第35話 その9「また、今度」

「全く! お前はいつもそうやって目的を忘れおって! 今は力を蓄えなければならんと朝からあれほど……」


 司と華歩の横で、涙を堪えながら正座をしている片穂に、導華はガミガミと嵐のように説教をこれでもかというほどぶつけていた。


 哀れな目で片穂を眺めながら、司は華歩に苦笑いを見せる。


「華歩、あれはすぐには終わらなそうだから手伝ってもらっていいかな?」


「う、うん」


 華歩は司の料理を手伝い始めるが、そっと目線を片穂へと移す。


「凄い、怒ってるね……」


「まぁ、今回は片穂が悪いからな。仕方ない」


「でも、羨ましいな」


 天使の姉妹を見つめる華歩の表情は、どことなく柔らかく見えた。


「片穂と導華さんが、か?」


「うん。ああやって、叱ることも叱られることも、私にはもう出来ないから」


「そう、か」


 羨ましそうに姉妹を見つめる華歩に、司はかける言葉が見つからない。華歩も何かを考えているようで、口を閉じたまま作業を続ける。


「……」


「俺でよかったら、いつでも頼ってくれよ。俺は、華歩の味方だからさ」


 これぐらいのことしか、司には言えない。こんなちっぽけな言葉で、華歩の心が安らぐだなんて思ってはいないが、せめて、自分が味方であろうという意思だけは伝えたかった。


「……ありがと」


「おう!」


 小さく呟いた華歩に、司は嬉しそうに笑顔を見せた。


 そうして料理を作っている内に、台所へ導華が歩いてくる。


「どれ、手伝うことはあるか?」


「あ、もうすぐ出来るんで大丈夫ですよ」


 ほとんど調理の過程は終わっていたので、手伝いの必要はないことを伝えようと司が振り返ると、片穂が未だに涙を堪えながら正座をして床を見つめているのが見えた。


「そうか。なら、のんびりと待たせてもらおう」


「はい」


 導華は固まったままの片穂の横に座って料理を待っていた。導華が座った瞬間に片穂がびくっと反応したのが見えたが、その時には既に説教は完全に終わっていた。


 それ以上何かあるわけではないのだが、目の前に料理が運ばれてくるまで、片穂の体の力が抜けることはなかった。


「どうぞ、片穂ちゃん。導華ちゃん」


 華歩の声で、ようやく緊張が解けたのか、片穂は元気よく声を出す。


「ありがとうございます!」


「うむ。すまんの」


 盛りつけられた料理が華歩によってテーブルに運ばれ、姉妹は笑顔で礼を伝えた。


 テーブルを囲んだ四人は、早速料理を口に運び始めた。そして、ほんの数口食べたところで、司は話を切り出す。


「それで、導華さん。華歩の記憶のことなんですけど……」


「ふむ。片穂から話は大体聞いたぞ。昨日の戦いを見られたとな」


「うん……。ごめんなさい」


 申し訳なさそうに俯く華歩に、導華は優しく笑いかける。



「構わん構わん。恐らく【縛魔ばくま神域しんいき】内に入れたのはワシがペンダントを渡してしまったからじゃしのぉ」


「そんなに凄いペンダントなんですか?」


「いや、言うほど特別でもない。少しばかりワシの力が籠っておるだけじゃ」


「でも、なんでそんなものを?」



 不思議そうに問いかける華歩に、導華は当然のように答える。


「言うたじゃろうが、ワシもお前を救いたいと。何かあったときは、ワシがお前を助ける。そのために渡したんじゃ」


「……うん」


 あまりにもさらっとこんな言葉を言われた華歩は少し照れながら返事をするが、それに続くように片穂も声を上げる。


「華歩さん! 私もいますからね!」


「ありがとう」


 礼を言う華歩を見ていた導華は、思い出したように話を戻す。


「そうじゃ。記憶についてじゃったな」


「華歩の天使についての記憶だけを消すって出来るんですか?」


「あぁ、それくらいなら出来る。ただ……」


「ただ?」


 一呼吸置いて、導華は説明を始める。



「今、華歩の記憶を消してしまうとまたアスモデウスとの戦いに来てしまう可能性がある。あいつとの戦いに華歩は巻き込みたくないからのぉ。事情を知っているほうがこちらとしても都合がいい。じゃから、今回はアスモデウスの件が落ち着くまでは記憶を消すのは後回しにしようと思う」



 原則的に規則は守られなければならない。しかし、まず第一に優先すべき天使の役目は、悪魔から人間を守ること。


 もし記憶を消してまた同じように華歩がアスモデウスとの戦いに近づいてしまったのなら、悪魔の『強制契約』に巻き込まれてしまうかもしれない。


 それだけは必ず避けなくてはならないのだ。そう判断した導華は、記憶の消去を後回しにすることに決めた。



「なるほど。それもそうですね。次からは神域に近づかないようにしてもらうだけでも、華歩は安全ですからね」


「そうじゃ。それでよいか? 華歩よ」


「……うん」


 華歩はどこか寂しげな様子でゆっくりと頷いた。


 会話が進んでいく中でも食事は淡々と進んでいく。その最中、導華が華歩の部屋を見回しながら声を出す。



「それにしても、随分と殺風景な部屋じゃの。今頃の女子とは思えんが」


「ここには、つい最近来たばっかりだし、家具も揃える気になれなくて……」



 華歩の部屋には家具という家具がほとんどなく、部屋の中心にある低めのテーブルと司たちが使っている座布団のみ。部屋の端にベットがあるが、それらは全て質素な色で装飾は何もない。


 もちろん壁は一面に白い壁紙が貼られているだけで、それ以外は一つもない。


 司や片穂もその事に気付いてはいたが、今の状況では無神経に訊くことも出来ずにいた。


 しかし、導華の一言によってきっかけが出来た片穂は、ここぞとばかりに明るい声を出す。


「なら! 今度は模様替えですね!」


「えっ……?」


「女の子なら、可愛いお部屋を作りましょう!」



 どうやら質素な部屋には片穂も気になっていたようで、目を輝かせて華歩に提案をした。


 勢いの強い片穂の声に華歩は戸惑いを見せるが、それに対して導華は落ち着いた声で華歩に言葉を投げかける。



「なに、派手にしろとは言わん。ただ気分転換をしてみようではないか。何もないよりはきっと楽になるはずじゃ。帰ってから落ち着けるような部屋にするのも悪くないじゃろう」


「そう、かな?」


 迷いを見せる華歩を後押しするように、司は優しく声をかける。


「俺は、華歩の好きにすればいいと思うよ」



 自分の心を少しでも楽にしてあげようという三人の気持ちを感じ取った華歩は、三人を見ながらゆっくりと頷く。


「なら、少しだけ……」


「それじゃあ! 次の日曜日に行きましょう! 大丈夫ですか!?」


 嬉しそうに身を乗り出す片穂に、華歩は笑いかける。


「うん。大丈夫だよ」


「ごめんな。色々と合わせてもらって」


「ううん。気にしないで。私も嬉しいから」


「なら、よかったよ」


 そうやって話しながら、温かい雰囲気の中で四人は食事を進めた。




 食事が終わり、手分けをして食器洗いを完了させてのんびりと座っているときに、司がふと時計を見ると、もうすぐ午後七時を過ぎる頃だった。


「お、もうこんな時間か。長居しすぎちゃ悪いから、もう帰るよ」


「うん。次の日曜日、駅前のデパートに一時、だよね?」



 立ち上がる司に対して、華歩は間違えのないように細かく言葉を区切って確認した。それに片穂は笑顔で首を縦に振る。


「はい! 楽しみにしてます!」


「それじゃあ。また今度な」


「また今度、です!」


「うん。また」


 司と片穂が徐に外へと出ていくが、導華は外に出る前に立ち止り、華歩に声をかける。


「華歩よ。ゆっくりでもいい。前に、進むんじゃぞ」


「前……に?」


 華歩が聞き返すと、導華はいつものようにニカッと笑い、腰に手を当てて胸を張る。


「うむ! お前はきっと強くなれる! 胸を張れ!命ある限り、人間はいくらでも強くなれる!」


 その凛とした表情の導華を見て、華歩は


「……頑張って、みるね」


「応援しとるぞ。華歩」


「……うん!」


 華歩の返事を聞いた導華は満足そうな顔で外へと歩き出す。


「と、導華ちゃん!」


 後ろ姿を追うように、華歩は導華を呼びとめた。


「ん? なんじゃ?」


「また、今度……ね」


 少し照れながら華歩は声を出した。また会いたい、という気持ちを訴えるように。


 そんな少女に、導華は満面の笑みで答える。


「うむ! また今度じゃ!」


 そう言って外へ出る導華の背中は、華歩の目には見かけよりもずっと大きく感じた。

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