んだ。見た目は二十代後半に見えるが実際はもっと上だろう。緩やかなウェーブのかかった黒髪に、一七〇センチある久丈より頭ひとつ大きいこの女性こそ、久丈をスカウトしてこの学園に呼んだ張本人である。


「最上は……相変わらずくすぶってるわね」


「放っておいてください」


 くすりと笑う学園長から目を逸らし、再びモニターに目を向ける。一華はいまだリタイアせず、舞いながら逃げ回っていた。


 学園長が久丈と瑛美の隣に来て、モニターに映る惨状を眺めつつ言う。


「気になる? 彼女のこと」


「これ、認めて良いんですか。おかしいじゃないですか」


 気分が悪くてどうしようもない。


「……ジョーくん?」


 幼馴染の様子が変わったことに目ざとく反応した瑛美が久丈を見上げる。学園長は平気な顔をして久丈に質問で返した。


「何がかしら?」


「ここの人達が――帝国一の養成校に来るくらい『冠装魔術武闘クラス・トランス』に打ち込んでいるはずの人達が、どうしてあの人を助けないんですか」


 双刃一華は一流のプレイヤーだ。扱いにくいコスト5最高コストのクラスを、あそこまで自分のものにしているのだ。並大抵の努力で無いことは、物心ついた頃からクラス・トランスを続けている久丈には痛いくらいよくわかる。


 その強プレイヤーである一華が、どうして一人で戦っているのだ。どうして誰も組もうとしないのだ。このスポーツは二人一組だ。パートナーが強いことに越したことはない。いったい何の不満があるというのだ。人間性に問題があるとでも言うのか? 生徒会副会長を務め、入学式で堂々と挨拶をしていたあの人が? 清楚なお嬢様を絵に描いたようなあの人が?


 思考を読んだように、学園長が訂正する。


「人は見かけによらない、ということだけは言っておきましょう。ただ、あの子はとても良い子よ。ある意味で純粋で、ある意味ではかなり不純だけれど。クラス・トランスにかけては一途だわ。本心では彼女とペアになりたい生徒は大勢いるはず」


「じゃあ、どうして」


「妨害にあっているの」


 よくわからなかった。


「いま双刃ふたばが戦っている相手――王城大志。彼はね、双刃を婚約者に指名しているのよ」


 そこまで言われて、久丈は初めて気が付く。


「『王城』と『双刃』……あの、名門の?」


「ええ、そうよ。先の大戦を終息させた五人の『勇者』の子孫であり、ここ『魔導浮上都市オーバーフロート』で――いえ、帝国で魔術を研究すると言えば、その家抜きでは話が通らないほどの力を持っている『魔術名門家』の一角ね。ただ最近めっきり落ち目になってきた『双刃』に比べ、『王城』は『魔導浮上都市オーバーフロート』を実質支配していると言っても良いくらいだわ。もちろんこの学園も」


「学園長のあなたがそれを言いますか」


「『王城』は永水ボクの家の本家です! つまりボクも『勇者』の子孫の一人です! えへん!」


 久丈の突っ込みと瑛美の自慢を学園長はスルーして続ける。


「その王城の長男が、双刃の長女を婚約者に指名した。双刃の家はこれを機会に再び格を上げようと了承する。ただし、長女である双刃一華本人の意思を無視して」


「政略結婚、ですか」


「ちょっと違うわね。王城大志は双刃一華に、その容姿に一目惚れしたのよ。だから本気で彼女のことを想っている。ただちょっと女心というか、相手の気持ちを考えるのが下手なのね」


「と言うと?」


「双刃一華は『冠装魔術武闘クラス・トランス』を辞めるつもりはない。また、自分が『王城家』へ入れば、家から一歩も外へ出されないような生活を送ることになると思っている。そしてそれは正しい。王城大志は、妻となる人間がクラス・トランスのプレイヤーであることを望まないし、また彼女を家に縛り付けるでしょう。一番不幸なのは、王城大志自身が『それが双刃一華にとっての幸福だと信じて疑わない』ことね」


「本人にとっては、正しいことをしているんだね」


「……相手からすれば、迷惑なこと甚だしいけどな」


 ふつふつと湧いてくるこの感情は何なのだろう、と久丈はわかっているくせにわからないふりをする。もう自分は諦めたのだ、適当に誰かとペアを組んで単位を取って三年間タダ飯を喰らうのだ、そう言い聞かせている。拳を握りすぎて、爪が手のひらに刺さっているというのに。


 黙ってしまった久丈の代わりに、瑛美が会話を引き継いだ。


「それで学園長、一華お姉さまは婚約に反対なんですよね?」


 まるで台本があるかのようにスラスラと学園長は答えた。


「そうよ。双刃一華は断った。けれど周囲の圧力もあって、ついに『次のトーナメント戦で王城より戦績が悪かったら結婚する』と約束させられてしまったの。それは学園では周知の事実で、みな王城に関わり合いにならないよう、双刃一華とペアを組まないのよ。『王城家』に目を付けられたら『魔導浮上都市オーバーフロート』では生きていけない、そう思って」


 つまり、クラス・トランスに真剣であればあるほど、双刃一華を助けることができない。そして皮肉にも、この学園においてクラス・トランスに不真面目な人間はいないのだ。ただ一人の例外をのぞいて。


 モニターに映るズタボロになった一華を、久丈は見る。衣装は破け、傷だらけになり、事情を知っている周りの生徒達は助けようともせず、ギャラリーの中には半裸で痛めつけられる彼女を好色そうな目で眺めている連中もいる。学園長が追い打ちをかけた。


「まだトーナメント戦は始まっていない。けれど、どうやら王城はこのランキング戦で双刃を徹底的に潰して、彼女の心を折るつもりね。いつでも殺せるのに、いつまでも止めを刺さない。双刃もそれに気が付いているけれど、ここでリタイアでもしようものなら、それこそ自分は二度と立ち直れなくなるのを知っている。双刃が自ら負けを受け入れたときが、彼女が『冠装魔術武闘クラス・トランス』を辞めるときね」


 それを聞いて、ああ、と久丈は思った。


 閉じてきた拳を、ゆっくりと開いていく。もう握りしめる必要もない。だってきっと、もう我慢出来ないから。


「つまり」と久丈は確認する。「つまり双刃一華先輩はこのままだと、好きでもない男と結婚させられて、そのせいでクラス・トランスも辞めさせられるって、わけですか……!」


「そうなるわね。――あ、でも、」


 いま思い出したわ、とでも言うように学園長が、


「『次のトーナメント戦で双刃の戦績が王城より『良かったら』、この縁談話は無かったことになる』そうよ?」


 息を吸って、吐いた。


「――ありがとうございます」


 ダメだ、もうダメだ。


 本当にこの体質は、どうにもならない。


 それは久丈自身もうんざりしている。うんざりしつつも、どうしようもない。


 『困っている人を放っておけない体質』。


 聞こえは良いが、ただの自己満足で偽善者だ、と久丈本人は思っている。道端で倒れている人がいたとして、放っておいたら気分が悪くなる。


 学園中から見放された女のひとがいたとして、放っておいたら気分が悪くなる。


 『だから』助ける。自分のために。


 ましてや――『誰かの人生が、運命や他人の手によって決められようとしている』だなんてことを、最上久丈が、中学最後のあの試合で誰よりも強く突き付けられたこの自分が、見過ごせるわけがない。このバトルが自分のものではないとしても、はらわたが煮えくり返るこの怒りは自分のものだ。最上久丈は、この状況を許せない。この現実を、絶対に許せない。


 許してたまるか。


「ジョーくん」


 談話ルームを出ようとした久丈の背中に、幼馴染の声がかかる。


「辞めるんじゃなかったの?」


「辞めるよ。これが最後だ」


「ここで助けたりしたら、ジョーくん、この島から追放されちゃうかもよ?」


「別に良いよ。これで辞めるんだから」


「住む場所も寝る場所も、ビュッフェも無くなっちゃうんだよ?」


「あのな、瑛美。そりゃ確かにここのメシは旨い。旨すぎる。それがバイキングで食べ放題なんて、本当あり得ねぇ、天国だ」


「じゃあどうして?」


「そんなのな、」


 久丈は携帯デバイスに手をかざす。今日渡されたばかりのカードをその手に取って、


「あの人を見捨てた後で食うメシが、マズいに決まってるからだ!」


 駈け出した。


 目指すは第二一練習場、転送入り口。


 たった一人で戦う、双刃一華を助けるために。


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