第34話 その8「れっつお料理です!」

 弱い雨の中を三人は水溜まりを綺麗に避けながら歩いていた。


「今日はご飯、食べたのか?」


「うん。昨日司くんたちが買ってきてくれた食材の余りがあったから、それで」


「そうか。ならよかったよ」


「ご飯は大事ですからね! いっぱい食べて下さいね!」


 今朝、司に言ったように片穂は華歩に笑顔を見せた。


「うん」


 何気ない会話をしながら三人は華歩の家まで辿り着いた。華歩が鍵を開けて家の中に入るその後ろに、司と片穂は付いていく。


「お邪魔します!」


 三人が部屋の中心でテーブルを囲んで座ると、司は開口一番に本題を切り出す。


「んじゃ。とりあえず昨日の事か。まず、華歩がどれだけ知ってるか教えてくれるか?」


「私が見たのは、真っ白な服を着て翼の生えた司くんが、黒い服を着た人と戦ってたことだけだよ。ビルの陰に隠れて見てて、あんまりよく見えなかったから……」


「なるほどな……」



 想像以上に華歩が昨日の戦いを見ていたので片穂は不安そうに司に耳打ちをする。


「ど、どうしましょう司さん……」


「この場合って、記憶を消すのはどうなるんだ?」


 問題は、司の過去に一度経験した、規則による記憶の消去。ただ見られただけというのならば、そう大きな問題にはならないはずだが。



「多分、司さんの時とは違って深く関わった訳ではなく偶然見ただけですから、見た記憶だけ消してしまえばいいんですけど……そんな器用なことお姉ちゃんにしか出来ませんし、とりあえずお姉ちゃんを呼ばないと……」


「なるほどな」


 小さな声で目の前で話をする二人を不思議そうに見つめる華歩に、司は視線を移した。



「華歩。色々と説明する前に、導華さんも呼んでいいかな?」


「うん、大丈夫だよ」


 華歩が素直に頷くのを見て、司は片穂に問いかける。


「片穂、導華さんと連絡とれるか?」


「えっと……。私、まだ通信用の鏡を貰ってないので連絡できないんです。せめて、お姉ちゃんの力で司さんのケータイを鏡と繋げればなんとかなるんですけど……」



 今まで何度も見てきた天使の連絡手段である手鏡。やはり前に導華が言っていたように、導華の力を一度媒体に干渉させなければ、手鏡と通信することは出来ないようだった。


「二人とも、何の話をしてるの?」


 さすがに目の前でひっそりと話す二人に耐えられなくなった華歩は、首を傾げながら小さく問いかけた。


「い、いや、導華さんとの連絡手段が無くてさ。どうしようかなって」


「導華ちゃん、ケータイ持ってないの?」


「持ってることは持ってるんだけど、電話番号を知らなくてさ」


 司が華歩に説明をしていると、片穂が華歩の首元に見覚えのあるアクセサリーを見つけた。


「あれ……? 華歩さん。それって……」


 片穂が問いかけると、華歩はそっと首から銀色に光るペンダントを外し、片穂に見せる。



「これは、昨日導華ちゃんからもらったの」


「ちょっとだけ、貸してもらってもいいですか?」


「え……? うん」



 華歩は少し戸惑いながらも片穂にペンダントを手渡した。片穂はそれを手に持つと、次は司の方に手を出す。


「司さん。ケータイ、貸してもらっていいですか?」


「あ、ああ。どうするんだ?」


 片穂は司のスマートフォンを手に取ると、その二つを眺めながら片穂は口を開く。



「このペンダントには、お姉ちゃんの力が籠っているんです。それをほんの少しだけ貰って、司さんのケータイとお姉ちゃんの鏡を繋げます」


「そ、そんなことができるのか」



 導華が華歩へ渡した素朴な銀のペンダント。それは天使、天羽導華の力と想いが染みついているものである。通常下界の物には簡単に天使の力は干渉できないのだが、集中して意識的に干渉させようと力を使えば、物にも天使の力を宿らせることが出来る。


 司の驚いた表情を見て、華歩も動揺を露わにする。


「え……? 何をするの?」


 状況が全く呑み込めていない華歩を見て、どうせ天使についての記憶がなくなってしまうのなら、変に隠す必要もないのではないかと司は感じた。



「片穂、天使についての記憶だけ消せるなら、話してもいいんじゃないかな?」


「そうですね。華歩さんとの記憶がなくなってしまうわけではないですし」



 司の提案に、片穂は真剣な表情で頷く。毎度思うが、普段はいつもどこか抜けているのに、天使が関わると雰囲気が途端に変わる。それも、目で見て分かるくらいに。



「記憶……? 二人とも、何の話をしてるの?」


「これから話す事は、誰にも話さないと、約束できますか?」


 片穂が向けた真っすぐな視線に、怪訝な顔をしていた華歩は少しだけ圧倒されて頷く。


「う、うん」



 それを見ると、片穂の手に握られたペンダントが淡く光り出す。そして、片穂はゆっくりと口を開き、自らの正体を伝える。かつて司に伝えた時と同じ様な声で。


「私、天羽片穂と私の姉、天羽導華は、人間ではないんです」


 目の前で突然光り出したペンダント。そして片穂が口にした言葉。理解できない事物が目から、耳から脳を刺激し、華歩は目を丸くする。


「これって……一体」


「私には、もう一つ名前があるんです」


 一呼吸置いて、片穂は続ける。


「天使カホエル。天使である私の、もう一つの名前です」


「天使……?」



 未だに理解できていない華歩を見て、横から司が割って入る。


「俺が、説明するよ」


 そして司は華歩に一つずつ説明していく。片穂や導華が天使であること。司が片穂の契約者として悪魔と戦ったこと。昨日華歩が見たアスモデウスという悪魔のこと。そして、天使についての記憶を消さなくてはならないこと。


 当然華歩は信じられないというような顔で司の話を聞いていたが、自分が見た天使化した司の姿のせいか受け入れることにあまり抵抗はないようだった。



「そう、だったんだ」


 ようやく司と片穂の言葉を消化し始めた華歩が声を出した瞬間に、片穂が声を上げる。


「司さん! お姉ちゃんと連絡取れそうです!」


「おっ。じゃあ早速電話してくれ」


「はい! 了解です!」


 片穂が司のスマートフォンを使って導華へと電話をかけ始めた。


 その様子を見ながら、華歩は司に小さな声で話しかける。


「ねぇ、司くん」


「どうした?」


「私は、片穂ちゃんや導華ちゃんの記憶を消されちゃうの?」


 家族の死で心を痛めていた自分に、出会ったばかりなのに親身になって自分を救ってくれるといってくれた片穂や導華。その二人の存在を忘れてしまうのはとても寂しいと、華歩はその目で訴えていた。


「その心配はないよ。導華さんなら天使のことだけ上手く消してくれるだろうから」


「そっか。よかった」


「今から来てくれるそうです!」


それ聞いた司は華歩へと視界を移して問いかける。


「華歩、夕飯はどうする予定だったんだ?」


「特に予定はないけど……」


「なら……」


 司が片穂の目を見ると、司の気持ちが言葉を介せずに伝わり、片穂は満面の笑みで頷く。


「はい! れっつお料理です!」


「あ、片穂は準備頼む。主な調理は俺と華歩でやるからさ」


 唐突な司の言葉に、片穂の表情が一気に暗くなる。



「え……。なんで、ですか……?」


「いや……。その方が効率いいから……」



 今まで佐種家の食卓を支えていたのは間違いなく導華であるし、片穂は常に下準備や盛り付けに徹していた。それでも片穂は自分が料理が下手だとは気付いていない。姉がいない今、自分が先頭を走ろうと気持ちを持っているのだろう。


 司に突きつけられた事実を信じようとしない片穂は頬を膨らませて顔がぶつかりそうになるくらいまで詰め寄る。


「むぅう~~!! そんなこと言わないでください! 私だってやればできるんですよ!?」


「し、知ってるから。そんな詰め寄るなって!」


「もう華歩さんにも天使だって言ってしまったのだから気にしません! 力を使います!」



 そう言うと片穂は目を瞑り右手に意識を集中させる。すると、片穂の右手から光が溢れだし、片穂の掌に凝縮していく。


「片穂ちゃん……? それは?」


 片穂の右手に握られているのは光で出来たナイフの様な、小さな剣。それを持った片穂は自信に満ちた表情で説明を始める。


「天使の力で作った短剣です! ほんの少しだけの力で作っているので下界の物質も切ることが出来るんです!」


「な、なんでそんなものを?」


「見ててください!」


 片穂は手に持つ短剣を包丁のように使い、まな板の上に準備された食材を切り始めた。


「お、おおおお!! すげぇじゃねぇか片穂!」


 片穂が切っていく食材は、速いスピードで正確に切られていく。いつもは慎重すぎるくらに丁寧に切っていたので、いつもとは全く違う包丁捌きに司は感嘆の声を上げた。


「普段はお姉ちゃんに力を無駄遣いするな馬鹿もの! とか言われて使えないんですけど、天使の力を使えるのなら話は別です!」


 いつもは天然の片穂だが、天使として戦う時は堂々とした剣技を見せる。恐らく、下界の物を扱うよりも、自分の力で生み出した物のほうが使い勝手がいいのだろう。片穂は真剣な顔で食材を切り続ける。


 その姿を眺めていた華歩だったが、その視界に映ったものを見て、華歩は小さな声で片穂に話しかける。


「か、片穂ちゃん……。あの……」


「大丈夫です! 見ててください! すぐに華歩さんの夕飯を作って見せますから!」


 聞く耳を持たずに、片穂は調理を続ける。


「そ、そうじゃなくて……。えっと……」


 そわそわと落ち着かない華歩に違和感を覚えた司は華歩の視線を追ってその同様の原因を探る。


 そして、その原因を見つけた瞬間に、司の顔が青ざめる。


「あ……片穂……」


「司さんまでどうしたんですか! 今の私には心配は――」


「ワシは今朝、アスモデウスとの戦闘に備えて少しでも早く力の回復をする、と言ったはずじゃが」


 その声を聞いた瞬間に、ビクンッ! と片穂の背筋が伸びあがる。そして、片穂から途端に冷や汗が溢れだし、体が震えだす。


 片穂は怯えた顔でゆっくりと振り返ると、そこにいるのは、圧倒的存在感を放つ、小さな着物の少女。その表情は例えるならばそう、地獄からの使者のような、天使とは対極にいるような、そんな表情で……。


「お、お姉ちゃ……」


「力の無駄遣いをするな! この馬鹿ものがッ!」


 片穂の姉、天羽導華は怒りに満ちた声を張り上げながら、握りしめた拳で思い切り片穂の頭を殴りつけた。


「ご、ごめんなさぁあい!!」


 天使の悲痛な叫びが、華歩の家に響いた。

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