第31話 その5「最良の援護」
司の横を通り過ぎた光の矢はアスモデウスへと一直線に向かっていくが、悪魔を護る壁に衝突した瞬間に、その矢は壁を壊すことなく虚しく破壊される。
「ふむ。これでも効かんか。かったい壁じゃのぉ」
「そんな小さな矢一本で僕の盾が壊れるわけがないじゃないか」
腕を組み余裕に満ちた表情を浮かべてアスモデウスはその場に佇む。
「なら、馬鹿力で思いっきり叩けばぶっ壊れるじゃろ」
当たり前のように自分が断念した方法を提案する導華に、司は少し動揺しながら、
「で、でも、技を使えば強制契約された人たちが――」
司の言葉を遮るように、ニカッと笑みを浮かべる導華は声を出す。
「それなら、もう向こうで寝かせてある。安心しろ。まぁ、さすがにこの街中で大剣はちと厳しいかもしれんがのぉ」
「えっ、もう倒しちゃったんですか?」
司は目を丸くながら慌てて周囲を確認する。先ほどまで周りを囲んでいた悪魔化した人間たちはいつの間にか全員いなくなり、全てがビルの陰に綺麗に寝かされていた。
寝かされた人間たちには先ほどまで薄気味悪く纏わり付いていた悪魔の瘴気がすっかり消えて、見た目も雰囲気も全てが人のそれへと戻っていた。
「うむ。手加減は得意じゃからな! そうだろ? 片穂よ」
『わ、私は関係ないでしょ!』
きっと、下界へ降りる前に片穂が積み上げた努力の中には、鼻歌交じりに導華にコテンパンにされた記憶もあるのだろう。
恥ずかしい過去を暴露されたようで、心の中で片穂は声を上げた。
しかし、その少しだけ緩んだ空気の中に感じる、ピリピリとした殺気。
その先に司が目を向けると、アスモデウスは血管を浮き上がらせて歯軋りをさせていた。その表情はまさに悪魔と呼ぶに相応しいほどで、身体中から憎悪と殺気が垂れ流されていた。
「いつの間に僕の駒を……。もっと回収する予定だったのに……。サタン様への供物を……。よくも、よくも……」
計画を狂わされたことによる怒りで、歯軋りする口や握りしめる拳から血が流れていた。
その姿に司は少しばかりの畏怖を覚えたが、その横で腕を組んで堂々と立つ導華は恐れを微塵も見せずに口を開く。
「それは残念だったのぉ。なら、もう帰ったらどうじゃ?」
「うるさいッ! 一々感に触る喋り方しやがって! ぶっ殺してやる! 刺し殺せッ! 【
アスモデウスは狂気に満ちた甲高い声を張り上げて手を空へとかざす。
その手を上げた先に再び黒いモヤが現れ、その闇はそれぞれが凝縮し、無数の槍が生成される。
「死ねッ!!」
アスモデウスが腕を振り下ろすと夥しい数の槍が司と導華に向かって勢いよく放たれた。
導華は姿勢を低くして身構えると、司に向かって小さく呟く。
「司、太刀を使え。援護しよう」
「はい。分かりました」
司が頷くと導華の手に光り輝く弓が再び現れてる。
司は勢いよく槍に向かって飛び出す。このままでは槍が身体中に刺さってしまうはずであるが、今回は後衛に心強い味方がいる。天界随一の、最良の援護が。
「【
導華は大量の矢を放ち司を援護する。その矢はまるで意思があるかのように司の横を抜けて大量の槍を一つずつ相殺していく。
勢いよく向かってくる司を睨みつけながら、アスモデウスは狂気に満ちた声を吐き捨てる。
「さっさと来い! お前らの攻撃如きで、僕の盾は壊れない!」
「【
司が技の名を唱えると司の持つ剣に光が宿り始め、それが剣の中へと凝縮していく。
「おらぁああ!!」
司が剣を全力で振り下ろすと、剣に集約された光たちが巨大な斬撃となり、アスモデウスの【
しかし、その強烈な一撃も、アスモデウスの壁を壊すことはできない。巨大な斬撃はガラスのように砕け散る。
その様子を壁の中で眺めながら、アスモデウスは蕩けるように笑みを浮かべる。
「効かないなぁ? 効かないよ! 効かないに決まってるじゃないか! アザゼルでさえ僕の半分壊すので精一杯だったんだからさ!」
「ならば、連続ならばどうじゃ?」
司の攻撃の直後に、それと同じ場所に導華の矢が一直線に向かっていく。
「そんなちっぽけな攻撃なんていくら受けても──」
アスモデウスは口角を上げたまま余裕の表情を浮かべていたが、光り輝く矢が壁に衝突した瞬間、アスモデウスの目の前の壁に一筋の亀裂が走る。
「なっ!!」
「ヒビが入った!」
司の遠く後ろで弓を構えている導華は、不敵な笑みを浮かべていた。
「さすがに【
「チィ! さすがに一枚じゃこれが限界か」
アスモデウスは【
「ほれ。どうした。ワシらを殺すのではなかったのか?」
「……今回は、ここまでだ。僕の器もない状態で、『駒』も無いとなると、いくら僕でもさすがに分が悪い」
アスモデウスの言う『駒』は恐らく強制契約をした人間たちのことだろうか。導華の活躍によりその人間達は全員無事に保護されたわけだが、それによってアスモデウスは単独で司たちと戦うことになる。
「ほう。冷静な判断を出来る頭もあるようじゃなのぉ」
相も変わらず導華は煽り続けるが、今までとは違い、その挑発にアスモデウスは顔色を変えることはなく、冷静さを保っていた。
「チッ。精々ほざいてろ。次は本当にぶっ殺してやる」
導華を睨みつけて、アスモデウスは不満そうに吐き捨てながらビルの影に一瞬で消えてしまった。
「お、おい!」
司はアスモデウスを追おうとするが、その司に導華はそっと声をかける。
「待て。司。片穂の状態も心配してやれ」
「えっ……」
司が導華の声に動きを止められた瞬間に、その体から光が溢れだす。
「やっぱり、気付いてたんだね」
その声と共に片穂が司の中から光となって現れた。それによって司の天使化が解除され、一つだった存在が二つに分かれて司と片穂がそれぞれ人間へと次元を落とした。
人に戻った片穂は、落ち着いた様子で導華に返事をする。
「当たり前じゃ。アザゼルと戦った時とは速さが全く違うではないか」
当然のように話す導華に、司は首を傾げる。
「どうしたんだ。片穂?」
「実は、私の力はまだ全快してないんです」
本来、アザゼルと戦った時のように片穂が本調子であればアスモデウスの槍にてこずることはなかったのだ。
「大剣は莫大な量の力を使うからのぉ。一週間ぐらいじゃ戻りきらんじゃろう」
「そう、だったのか」
不器用で不完全な天使、天羽片穂が他よりも唯一優れていた力の大きさ。その巨大な力が片穂の力の根源であり、悪魔アザゼルの左手を落とすまでの攻撃力を生み出していた。
しかし、過去に司が説明を受けたように、天使の力は決して無尽蔵ではない。バッテリーのように貯蓄したのものを使用していくのだ。そして、その容量が大きければ大きいほど、その回復も遅くなる。
そして、【
「こちらから攻撃をし続けなければいけない以上、あのまま戦い続けていたら確実にこっちが不利になる。異常なほどの挑発も上手くいってよかったわ」
「だから、あそこまで執拗に」
導華は静かに頷く。
導華は片穂の力が回復していないことを理解していた。ならば、鉄壁を誇るアスモデウスが防戦一方だった場合、確実に片穂の力は尽きる。
それを感じた導華は、アスモデウスを必要以上に挑発し、向こうからの攻撃と隙を狙ったのだ。
不気味なまでの挑発は、その裏に何かを企むような気配をアスモデウスに感じさせた。そして『駒』が無くなり、壁にもヒビが入り鉄壁にも隙が出来た。
こうなってしまっては、アスモデウスは引くしかない。そもそもが天使との戦いを想定していない以上、体制を立て直すのが必要である。
「お前も片穂と共に戦うならば、片穂の力も意識してやれ。このバカ天使は活動限界ギリギリまで力を使ってしまうからの」
必要ならば、きっと片穂は自己犠牲も気にしないだろう。司も導華も、それは分かっている。しかし、司は悪魔という存在に意識を奪われ、これに気付くことができなかった。
「そ、そんなこと……ふにゃ!」
導華に図星を射抜かれた片穂は言葉に詰まるが、司はその頭に手をのせて優しく撫でる。
「悪いな、片穂。気付けなくて。キツかったらいつでも言ってくれよ」
「…………はい」
顔を真っ赤に染めて視線を逸らしながら片穂は小さく返事をした。
すると、導華が何かに気付いたように急に振り返る。
「……?」
「どうしました? 導華さん」
導華はビルの影へと視線を移すが、ほんの少しだけそこを見つめると、
「……いや、気のせいじゃ」
何事も無かったように導華は呟いた。
「なら、帰りましょう。服も濡れちゃいましたし」
司たちが戦っている間も、雨は止まることなく降り続けていた。今この瞬間も、雨は司たちを濡らし続けていた。
天使化中は関係ないが、司も片穂も人間に戻っているので、雨は二人の体温を減らし続ける。
「うむ。それじゃあ、先に帰っておれ。ワシはここら一帯の記憶やら何やらを変えておこう」
「手伝わなくて大丈夫?」
心配そうに片穂は導華に問いかけるが、導華は突き放すように、
「一人でやったほうがお前に手伝われるよりも効率がいいわ」
「むぅ~~……」
片穂は頬を膨らませて反論しようとしたが、器用に力を使うのが苦手な片穂は、若干納得気味に黙り込む。
「ほら、片穂。風邪引くぞ。早く帰ろう」
「あっ、はい。じゃあお姉ちゃん、お願い」
司に声を掛けられた片穂は素直に導華に仕事を任せる。
「うむ。任せておれ。すぐに帰る」
「よろしくお願いします。家でご飯作って待ってますね」
司が導華にそっとお辞儀をすると、導華は地面を蹴り出して空へと翔る。天へと舞い上がる天使は空高くまで高度を上げ、街を見渡す。
そして、ゆっくりと手を広げると、誰にも聞こえないぐらいの小さな声で何か呪文のような言葉を唱える。
すると、降り続ける雨に混じるように白い光が街一帯に降り注ぐ。それは一見すると雪のようで、ゆっくりと、優しく導華の光が舞い落ちる。
「さすが、お姉ちゃんです」
「あれで、みんなの記憶をいじるのか?」
「はい。あの光に触れた人は、特別に天使の力と関わっていない限りは何もなかったかのように記憶が改変されて別の記憶が埋め込まれます」
記憶を改変する過程を、今まで司は見た事がなかったが、それは余りにも神秘的に、そして美しく見えた。
「……へくちっ!」
司が見とれていると、隣で片穂が小さくくしゃみをした。少し寒そうに腕をさすりながら片穂は司を見る。
「早く、帰ろうか」
「はい……凍えてきました」
元気無く呟く片穂と共に、司は駆け足で自分の家へと帰っていった。
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