第36話 その10「再来」
「おはようございます!」
例の如く雨の降る街の中でも、片穂は変わらず太陽の様な笑顔で頭を下げて挨拶をした。
ただ、約束した時間は午後一時。今は一時を少し回った頃なので、おはようございますと言うには時間が過ぎていた。傘の中で静かに立っている華歩は笑いながら片穂にそれを指摘する。
「片穂ちゃん。もうお昼だよ?」
「はっ! そうでした! こんにちはです!」
片穂は訂正をしながら再び頭を下げると、その横から司がそっと顔を出す。
「悪いな、華歩。少し遅くなった」
「気にしないで。私もさっき来たところだから」
「それならよかったよ」
そして、この集団の中で一番見た目が幼いにも関わらず実際は、一番歳を重ねている天使が、傘の中で可愛らしい笑顔を見せる。
「華歩よ。元気にしとったか?」
「うん」
雨の中で長い時間を過ごしても特にいいことは無いので、華歩が頷くのを見ると、司は早めに話を切り出す。
「んじゃま、ボチボチいきますか」
「うむ。して、今日はどこに行くんじゃ?」
「今日はあのおっきな所でしょっぴんぐです!」
片穂は興奮しながら店の看板を指さして声を上げた。今日の目的は物寂しげなな華歩の部屋を少しでも華やかにするような買い物をすること。
今日になるまでに司も何を買おうかと考えてはいたのだが、この男が色々と考えたところで行きつく結論は単純なものであるのは言うまでもない。
「さすがに家具買っても運んだりとかあるから、部屋に置ける小物を探そうと思うんだけど、大丈夫かな?」
女心というものがよくわからない司はちょっとしたインテリアでも買えればいいかなという考えに至った。それを聞いて、素直に華歩が「うん」と頷くやいなや片穂は目を輝かせて司の腕を掴む。
「司さん! 司さん! 早く行きましょう!」
「はいはい。わかったよ」
先日の買い物のように片穂は司を連れて足早に進みだすので、再び華歩と導華は甘ったるい雰囲気を醸す二人の背中を見つめる。
「すまんの。いつも振り回してしまって」
「ううん。大丈夫。導華ちゃんは、横にいてくれるでしょ?」
今までも、導華は隣にいてくれた。それを分かっている華歩は安心したように笑った。その言葉に導華は少し驚いた表情を見せてから笑いだす。
「はっはっは! 言うようになったではないか!」
「お姉ちゃん! 華歩さん! 早く! 早く!」
「わかっとるわ! お前がさっさと歩くのが悪いんじゃろうに!」
少し遠くで手を振る片穂に文句をぶつけながら導華は華歩の目を見て、
「ほれ、行くぞ華歩」
「うん!」
華歩は穏やかな表情で導華を横を歩いた。
向かう先は集合場所である駅のすぐ正面にある巨大なショッピングモール。そこに入って行くと四人はとりあえず中を歩いていく。
「えっと、じゃあどこから見ていこうか――」
周りを見渡しながら提案をしようとしていた司の言葉を、片穂が勢いよく声で遮る。
「司さん! くまさんです! くまさんがいます!」
「くま?」
「はい……。かわぃいですぅ……」
「今日は片穂の物を買いに来たんじゃないんだからな?」
片穂が見つめているのはガラスの中に展示されている抱きかかえられるくらいの大きさをした熊のぬいぐるみ。目を輝かせて片穂はガラスに張りついているが、本来の目的は華歩のための買い物である。
司がそれを指摘すると、片穂は頬を膨らませて触れてしまうぐらいまで顔を近づける。
「むぅ~! いいじゃないですか! 私だって見たいんです!」
「わかった! わかったから!」
顔を赤らめながら司の返事を聞くとグルリと体を回して華歩にも問いかける。
「華歩さん! どうですか!?」
「う、うん。可愛いと思うよ」
「そうですよね! ほら! 聞きましたか司さん!」
どうみても勢いに押されて頷いたようにしか見えないのだが、嘘をついているようではないので、司はやれやれと、溜息を吐く。
「はぁ……。わかったよ。後で買ってやるから」
「司さん! ありがとうございます!」
途端に機嫌の良くなった片穂はその場で司に抱きついた。豊満な胸の感触が司の心にまで攻撃をしてくる。その感覚に、司は頬を赤らめながら、
「ばっ! こんな所でひっつくな!」
恥ずかしそうに叫びながら、司は逃げるように片穂を引き離した。
その様子を横目に眺めながら、導華は華歩へと問いかける。
「華歩は、何か見つけたか?」
「まだ、かな」
「別に雑貨である必要もないからのぉ。ならば……」
導華は少し悩むと、静かに歩き始める。
「導華ちゃん?」
黙々と歩く導華に華歩が付いていき、辿り着いた所で感じたのは、少し甘さを感じるような、植物の匂い。
その店の中へゆっくりと足を進めた導華は、陳列される小さいながらも色彩鮮やかな生命を見つめながら、言う。
「花は、好きか?」
「花……?」
華歩の不思議そうな顔に、導華は花を眺めながら頷く。
「うむ。ワシは好きじゃ。心が穏やかになる。見て回るといい」
言われるままに、華歩は歩きながら店内の花を見て回る。どれも綺麗なのは変わらないのだが、その中で華歩の目を奪うような美しさを放つ花が一つ。
「綺麗……」
華歩が見つめるのは少し赤みがかった桃色をした星型の花。小さな花弁の集合は、まるで夜空に輝く星々を眺めるような感覚を華歩に与えた。
華歩が見つめる花を導華は微笑みながら口を開く。
「ペンタスの花か。面白いものを選ぶのぉ」
「ペンタス?」
「その花の花言葉は、〝希望が叶う″、〝願いごと″という意味なんじゃ」
「願い、ごと……」
華歩はその言葉を探るように区切って、小さく復唱した。
「うむ。華歩よ。おぬしに願いはあるか?」
「私の、願い……?」
華歩は静かに考え込む。自分の願い、ということについて改めて考えたことなどなかった。あるとすれば、もう一度、家族に会うことが出来たなら。出来ることなら、あの日の悪夢を無かったことにしてほしい。
失ってさらに痛感する、大切な家族という存在をもう一度噛みしめたかった。
そんな、ありもしない世界を華歩は想像していた。叶わないことを自覚していても、その理想郷だけは願わずにはいられない。しかし、それを口にすることは出来ない。もし口にしたら、また過去を引きずってしまう気がして。
遠くを見ながら想いにふける華歩の横で、導華はペンタスの花をそっとつまみ上げレジへと向かい、代金を払った。そして、導華は言葉を発しながら花を華歩へ手渡す。
「そんな悩むほどでもない。気楽に考えておけ。また時を改めて訊いてみようではないか。その時までに、考えておいてくれ。……ほれ」
「あ、ありがと……」
「うむ!」
華歩の礼に、にかっと笑顔で返事をする導華の後ろから、青年の声が響く。
「あっ! いた! 導華さん。勝手にどこかに行かないでくださいよ」
「おぉ。すまんの。少し買い物をしておってな。ほれ、こんなに綺麗な花が――」
導華が軽い言葉で司に謝ろうとした瞬間、導華の言葉が途切れた。
「――ッ!」
「お姉ちゃん!」
何かの気配を察知した導華は勢いよく振り返って鋭い視線で遠くを見据えた。片穂もその気配に気が付いたようで、導華に向かって声を掛けた。
「なんともまぁ、随分と狙いすましたように……」
「まさか……」
不吉な予感を察知した司の言葉に、導華は否定をしてくれない。先ほどとは全く違う声色ではっきりと肯定する。
「あぁ。その、まさかじゃ」
「三人とも、どうしたの?」
唯一状況を理解できていない華歩に、導華が説明を始める。
「先日話した悪魔が、すぐ近くに出おった。すまんが、ここで待っていてくれ。すぐに戻る」
悪魔の再来。二人の天使が察知した気配は、薄気味悪い、ベタベタと纏わりつくような嫌悪を抱かずにはいられないこの気配は、明らかに悪魔、アスモデウスのそれだった。
それに対して、導華の提案は待機。逃げるという行動を選択しないことに不安を覚えた司は導華に問いかける。
「ここで、安全なんですか?」
「変に動いて悪魔と出くわすのが一番危険じゃ。ここらなら隠れられそうな所はいくらでもある。人がいなくなってから、身を潜めればよい」
外に出ることで、悪魔に気付かれてしまう可能性もある。三人がアスモデウスの元へ行く以上、華歩は一人にならざる追えない。かといって、華歩を家に送っている時間もない。
中でも、華歩が『強制契約』によって被害を受けてしまうことが最悪のケース。それだけは避けなければならない。
それを理解してもなお、司は小さな可能性も突き詰める。
「でも、万一悪魔が来てしまったら……」
その問いに答える代りに、導華は華歩へと声を掛ける。
「華歩。ペンダントを出してくれ」
「え? う、うん」
言われた通りに華歩はペンダントを外して導華に手渡す。それを受け取り、優しくそれを握ると、握った手から白い光が溢れだした。そしてその溢れた光が、吸い込まれるようにペンダントに収縮していく。
スポンジが水を吸い取るようにペンダントが全ての光をその素朴な銀色に閉じ込めると、再び華歩の手の中にそれを戻した。
「これで、もし悪魔が来ても一時的に防護壁が展開する。力の発動はワシが感知できるからの。悪魔に守りを壊される前にワシが華歩の元へ来れる」
「なるほど……」
導華が行ったのは万一悪魔が華歩の前に現れた時のための、最終防衛ライン。簡単に例えると、防犯ブザーのようなもので、悪魔からの攻撃があった場合に華歩を守り、導華に連絡が入る仕組みのものだ。
これで華歩が悪魔に襲われてしまう可能性がほぼゼロとなる。
「すまんな。華歩。少しだけの我慢じゃ」
一度悪魔を見ているのだ。きっと恐怖もあるだろうと思った導華は華歩に声を掛けたが、彼女の表情にそれはなかった。むしろ、安心したような微笑みを導華に向けて、華歩は口を開く。
「大丈夫。導華ちゃんが、守ってくれるんでしょ?」
「あぁ! もちろんじゃ!」
当然のような信頼を向けられた導華は少しだけ目を丸くして固まったが、すぐに自信に満ちた表情で胸を張った。
「お姉ちゃん! もう行かないと!」
「うむ! 司! 行くぞ!」
「はい! 片穂っ!」
導華の言葉に頷いた司は片穂へと手を伸ばす。「はい!」と返事をした片穂が司の手を取ると、触れた手から体が光となっていく。
人間であった片穂の姿が全く別のものへと変化していく。そして光へと変わっていく片穂が、司の体を包み込んでいく。何度経験しても、心地よい温かさを感じる。大切な人が、自分の心の中にいてくれるような安心感。
それに包まれた司の身体も、一つ上の次元へ、天使へと変化していく。神々しく輝く純白の衣。白銀の翼。目の前で全く別の存在へと昇華した司を見て、改めて華歩は驚きを感じる。
「本当に、天使なんだね」
「びっくりするよな。俺も未だにあんまり実感湧いてないし」
実際、司自身も天使と関わってから日が浅いので、自分が天使となって悪魔と戦っているなんて未だに心から信じられているわけではない。
少し笑いながら声を発した司の横で、導華も自身の存在を天使へと変える。司や片穂の装いとは違い橙色の衣に身を包んだ小さな天使はその見た目と噛み合わないほどの貫録を身にまといながら口を開く。
「待っておれ、華歩。すぐ戻る」
「うん。待ってる」
二つ返事で華歩は頷く。彼女はもう理解している。この天使に任せれば、きっと上手くいくであろうことが。その安心感に、華歩は身を埋めた。
そして、悪魔の元へと駆けていく天使たちの後ろ姿を、華歩は静かに見守っていた。
外へと出た司と導華は、ビルの屋上まで飛び上がる。屋上から見下ろした先の大きな交差点に、司は黒い影達を確認した。
「……あそこか」
司の視界に映るのは『強制契約』によってその身の自由を悪魔たちに奪われた夥しい数の人間達。悪魔の力に支配されたその姿から人間の面影は消え去っており、そしてある人には漆黒の翼も生え、パタパタとリズミカルに羽ばたかせるその姿から人間と言う言葉を連想するのは不可能に感じた。
そして、その中で一際禍々しい闇を纏う存在に目を奪われていると、心の中から声が響く。
『司さん! まずは結界を!』
「わ、わかった! 【
我に帰った司は急ぎながら力を掌に集中させ、辺り一帯を結界で覆い込む。一気に白い光に包まれた街から、一斉に人が外へと歩き出す。しかし、悪魔に取り憑かれた人々はその場に佇む。
その光景を見て、悪魔の中心に立っている闇の塊がこちらを向く。そして、それは熱されて伸びていくチーズのように口元を横に大きく広げ、天使に向かって声を放つ。
「おやおや。これはこれは。お待ちしておりましたよ、天使様」
丁寧に頭を下げるその姿の裏に蠢く狂気も、今となっては意識しなくてもひしひしと感じられる。
「まずはその気持ち悪い口調をなんとかせんか。下種め」
「ヒャハハハハ!! 相変わらずイラつく天使だなぁ。なぁ!? 今度こそは確実に殺してやるぞ!」
導華の言葉を聞いた瞬間に、途端にアスモデウスは丁寧な言葉使いから口調を変えて高々に笑い始める。前回戦った時と同様の異常な気色悪さは変わっていない。その雰囲気や、立ち振る舞いはアスモデウスそのもである。
しかし、司は別の場所に違和感を感じた。
「……導華さん。あいつってあんなに背、高かったですっけ?」
その違和感には導華も気付いていたようで、焦りを感じているのか、その頬からは汗が流れていた。
「だいぶ、マズい状態じゃのぉ」
「あれは、一体どうなってるんですか……?」
司の視界に映るアスモデウスは、以前は少年のような、小学生と変わらない見た目だった。しかし、今、司が見ているアスモデウスは、全く別の外見。その見た目が人間に近いことは変わらない。
だが、それは、三十代ぐらいの強面の男性。筋肉質で、背は司よりも高いだろうか。そんな姿が、今のアスモデウスだった。たった数日で成長するには、いささか不可解なほどに、その姿は別物だった。
理解に苦しむ司に、導華は小さく呟く。
「アスモデウス自らが、『強制契約』によって人に取り憑いたんじゃ。前回よりも確実に強くなっとるはずじゃ」
司が天使化によって片穂の力を十全に扱えるように、悪魔も『器』を使うことによってその能力を高めることができる。
しかし、司の天使化と違うことは、その過程にあるのが『強制契約』だということ。通常の契約では今、司が天使化しているように片穂を取り込んでも意識は佐種司のまま。だが、目に映る悪魔の意識は間違いなくアスモデウスのそれである。
「おやおや? おやおやおやぁ? 気づいた? 気づいちゃったァ!? 遅いなぁ。遅すぎるなぁ。なぁ!?」
寒気がするような言葉の羅列に、司は声が出せない。横に立つ導華も不快感を露わにして廃棄物を見るような視線を悪魔へと送っていた。
「より一段と気色悪くなっとるのぉ。司よ。今回は前回よりも厳しい闘いになる。覚悟してかかれよ」
「……了解、です」
アスモデウスから視線を離さずに司は返事をした。
「さっき、随分といい『器』を見つけてね。力が溢れるようだ! 素晴らしい悪意なんだよ! ヒャハハハハ!」
訊いてもいないのに快感に酔った様に奇怪な笑い声を上げるアスモデウスを、導華はこれ以上ないくらい鋭く睨みつけて、
「ほざけ。殺すぞ」
人間を物としか見ないようなその思考に、導華は怒りを露わにした。そして、司にも感じるほどの殺気が、辺り一面に広がる。アスモデウスを囲む悪魔たちはこの覇気だけで気圧され、ビクッという振動の後に凍ったように固まる。
しかし、中心に佇むアスモデウスはむしろ恍惚した表情を浮かべて尚も叫喚を続ける。
「あぁ!! イイッ! スゴくイイッ!! 素晴らしい殺意だ! 堪らないなぁ。なぁ!? ヒャハハハッ!」
自分の体を抱きしめ快楽を感じているように体を捻じるアスモデウスを導華は冷たい視線を向けたまま口を開く。
「司。急ぐぞ。長引けば長引くほど、アスモデウスに捕まっとる人の命が削れていく」
「はい」
悪魔化している人間達は、その力を人間の命を削ったエネルギーから産出している。人々の命が尽きる前に、気を失わせて悪魔との契約を途切れさせなければならない。
二人の天使からピリピリと感じる気迫に開戦の予感を察知したアスモデウスは、狂乱に体を揺らしながら口を開く。
その声は、今まで司が聞いてきたどんな言葉よりも落ち着いていて、どんな言葉よりも戦慄を感じた。
「ほら。早くおいで。形も残らないくらいに、ぐちゃぐちゃに壊してあげるから」
人の『器』に住みついた悪魔は、その体を使って大きく手を広げ、狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
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