第38話 その2「心の闇」

 司の後ろで煌めく弓を構える天使は、矢を引く手を緩めることなく悪魔を睨みつけ、司へと声をかける。


「司。援護する。突っ込め」


「了解です」


 静かに頷いた司は、腰を落とし下半身に力を入れる。そして、剣を強く握りアスモデウスに向かって猛スピードで一直線に踏み出す。


「そんなに死にたいなら、一思いに殺してやるよ!」


 狂気が滲むほどに目を見開いた悪魔は、自らの周りに闇を凝縮させた大量の槍を顕現させた。しかし、その不気味に浮遊する槍から漂う緊張を物ともせずに、司は翼を畳んでさらに加速する。


「やれるもんならやってみろ!」


「望みのままに蜂の巣にしてやるよォ! 【蛇陰じゃいん闇槍あんそう】!!」


 その叫び声と共に、銃撃戦と錯覚するほどの無数の槍が司へと放たれた。しかし、目の前から突き進んでくる槍を目にしても、司は止まらない。道が無くても、それを作ってくれる援護があると信じているから。


「突き進め! 司! ワシが道を作る!」


「はい!」


 無数にある槍に向かって、導華は何本もの矢を放つ。針の穴に糸を通す精密さという表現は、この天使の力を表すには足りなすぎる。さらに上の、雨を針で突くかのような精密さで、片っ端から小さな天使は漆黒の槍を光の矢で相殺していく。


 導華の援護によって、司の進路を防いでいた槍の壁に司が通れるほどの穴が開く。これだけあれば、司がこの槍の雨を通過するのは容易である。


「うらぁ!」


 無数の槍を掻い潜った司は、アスモデウスの盾に一撃を与える。アスモデウスの強固な盾に剣が弾かれ手にビリビリと痺れが回るが、司は剣を握る力をさらに強めた。


「まだまだ!」


「目障りだッ!」


 再びアスモデウスは目の前の司に槍を放つが、先ほどよりも槍の数が少ないため、簡単に司はその槍を避け、再び剣を振りかぶる。その瞬間、遠く後ろから声が響いた。


「司ッ! 今じゃ!」


 導華の声を聞いて、司は振りかぶった剣に天使の力を集中させる。そして、自分の中で共に戦っている天使に、司は声を掛ける。


「片穂! いけるか!?」


『もちろんです! 準備万端です!』


 力の総量が限られている今、数少ない技を使用する機会を、司の中で静かに力を制御し練り込んでいた天使は、万全の状態で司に攻撃の全てを託す。


 司が頭上に振り上げた剣に一斉に力が集中して粒の様な眩い光が集まり、剣の輝きがより一層輝きを増す。そしてその溜め込んだ力が、ダムが堰き止めていた水を一気に放出するようにその剣から天使の力が放たれる。


「【灮焔こうえん太刀たち】!!」


 振り下ろした剣から繰り出される斬撃は、今まで蓄積させ続けたダメージが重なり、アスモデウスの盾に大きなヒビを生じさせた。そして、そのヒビの中心に向かって、導華が矢を放つ。


「ダメ押しじゃ! 砕けろ!」


 導華が放った光の矢は、司の横を綺麗に通り過ぎ、司の攻撃で欠損した盾の傷の中心を見事に射抜いた。


 ガラスが割れるように盾が砕け散り、それを貫いた矢がアスモデウスの頬を掠める。


 そして、アスモデウスの頬に出来た傷口から、一筋の血が流れ落ちる。


「壊してやったぞ! アスモデウス!」


 今まで盾を破壊された経験がないのだろう。目を丸くしていたアスモデウスは、徐々にその表情を歪め、ギリギリと鈍い音を立てて歯を軋ませる。頭を掻き毟りながら狂乱する。


「小賢しい! 小賢しい小賢しい小賢しい! 一撃で殺してやる!」


 憎悪を露わにしたアスモデウスが手を広げると、現れたのは一本の槍。ただそれは、今までの無数の槍の力が全て篭った大砲。


 至近距離にいた司は、あまりに巨大な槍に回避が間に合わない。


「避けれない……!」


 司は咄嗟に剣を盾にして槍の直撃を防いだが、その大きすぎる槍の重みに耐えきれず、司は一気に交差点から数十メートルの距離があるであろうビルに勢いよく衝突した。


 天使の力が下界の物に干渉できないことが幸いして、ビルには傷一つなく、割れたガラスで追い討ちを喰らうこともなかったが、打ち付けた背中への衝撃で司の呼吸が止まる。


「司ッ!」


『司さん! 大丈夫ですか!?』


 アスファルトに倒れた司は痛みを堪えながら息を整え、ゆっくりと立ち上がる。


「あぁ。剣で守ったから、ただ吹っ飛ばされただけだ。全然心配いらないよ。すぐに戻らなきゃ。導華さんがーー」


 ビルから歩き出そうとしたその時、入り口の近くで聞き覚えのある声が聞こえた。


「司……くん?」


 心配そうに駆け寄ってくる華歩に、司は驚嘆を露わにする。


「華歩! なんでここに!」


「ごめんなさい。みんなが心配で……。陰で見守るぐらいならって……」


 一度は隠れた華歩だったが、誰もいない売店の中、一人で待ち続けることにも不安があったのだろう。そして吹き飛ばされた司を見たのは、丁度少し様子を見ようと入り口まで歩いてきた時だった。手に桃色の花を持ちながら、華歩は司に駆け寄る。


「それよりも、大丈夫……? 怪我してる……」


「大丈夫。天使の間は傷とか痛みはすぐ消えるから」


「無理しないでね?」


 華歩は、不安そうな目で心配そうに司の顔を見つめていた。その目を見て、司は再び気合を入れる。


「ありがとう。でも、危ないから、下がっててくれ。俺はあの悪魔を倒さなきゃいけないからさ」


「悪魔……?」


 司が見つめる先にいるアスモデウスに、華歩も視線を移した瞬間だった。


 華歩が手に持っていたペンタスの花が、その手から零れ落ちた。


「なん……で……?」


 悪魔を見た瞬間に華歩の表情が凍りついた。見開いた華歩の目は小刻みに泳ぎ、体全体は震え上がっていた。


「どうした? 華歩」


 急激な変化に動揺した司は、そっと問いかけるが、司の声が届いていないのか、華歩は視線をアスモデウスに固定したまま動かない。


 華歩の目には薄っすらと涙が滲んでおり、呼吸も乱れ、平常時とはかけ離れた状態になっていた。


 そして、感情に震える唇で、華歩は小さく呟く。


「なんで……? なんで、ここにいるの?」


「華歩……?」


 華歩の言葉を上手く聞き取れなかった司が、少し側に近寄ろうとした時、突然華歩は走り出した。床に寂しげに散らばった花弁が、華歩の歩みによって舞い上がった。


「お、 おい! 華歩!」


 司の言葉には一切振り向かず、華歩は悪魔に向かって全力で走り続ける。


「なんで……。なんで……ッ!」


 歯を噛み締めながら走る華歩を視界に捉えた導華は、慌てたように声を上げる。


「華歩! どうしてここに来たんじゃ!」


 その声にも無反応のまま、アスモデウスの近くまで近寄ると、今まで誰も聞いたことのないような大きな声を華歩は張り上げた。


 その言葉は、司たちが今まで聞いたことのないほど負の感情の詰まった、心からの叫びのようだった。


「どうして、お前がここにいるッ!」


 華歩の声を聞いて初めて、悪魔はちっぽけな人間の存在を認識する。


「あ゛ぁ? なんだ? お前は」


「どうしてお前がここにいる!? なんで!?」


 アスモデウスの問いにも答えず、華歩は叫び続ける。


 華歩の元へと駆け寄ってきた司が、異常なほど取り乱す少女に、言葉を区切りながら問いかける。


「知り合い、なのか?」


「知り合いなんかじゃない。あんな奴と……あんな奴と知り合いでたまるか!」


 口調も表情も滅茶苦茶で、瞳からは涙が溢れ、正反対と言えるまでの変貌を見せる華歩の様子に理解が出来ない司は、再び華歩へ声をかける。


「華歩……? 一体、何を」


 すると、ゆっくりと、静かに、憎悪を込めて、華歩は呟く。


「あいつが、殺したんだ……」


「ぇ……?」


 今度は、その場にいる全員が聞こえるほどに大きな声で、華歩は叫ぶ。


「あいつが、勇太を、お母さんを、お父さんを、みんなを殺したんだ!」


 殺したと、少女は言った。目の前にいるこの悪魔が、いや、この悪魔に取り憑かれた『器』が、司と導華が助けようともがいていたその相手が、華歩の家族を殺したと、そう言った。


「殺し、た?」


 戸惑いに頭を掻き回される司は、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。


 そんな司には目もくれず、華歩はアスモデウスにひたすらに叫び続ける。


「あいつがッ! 私の家族を殺したんだッ!」


 心の闇が、深く深くに閉じ込められ、無理やりに押さえつけてきた感情が、檻から出た猛獣のように咆哮を上げる。


「殺してやる……! お母さんが、お父さんが、勇太が……どれだけ苦しんだか! 思い知らせてやるッ!」


 涙で顔をくしゃくしゃにしながら、アスモデウスを睨みつける華歩の表情は、今まで共に過ごしてきた少女と同じようには、司の目からはどうしても見えなかった。

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