第30話 その4「盾と矛」

 素朴な銀色のペンダントを首にかけて、少女は小雨の中を駆け足で進んでいた。


「どこ……かな」


 華歩は今、司たちを追うために司の家への道を通ってるわけなのだが、一向に三人の姿を見つけることができない。


 普通に帰路を歩いているだけならば、そろそろ司たちに追いついてもいい頃なのだが。


「明日、学校で……」


 明日、学校で渡そう、と華歩は考えたが現在華歩は長期的に欠席中。別に行くことに何も問題はないのだが、どうにも気が進まなかった。


 長く学校に行かないと、何となく学校に行こうという感覚が消えてしまう。ただでさえずっと塞ぎ込んでいて、外へこんなにも躊躇いなく出たことに自分でも疑問を持つほどだった。


 これも、あの三人のおかげなのだろうか。あんなに体が重く感じていたのに、今はその重みを感じていないのだから。


 それでも、やはり学校というものは恐い。きっと聞きたくないことだって耳に入ってしまう。それに、もう自分の弟は二度と学校に行けないのだ。自分だけが学校を楽しもうだなんて、思う気にもなれなかった。


 もう少しだけ探して見つからなかったら、また別の方法を考えよう、と再び歩き出した瞬間に華歩の視界に異常な光景が目に入った。


「光……?」


 視界の先で、巨大な淡い光が結界のように町を覆い始めたのだ。


「なに……? これ」


 前方から迫ってくる光に、華歩は思わず目を瞑り身構えるが、体には何の異常もない。それよりも、まず最初に感じたのは『心地良さ』だった。


「片穂……ちゃん?」


 この優しい心地良さは、天羽片穂の笑顔のような、そんな温かさがあった。そして、それを感じた瞬間に周りを歩く人々が一斉に何かに操られているかのように同じ方向に歩き始めた。


「え……?」


 無意識のようにも見えるほど遠くを見て歩く人々に、華歩は動揺を隠せない。


 しかし、一つ気付いたことがある。


 先ほど光が向かってきた方向と真逆の方向に、人々が歩いているのだ。まるで、この光の結界の中心に誰も近づけなくするかのように。


「何が、起こってるの……?」


 華歩が突然の出来事をなんとか理解しようとすると、首に掛かっているペンダントがほのかに熱を帯び小さな光を発し始めた。


「導華、ちゃん?」


 華歩はペンダントをそっと握りしめる。優しい温かさが掌に広がり、まるで導華がすぐ側にいるかのような感覚を覚えた。そして、導華がこの光の結界の中心にいるとペンダントが伝えるように光っていた。


 優しく輝くペンダントに導かれるように、華歩は結界の中心へと走り始めた。


 華歩は走りながらビルの間を抜けていく。中心に行けばいくほど人の気配がなくなり、店にも、家にも誰もいない。都会であるはずなのに、普段ではあり得ないほどの殺風景な街並みに、華歩は少しの恐怖感すら覚えた。


 そして、誰もいなくなったはずの街の中心に、光が溢れていた。華歩がビルの陰に隠れてその様子を窺うと、その目に信じられない光景が映る。


 華歩が見たのは白い衣装に身を包み、黄金に輝く剣を手に持つ神々しいまでに純白に輝く存在。


 それはまるで、いや、本物の天使に見えた。


 しかし、華歩にはそれ以上に信じられないものがあった。


「司……くん?」


 翼、装い、存在感。どれを取ってもその存在は明らかに天使そのもの。だが、その顔は、体格は、華歩の知っている佐種司に違いなかった。


 そして、黄金の剣を手に司が立ち向かう先にいるのは得体の知れない黒い物体。


 佐種司のような天使が、黒い何かと戦っていた。





 アスモデウスが発動した【蛇陰じゃいん防壁ぼうへき】によって天羽片穂の武器である【灮焔こうえんつるぎ】を使用した攻撃を防がれた司は弾かれた剣を握り直し、体制を立て直して再び剣を振り上げた。


「クソッ! 剣の攻撃が通らないなら、大剣で――」


 アザゼルの技を粉砕し、その腕をも攫った技、【灮焔こうえん大剣たいけん】。あの技ならばアスモデウスの鉄壁を破壊することができるはずだ。


 しかし、技を打つには力を練り込む必要がある上に、さらなる問題もある。


『ダメです! 司さん! 【灮焔こうえん大剣たいけん】だと悪魔に強制契約している人まで攻撃してしまいます! 今は使えません!』


 司の心の中で片穂が声を張り上げた。


 悪魔たちの強制契約によって、本来は天使の力に干渉するはずのない周囲の人々にも、天使の攻撃が当たってしまう状況にある。


 司が天使化したときのみに使える片穂の持つ膨大な力の全てを使った技である【灮焔こうえん大剣たいけん】は、街中で使用するには余りにも巨大過ぎる。


 結界内に人がいないならば使うことも出来るのだが、『強制契約』によって天使の力の影響を受けることになってしまう人々がいる以上、片穂の技は危険すぎる。悪魔に勝ったとはいえ、周囲の人々まで殺してしまうなどあってはならない。

 

 技が使えないと分かった司は、アスモデウスに向かって剣を振り下ろす。


「なら、何度でも斬ってその盾をぶっ壊すまでだ!」


 しかし、その攻撃はアスモデウスの防御を崩すことはできず、剣は壁に弾かれる。


「ヒャハハハ! 利かないなぁ。それだけかい? なら、僕も攻撃させてもらおう」


 球体の壁の中で笑いながら、アスモデウスは掌をゆっくりと司へと向けて口を開く。


 ――【蛇陰じゃいん闇槍あんそう


 アスモデウスが技の名を唱えると、何もなかったはずの司の上方に黒いモヤが現れ、複数に分裂していく。


 それは勢いよく渦を巻きながら凝縮し、漆黒の槍が司の頭上に無数に出現した。


 そして禍々しく司へと矛先を向けた槍は、雨のように司へと降り注ぐ。


「ぐッ!」


 司は回避をしながら槍を剣で弾くが、無数の槍を全て回避することはできず、槍は司の体に切り傷を作る。


 これぐらいの軽傷であれば天使の力による自己再生で十分に回復できるので特別問題でもない。しかし、こちらの攻撃が通らない以上、自分は守りながら攻撃をしなければならない。こちらがジリ貧になっていくのは目に見えていた。


「それくらいじゃあ、僕の槍は防げないよ!」


 アスモデウスは再び腕を振り上げ、黒く染まる槍を空中に生成してそれを司へ向かって放つ。アスモデウスの遠隔操作によって放たれた槍の軌道は一直線なので、避けることは容易いがその槍の数の多さに司は苦戦する。


「捌き、切れねぇ!」


 槍が体に刺さることはないが、無数の槍は司の皮膚を斬り、体中に切り傷が出来る。この傷も例の如く再生するのだが、この回復にも天使の力を使っているのでさらに力の消費が増えていく。


 司が必要以上に力を消費し続けている一方で、この司の攻撃の最中も、アスモデウスは壁の中で腕を組んで立ち続けており、防御と攻撃を同時に行っていた。


 アスモデウスの盾と矛が、司の攻撃を阻み続けていた。


 静かに閉じていく傷口をニヤニヤと眺めながら、アスモデウスは煽るように声を出す。


「どうしたの? 僕、まだここから動いてすらいないんだけど」


 アスモデウスの挑発に乗ることはないが、苛立ちを隠せずに司は声を上げる。


「どうする片穂! このままじゃ攻撃が当たらねぇぞ!」


『大技が使えないとなると、私の力では他に手がありません。今は、ひたすら攻撃を続けるしか……』


「なら、一点を狙える攻撃ならいけるじゃろ」


 心の中で響く片穂の声を聞く司の後ろで、静かに導華が声を発した。


「――射砕け。【破壊はかい光弓こうきゅう】」


 司の横を、光り輝く矢が風を切りながら駆け抜けていった。

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